07 新たな出会い
ルウとスンの関係が決裂してから、五年後――ドグラン=ルウが、魂を返すことになった。
ギバ狩りのさなかに深手を負い、なんとか家までは戻されたものの、そのまま魂を返すことになったのだ。
ジバ=ルウは七十歳、ドグラン=ルウは四十九歳、ドンダ=ルウは二十七歳の年である。
ジバ=ルウは涙を見せることなくドグラン=ルウの魂を見送ったが、その胸にはぽっかりと穴が空いていた。実のところ、ドグラン=ルウは最後に残されたジバ=ルウの子であったのだ。
長姉と次姉は、すでに病魔で魂を返している。次兄のモーティ=ルウも、つい昨年にギバ狩りの仕事で森に魂を返していた。そしてもっとも若年であった末妹のルミア・ルウ=ルティムも、姉たちと時を同じくして魂を返してしまったのだ。
豊かな生活を手にしたルウの血族においても、五十歳を迎える前に魂を返すことは珍しくない。よって、いずれの子供たちも決して早すぎる死とは言えなかったが――しかし、その母たるジバ=ルウがその死をすべて見届ける羽目になるというのは、あまりに物悲しい話であった。
(どうしてあたしばっかりが、こんな風に老いぼれた姿で生き延びているのかねぇ……おかげで、可愛い曾孫たちに囲まれることもできたけど……それで自分の子供たちを見送らないといけないなんて、あんまりじゃないか……)
なおかつ現在のルウの血族には、打倒スン家の気風が燃えあがっている。
ジバ=ルウはそちらにも同調することができず、ひたすら幼子たちの面倒を見る日々であった。
もはやジバ=ルウの生き甲斐は、幼子たちの成長を見守ることのみである。
また、孫の世代が家長を受け持つほどの齢になったため、ジバ=ルウが面倒を見るのは曾孫ばかりであった。
ルティムにおいてもゼディアス=ルティムは魂を返し、ラー=ルティムに家長の座が受け継がれている。そして、長兄たるダン=ルティムは五名の子を生していた。
ルウの本家もまた、ドグラン=ルウを失った時点で五名の子を迎えている。長兄のジザ=ルウ、長姉のヴィナ=ルウ、次兄のダルム=ルウ、末妹のレイナ=ルウ、末弟のルド=ルウ――それぞれ気質の異なる子供たちであるが、誰もが健やかに育って『アムスホルンの息吹』を乗り越えてくれた。
さらに二年後には新たな女児たるララ=ルウが生まれ、ついにこれまでかと思われたが――驚くべきことに、そこから五年もの歳月を空けて、さらなる子供が生誕した。母親譲りの赤茶けた髪で、誰よりも元気な産声をあげていた、リミ=ルウである。
ジバ=ルウはすでに七十七歳、ドンダ=ルウは三十四歳、長兄のジザ=ルウももはや十五歳で一人前の狩人に認められた齢であった。
ジバ=ルウの父親は、三十八歳で魂を返している。ジバ=ルウの孫たるドンダ=ルウが、あと四年でその齢に追いついてしまうのだ。そんな風に考えると、ジバ=ルウは何だか気が遠くなりそうな心地であった。
それでもジバ=ルウは、幼子の面倒を見るばかりである。
末妹から三姉に繰り上がったララ=ルウももはや家の仕事を手伝う五歳の身になっていたため、ジバ=ルウはミーア・レイ=ルウとともにリミ=ルウの面倒を見る毎日であった。
伴侶であるドグラン=ルウを失ったティト・ミン=ルウも気落ちすることなく、家の仕事を果たしている。そちらもすでに、五十七歳という齢であった。
やはりミンにも、強き血が流れていたのだろう。すべての子を失ってしまったジバ=ルウは、長兄ドグラン=ルウの伴侶であるティト・ミン=ルウのことを盟友のような存在に感じていた。
「わたしはジバの幼い頃なんて見たこともありませんけれど、なんだかこのリミが一番ジバに似ているように思えてなりませんねぇ」
