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挽歌  作者: 卜貝了一
5/8

第四章 開幕の狼煙

 1


 早朝、エリカは顔をペロペロと舐めてくるキャニスに起こされ目を覚ました。どうやら昨晩はリビングのソファで眠ってしまったらしい。

 エリカは洗面所で顔を洗うと、リビングの窓を開けて外の様子を伺った。吐く息は白く、エリカの目の前を一瞬で飛び去り消えてゆく。耳を澄ませば、遠くから微かにイヌの鳴き声が聞こえてくる。

キャニスにドッグフードを与えたエリカは、すぐにハチツーのことを思い出した。

「そうだわ、ハチツー!」

 バタバタと音を立てて玄関ドアまで辿り着いたエリカは、勢い良くドアを開けた。そこにいると思われたハチツーは忽然と姿を消しており、あとには空になったダンボール箱が転がっているだけであった。

 エリカはサンダル履きのまま家の目の前の道路に出ると、首を振って左右を見た。しかし、ハチツーの姿はどこにもなかった。

「ハチツー……どこに行っちゃったの?……」

 エリカは力なくうなだれ、重い足取りでトボトボと玄関ドアまで辿り着いた。ドアノブを回すと、そこにはキャニスが尻尾を振って待ち構えていた。

「キャニス、ごめんね……お友だち、どこかに行っちゃったの。あとで探しに行かなくちゃ……」

 エリカはキャニスを抱き上げ、そのまま家の中に消えていった。


 2


 チュンチュンとスズメたちが鳴く朝、山の麓町にある空き地はネコたちに埋め尽くされていた。

「遅い……遅いニャ! 一体ネルリさんは何をしているニャ!?」

 ボル七とピロ助は、ネルリがなかなか現れないことにやきもきしていた。

「待つしかないよ、兄さん。まさかネルリさんが味方に対して宮本武蔵の兵法を使うとはさすがに思えないニャ。何かハプニングがあったに違いないニャ」

 時刻は六時五十五分を過ぎ、間もなく戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。

「ネルリの親分は来ない。吾輩たちだけで戦うしかないニャ」

 二匹のロシアンたちの前に現れたのは黒ネコのGGだった。

「何だと? ――どうしてそんなことが分かるニャ!?」

 ボル七は気色ばんだ。

「どうどう、落ち着くニャ。イライラしても何ひとつ良いことはないニャ。それに、ネルリの親分が現れない限り、ネコ軍のリーダーは一の子分であるこのGGニャ。ちゃんと言うことを聞くニャ」

 GGはニヤニヤしながらボル七を軽くいなした。

「GGさんの言っていることは正しいよ、兄さん。事実、ネルリさんはこの場にまだ現れていない」

ピロ助は兄を落ち着かせるために静かに諭した。

「くっ……わ、分かったニャ。ここはピロの言う通り、おとなしく引き下がるニャ」

 その時だった。どこからかイヌの遠吠えが聞こえてきた。それも二匹や三匹ではなく、街中のイヌたちが鳴いているかのように幾つもの声がこだましていた。

「マズい、開戦の合図ニャ! ネルリさんもまだ来ていないのに……こうなったら仕方ない、こちらも応戦の狼煙を上げるニャ!」

 ボル七とピロ助は用意していたサンマを七輪で焼き始めた。

「「「お魚ニャ~!!」」」

 パタパタと団扇で風を送るボル七とピロ助は、あっという間にサンマ目当てのネコたちに囲まれてしまった。生焼けのサンマに伸びてくる前脚の大群をすべて捌くのは、二匹にとって骨の折れる作業だった。

「お、お前たち、やめるニャ! お魚が上手く焼けないニャ!」

 ボル七とピロ助は再三呼びかけたが、とうとうサンマは腹を空かしたネコたちの手に渡ってしまった。

「こ、こら、返すニャ! 狼煙が上げられないじゃニャいか!」

 律儀に狼煙を上げようとするボル七を振り切って、サンマを咥えたドラネコを先頭に集団は走り去っていってしまった。気がつくと、空き地には当初の半数のネコたちしか残っていなかった。

 ボル七とピロ助は顔を見合わせ呟いた。

「これがホントの……ネコ、まっしぐら……あ、おあとがよろしいようで」

 あとには七輪の火だけがパチパチと赤く燃え残っていた。


 3


 その少し前、ネルリは人知れず誘惑の甘い罠にかかっていた。戦の舞台である山の麓町へ向かおうとした矢先、思いがけないネコと出くわしたのだ。

「久しぶりね、ネルリ……」

 声をかけてきたのは、ネルリの元妻フェリスだった。

「フェリス……フェリスじゃないか! どうしてこんなところに?」

 突然のフェリスの登場にネルリは驚きを隠せなかった。

「どうしてって……あなたに会いに来たのよ。少しは嬉しそうな顔したら?」

 ネルリとフェリスは、二匹の間に子どもが生まれたとほぼ同時に離れ離れになっていた。フェリスが子育てに奮闘している間に、ネルリは愛人を作ってしまった。そのことに当然フェリスは怒り、ネルリに三行半を突きつけたのだ。ネルリとフェリスはそれ以来顔を合わせていなかったが、その空白期間にくすぶっていたネルリの思いは、フェリスとの再会によって再燃を果たしたのだった。

