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挽歌  作者: 卜貝了一
3/8

第二章 ハチツー登場

 1


 ハチツーは待っていた。あとたっぷり二時間は帰ってこないであろう飼い主を。

 見上げる空はどんよりと曇り、今にも泣き出しそうに低く垂れ込めていた。道行く人々は冬空の機嫌を伺い、天候が荒れる前に目的地へ辿り着こうと足早に通り過ぎてゆく。街は間もなく夕刻を迎えようとしていた。

 パチンコ店の目の前に繋がれたドーベルマンのハチツーは、昨晩の夢を思い出していた。奇妙な二人組が現れ、お告げにも似た託宣を与えていったのだ。その内容たるや、間もなくイヌ対ネコの戦いが開幕となり、ハチツーがイヌ軍のリーダーを務めることになったという。「なぜ自分が?」という思いを拭いきれないハチツーだったが、深く考えても仕方ないことは明らかであり、世話役がイヌ派ではなくネコ派の人物であることも腑に落ちないままであった。

 ハチツーは元警察犬で、昨春に早期引退して今の主人に引き取られた。もともと成績は優秀で、所轄署の一日警察署長を務めたこともある。主に麻薬捜査に力を発揮し、頑張り過ぎて中毒症状を起こしかけたこともあった。そんな真面目な性格のハチツーにとって、警察犬を引退することは生涯の大きな転換点であり、今まで没頭してきた仕事を失うことは、優秀なハチツーにとって死活問題であった。情熱を注ぐ対象がなくなることは、痴呆を招くきっかけになりかねない。しかし、ハチツーはその点では幸福であったかもしれない。今の主人に引き取られてからというもの、ハチツーは毎日仕事を請け負うこととなった。それは、「待つこと」である。散歩の途中で主人がパチンコに勤しんでいる間、ひたすら待つことがハチツーの仕事であり、生き甲斐であった。そのせいで、警察犬時代に付けられたアルベルトという名前がありながらも、近隣住民からは「忠犬ハチ(ツー)」の異名で呼ばれていた。

「お待たせハチ公! いつもごめんよ」

 ようやく主人のサトルが帰ってきた。ハチツーは尻尾を振って出迎えた。

「今日も負けちゃったよ……トホホ。さぁ行こうか」

 ハチツーはサトルの顔をペロペロと舐めて慰めた。サトルは括り付けてあったハチツーのリードを解いて歩き出した。ハチツーもそれに追従する。

 既に日はとっぷりと暮れ、西の空に僅かに残った橙を夕闇が徐々に追いやろうとしていた。

 パチンコの負けを引きずりながら、サトルは足取り重くペタペタと歩いた。それに合わせてハチツーも頭を垂れながらサトルの斜め後ろを歩いた。

「あっ、サトル君じゃない! こんばんは」

 声のする方を見ると、それはサトルの大学のクラスメイト、エリカであった。エリカは愛犬のヨークシャーテリアであるキャニスを連れていた。

 ハチツーとキャニスは、飼い主たちが話し込んでいる間にクンクンと情報を交換しあった。

「こんばんワン、キャニスちゃん。今日もかわいいね!」

「ありがとう、ハチツー君。最近は何か変わったことあった?」

「変わったこと、変わったこと……そうだ、ゆうべ変な夢を見たワン。お釈迦様を名乗る妙な人物が出てきて、ネコたちと戦え――って言われてね。それも付き人の梵ナントカって人が世話役らしくて、これがどう見てもネコ派でさ……もう参っちゃったよ」

「えっ――そのお話、お隣のタロ君とジロ君も同じことを……変なの、そんなことが本当に起こったら街中パニックになっちゃうよね」

 キャニスはハッハッと舌を出して口呼吸をした。キャニスの話によると、どうやら他のオスイヌも同じ夢を見たらしい。

「へぇ……妙な偶然もあるもんだね。でもどうして僕がリーダーなのかな……?」

 ハチツーは湧き上がる疑問を拭い切れないでいた。一度考え出したらトコトン考え尽くすのがハチツーの性分である。しかし、自分がリーダーに選ばれた理由は全くもって不明であった。それはネルリの時と同様、釈尊の独断と偏見によるものだったからだ。