ティト・ミン=ルウはゆったりと笑いながら、そんな風に言っていた。
しかしジバ=ルウも自身がどのような赤子であったかなど知るすべはないので、なんとも答えようがない。ただ、七十七歳という老齢で迎えた新しい曾孫が愛おしくてならなかった。
そうしてリミ=ルウも『アムスホルンの息吹』を乗り越えて、すくすくと成長してくれた。
やがて二歳になったリミ=ルウが乳離れすると、母たるミーア・レイ=ルウが明るく微笑みながらジバ=ルウに告げてきた。
「このリミはひときわジバに懐いてるみたいなんで、朝方の面倒をお願いしてもいいもんでしょうかねぇ?」
ミーア・レイ=ルウはもはや家長の伴侶という身であるため、女衆の束ね役として立ち振る舞わなくてはならないのだ。ジバ=ルウはリミ=ルウの小さな頭を撫でながら、「もちろんだよ……」と答えてみせた。
「薪を割ることもかまど仕事を果たすこともできないあたしには、幼子の面倒を見るしかないからねぇ……リミ、婆と遊んでくれるかい……?」
リミ=ルウは淡い水色の瞳をきらきらと輝かせながら、「ばあ、あしょぶー」とジバ=ルウの痩せこけた膝に取りすがってきた。
ジバ=ルウが今でも絶望に打ちひしがれることなく生きていけるのは、この温もりのおかげである。すべての子供を失い、打倒スン家の炎に心身を焦がされながら、ジバ=ルウはまだ幸せな心地でいることができた。
「リミはまだ二歳なのに、力が有り余っているみたいでねぇ。無理に大人しくさせると寝つきが悪くなるもんで、ジバの負担にならないていどに外で遊ばせてもらえるかい?」
「承知したよ……おいで、リミ……」
ジバ=ルウはリミ=ルウの小さな手を取って、ともに家の外に出た。
まだ朝の早い頃合いで、狩人たちはのきなみ眠りこけている。五歳以上の幼子たちは女衆の仕事を手伝い、それより小さな幼子たちは家の中で面倒を見られているのだろう。広場には、せわしなく立ち働く女衆と幼子の姿しかなかった。
「みんな忙しそうにしているねぇ……ちょっと広場の外まで出てみようか……」
リミ=ルウは「うん!」とうなずき、水色の瞳を嬉しそうに輝かせた。
その手はとても小さいのに、とても温かくて力強い。いっぽうジバ=ルウの手は、もはや枯れた枝のようだ。だんだん腰も曲がってきて、この頃には杖をつくようになっていた。
しかしジバ=ルウも、まだまだ歩くのが苦になるほどではない。リミ=ルウもむやみに足を急がせたりはしないため、二人でのんびり森辺の道を歩くことができた。
道の左右には、無数の樹木が立ちはだかっている。
これだけは、ジバ=ルウが幼い頃から変わらない風景だ。シュティファやモーティの集落に向かうときも、宿場町に向かうときも、スンの集落に向かうときも――いつも森は、左右からジバ=ルウのことを見下ろしていた。
ジバ=ルウは、すでに七十九歳という齢になっている。
きっと黒き森で暮らしていた頃でも、こうまで長生きする人間はいなかったことだろう。そして、このモルガにおいてもすでにジバ=ルウより年老いた人間は存在せず――黒き森を目にしたことのある人間も、もはやジバ=ルウただひとりであった。
あれはもう、七十四年も昔の話であるのだ。
いっそ、モルガの森が七十四年間も同じ姿であり続けていることのほうが不思議に感じられるほどであった。
(やっぱり人間なんてもんは、母なる森に比べたらちっぽけな存在なんだろうねぇ……)
そんな思いを胸に、ジバ=ルウはひたすら歩き続ける。
リミ=ルウは時おり「おはなー」「はっぱー」と声をあげるばかりであるが、退屈している様子はまったくなかった。