「フェリス……会いたかったニャ。あれからちーっとも姿を見せてくれなかったから、オイラ淋しかったぜ」

「嘘ばっかり。あなた、昔から人一倍女の子に人気があったもの。だからその点は別段苦労しなかった……違うかしら?」

 フェリスは流し目で尋ねてくる。

「そんなことはないさ。いくら他のメスにモテたからといって、フェリスちゃんのいない虚しい一生を送るなんてオイラには耐えられないニャ」

 ネルリは足元の小石を前足でコロコロと弄びながら答えた。

「フフ、どうだか……。でもあなたがそこまで言うならヨリを戻してあげてもいいかしら……?」

 フェリスは鼻にかかった甘い声を出した。それを聞いたネルリのハートは簡単に射抜かれてしまった。

「ホント!? ねぇホント!? フェリスちゃん、オイラとヨリを戻……」

 言いかけたネルリの口にフェリスは右前足を当てた。

「もう、慌てないで……せっかちね。いいわ、ヨリを戻してあげる。ただし、条件がひとつあるの」

 ネルリはモガモガと苦しそうに前脚をバタつかせた。

「フガ、フガ……っぷは! は、離すニャ! ……ふぅ。それで、条件って何ニャ!?」

 フェリスはたっぷりと間を取りながら口を開いた。

「……ウフフ。それはね……、ヒ・ミ・ツ」

 強烈なウィンクを残し、フェリスは踵を返して走り出した。

「ま、待つニャ! おーい、フェ~リスちゃぁん!」

「捕まえてごらんなさぁい!」

ネルリはフェリスの尻を追いかけて山の麓町とは逆方向へ駆けて行ってしまった。


 4


 その頃、山の麓町にある公園では、イヌたちが所狭しとばかりに整列していた。

「気をつけ!」

 ハチツーの号令でイヌたちはキリッとした。

「全隊、休め!」

 続いて、休めの号令を受けてイヌたちはその場で伏せをした。

「あー、ゴホン。皆、本日はよく集まってくれたワン。間もなく開戦となる訳だが、各々準備は抜かりないワン?」

 イヌたちは口々に「イェッサ!」と吠え声を上げた。

「よろしい。敵はたかがネコたちといえども油断は出来ない。どんな変化球を使ってくるか私にも分からないのだ。作戦に従って、まずは山にネコたちを誘い込む。あとは各自臨機応変に頼む」

 ハチツーは警察犬時代に培った統率力を活かし、イヌたちをまとめ上げることに成功していた。

「それでは別命あるまで待機。健闘を祈る」

「隊長、質問が!」

 声を上げたのはキャニスの隣家で飼われているハスキー犬のタロだった。

「うむ、言ってみるワン」

「はい。今度の戦いに勝てば報酬が貰えるはずだと思うのですが、何を頼むおつもりでしょうか?」

 タロはハッハッと口呼吸をしながら三白眼を向けてくる。この質問に対して正直に答えるべきかどうか、ハチツーは迷いに迷った。悩んだ挙句、ハチツーは腹を決めて本当のことを話すことにした。

「実は……私の主人が未確認飛行物体に拉致されてしまって、今も行方不明なのだ。探そうにも一切手がかりがなくて途方に暮れている。そこで、もし二月二十二日までに主人が見つからなければ、主人が帰ってくるようにお釈迦様にお願いするつもりだったのだ……個人的な用途で申し訳ないワン」

 ハチツーは報酬を自分一匹のために使ってしまう予定であることを皆に告げた。それを聞いていたイヌたちはハチツーの主人愛に心を打たれ、「いい話だワ~ン」と涙を流しつつ誰からともなく拍手を送った。それが鳴り止むのを待ってハチツーは再度口を開いた。

