03 新たな縁
そうしてその日も、粛然と家長会議が開始された。
家長の交代が生じる場合は、会議の始まりで申告する習わしになっている。それでジバ=ルウが新たな家長ドグラン=ルウを紹介すると、誰よりも早く族長ダナヴィン=スンが祝福してくれた。
「ルウの先代族長ジバ=ルウは十年前の宣言通り、我が子を立派な家長に育てあげたということだな。女衆の身でそれほどの長きにわたって血族を導いてきたことに敬服し、その苦労が報われたことに心よりの祝福を捧げる」
そのように語るダナヴィン=スンは、十年経っても変わらない眠たげな目つきで微笑んでいた。
ただし黒褐色であった頭がすっかり灰色に染まってしまったため、年齢以上に老人めいて見える。また、涼風のごとき気配にも変わりはなかったが――どこか、雰囲気が茫漠としているように感じられた。
(三十六歳だったら、まだまだ狩人としても盛りの年頃だろうけれど……十五年にわたって族長としての責任を担うってのは、さぞかししんどい話なんだろうね)
ジバ=ルウのそんな思いは、会議が進められるにつれてどんどん強まっていった。ダナヴィン=スンは例年以上に口数が少なく、ここぞという場面がやってくるまではずっと静かに語らいの場を見守っていたのだ。
もとよりダナヴィン=スンは、相手に好きなだけ語らせたのちに的確な答えを示すという話術で家長会議を取り仕切ってきた。しかし本年はその口がいっそう重たく、意見が対立して諍いが起きかけるまで動こうとしなかった。
(ダナヴィン=スンは、そろそろ限界なのかもしれない)
そのように判じたジバ=ルウは家長会議を終えた後、晩餐ののちに開かれる親睦の酒宴の開始を待って腰を上げることにした。
「あたしはちょいと、族長に挨拶をしてくるよ。家長ドグランも、同行するといい」
「わかった」と、ドグラン=ルウもジバ=ルウに続く。レイの家長は果実酒に夢中であり、ゼディアス=ルティムは沈着な眼差しでジバ=ルウたちを見送ってくれた。
「族長ダナヴィン=スン、あらためてご挨拶をさせていただきますよ」
ダナヴィン=スンは血族の男衆に取り囲まれて、静かに酒を楽しんでいた。
スンの眷族たる、ザザ、ドム、ダナ、ハヴィラ――そして、ザザから分かたれた新たな氏族、ジーンである。スンに匹敵するほど家人の多かったザザは、ずいぶんな昔年にジーンを生み落としていたのだ。それは森辺の民がモルガに移り住んでから初めての、新たに生まれた氏族であった。
黒き森の時代においてはドムのほうが遥かに大きな氏族であったはずだが、この近年ではザザがスンの眷族の筆頭格であろう。そのザザの家長が、ジバ=ルウに鋭い眼光を突きつけてきた。
「ふん。お前の顔を見るのもこの夜が最後だな、ルウの先代族長よ」
「ええ。これまで十年も見守ってくれたことを、心より感謝しておりますよ」
「ふん。それが族長の判断であったからな」
ギバの毛皮を頭からかぶったザザの家長は、荒っぽい挙動で土瓶の果実酒をあおる。ドムの家長は石像のように無表情であり、ジーンとダナとハヴィラの家長たちはいくぶん警戒心をあらわにしていた。
「わざわざ挨拶に出向いてくれたのか。俺などにはかまわず、好きな相手と語らうがいいぞ」
祭壇を背にしたダナヴィン=スンは、ゆったりと微笑んでいる。
こうして間近で見ると、その姿はますます老人めいて見えた。
「……実は家長会議が始まる前に、族長のお子と出くわしたんですよ。名は、ザッツ=スンと申しておりました」
「ほう。ザッツと出くわしたのか。では、さぞかし面食らったことであろう。あやつは幼子と思えぬような風格であるからな」
「ええ、まったくです。あれがスン本家の末弟であるわけですね?」
「うむ。長兄は俺に似て呑気な人間に育っているが、あやつはその分まで気を張っているようだ。いったい誰に似たのやらだな」
そう言って、ダナヴィン=スンはちびりと果実酒を口に含んだ。
「家長や族長の座を継ぐのは長兄だが、ザッツもそれに負けないほどの意欲を燃やしている。……どうやら、母の一件が尾を引いているようでな」
「母親の? それは、どういう意味でしょう?」
「あやつの母親は、あやつを生み落とすと同時に魂を返してしまった。きわめて痛ましい話だが、同時に珍しい話でもない。誰にとっても、お産というのは生命がけであるからな。……しかしあやつは、母の死の責任を感じてしまっているようであるのだ。自分がもっと安楽に生まれていれば母も魂を返すことなく、家にはさらなる子が生まれていたのだろう、とな」
「ははあ……でも、そんなのは生まれてくる子に責任のある話じゃありませんでしょう?」
「俺もそのように言い聞かせているのだが、何せあやつは強情な上に頭も回るのでな。自分が狩人になったあかつきには、今以上に豊かな暮らしを実現させてみせると息巻いておったよ」
すると、ザザの家長が「うむ」と重々しくうなずいた。
「母の死という試練が、末弟ザッツ=スンに大きな力と覚悟を与えたのだろう。たとえ跡継ぎならぬ身でも、実に頼もしいことだ」
「うむ。しかし、幼子の内は呑気に笑っているぐらいでちょうどいいのだがな」
ダナヴィン=スンが軽妙な言葉を返すと、ザザの家長は珍しくも苦笑を浮かべた。
「その役割は、族長と長兄が担っている。俺たちは、どちらも頼もしく思っているぞ」
