02 昏き星の子
そうして、さらに二年が過ぎて――ドグラン=ルウは、ついに十五歳となった。
また、ドグラン=ルウは十五歳になる直前に自らの手でギバを討ち倒し、一人前の狩人として認められている。そのギバの毛皮で狩人の衣を仕立て、手斧を鋼の刀に取り換えられたドグラン=ルウは、もはや立派な狩人であった。
なおかつそれは、雨季の間の出来事である。
雨季の間は収獲が落ちるため、食事もアリアとポイタンのみに留められる。ただでさえ動きが鈍くなる雨季において、狩人たちはいっそう力を落とすことになるのだ。そんな劣悪な環境の中で、ドグラン=ルウは確かな力を示すことがかなったのだった。
「ルウ本家の長兄ドグラン=ルウは、先人の力を正しく受け継いだ。今日この日をもって、ルウ本家の家長の座は長兄ドグラン=ルウに譲り渡す」
ジバ=ルウがそのように宣言したのは、雨季が明けてすぐのことである。雨季の間でドグラン=ルウは十五歳になっていたが、広場にすべての血族を集めるには雨季の終わりを待つ必要があったのだ。そしてその場には、レイとルティムの立場ある人間も数多く集められていた。
それからさらに日を置いて、今度は婚儀の祝宴である。
二年前の話の通り、ドグラン=ルウはシュティファ本家の長姉を嫁に迎えることになったのだ。もちろんその際にも、レイとルティムから可能な限りの人間が招待されることになった。
このシュティファ本家の長姉というのは、ジバ=ルウが初めて家長会議に参席した折に同行していたシュティファの家長の孫にあたる女衆である。
あれから十年が過ぎ去って、当時の家長やその弟はすでに魂を返している。今はその長兄が家長の座を受け継ぎ、さらにその子がルウ本家に嫁入りすることになったわけであった。
そしてジバ=ルウも、すでに三十六歳という齢である。
モルガの森にやってきてからは三十一年、婚儀を挙げてからは二十一年、家長の座を預かってからは十年――どこで区切っても、それは激動の日々であった。
しかしまた、ジバ=ルウの役目は終わっていない。ジバ=ルウは先代家長として、若き家長を導いていかなければならないのだ。すべての責任をドグラン=ルウに担わせる代わりに、ジバ=ルウも死力を尽くして支えなければならなかった。
(まだまだ道行きは、明るいばかりではないからね)
その懸念のひとつは、やはり本家の血筋についてであった。
ドグラン=ルウの姉たちはルウの分家とシュティファの分家に嫁入りしたが、まだどちらも子を生していなかったのだ。長姉などはすでに婚儀を挙げてから五年が過ぎて二十歳となっていたため、周囲からも不安の声があがり始めていた。
(でも、焦ったってしかたがないし……まずは、ドグランが強い子を授かれるように祈るしかないさ)
ジバ=ルウがそんな想念に沈んでいると、同じ敷物ではしゃいでいた末妹のルミア=ルウが「ねえねえ」と呼びかけてきた。
「ドグラン兄さんもお嫁さんも、すごく素敵だね。わたしも早く、婚儀を挙げたいなぁ」
末妹のルミア=ルウは、いまだ十二歳である。そして彼女はこの齢になっても、ふくふくとした丸っこい体格をしていた。
しかしそれは滋養が行き渡っている証であるし、顔立ちの可愛らしさは誰にも負けていない。ひときわ純真な人柄をしたルミア=ルウは、その内面が朗らかな表情にあらわれていた。
「あんたが婚儀を挙げられるまで、あと三年だね。過ぎ去っちまえば、すぐの話さ」
「うん。でも、十五歳になってすぐ婚儀を挙げるとは限らないけどね」
そのように語るルミア=ルウのかたわらには、十歳となったラー=ルティムがちょこんと座している。彼は父親似の落ち着いた気性であったが、今は雛鳥のような可愛らしさであった。
(ラー=ルティムは、ずいぶんルミアに懐いてるみたいだし……もしかすると、もしかするかもね)
ただし、レイやルティムと血の縁を結ぶという一件は、まだ具体的な話にまで及んでいない。ドグラン=ルウが家長の座を受け継いだことで、いよいよ本格的に話が進められる手はずであったのだ。ジバ=ルウの見込みでは、実際に血の縁を結ぶにはもう数年が必要になるのではないかと踏んでいた。
(どうもレイの新しい家長は、父親以上に狩人としての力量を重んじているみたいだからね)
つい昨年、レイの家長の座は長兄に受け継がれていた。レイの家長はジバ=ルウの上の兄と同年代であり、その長兄は今年で二十歳という齢だ。それでかつては最年少の家長であったゼディアス=ルティムが、最年長に繰り上がったわけであった。
そのゼディアス=ルティムも、今年でようやく二十六歳となる。
森辺の家長として決して若すぎるわけではないものの、ドグラン=ルウは十五歳でレイの家長は二十歳なのである。この顔ぶれで血の縁を結ぶという大きな話を進めるには、慎重を期する必要があるはずであった。