「ありがとう、ありがとう。そんな褒められる程のことではないワン。お前たちには私の主人のために戦ってもらうようなことになってしまい、本当に済まないと思っている」

 それを聞いたイヌたちは口々に「任せて下さい!」「水臭いっすよ!」とハチツーへ声をかけた。ハチツーの人望は本物だった。

「――よし、時間だ。皆、行くぞ! ワン、ワン、ワォーン!!」

 ハチツーの(とき)の声に続けて、公園のイヌたちは一斉に「ワン、ワン、ワォーン!!」と高らかに声を上げた。



 5


「今日は朝から風が強いわね……」

 寒風が吹き荒れる山の麓町を、エリカはキャニスと並んで歩いていた。イヌたちとネコたちの戦いを前にして、街を包み込む空気はピリピリと張り詰めている。

 キャニスはハチツーがいなくなった理由を知っているが、それを主人であるエリカに伝える術は持ち合わせていない。そのためエリカは今もハチツーの行方を案じていた。

「もう……ハチツーったら、どこに行っちゃったのかしら。お腹も空いているだろうし、早く見つけてあげなきゃ」

 エリカはキョロキョロと首を回しながら歩いた。その一方でハチツーがネコたちとの戦いのために他のイヌたちと一致団結しているとは、エリカには知る由もなかった。

「あら、エリカちゃんじゃない! おはよう」

 声のした方を振り返ると、近所のオバさんが立っていた。

「あっ、おはようございます。今朝は冷えますね」

エリカはペコリと挨拶を返した。

「そうそう! そういえば、また出たらしいわよ、UFO。ここのところ本当に多いわねぇ。何かの前触れかしら」

オバさんの世間話が始まった。エリカは話を早めに切り上げるために適当に相槌を打って話を促そうとした。

「UFO……ですか? 私、一度も見たことないです。最近よく目撃されているって本当ですか?」

「そう、そうなの。いやね、私も人づてに聞いただけで実際に見たことはないけど、噂によるとね、一番多いのがアダムスキー型、次いで多いのが……」

 オバさんの話はまだまだ続きそうだ。エリカはどうにかこの場を立ち去る口実を見つけるために頭を働かせようとした。

 その時、突然キャニスがリードを引っ張って走り出した。この場を去りたいエリカにとっては好都合だった。

「ちょ、ちょっとキャニス、どうしたのよ? あぁ、引っ張られるー! オバさん失礼しまーす! また今度ぉ!」

 エリカはわざとらしく手をバタつかせながらキャニスの進む方向へ引きずられていった。

「それにしても、UFOか……。まさかサトル君がいなくなったことと関係ないよね……?」

 エリカはキャニスに引っ張られながらオバさんの話を思い出していた。その思考は、はからずも真実を射抜いていた。

 エリカとキャニスがT字路に差し掛かった時、どこからともなくニャーニャーとざわめきが聞こえてきた。

「何かしら……ネコの鳴き声?」

 エリカがT字路に入ると、やおらネコの声は大きく勢いを増していった。その声はやがて地鳴りと共にエリカたちの耳に近づいてきた。

「こっちに来る……!」

エリカが左右に首を振って様子を伺っていると、それはエリカたちの右側からやってきた。

「ネコの大群だわ!」

 先程まで空き地にいたネコたちの半数だった。サンマを咥えたドラネコを先頭に、エリカたちの方へ一挙に押し寄せてくる。

「危ない!」

 エリカたちは間一髪で後ろに下がりネコの大群をかわした。ネコたちは優に五十匹はエリカの目の前を通り過ぎていった。

「な……何なのよ、一体……」

 エリカとキャニスは呆気にとられてその場に立ち尽くしていた。


 6


 ――午前七時十五分。

 班分けが崩れ、しかも未だにリーダーの到着しないネコたちは、開戦早々に空中分解の危機を迎えようとしていた。

「どうしよう兄さん、イヌたちが攻めてくるよ!」

ピロ助は兄にすがりついた。

「落ち着けピロ助、ネルリさんの言葉を思い出そう。僕たちに出来ることを考えるのさ」

 ボル七は弟をたしなめた。

「ネルリさんの言葉……そうか、もう一度攻めと守りの隊列を組み直すニャ!」

 ピロ助の言葉に、兄は修正を加えた。

「いや、そうじゃない。ネルリさん抜きで戦う訳だから、守りは要らない。よって、全員攻めに転じるニャ。攻撃は最大の防御ニャ!」

 それを聞いたネコたちは「ガッテンニャ!」と口々に鳴いた。

「行くぞ! レツゴー五十匹!」

 ネコたちはボル七たち四天王を先頭に一斉に走り出した。イヌたちが待つ公園は、ネコたちのいた空き地からは目と鼻の先だった。イヌたちの鬨の声に対して応戦の狼煙を上げられなかったことで、ネコたちが奇襲をかけるカタチとなった。

「いたニャ! あの公園ニャ!」

 イヌたちのもとへ辿り着いたネコたちは、空き地の出入り口を取り囲んだ。それを見たイヌたちは一気に色めき立った。

「来たワン! 皆の者、やってやるワン!」

 ハチツーは用意していた軍配を振りかざした。その号令に合わせてイヌたちは空き地の出口に詰めかけた。

 ところが、出口が思いのほか狭く、一度に顔を出せるイヌはせいぜい三匹がやっとだった。

「今ニャ! かかるニャ!」

 ボル七の声を受けて、ネコたちは三匹のイヌに飛びかかった。イヌ一匹あたり五、六匹のネコたちが群がり、肉球で丁寧に袋叩きにしていった。

 即興の作戦ではあったが、ネコたちの行動は理に適っていた。公園の狭い出入り口を取り囲むことで、一度に出てくるイヌを三匹までに抑えることに成功していた。顔を出したイヌの頭を複数のネコたちでネッコネコにすることを繰り返し、イヌの数を減らそうというのだ。

「いいぞ、その調子ニャ!」

 ボル七は次々と倒れていくイヌたちを見て、歓喜の声を上げた。それとは対照的に、ハチツーは臍を噛んでいた。

「くっ……ま、マズい……このままジリ貧が続くと全滅するのは時間の問題ワン!」

 イヌたちはみるみるうちに数を減らしていった。その数が当初の約半分となり、公園の入り口付近に気絶したイヌの山が築かれつつあった頃、現場にはとんでもない者たちが近づこうとしていた。

「あれ……? 何か聞こえないか?」

 ピロ助が呟くと、GGがそれに答えた。

「たしかに……何か聞こえたニャ」

ピロ助たちの耳に届いたのは、イヌの遠吠えのようでありながらも、もっと雄々しく、聞いた者を戦慄させるような鳴き声だった。

「まさか……オオカミ!?」

 ボル七の予想は当たっていた。通りの角を曲がって、オオカミの群れがネコたちの方に向かって走ってくる。ピロ助は半ばパニックに陥りながら叫んだ。

「そんな馬鹿ニャ……だってニホンオオカミは絶滅したはずニャ! どうして!?」

「知らないニャ! どちらにせよ一旦ここは引くしかないニャ!」

 GGは答え、全軍に退却命令を出そうとした。しかしながら、GGが号令をかける前にネコたちは尻尾を巻いて逃げ出し始めていた。

「退却! 退却ー!!」

 このオオカミたちは、ハスキー犬のタロが持つ「オオカミとコンタクトを取れる」という能力を使ってハチツーがゲストとして呼んでいたのだった。ニホンオオカミは絶滅しておらず、細々と山で暮らしていたのだ。