「そう言ってもらえれば、幸いだ。まあ、色々な人間がいるからこそ、この世は愉快なのであろうからな」
ダナヴィン=スンも、眷族の家長たちとは健やかな関係を継続させているようである。
そこまで見届けたジバ=ルウは、早々に腰を上げることにした。
「それじゃあ、お邪魔いたしました。あたしはこの夜限りとなるので、今後はドグランをよろしくお願いいたします」
けっきょく無言のままであったドグラン=ルウはその場の全員に向かって一礼して、颯爽と身を起こす。そして、もとの場所に戻るまでの道行きでジバ=ルウに囁きかけてきた。
「族長ダナヴィン=スンというのは、不可思議な人間だな。会議の間はいささか頼りなく感じられたのだが、どうにも底がつかめない。ただ、族長に相応しい器量であることは理解できたように思う」
「うん。あんたも、そう思うんだね」
「ああ。あの族長であれば道を間違えることはないと、信ずることができる。……族長に似ているのが長兄であったのは、幸いだったな」
ではやはり、ドグラン=ルウもザッツ=スンという幼子に不穏なものを感じ取ったということなのだろう。ジバ=ルウもまた、いまだにあの熾火のような眼光を忘れられずにいた。
(あのザッツ=スンが跡継ぎだったら、あたしはドグランを家長会議に送り出すたびにやきもきしていたかもしれないね)
そんな思いを抱え込みながら、ジバ=ルウはドグラン=ルウとともに慕わしい家長たちのもとを目指す。するとそこに、見慣れない人間が加わっていた。
「おお、戻ったか。ミンの家長が、俺たちに話があるそうだぞ」
レイの家長が不敵な面持ちでうながすと、ミンの家長と供の男衆が目礼する。ミンの家長は四十前後の誠実そうな面立ちをした男衆であった。
「挨拶をするのは、初めてだな。ミンの家長として、ルウとレイとルティムの家長に折り入って願いたき話がある」
「ふふん。そこまで聞けば、あとの話は想像も容易いな」
レイの家長はそのように語っていたし、ジバ=ルウも半分がた察しがついている。そしてミンの家長は、想像通りの言葉を口にした。
「そちらの三氏族は十年という歳月をかけて、血の縁を結ぶための絆を育んできたのだと聞き及んでいる。そこに割り込もうというのは、恐縮の限りであるのだが……どうかミンの家も、そこに加えてもらえまいか?」
ジバ=ルウは無言のまま、ドグラン=ルウのほうを見る。先代家長たるジバ=ルウは、率先して口を開くべき立場ではないのだ。ドグラン=ルウはひとつうなずいてから、発言した。
「ミンの名は、俺も何度か耳にしたことがある。たしか、ルティムの近在に住まう一族であったな」
「うむ。ルティムとレイの中間で、もっとも近いのはルティムとなる。ただし、これまでさしたる縁を結ぶ機会はなかった」
「それでいきなり血の縁を結びたいと願い出てきたのは、やはり女衆が家長を務めるルウとは血の縁を結ぶ心づもりにもなれなかったということであろうか?」
ドグラン=ルウの表情は落ち着いているが、その青い目はいくぶん光を強めている。
ミンの家長は恐縮しながら、「うむ」と応じた。
「虚言は罪なので正直に語るが、そういう思いも確かに存在した。ただそれ以上に、自分たちの力で運命を切り開きたかったのだ。しかし、年を重ねるごとに家人は減っていき、家の力は失われていった。これ以上の力を失えば、おそらく如何なる氏族とも血の縁を望むことはかなわないだろう。それで俺は、最後の決断を下す覚悟を固めたのだ」
「ふふん。そちらも、飢えに苦しんでいるというほどではないようだな」
そのように語るレイの家長は、ミンの両名の胸もとを見比べている。そこにはギバの牙や角が、十本ていど下げられていた。
「うむ。しかし、ダビラの薬草を手にするのが精一杯で、他なる食材にまでは手が回らない。アリアだけは日に二個を口にしているが……このままでは、それも難しくなるだろう」
「ダビラの薬草を必要なだけ手にしているのなら、まだしも豊かな暮らしと言えるであろうな。俺たちの他にそれを実現しているのは、スンとラッツの血族のみであるはずだ」
ゼディアス=ルティムが沈着な声をあげると、ミンの家長は懸命に頭をもたげた。
「だからこそ、今が決断の時であると思い至ったのだ。今より貧しくなったならば、そちらの三氏族に割り込む資格もなくなろう。どうか、伏して願いたい」
「しかし俺たちも、まだ血の縁を結ぶには至っていない。俺がようやく家長の座を手にすることがかなったので、ここから数年をかけて最後の絆を深めようとしているさなかであるのだ」
「それは、わきまえている。しかし、ゆくゆくは血の縁を結べると思えば、大きな希望を手にすることができる。それを励みに、あと数年は同じ力を残すと約束しよう」
ミンの家長の双眸に、思い詰めた輝きが宿される。
ゼディアス=ルティムはドグラン=ルウとレイの家長の姿を見比べてから、口を開いた。
「では、俺たちもそれを見定めさせていただこう。まずは、おたがいが血族に相応しい存在であるかを確かめなければならんからな。明日からミンも、交流の場に加わるがいい」
「承知した。……皆々の温情に、心よりの感謝を捧げる」
かくして、三氏族の交流の場にミンも加わることが決定した。
それはザッツ=スンの存在と同じぐらい、のちのちのルウ家に大きな影響を及ぼすのだが――もちろん人の身であるジバ=ルウたちに、そんな行く末を予見することはできなかった。




