04 血の縁
それからまた、長きの歳月が過ぎ去った。
その始まりで、シュティファは氏を捨ててルウの家人となっている。それでルウの眷族は、ついにすべて滅ぶことになったのだ。シュティファの家人はルウの集落に移り住み、かつてシュティファとモーティが暮らしていた集落は森の奥に打ち捨てられることになった。
その代わりに、新たな血族として絆を深める場にはミンが加わっている。
家長の座から退いたジバ=ルウは、おもにそちらの仕事を受け持つことになった。
ドグラン=ルウたち家長には狩人としての仕事もあるため、交流の場を整えるのは女衆のほうが適しているのだ。これまでの十年間も、ジバ=ルウはそちらで尽力してきたつもりであった。
そうして交流を重ねていくと、ミンの一族の気風というものもすぐに知れていった。
端的に言って、ミンの家人には質実な人間が多い。というよりも、そうしてミンと交流を深めたことで、これまでの三氏族はいずれも猛々しい気性であることが知れたのだった。
ジバ=ルウはレイの家長やルティムの先代家長などを豪快で荒っぽい人柄であると認識していたが、どうやら傍から見ればルウの血族も同類であるようなのだ。さらにジバ=ルウは、他ならぬ愛息の言葉からその事実を痛感させられることになった。
「余所の血族にどう見られていたかは知らんが、俺は母ジバのことを烈火のごとき気性であると判じていたぞ。俺は、その果断なる気質こそを見習いたいと思っていたのだ」
自分よりも頭ひとつぶん以上も大きく育った息子にそのような言葉を聞かされるのは、ジバ=ルウにとって心外な限りである。
しかし、ミンの女衆に比べると、ルウの女衆はいずれも猛々しいように思えたし――その中でも、家長として振る舞ってきたジバ=ルウはひときわの苛烈さであるはずであった。
「母ジバは、その苛烈さでルウの血族を導いてくれたのだ。俺も母ジバを見習って、立派な家長になってみせよう」
そんな宣言通り、ドグラン=ルウは家長として立派な姿を見せてくれた。また、狩人としてもどんどん力をつけて、他なる男衆からも絶大な信頼を勝ち取ることがかなった。
ただ一点、ルウの血族には払拭しきれない不安がわだかまっている。
十五歳で婚儀を挙げたドグラン=ルウも、それより前に婚儀を挙げた長姉と次姉も、なかなか子ができなかったのである。
一年が過ぎ、二年が過ぎても、事態は好転しなかった。婚儀を挙げた六名の男女はいずれも健康であり、昨今では食べるものにも困っていなかったが、いっこうに子を授かる気配はなかった。
婚儀を挙げても子を授からない例は、いくらでもある。しかし、よりにもよってルウ本家の三名がそんな運命に見舞われるというのは、あまりにも救いのない話であった。
「だったら俺が、一番乗りになってやろう! 母ジバに初めての孫を抱かせることができれば、光栄な限りだ!」
次兄のモーティ=ルウはそのように語っていたが、そちらは見初めた分家の女衆が二歳年少であったため、婚儀を挙げるには十七の齢を待つ必要があった。
そして、モーティ=ルウが婚儀を挙げた年に、ついにドグラン=ルウの伴侶も懐妊したのだが――その子が無事に生まれることはなかった。いよいよお産の段に至ると、母子ともに魂を返すことになってしまったのである。
そのときのドグラン=ルウは、悲壮な限りであった。
ルウの家長としての矜持を重んずるドグラン=ルウは涙のひとつもこぼすことなく、ただ静かに深く激情を燃やしていたのだ。その日ばかりは、ジバ=ルウもこの非業な運命を呪いたくなってしまった。
(母なる森よ、どうしてドグランにこんな運命を? 五歳の頃から立派な家長を目指してきたドグランが、こんな目にあうなんて……あたしには、納得いきません!)