「やったワン! 一気に形勢が逆転したワン! このままネコたちを山へ追い込むワン!」

 ハチツーは軍配を振りかざし、イヌたちに号令をかけた。ネコたちを先頭に、オオカミたちとイヌたちがあとに続くという構図が出来上がった。

 オオカミたちから逃げている最中、ボル七はあることに気がついた。

「――そう言えば、朝からスケコマ四郎の姿が見えないニャ……?」


 7


 オオカミやイヌたちがボル七たちを追いかけていた頃、ネルリは元妻フェリスを追いかけていた。

「ま、待って……フェリスちゃん……ハァ、ハァ」

 ボディコンディションスコア4(やや肥満気味)のネルリにとって、スリムなフェリスとの追いかけっこは体力的に厳しいものがあった。

「もう……ネルリったら、だらしないのね。そんな調子じゃ女の子に嫌われちゃうわよ?」

 フェリスは小悪魔的な笑みを浮かべながら、イタズラっぽくネルリに語りかけた。

「ち……ちょっと休憩………ゼェ、ゼェ」

 ネルリは遂に追いかける足を止めてしまった。フェリスは呆れて逃げることをやめ、小走りにネルリの方へ駆け寄ってきた。

「もう終わりかしら? はぁ……つまんないの。昔のスリムだったネルリはどこへ行ったのよ?」

 フェリスはそう言って「ふぁー」とあくびをした。

「そんなこと言ったって……こればっかりはしょうがないニャ」

 ネルリはふぅふぅと苦しそうに肩で息をしている。

「んもう、情けないわね。いいわ、条件を教えてあげる」

 フェリスはペロペロと上半身を毛繕いしている。ネルリは荒かった息をようやく整えた。

「……ふぅ。それで、条件って?」

「それはね――、イヌたちとの戦いを放棄すること」

 その言葉を聞いてネルリはハッとした。

「……!! そうだったニャ! こうしてはいられないニャ!」

 戦場へ向かうためにその場を立ち去ろうとするネルリの尻尾をフェリスは捕まえた。

「ちょっと、どこへ行くのよ。あたしとヨリを戻したくないの?」

 フェリスは小首を傾げて訊いてくる。

「そ……それとこれとは別の話ニャ。オイラにはやらなきゃならない使命があるニャ!」

 フェリスに尻尾を掴まれているせいで、前へ進もうと動かすネルリの足はガリガリと空回りした。

「へぇ、そうなの……じゃああたしとその使命とどっちが大事なのよ!?」

「そ、それはもちろん……」

 ネルリが答えようとした時、フェリスはぐいっとネルリの尻尾を引っ張った。その勢いで、ネルリはフェリスの目の前に引き戻された。

「もちろん――あ・た・し、でしょ?」

 フェリスは両前足でネルリの顔を優しく包み込むと、そのまま顔を近づけていった。

「そ、それは……ムググ!?」

 しどろもどろにうろたえるネルリの口に、フェリスは自分の口を押し付けた。しばらくの間、二匹の周りを静寂が包み込んだ。塀の上のカラスだけがその様子を見ていた。

「――っぷは、ハァ、ハァ……」

 思わず息をすることを忘れていたネルリは、苦しそうに口を離した。

「……あたしの気持ち、伝わったかしら?」

 フェリスは頬を赤らめながら前脚をペロペロと舐めている。

「あぁ、伝わったぜ。じゃあ行こうか、フェリスちゃん」

 ネルリは先導して歩き出した。

「ええ、行きましょう」

 フェリスも頷いてネルリのあとをついていった。



 8


 ――午前七時四十五分。

 イヌたちとネコたちは、ぐるぐると町内を走り回っていた。ネコたちの体力が減ってきた頃、イヌたちはフォーメーションを変えることにした。

「半隊、下がれ! ネコたちを待ち伏せする!」

 ハチツーの号令で、イヌたちの半数は踵を返して逆方向へ走っていった。

「敵の数が減ったニャ! 叩くなら今しかないニャ!」

 ボル七が提案するも、ピロ助は冷静に反論した。

「駄目だよ、兄さん。オオカミたちの数は減ってない!」

 ピロ助の目は正しかった。元々公園に集まっていたイヌたちはおよそ五十匹、その半数である二十五、六匹が既に倒れ、そこにオオカミが加わってイヌ軍は四十匹程度となっていた。今、その更に半数のイヌ二十匹が先回りしようと道を引き返していった。

 ネコたちが先程まで左折していた十字路に差し掛かった時、異変が起こった。

「道の両側をイヌたちが塞いでいるニャ!」

 何とイヌたちが立ちふさがり、十字路は事実上、坂を登る一本道となっていた。

「仕方ない、坂を登るニャ! みんな続け!」

 ボル七はまっすぐに十字路を突っ切った。それに続いて後ろを走るネコたちも坂を登っていった。

「どうしよう兄さん、このまま逃げ続けるつもりかい?」

 ピロ助は走りながらボル七に問いかけた。

「分からない……くそっ、こんな時にネルリさんは一体何を……」

 ネルリがこの場に現れないのは、GGの策略だった。その内容たるや、ゲスの極みと言っても過言ではなかった。

 ネコたちはイヌたちに追われるがまま山の麓から林の中へと入っていった。開戦時刻から間もなく一時間が過ぎようとしていた。

「ハァ、ハァ……もう、体力の限界ニャ! みんな、イヌたちと直接対決するニャ!」

 ネコたちのしんがりを務めていたGGは走るのをやめて振り返り、イヌたちと相対した。その声に反応して、集団の半数は後ろを向き、イヌたちと戦う体勢を作った。

「ネコたちが逃げるのをやめた! やつらの数を減らせ!」

 イヌたちは真っ向からネコたちとぶつかりあった。乱闘状態となったことで、状況はどちらに転ぶか誰にも予想がつかないかに見えた。しかしながら、イヌとネコの体格の違いによる体力差はどうしようもなく、ネコたちは為す術なく次々と倒れていった。

「くっ、戦力が違い過ぎる。まともに戦っては勝ち目がない! ここは一旦引くニャ!」

 しばらく応戦していたGGたちだったが、十二、三匹にまで数を減らしたところで遂に退却することを決意した。イヌたちとネコたちの戦いにおいて、完全に追う者と追われる者の構図が出来上がっていた。