「じゃあね、サトル君。またメールするね!」

 エリカとサトルは手を振って別れた。キャニスとハチツーも別れを惜しみつつ各々の主人に連れられてその場をあとにした。

 辺りはとっくに薄闇に包まれ、黄昏と呼ぶに相応しい時刻となっていた。サトルとハチツーは散歩を切り上げて家路に就くことにした。

 ハチツーの暮らす街は山の麓にあった。春は桜が咲き乱れ、夏は瑞々しい緑が山を覆った。秋になると紅葉が美しく山を彩り、冬には山は慎ましく雪化粧を纏った。山道を車で十分程登ると温泉宿があり、そこはペットと一緒に利用が出来るタイプの珍しい宿であった。ハチツーの夢は、そこでサトルと一緒にのんびり温泉に浸かることだった。

 「うう、さぶ。財布が軽くなると身も心も寒いなぁ」

 サトルはポケットに両手を突っ込んで小さく身震いした。新年が明けてから、サトルはビタ一文働いていなかった。それでも親の仕送りで細々と食いつなぐことは出来ていた。もし学生という身分でなかったら、今頃とっくに路頭に迷っていたところだろう。最近はおやつのひとつも買って貰えないハチツーだったが、この間サトルと一緒に観たDVDのように、このままサトルが自分を一匹残してギャンブル船に乗り込んでいってしまうのではないかと妄想が止まらない日もあった。

 サトルたちは、街灯ひとつ立っていない暗がりに差し掛かった。

 その時だった。にわかに辺りが明るくなっていき、あっという間にサトルとハチツーは白い光に包まれた。サトルたちには何が起こったのか分からず、状況を把握するまで数秒の時間を要した。サトルが上を見上げると、そこにはとんでもない物が浮遊していた。

「ゆ……ゆゆゆ……UFOだ!!」

 サトルたちの上空には、ゆうに直径二十メートルを超すと思われる巨大な円盤が静止していた。サトルはその場で腰を抜かしてへたり込んでしまった。ハチツーは混乱のあまり、思わずテレビコマーシャルのように「ナイストゥーミーチュー!」と叫んだ。ところが、円盤は挨拶を返す様子もなく、かわりに強力なスポットライトをサトルの頭上から浴びせかけた。

「か……身体が……浮き上がる!!」

 何と、サトルの身体はみるみるうちに宙へ持ち上げられ、円盤の中に吸い込まれてそのまま姿が見えなくなってしまった。円盤は一気に高度を上げると、あっという間に彼方へと飛び立っていった。

 その場に一匹残されたハチツーは、ポツリと呟いた。

「ア……アカン……これがホンマの、サトルミューティレーションや……て、言うてる場合か!」

 あとにはびゅうびゅうと木枯らしが吹き荒んだ。


 2


 ――その翌日。

 飼い主を失ったハチツーは、行く宛もなく街を彷徨っていた。未確認飛行物体に主人を連れ去られるなど、ハチツーにとってはもちろん経験のないことだった。サトルは一人暮らしをしていたため家に帰っても誰もおらず、食料は自分で調達しなければならなかった。

 ふと、ハチツーはキャニスのことを思い出した。

「……そうだ、キャニスちゃんのところへ行けば状況が進展するかもしれないワン! 少なくとも食料にはありつける可能性が高いワン。何でこんな簡単なことに気づかなかったワン……そうか、きっと昨日の朝から何も食べてないせいで頭が回らなかったからに違いないワン。とにかくキャニスちゃんの家に向かおう」

 ハチツーはキャニスのもとへとまっしぐらに歩を進めた。

 エリカの家は山の斜面を少し上がった所に立っており、サトルの住んでいるアパートからは割と近かった。そのため、ハチツーとキャニスは散歩で顔を合わすことが多く、いつしかハチツーはキャニスに淡い恋心を抱くようになっていた。ところが、気の毒なことにキャニスにとってハチツーはほぼ眼中になく、キャニスは小型犬が好みだった。あと二ヶ月もすれば季節は春を迎えるのに、ハチツーの春はまだまだ先のようだった。

 最後の角を曲がり、エリカの家まであと二百メートルに迫ったところでハチツーは軽やかに駆け出した。不安で押し潰されそうになっていたことと、ようやくキャニスに会える喜びとでハチツーの心はテンション最高潮(マックス)となっていた。