(ドグランが力比べで勝たない限り、レイの家長は親筋の座を譲らないかもしれない。まあ、あたしは眷族でもまったくかまわないけど……きっとドグランは親筋の座にこだわるだろうし、ゼディアス=ルティムもルウを親筋に立てたい様子だしね。やっぱり、数年ばかりは様子見か)
すると、またルミア=ルウが「ねえねえ」と呼びかけてきた。
「ジバ母さん、お顔がこわいよ? なにか、心配ごと?」
純真なるルミア=ルウは、人の心を察するのに長けているのだ。
心配そうに眉を下げているルミア=ルウに、ジバ=ルウは笑顔を届けた。
「こわい顔は、生まれつきさ。でも今は、ドグランの婚儀をめいっぱい祝福してやらないとね」
もちろんジバ=ルウも、その喜びを忘れていたわけではない。ジバ=ルウは今でも家長としての立場と母としての思いを両立させているつもりであった。
ルミア=ルウも、ほっとしたように息をつく。そうしてその後はジバ=ルウも母としての喜びにひたりながら、我が子の婚儀を見届けることになった。
◇
それから三ヶ月ほどが過ぎて、ついにこの年の家長会議である。
例年通り、ジバ=ルウたちはルウとシュティファ、レイとルティムの四氏族でスンの集落を目指している。その道行きで暗い声をあげたのは、シュティファの家長であった。
「ルウの家長に嫁を出してからわずか三ヶ月でこのような話を切り出すのは、無念の限りであるのだが……シュティファは、そろそろ限界かもしれん」
「うむ? それはつまり、氏を捨ててルウの家人になりたいという意味か?」
父親に輪をかけて荒っぽい気性をしたレイの家長が、不敵な面持ちで応じる。彼は父親譲りの金褐色の髪で、きわめて淡い水色の瞳をしていた。
「うむ。やはり『失われた十年』の影響もあるのだろう。また狩人の人数が減ってきて、危うい目にあう場面が増えてきたのだ。このまま力を落とすよりも、ルウの家人となってともに仕事を果たすべきではないかと思う」
現在は、二十七歳から三十六歳までの人間が極端に少ない時代となる。それは狩人として最盛期と言えるような世代であるし、しかもその世代が生すはずであった子供も存在しないのだから、深刻な人手不足に拍車を掛けていた。
「であれば、さっさと氏を捨てるがいい。ルウの家人となれば、ほんのひとときでも親筋の座を味わえるではないか」
レイの家長のそんな言葉に、ドグラン=ルウは静かに青い瞳を燃やした。
「つまり、レイとルウで血の縁を結んでも、親筋の座を譲る気はないということだな?」
「ふん。親筋に相応しいのは、力ある氏族であろうよ。そして氏族の力というものは、家人の人数だけで決めるべきではないということだ」
「しかしまた、家長の力量だけで決めるべきでもなかろう。そして、俺がレイの家長に後れを取ったのは、いまだ見習いの身であった日のことだ」
「お前が一人前と認められてから、まだ数ヶ月しか経っていないではないか。それだけの時間で俺を上回る力を身につけたというのなら、いつでも相手をしてやるぞ」
すると、ジバ=ルウよりも早くゼディアス=ルティムが沈着な声をあげた。
「そもそも親筋の座というものは、そのように喧嘩腰で決めるべきではなかろう。レイの家長もルウの家長も、まずは親筋の家長に相応しい心を磨きあげるべきではなかろうか?」
ドグラン=ルウはきゅっと口もとを引き結び、レイの家長は皮肉っぽい面持ちでそっぽを向く。そんな様相を見守りながら、ジバ=ルウは内心で(やれやれ)と溜息をついた。
(こういうときはどれだけ口を出すべきか、ちっとばっかり迷っちまうね。でもやっぱり、家長の座を退いた人間はなるべく身をつつしむべきなんだろうから……ここは、ゼディアス=ルティムの沈着さが頼りか)
若き家長たちが供にしているのはいずれも壮年の男衆であるが、やはりこういった場では大人しく成り行きを見守っている。そして、その顔ぶれもこの十年ばかりですっかり入れ替わっていた。ジバ=ルウの供として長きにわたって力を尽くしてくれた分家の男衆も、ついにギバ狩りの仕事のさなかで魂を返してしまったのだ。
それもまた、モルガの森における生活の過酷さを示している。
黒き森で過ごしていた時代、力を落とした狩人は潔く身を引いていたが、モルガの森においては最後の一滴まで力を振り絞るべく狩人として働き続けているのだ。それでおおよその男衆は五十になる前に魂を返し、例外となるのは深手を負って身を引いた男衆のみであった。
ただし身を引いた男衆も、そうまで長く生きることはない。
その多くは深手から生じる病魔によって生命を落とし、そうでない人間もじょじょに食が細くなって消え入るように魂を返してしまうのだ。現在、ジバ=ルウの周囲で五十歳以上の男衆と言えば、ルティムの先代家長ぐらいしか残されていなかった。
(それで、二十七歳から三十六歳までの人間は数えるぐらいしか存在しないってんだから……苦しい時代は、もう目の前だね)