道をどこまで進んでも、森の様子に変わりはない。しかしきっと二歳のリミ=ルウの目には、すべての光景が瑞々しく感じられるのだろう。そうして気づくと、半刻ばかりも森辺の道を北上していた。
(あんまり遅くなるとみんなが心配するから、そろそろ引き返すとするかねぇ……)
そうしてジバ=ルウが足を止めようとしたとき、リミ=ルウのほうが「あえ……?」とつぶやきながら足を止めた。
「どうしたんだい、リミ……?」
ジバ=ルウが呼びかけると、リミ=ルウはきょとんとした面持ちで一本の樹木を指し示した。
「だえ……?」
リミ=ルウの視線と指先を追って、ジバ=ルウもゆっくりと顔を上げる。
すると――そちらの樹木の高い位置にある梢の陰に、青い瞳が光っていた。
森辺の子供が木の上で、青い瞳を光らせていたのだ。
「おやまあ……そんな高いところに登ると、危ないよ……?」
「危なくなどは、ない」
どこか凛然とした声で答えながら、その子供が地面に降り立った。
大人の頭より高い位置であったのに、なかなかの身軽さである。その優美なる所作に、リミ=ルウが「ふわあ」と驚きの声をあげた。
「しゅごいしゅごい! かこいいねえ!」
「かこいい?」と子供が小首を傾げたので、ジバ=ルウは楽しい心地で説明した。
「格好がいいと言ったんだよ……あんた、女衆だったんだねえ……」
「女衆だけど、狩人だ」と、その子供――いや、少女は口をとがらせた。
金褐色の髪に青い瞳をした、見目のいい少女である。年齢は、せいぜい十歳かそこらであろう。女衆の証である胸当てと腰巻きを纏い、肩にはギバの毛皮の切れ端を羽織っている。
「この前、初めての獲物を捕らえたのだ。だから、私はもう狩人なのだ」
少女はむすっとした顔で、そのように言いたてた。
肩から羽織った毛皮の切れ端は、狩人の衣を模していたのだ。それはどうやら幼いギバの毛皮であるらしく、少女の腕や背中を半分ぐらいしか隠していなかった。
ただその青い瞳には、確かに見習いの狩人めいた強い輝きが宿されている。
少女らしくほっそりとした身体つきであるが、そこからこぼれ落ちる生命力が光り輝いているかのようだ。
それが、ジバ=ルウとアイ=ファの出会いであった。
◇
アイ=ファというのは、奇妙な少女であった。
彼女は女衆でありながら、狩人を志すと言い張っていたのだ。長きの時を生き抜いたジバ=ルウでも、そんな言葉を口にする女衆を目にしたのは初めてのことであった。
どうやらファの家は滅ぶ寸前であるらしく、もはやアイ=ファと両親しか家人は残されていないらしい。眷族どころか分家も存在せず、その三人が最後に残された家人であったのだ。たった三人しか家人がいない氏族が存在するなどとは、ジバ=ルウも想像していなかった。
(でも、そういえば……あたしが家長会議に出向いていた頃、ファの家はいつも褒賞金を手渡されていたねぇ……あんな大昔から、ずっと苦しい生活を送っていたということかい……)
しかしアイ=ファという少女の目には、悲壮さの欠片も見受けられない。彼女は家の滅びに絶望することなく、ひとりの森辺の民として心正しく力を尽くそうと奮起していたのだ。その強靭さと清廉さがジバ=ルウを驚かせると同時に、深く心を満たしてくれた。
(本当に、立派な子供だねぇ……女衆が狩人を志すなんて、ありえない話だけど……この子だったら実現させるんじゃないかって気持ちにさせられちまうよ……)
ジバ=ルウは、最初の出会いでもうアイ=ファに心をひかれていた。