しかしジバ=ルウも先代家長として、血族に手本を示さなければならなかった。
「家長ドグラン。いずれ気持ちが落ち着いたら――」
「わかっている。俺はルウの家長として、強き子を残さなければならないのだからな」
ドグラン=ルウは心を乱すことなく、ただ青い瞳を爛々と燃やしながら、そんな風に言っていた。それでまた、ジバ=ルウはひそかに胸を痛めることになったのだった。
ジバ=ルウは婚儀を挙げるなり次々と子を授かることができたのに、その子たちはなかなか子を授かることができない。なんだか自分ばかりが不相応な幸福を授かったような心地で、ジバ=ルウは居たたまれなかった。
しかしそれでも、時は粛々と進んでいく。
この時点で、レイやルティムとの交流を始めてから十四年以上が経過しており―ーそれでついに、血の縁を結ぶ段取りが整えられたのである。
そしてその役目を与えられたのはジバ=ルウの五番目の子、末妹のルミア=ルウに他ならなかった。
ジバ=ルウがかすかに予見していた通り、ルミア=ルウはルティムの長兄ラー=ルティムと婚儀を挙げることになったのだ。
「であれば、レイも時を同じくして血の縁を結びたく思うぞ! しかし、若い人間の間では浮いた話も出なかったので、いっそ俺の弟に二番目の伴侶を与えてはくれまいか?」
レイの家長は、そんな風に申し立てた。
この時点でレイの家長は二十六歳となっており、その弟は二十一歳という齢になる。ただその弟も病魔で伴侶を亡くしており、ようようその悲しみから立ち直った時分であった。
そこで名乗りをあげたのは、ルウ分家の女衆である。
こちらは十五歳になったばかりの身であったが、前々からその男衆の凛々しさに心をひかれていたのだという。そして、その男衆が伴侶を失った悲しみに暮れていた間は、ずっとひそかに胸を痛めていたのだという話であった。
そうして何回か交流の場が作られると、そちらの男衆も心を定めることができた。こちらの女衆はもともとドグランの血筋であり、燃えるような赤髪と優美な面立ちを備え持っていた。そんな女衆に熱情的な思いを告げられて、その男衆も最後のためらいを乗り越えることができたようであった。
そうしてその年の雨季が明けるのを待って、まずはルミア=ルウとラー=ルティムの婚儀である。
ルミア=ルウが嫁入りする立場であるが、ルティムの集落では手狭であるため、ルウの集落で婚儀の祝宴が執り行われる。その日には、レイとミンの家人も可能な限り招くことになった。
ついに十五年の時を経て、ルウは新たな血の縁を結ぶのだ。
ルティムやレイはもちろん、ミンの家人も血族に相応しいことはすでに判明している。ミンとの交流も、すでに五年に及んでいるのだ。そちらはおたがいを見初める男女が出たならば、すぐさま血の縁を結ぶ約定が交わされていた。
そこで立ちはだかるのは、親筋の問題である。
レイの家長は、いささかならず素っ頓狂なことを言い出していた。
「この数年ばかりで、ルウの家長もずいぶんな力をつけた! ここ最近は、俺と同等の力量であるからな! では、ルウとルティムの婚儀の場において力比べの儀を行い、それで勝利したほうが親筋ということにしようではないか!」
かえすがえすも、レイの家長というのは気性が荒いのである。
それでゼディアス=ルティムとミンの家長は勝負を辞退したため、ドグラン=ルウとレイの家長の間で力比べが行われることに相成ったのだった。
「俺は、ドグラン=ルウが勝利すると信じている。よって、余計な口は出さずにおいたのだ。レイの家長も、これでようやくルウを親筋と認めることがかなおうからな」
ついに三十一歳という齢になったゼディアス=ルティムは、いよいよ沈着な面持ちでそんな風に言っていた。
いっぽうジバ=ルウも、四十一歳という齢である。そして本日は、おたがいが子の婚儀を見守る立場であった。
「俺もついに、孫の婚儀を見届けることができるのだ……これでもう、思い残すことはないぞ……」
と、ルティムの先代家長がしわがれた声をあげる。ついに六十歳を越えた先代家長はかつての豪快な風体は見る影もなく痩せ細り、耳から下にしか生えていない髪も真っ白になっていた。
「そんなことを言わずに、いつまでも長生きしてください。さまざまな知識と経験を備え持った長老は、一族の宝なんですからねぇ」
ジバ=ルウがそんな声をかけると、ルティムの先代家長は皺くちゃの顔で笑った。
「俺の知識など最初からジバ=ルウに及んでいないし、経験などとっくにゼディアスが追い抜いている……俺はただ、孫の婚儀を見届けるために今日まで生き永らえてきたのだ……」
そのように語る先代家長の目には、とても穏やかな光がたたえられている。ジバ=ルウにとっても、彼はモルガの森でもっとも長生きした人間であるのだ。そんな彼は、いまだ孫を授かってもいないジバ=ルウには想像もつかない喜びを抱いているはずであった。
丸太を組み上げた台座の上では、今日の花嫁と花婿が祝宴のさまを見下ろしている。
ラー=ルティムが十五歳になるのを待ったルミア=ルウは、すでに十七歳だ。ルミア=ルウは相変わらずころころと丸っこい体格をしていたが、その花嫁姿は誰よりも美しかった。
「それで……誓約の儀を行う前に、力比べを行うのであろう……? ルウの家長は、どこに消えてしまったのだ……?」
「さて。果実酒を楽しむこともできず、どこかで気持ちを研ぎ澄ませているのかもしれませんねぇ」