 その時だった。ニャーニャーという雄叫びと共に地鳴りが聞こえてきた。それは坂を登りながらだんだんと近づいてくるようだった。

「この声は……まさか援軍!?」

 ボル七とピロ助は顔を見合わせた。二匹が予想した通り、およそ五十匹のネコたちがボル七たちのもとへと駆けつけようとしていた。

「ボル七、ピロ助、遅くなって済まないニャ! このオイラが到着した限り、もう大丈夫ニャ!」

 現れたネコたちの先陣を切っていたのは、誰あろうネルリそのひとであった。

「「ネルリさん!!」」

 ボル七たちにとって、ネルリは救世主も同然だった。ネルリが現れたことで、ネコたちの士気は一気に上がっていった。

「みんな、かかれぇ!!」

 ネルリが引き連れていたネコたちは、ボル七が用意した狼煙用サンマを奪って逃げていったネコたちだった。五十匹のネコたちがイヌたちとぶつかることで、イヌたちは前後をネコたちに挟まれるカタチとなった。

「ど、どうして!?」

 ひとり疑問符まみれとなっているGGをよそに、一気に形勢逆転となったネコたちは、イヌたちを次々と肉球まみれにしていった。

「GG……お前だけは絶対に許さないニャ。あとで覚えておくニャ!」

 ネルリはひとり怒りに震えていた。


 9


 ――ネルリが戦場に現れる十五分前。

 フェリスはネルリと共にある場所を目指して街を歩いていた。その表情はどこか陰り、足取りも重かった。

「着いたわ。ここよ」

 フェリスとネルリは、とあるパン工場に辿り着いた。

「あたしが先に行くわ」

 フェリスは工場の壁に据え付けてあるステンレス製の外階段を上がっていった。そのあとに続いてネルリも階段を駆け上がった。

 工場の二階に着いたフェリスは、入り口ドアを器用に開け、開いた隙間からサッと工場内に身を滑らせた。フェリスはドアから顔を出し「ここで待ってて」とネルリに告げ、奥へと消えていった。

 五分後、フェリスは一匹のネコを連れてドアの隙間から現れた。それは、フェリスにとってもネルリにとっても馴染みのあるネコだった。

「クラリス!!」

「お父さん!!」

 フェリスが連れてきたのは、ネルリとフェリスの娘であるクラリスだった。

「おお、よしよし……怖かったろう」

ネルリはクラリスを優しく抱き寄せた。

「ふたり共、感動の再会を喜ぶのはあとよ! 来るわ!」

 フェリスの緊迫した声が工場の階段に響き渡った。その時、入り口ドアが音を立てて乱暴に開いた。

「こらぁ! どこへ逃げるニャ!」

 そこに現れたのは、今ここにいるはずのないネコ、スケコマ四郎だった。

「……スケコマ四郎!!」

 ネルリは憤怒の形相でスケコマ四郎に詰め寄った。

「げぇ……ネルリ団長! どうしてここに!?」

 スケコマ四郎は顔を青ざめさせてあとずさった。フェリスとクラリスはその隙に階段を駆け下りて避難した。

「フェリスが教えてくれたのさ。クラリスが危ない、ってな」

 ネルリは前足の指をぽきぽきと鳴らし、スケコマ四郎にジリジリと詰め寄った。

「そ、そんな……だってふたりの様子はカラスたちが監視していたのに……怪しい動きがあれば逐一俺に……」

「そこはフェリスが機転を利かせてくれたのさ」

 実はフェリスがネルリに口づけをしていた時、フェリスはカラスに気づかれないように小声でネルリにすべてを打ち明けていたのだ。

「さて、覚悟はいいかニャ?」

 ネルリはスケコマ四郎の後ろの壁にドンと右前足をついた。


 10


「ハチツー……どこ行っちゃったのよ」

 エリカは一旦家に戻っていた。ハチツーの行方は未だ分からず、エリカは途方に暮れていた。

(ご主人様……落ち込まないで)

 キャニスはリードを外してもらいながらエリカの顔をペロペロと舐めて慰めた。

「あとでもう一回探しに行かなきゃ……」

 エリカたちはリビングのドアをくぐった。エリカはダッフルコートを脱ぎながらテレビの電源を入れた。朝のニュースが目に飛び込んでくる。

「……ふぅ。コーヒーでも飲もうっと」

 エリカはキッチンへと向かった。キャニスもそれについてくる。

「ん? キャニスもコーヒー飲みたいの?」

 エリカは冗談を言いながらコーヒーメーカーをセットした。その時、テレビからリポーターの声とイヌの鳴き声が聞こえてきた。それを聞いたキャニスはリビングへ走り、テレビの前でおすわりをした。

「……異様な光景……広がっており……」

 突然、キャニスがキャンキャンと鳴き始めた。エリカはそれを聞いてキッチンからリビングへ戻ってきた。

「ちょっと、キャニスったらどうしたのよ。テレビに向かって吠えたりして……」

 エリカがテレビを見ると、ニュースは中継画面を映していた。

「……これは何か天変地異の前触れでしょうか!? 多数のイヌとネコがぐるぐると町内を駆け回っています!」

 テレビに映し出されていたのはエリカの住む山の麓町だった。その中でも異常だったのが、イヌとネコが集団で走り回っていることだった。

「何これ……こんなことって……ん? 今のイヌってもしかして……」

 エリカは軍配らしき物をくわえて走るドーベルマンを目ざとく見つけた。

「ああっ! 何ということでしょう! ネコたちが振り返り、イヌたちと小競り合いを始めました!」

 リポーターが指差す先で、イヌたちとネコたちの乱闘が繰り広げられようとしていた。イヌネコたちの競走が止まったことで、エリカはドーベルマンに再び注目することが出来た。