そんな思いを胸に、ジバ=ルウはスンの集落に足を踏み入れた。
ジバ=ルウが家長会議に参ずるのは、これが最後となるのだ。今後、ジバ=ルウがまた家長会議に参ずるとすれば――それはドグラン=ルウに万が一のことがあって、次兄のモーティ=ルウが十五歳になるまでまた家長の座を担うときだけであった。
そしてそのモーティ=ルウまでもが若くして魂を返すことになれば、ついに跡継ぎに相応しい人間は潰える。
そのときは、分家の人間を無理やりにでも家長に据えるしかなく――それではレイやルティムと血の縁を結ぶ話も消えてなくなる可能性が高かった。
(……でもきっと、ドグランだったらあたしよりも立派に家長の役目を務めあげてくれるさ)
ジバ=ルウはしっかりと胸を張って、いざ祭祀堂へと足を踏み出す。
そのとき、レイの家長が「うむ?」とうろんげな声をあげた。
「なんだ、幼子? 俺たちに何か用か?」
何気なく振り返ったジバ=ルウは、思わず息を詰めることになった。
何か不思議な気配を持つ幼子が、じっとジバ=ルウのことを見つめていたのである。
片方の肩から吊られた幼子用の装束を纏っているので、まだ十歳未満の幼子であろう。ただ、その身はしっかりと育っており、そして――闇のように黒い瞳が、幼子とは思えぬほどの強い輝きをたたえていた。
「……お前が、ルウの女家長だな?」
幼子が、そんな言葉を口にした。
まだ小鳥のように可愛らしい声音であるのに、どこか幼子らしからぬ重い響きを帯びている。ジバ=ルウは心を整えながら、「そうだよ」と応じた。
「ただそれは、数ヶ月前までのことだけどね。家長の座は、あたしの子に受け継がれた。今日は先代家長として、最後の務めを果たしに来たのさ」
「長兄が無事に育ったのか。それは、幸いな話だ」
すると、レイの家長が「おい」と眉を吊り上げた。
「何なのだ、お前は? 幼子の身で、ずいぶん偉そうな口を叩くではないか」
「俺は、族長筋の人間だ。女家長などという習わしから外れた存在が消え去ったことを、喜ばしく思っている」
「スンの家人であろうが、幼子は幼子であろうが? まだ男女の別もつけられていないくせに、偉そうな口を叩くな」
レイの家長がいっそういきりたつと、ゼディアス=ルティムが「よせ」とたしなめた。
「幼子を相手に諍いを起こして、何とする。さっさと祭祀堂に入るぞ」
レイの家長は憤懣がおさまらない様子で、幼子の姿をにらみつける。
すると、年を食った女衆が大慌てで駆けつけてきた。
「な、何をなさってるんです、ザッツ=スン? 余所の家長に失礼がないようにと、族長も仰っていたでしょう?」
「何も礼など失していない。俺はスン本家の家人として、すべてを見守っているだけだ」
幼子は石のような無表情で、そのように言いたてる。
しかしやっぱりその黒い瞳は、熾火のように昏く燃えているように思えてならなかった。
「ど、どうも失礼いたしました。さあさ、どうぞ祭祀堂にお入りください。もう何名かの家長たちはおくつろぎですので」
そうして女衆が頭を下げていると、ザッツ=スンなる幼子はすべての関心を失った様子できびすを返した。
そうしてこちらも止められていた歩を再開させると、レイの家長が憤然と鼻を鳴らす。
「まったく、いけ好かない餓鬼だ! さすがの族長も、すべての子を正しくしつけることはできなかったようだな!」
「うむ。しかしいまだに十歳にもなっていなければ、長兄ならぬ身であろう。跡継ぎがしっかり育っていれば、問題あるまい」
ゼディアス=ルティムは沈着な様子で応じていたが、ドグラン=ルウは物思わしげに黙りこくっている。そしてジバ=ルウは、それ以上に胸を騒がせていた。
(本家の家人ってことは、きっと族長の子なんだろう。それであの子は、もうすぐ十歳っていう風体だったから……きっと、最後に生まれた子なんだ)
今からおよそ九年前、スン本家には新しい子が生まれている。そして、そのお産で族長ダナヴィン=スンの伴侶は魂を返しているのである。その後、ダナヴィン=スンは新たな伴侶を迎えることもなかったため、子供は四人きりであったのだった。
(その子供は男女二名ずつって話だったから、あの子はきっと末弟だ。……それでもあんな幼い頃から、スン本家の家人として振る舞ってるのか……)
ジバ=ルウは、そこにドグラン=ルウの面影を重ねていた。ドグラン=ルウは五歳の身で父と家長とその子を失い、次代の家長としての責任を負わされることになったのである。
末弟の身であるのならば、あのザッツ=スンという幼子がそれほどの責任を感じる必要はない。
それでもザッツ=スンがあのような迫力を身につけているという事実は、果たして今後の森辺の行く末にどう関わってくるのか――ジバ=ルウには、想像することも難しかった。