そんな風に答えながら、ジバ=ルウもドグラン=ルウの動向が気になっていた。伴侶を亡くしてから数ヶ月が過ぎて、二十歳となったドグラン=ルウは、ようやく心の傷が癒えかけているところであるのだ。そのような状態で親筋の座を懸けた勝負に挑むというのは、とてつもない試練であるはずであった。
(まあ、ドグランだったら心配はいらないだろうけど……いちおう、ひと声かけておくべきかね)
ジバ=ルウは敷物から腰を上げて、熱気の渦巻く広場をさまよい歩くことにした。
ついにルウとルティムが血の縁を結ぶということで、誰もが大変な昂揚をあらわにしている。まるで広場そのものが燃えあがっているかのような熱気に、ジバ=ルウの心も深く満たされた。
「おお、母ジバ。何をひとりで所在なさげにしているのだ? よければ、ともに果実酒を楽しもうではないか」
と、次兄のモーティ=ルウが笑顔で呼びかけてきた。その隣では、伴侶がにこやかな面持ちでたたずんでいる。そちらもすでに二年ばかりは子を授かっていないが、まだ姉たちほど深刻に思い悩んではいなかった。
「あたしは家長に話があるんだよ。どこかで見かけなかったかい?」
「ああ、ドグランだったら、あちらの薄暗がりだ。……ようやくあいつも、最後の傷がふさがるやもしれんな」
ドグラン=ルウと一歳しか変わらないモーティ=ルウは、兄が家長となったのちも気安く接している。その明朗さは、なかなか跡継ぎが生まれないルウ本家においてひとつの希望であった。
「妙なことを言うんだね。まあ、あんたの言葉を聞くより、この目で確かめるほうが早そうだ」
ジバ=ルウはひとり、モーティ=ルウが指し示した方向に歩を進める。
すると、かがり火から離れた薄暗がりでぽつんとたたずむ男女の姿があった。
その片方は、まぎれもなくドグラン=ルウである。
そして、もうひとりは――ミンの本家の若い女衆であった。
「……家長ドグラン、ちょっと時間をもらえるかい?」
ジバ=ルウが声をかけると、こちらに横顔を見せていたドグラン=ルウがびくりと肩を震わせた。
誰よりも用心深いドグラン=ルウには、珍しい仕草である。ただし、こちらを振り向いたときにはいつも通りの厳粛な表情がたたえられていた。
「母ジバか。いったい何用であろうか?」
「べつだん、大した話ではないんだけれどね。ええと、そっちのあんたは……」
ジバ=ルウが視線を向けると、その女衆は恭しく一礼した。
「ミンの長姉、ティト=ミンです。このたびは末妹の婚儀、おめでとうございます」
名前までは覚えていなかったが、ジバ=ルウも彼女の境遇は記憶に留めていた。ドグラン=ルウと同じ齢である彼女は三年ほど前にミンの分家の男衆と婚儀を挙げたが、子を生す前に伴侶が魂を返してしまったのである。それで本家に戻った彼女はまた未婚の身分となったが、いったん切り落とした髪はまだのびきっていなかった。
「お邪魔をしちまって、悪かったね。こっちはそんなに立て込んだ話じゃないから――」
「いえ。どうぞご遠慮なさらないでください。わたしは、失礼いたします」
ティト=ミンはひとつ頭を下げると、足早に立ち去ってしまう。
ジバ=ルウの見間違えでなければ、彼女の横顔には恥じらいの表情が浮かべられていた。
「……なんだか本当に、お邪魔をしちまったみたいだね」
「そのようなことはない。ただ、母ジバに伝えておきたいことがある」
ドグラン=ルウは思い詰めた面持ちで、ジバ=ルウの前に立ちはだかった。
「俺はあのティト=ミンと、婚儀を挙げようかと思う。母ジバにも、祝福してもらえようか?」
「ああ、やっぱりそういうことだったのかい。……うん、もちろんだよ。あたしが反対する理由はないだろう?」
「しかしティト=ミンも、前の伴侶との間に子を生すことはできなかったのだ。ルウの家長たる俺には相応しくないと見る向きもあるのではないだろうか?」
そのように語るドグラン=ルウは、いっそう思い詰めた目つきになっている。
ただそれは立派な狩人に成長したドグラン=ルウがひさびさに見せる、ちょっと子供っぽい不安の眼差しであった。
「子供なんて授かりものなんだから、事前にあれこれ思い悩んだってしかたないさ。それよりも、心から見初めた相手と結ばれるのが肝要だって言ったろう?」
「うむ。家長としての思いと人間としての思いを、どちらも軽んじてはならないという話だな。だが俺は、これがルウの家長として正しい行いであるのか……いささか判断がつかないのだ」
「つまりそれだけ、人間としてのあんたはあの娘を求めているということだね」
ジバ=ルウは深く胸を満たされながら、悩める愛息に笑いかけた。
「だったら、何も悩む必要はないよ。あんたたちの婚儀でミンと血の縁が結ばれるなら、めでたい限りじゃないか。みんな、心から祝福してくれるよ」
「……わかった。母ジバの助言に、心からの感謝を捧げる」
いったんまぶたを閉ざしたドグラン=ルウが再び目を見開くと、そこには強い覚悟の輝きが灯されていた。
「では、そろそろレイの家長と勝負をつける頃合いだな。俺は必ず打ち勝って、親筋の座を手にしてみせる。そして、すべての血族を明るい行く末に導くと誓おう」
「ああ。きっと今のあんたに勝てる人間はいないさ」
先刻のティト=ミンもまた、ルウの血族のひとりとなるのである。
愛する人間に明るい行く末をもたらしたいという思いは、何よりも力を与えるはずであった。
(きっとあんたなら、大丈夫さ。あたしも、陰から支えさせていただくよ)
そうしてその日、ドグラン=ルウは見事にレイの家長を打ち破り――ルウの歴史を大きく塗り替えることになったのだった。