「やっぱり……ハチツーだわ!」

 エリカはリビングのドアまで走り、ダッフルコートを掴むとドアを素早く開けた。

「ちょっと行ってくるわね!」

 キャニスに声をかけ、エリカはドアの外に消えていった。


 11


イヌたちとネコたちの戦いは混戦を極めていた。イヌとオオカミの連合軍は二十五匹程となり、ネコ軍は五十五、六匹程にまで数を減らしていた。

「くっ、さすがに敵もなかなかやるニャ! みんな負けるな!」

 ネルリはネコたちの士気を維持するために、声をかけ続けていた。

「ネ、ネルリさん、マズいよ! 敵一匹を倒すのにこちらの被害は二匹、このペースで行くと先に全滅するのは僕たちだよ!」

 ボル七は窮状を訴えた。

「いいや、単純に数だけで言えばイヌたちの方が先に全滅するはずニャ! 問題はオオカミたちが十匹以上残っていることニャ!」

 ネルリの観察眼は正しかった。イヌたちを全滅させたとしても、圧倒的実力差を誇るオオカミたちが立ちふさがることになる。ネコたちに嫌なムードが広がっていった。

「痛ってぇ!」

 業を煮やしたネコたちは遂に禁断の技を使い始めた。

「や、やめるニャ! 爪と噛みつきはご法度ニャ!」

 ネルリが懸命に叫ぶも、ネコたちは聞く耳を持っていなかった。

「野郎、こっちも爪と牙使ったろか!?」

 イヌたちはガルルと威嚇し始め、戦場は一触即発の危機に見舞われた。このままでは血で血を洗う凄惨な光景となってしまう。

 その時、空が急に曇り始めたかと思うと、天からゴロゴロと聞き覚えのある声がすべてのイヌネコたちの耳に振って届いた。

「バッカモーン! お前たち、殺し合いをするつもりか!?」

 それは、雷鳴に扮した釈尊の声だった。

「ひえっ、お釈迦様ニャ! ほらお前たち! だから言ったじゃニャいか!」

「お、お前たち、ネコたちの挑発に乗ってはいけないワン!」

 あたふたと慌てふためくネルリとハチツーは、釈尊の怒りの雷に打たれることを恐れ、全軍に静止命令を出した。

「今度やったら本当に雷を落とす。……よいな?」

 脅し文句を残し、雷雲は去っていった。

「……ふぅ。お前たち、頼むニャ! 今度はシャレじゃ済まないニャ!」

 ネルリの声でネコたちは我に返った。冷静さを取り戻したネコたちは再びイヌたちと相対していった。


 12


 サトルは一人考え込んでいた。どうすれば家に帰れるかを。

 未確認飛行物体に拉致されてから、一週間が過ぎようとしていた。サトルは、未知との遭遇を果たし満足したところで、そろそろ家に帰りたいと思っていた。しかしながら、彼ら(・・)の言うことには、まだ検証(・・)が終わっていないため帰ることが出来ないらしい。

「やぁ、気分はどうだい?」

 スライド式のドアを開けてサトルのいる部屋に入ってきたのは、彼らのリーダーであるタイタンと名乗る人物だった。彼は自動翻訳機を使い、サトルとコミュニケーションを取っていた。

「……どうもこうもないよ。いつになったら俺を帰してくれるのさ?」

「それは何度も話しているだろう? きみが適格人物(・・・・)かどうか分かるまで、帰す訳にはいかない」

 彼らは西暦二四○○年からサトルのいる西暦二○XX年にやってきた未来人だと言う。彼らの目的は、彼らのもといた時代に猛威を振るっているウイルスの抗体を持つ人間を探すことで、そのために過去にやって来たのだ。サトルの血液検査には時間がかかるため、結果が出るまで仕方なく軟禁状態にせざるを得ないらしい。

「も……もし検査結果が陽性だったら……?」

サトルは恐る恐る質問をした。

「そうだな……血液を数百ミリリットルいただくか、場合によっては……我々の時代にご同行いただく」

 それを聞いたサトルは心臓が飛び出る思いだった。

「み……みみ、未来に!? そんな!」

「フフ……そう落胆しないでくれたまえ。我々の住んでいた時代も捨てたものではない……きっとお気に召すだろう。ただ、人口が圧倒的に少ないという点を除けばね」

 タイタンは口元に右手を当て、含み笑いをした。

「み、未来の人口は……どのぐらいになってるの?」

 サトルの質問に対する答えは、サトルの想像を大きく揺さぶるものだった。

「全世界の人口は……およそ千人。その中で男性は、私を含めて十人だ」

 タイタンははっきりと答えた。

「そ……そんな……! 千人だなんて……まるで核戦争後じゃないか!」

 サトルの言葉は当たらずも遠からずといったところだった。

「核戦争、か。そんな生易しいものではない。先進各国はこぞって生物兵器を使用したのだ。永世中立国と言われた国々でさえも、だ。その中で唯一日本だけが戦争を放棄し、皇族を含む国民数百人は生き延びることが出来た。それ以外の国は……草も木も動物も、みんな死に絶えてしまった。本当に恐ろしいものだよ、生物兵器というのは……」

 タイタンの時代には、核のない世界が実現していた。その代わりに台頭したのが生物兵器だった。抗体を持たない人間や動物たちは死に絶え、あとには無人の荒野が広がるばかりであった。タイタンたちは、ばらまかれたウイルスの抗体を持つ人間を探しにサトルたちの時代にやって来たのだ。

「――それでも男にとっては悪いことばかりではないぞ。なにせ女性は男性の百倍の人数だからな。一夫多妻は当たり前、何もしなくても女が寄ってくる。どうだ、行ってみたくなっただろう?」

 タイタンは壁にもたれかかりながら話を続けた。サトルはエリカのことを思い出していた。

(いくら魅力的でもエリカちゃんと会えなくなるのはごめんだ)