そしてアイ=ファのほうも、ジバ=ルウに心を寄せてくれたのだ。それは、会話の流れでジバ=ルウがかつて家長を務めていたことがあると明かしたためであった。
「すごい。女衆で家長をつとめていた人間を見るのは、初めてだ」
そのように語っていたとき、アイ=ファは星のように青い瞳をきらめかせていた。
確かに女衆が本家の家長の座を預かるというのは、女狩人を志すのと同じぐらい素っ頓狂な話であるのかもしれない。そんな風に考えると、ジバ=ルウはいっそう温かな心地であった。
いっぽう幼きリミ=ルウも、初めて目にした血族ならぬ相手にめいっぱい心をひかれていた。
それでジバ=ルウとリミ=ルウは集落の外で散歩をするたびに、アイ=ファの姿を探し求めることになったのだった。
アイ=ファは家の仕事の合間をぬって、木渡りの修練に励んでいるのだという。それでジバ=ルウたちは待ち合わせの約束をするでもなく、偶然の再会を繰り返すことで親睦を深めることがかなった。
「母メイは、私が狩人になることを反対している。しかし私はどうあっても、狩人として生きたいのだ」
何回目かに出会ったとき、アイ=ファは可愛らしく口をとがらせながらそんな風に語っていた。
アイ=ファは道の端にあぐらをかいており、背後から取りすがったリミ=ルウはアイ=ファの金褐色の髪に頬ずりをしている。そんな光景に胸を温かくしながら、ジバ=ルウは心のままに言葉を返した。
「母親だったら、それが当然さ……それでもあんたが狩人を志そうっていうんなら、決して親より先に魂を返してはいけないよ……そうしないと、親はあんたを狩人にするべきじゃなかったっていう後悔を胸に生きていくことになっちまうからねぇ……」
「……うむ。それは、道理だな。私とて、親の死などは想像したくもないが……後に生まれた子供が先に魂を返すというのは、やっぱり正しくないことなのだろう。子供はどのように悲しくとも、親の死を見届けるべきであるのだ」
「うん……あんたは強いし賢いね、アイ=ファ……」
「私こそ、ジバ婆には習うことばかりだ。ジバ婆との出会いをもたらしてくれた母なる森に、何度でも感謝を捧げよう」
出会ってしばらくすると、アイ=ファはジバ=ルウのことを家族のように「ジバ婆」と呼ぶようになっていた。ジバ=ルウも、それを心から嬉しく思っていた。
ルウの集落には打倒スン家の炎が燃えあがっているため、ジバ=ルウは居たたまれない心地になることがある。アイ=ファはまるで涼やかな風のように、ジバ=ルウの心を癒やしてくれるのだ。アイ=ファはまだまだ子供であったが、ジバ=ルウにとってはかけがえのない友であった。
「あいふぁー、りみはー?」
と、アイ=ファの横合いに回り込んだリミ=ルウが、小さな指先でアイ=ファのなめらかな頬をつつく。
アイ=ファはくすぐったそうに微笑みながら、リミ=ルウの赤茶けた髪を撫でた。
「もちろんリミ=ルウに出会えたことも、嬉しく思っている。しかしリミ=ルウは、どこまで我々の言葉を理解しているのだ?」
その質問には答えず、リミ=ルウはアイ=ファのしなやかな腕に抱きついた。
「あいふぁ、しゅきー。りみ、ともだちー」
「うむ。ずいぶん幼き友ができてしまったものだ」
アイ=ファもまた嬉しそうに目を細めながら、リミ=ルウの背中をなだめるように小さく叩く。木漏れ日の下で繰り広げられるそんな光景が、またジバ=ルウの心を温かく満たしてくれた。
スン家との破局で大きく心を乱したジバ=ルウも、そうしてリミ=ルウやアイ=ファのおかげで幸福な心地を取り戻すことがかなったのである。
そして――その数年後に、最後にして最大の試練が降りかかってきたのだった。