 離れてみて初めて、サトルはエリカへの想いに気づいたのだった。

「タイタンさん頼むよ! 俺を元の場所へ帰してくれよ! この通りだ! 俺には会いたい人が……」

 タイタンに詰め寄ったサトルは、ハッ、と気がついた。エリカの他にも会いたいと思える対象がいることに。

「……そうだ、ハチツー! ハチツーは今頃どうしてる? エサも与えていないからお腹空かせてるだろうな……」

 サトルは知らず知らずのうちに涙をこぼしていた。タイタンは両手でサトルを制し、ソファに座るよう勧めた。

「きみの意見もごもっともだ。気持ちは分かる。だが、よく考えてみて欲しい。きみの未来が救われるかどうかは、きみの行動次第だということを」

 タイタンはそう言うと、入り口ドアを開けて部屋から出て行った。あとに残されたサトルはテーブルに突っ伏し、人知れず一人泣き続けた。


 13


「おらぁー!!」

「チェストー!!」

 イヌネコたちのバトルは中盤戦に差し掛かろうとしていた。イヌたちはオオカミたちと併せておよそ十五匹、ネコたちはおよそ三十匹となっており、あと三十分もしないうちに決着がつくと思われた。

「お互いにだいぶ数も減ったニャ! みんな、もう少し頑張るニャ!」

 ネルリは絶えずネコたちを励ましながら戦況を伺っていた。

「なんの! こちらには現役のオオカミたちがまだまだいるワン!」

 ハチツーも負けてはいない。オオカミの数は登場時から五匹しか減っていなかった。

「……ん? また何か聞こえる……嫌な予感がするニャ!」

 ネルリは全神経を研ぎ澄ませ、耳をそばだてた。すると、遠くから徐々にイヌのような吠え声が近づいてきた。

「今度はイヌ側の援軍ニャ!!」

 坂を登ってきたのは十五、六匹のイヌたちかと思われたが、そんな生易しいものではなかった。

「お……オオカミ!!」

 何とイヌたちの援護に現れたのは、ネコたちに絶望を与えるに足る存在、オオカミだった。

「も、もう駄目ニャ……」

「か、勝てっこない……」

 ボル七とピロ助は弱音を吐き、その場にへたり込んだ。

「お前たち、ここはひとまず撤退ニャ!」

 ネルリはイヌやオオカミを踏み越えてボル七たちと合流した。それに続いて坂道の下手側にいたネコたちもイヌたちを踏み越えて林の方へ移動し始めた。

「間に合ったワン! さぁ、仕上げるワン!」

 ハチツーは再び軍配を振りかざした。それに合わせて、逃げるネコたちをイヌたちが追いかける構図がまたしても出来上がってしまった。

 ネルリたちは林の中を突っ切って少しずつ山を登って行った。街育ちのネコたちにとって、雑木林の中を走るのは一苦労だった。それに対して山育ちのオオカミたちにとって林を走るのは、庭を走るも同じことだった。そのため、ネコたちがイヌたちに追いつかれるのも時間の問題だった。

「ハァ、ハァ……ネルリさん、どうするつもりですか?」

 ボル七は走りながらネルリに尋ねた。

「ゼェ、ゼェ……そ、それは考え中ニャ。ところでボル七、お前たちの法力で何とかならないニャ?」

「残念ながら、僕たちの法力は戦闘向きじゃありません。時間稼ぎぐらいは出来ますが……」

「それで構わないニャ! その間に何か打つ手を考えるニャ!」

 ネルリは懇願した。現状を打破するにはどんな手を使ってもいいと思われた。

「分かりました。ピロ、準備はいいか?」

「ああ、兄さん。行くよ!」

 ボル七とピロ助は息を合わせて真言を唱え始めた。

「オンカァカカビサンマエイソワカ……」

 すると、不思議なことが起こった。林の中を逃げ続けていたネコたちが、ボフンという音と共に地蔵に変身してしまった。

「あれ? ネコたちはどこへ行ったワン?」

 目の前を走っていたネコたちが急に消えたことで、ハチツーたちは混乱した。

「……こんなところにお地蔵様がこんなに立っていたワン?」

 獣道の脇に並び立つ約三十体の地蔵を見て、ハチツーは訝しがった。

「おっ、お地蔵さんだワーン。ちょうど良かった」

 ハスキー犬のタロは、いつもの散歩中の癖で地蔵に小便をひっかけ始めた。

「こ、こら、タロ! 何て罰当たりな!」

 常識を持っていたのはハチツーだけだった。タロに続けて他のイヌたちとオオカミたちも地蔵に小便をひっかけ始めた。

 その時、地蔵の中の一体がプルプルと震え出したかと思うと、ボフンという音と共にネコの姿に取って代わった。

「っぷは、もう限界ニャ!」

 それに続けて残りの地蔵もボフフンという音を立ててネコの姿に戻ってしまった。この術は、術者が息を止めることで成立する。術者の息が長く続けば続く程、長く変身していられるという代物だった。

「やばい、変身が解けたニャ! 逃げるニャ!」

 ネコたちは再び林の中を走り始めた。

「くっさ!」

「臭いニャ~!」

 イヌたちの小便が後ろ脚に思い切りかかってしまい、ネコたちは一気に士気を落としてしまった。それと引き換えに、ネルリは作戦を思いついていた。

「全軍に告ぐ! この先もし開けた場所があれば、そこで一旦バラけるニャ! まともにやりあっては勝ち目がないニャ!」

 それを受けてネコたちは「おう!」と短く答えた。

「ネルリさん、見て! 広場だよ!」

 ボル七が指差す先には、日光の差す開けた場所が見えた。

「よし、みんな手筈通り、散り散りに逃げるニャ!」

 ネルリのかけ声で、ネコたちは一斉に四方八方へと散った。ネルリとしては、林の木立に隠れながら一旦逃げおおせ、木に登って空中から奇襲をかけるのを繰り返すことで敵の数を減らすという戦術を思い描いていた。

 ところが、現実はそんなに甘くはなかった。ネルリたちを待ち受けていたのは最悪の展開だった。

「おっと……ここまでだぜ、へっへっへ。もう逃げられねぇ」

 ネコたちが逃げようとした矢先、何と先回りしていたオオカミたちが行く手を阻んだのだった。

「な、何だってぇ!?」

 ネルリは当てが外れたことに加えてオオカミたちに囲まれてしまったことに絶望した。オオカミたちはジリジリと距離を詰めてくる。ネコたちは広場の中心へ中心へと追い込まれていった。

 その時だった。バキバキという音を立てて、ネコたちの下の地面が消え失せた。ネコたちは奈落の底へと真っ逆さまに落ちていった。

「掘っといたワン!」

 ハチツーの作戦勝ちだった。ハチツーは事前にオオカミたちに頼んで落とし穴を拵え、最初からこの穴に向かってネコたちを追い込むことを目標としていたのだった。

「くそっ、落とし穴なんて卑怯ニャ! 出せぇ!」

 ネルリは懸命に叫んだが、イヌたちがそれを聞き入れるはずがなかった。

「くっくっく。オオカミたち特製の落とし穴のお味はどうかね? ネコ諸君。素直に負けを認めるなら引っ張り上げてあげよう」

 ハチツーは余裕の表情で軍配を団扇代わりに扇いでいる。

「だっ、誰が負けなんて認めるものか!」

 ネルリは強がりを言った。

「……やれやれ、きみの強情さにはほとほと困ったものだね。一生そこでそうしているつもりかね?」

 穴の深さはネコたちが這い上がれない程ではなかったが、穴の出口にはイヌたちとオオカミたちがいるため、彼らをかいくぐって脱出することは不可能に近かった。

「く、くそー! くそったれー!」

 ネルリは悔しさを声の限りに叫んだ。それを聞いたハチツーは、面白い余興を思いついた。

「……ふん。なるほど……くそったれ、ね。それじゃあくそったれはくそったれらしく、フンでも垂れるとしますかね」

 ハチツーは「構え!」と短く吠え、クルッと後ろを向いた。それを受けて他のイヌやオオカミたちもクルッと後ろを向いた。

「お……おい、一体何をするつもりニャ……ま、まさか!?」

 ネルリの予想は当たっていた。イヌたちとオオカミたちは穴に尻を向けたままアドレスを調整し、プルプルと震え出した。

「おい! やめるニャ! 頼むからそれだけは!」

 ネルリは声を限りに叫んだ。ハチツーは勝ち誇った声でそれに答えた。

「どうだね? 負けを認めるかね?」

 絶体絶命の状況に、ネルリはとうとう音を上げてしまった。

「み……認めるニャ。仕方ないニャ」

 それを聞いたイヌやオオカミたちは構えを解き、喜びを分かち合った。

「イエェェェェイ!!」

 イヌ対ネコのバトル第一戦目は、ここに幕を閉じたのだった。



 14


「大丈夫ワン?」

 ハチツーに引っ張り上げられ、ネルリは落とし穴の外に出た。

「よっこらせ……ふぅ、助かったニャ。それにしてもオオカミを呼ぶなんて反則ニャ」

「いいや、反則ではないワン。もし反則ならお釈迦様の雷が落ちていたはずワン」

 それを聞いてネルリはハッとした。

「そうか……たしかに。そういう戦法もありという訳ニャ~」

 ネコたちを引っ張り上げたあと、オオカミたちは林の中へ去っていった。

「さて、我々も帰るワン」

 残ったイヌはハチツーを含めて五匹しかいなかった。もしオオカミがいなければ、軍配はネコたちに上がっていたかもしれない。

「オイラたちも帰るニャ」

 ネコたちは土とイヌの小便まみれになって帰路についた。

「ハチツー!」

 イヌたちが街に差し掛かった時、坂の下から走ってくる人影が見えた。

「あれは……エリカさん! もしかして迎えに来てくれたの!?」

 ハチツーは駆け出した。ハチツーを出迎えたのは人間だったが、ネコたちを待っていたのは別の存在だった。

「あ、雨が降ってきたニャ!」

 それは、戦いで汚れてしまった身体を洗い流すために釈尊が気を利かせて局所的に降らせた雨だった。

「ネ……ネルリの親分……その……」

 ネルリの前におずおずと現れたのは、黒ネコのGGだった。

「あん? GG……お前、どの面下げてオイラに話しかけているニャ!?」

 前足の指をぽきぽきと鳴らしながら、ネルリはGGに詰め寄った。

「ひっ……ど、どうかご勘弁を!」

 GGは前足の指を組み、ネルリに懇願の眼差しを向けた。

「お前はネコネコ団を永久追放ニャ!! ……と、言いたいところではあるが、今は少しでも戦力が欲しいニャ――もう少しオイラの下で戦ってくれるニャ?」

 ネルリは慈悲の心でGGを恩赦とした。

「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」

 GGはペコペコと地面に額をくっつけた。

「それじゃあお前たち、ここで一旦お別れニャ。お疲れ様」

 充分に身体をすすいだネコたちは、ネルリの一言を最後に解散した。

「ボル七、ピロ助……ちょっと付き合って欲しい場所があるニャ」

 ネルリはボル七とピロ助を引き止め、とある場所についてくるよう頼んだ。自力勝利が消滅し、父の病状を案じる二匹の面持ちは暗かった。

「ええ……どこへ向かうつもりですか?」

「ついてくれば分かるニャ。イヌたちに勝つためにはそこに行くしかないニャ」

 ネルリは何か決意の表情を見せ、二匹の先を歩き出した。

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