 エリカ宅に到着したハチツーは、尻尾を振りながらワンワンとキャニスを呼んだ。

「キャニスちゃん、僕だよ! ハチツーだよ!」

 しかしながら、いくら呼んでも一向に出てくる気配はない。

「キャニスちゃん、エリカさん、僕だよ! ハチツーだよ!」

 再三呼びかけるも、玄関のドアはガタリとも動くことはなく閉ざされたままであった。

「散歩にでも出かけているのかな……仕方ない、家の前で待たせてもらおう」

 ハチツーはエリカ宅前で姿勢正しくおすわりをしながら待つことにした。


 3


 ――三十分後。

 エリカ宅の前を通り過ぎてゆく人は何人もいたが、ハチツーお目当てのエリカたちはまだ一度も姿を現していない。空を見上げると、分厚い雲が頭上を覆っていた。様々に形を変えながら西から東へ流れる雲は、やがてチラチラとした雪となってハチツーの視界を覆い始めた。

「雪だ!」

 ハチツーは尻尾を振って小躍りした。だが、はしゃいでいる場合ではないことをすぐに思い出し、その場に居直った。

 このままご主人に続いてキャニスちゃんたちも帰ってこなかったらどうしよう――そう思いかけた時だった。坂の下からキャンキャンと聞き覚えのある鳴き声が聞こえてきた。

「ハチツー君!」

 それは待ち望んだイヌと人だった。ついにキャニスがエリカに連れられて散歩から戻ってきたのだ。

「キャニスちゃん!」

 ハチツーは立ち上がってキャニスとエリカを出迎えた。

「――あら? もしかしてサトル君のところのハチツー? ……このリード、そうだわ! ハチツーじゃない!」

 エリカは駆け寄ってハチツーの顔を両手で優しく包み込んだ。

「一体どうしたの? ご主人様は?」

 ハチツーはクゥンクゥンとエリカに甘えた声を出し、エリカの顔をペロペロと舐めた。

「あは、やめなさいったら。――そういえば、昨日の晩にメールしたのにまだサトル君から返信が来てないわ……何かあったのかしら……とにかく上がりなさい、ハチツー」

 エリカはハチツーを家に招じ入れた。



 4


「ご主人様がUFOに誘拐された!?」

 キャニスは驚きのあまり大きな声を出した。

「その通りワン。もうどこを探していいかさっぱり分からず、途方に暮れていたところワン」

 ハチツーはエリカが出してくれたドッグフードを食べながら答えた。

「誘拐って……それじゃあ今頃は宇宙人に食べられているかも! ハチツー君のご主人様かわいそう」

 キャニスはサラッと恐ろしいことを言う。それを聞いてハチツーは身震いした。

「ま、まさか……そんなことがある訳……でもどうしたらいいか本当に分からないワン。困ってしまったワン……」

 ハチツーはクゥーンと弱々しい声を出した。

「……駄目だわ、電話も通じない。まさかパチンコをしている訳でもないだろうし……。あとはもし家にもいないとなれば、一応警察に捜索願いを出したほうがいいかもしれないわね」

 エリカはスマートフォンをバッグにしまうと、ダッフルコートを羽織って出かける準備を整えた。それを見ていたキャニスは、主人の見送りをしようとエリカの側でおすわりをした。

 ハチツーは水をペロペロと飲み、エリカたちの様子を見届けていた。心の中は主人であるサトルのことでいっぱいだった。

「じゃあね、キャニス、ハチツー。ちょっと行ってくるから」

 エリカは二匹に手を振り颯爽と部屋をあとにした。

 部屋には二匹だけが取り残され、ハッハッと息をする音だけが響いていた。

「ご主人様大丈夫かな……。それにご主人様がいなくなると僕はどうなっちゃうの? ……まさか保健所行きかなぁ」

「うーん、どうだろうねぇ……。そればっかりはあたしにも分からないワン。きっとあたしのご主人様は優しいから、ハチツー君のことは引き取ってくれると思うけど」

 二匹は互いの顔をペロペロと舐めあった。

「こうなったら神頼みぐらいしかすることがないワン……イヌ神様でも誰でもいい、どうかご主人様を無事に返して欲しいワン」

 それを聞いてキャニスはハッと思いついた。

「――そうよ、それよ! 神様的な存在にお願いすればいいのよ! ほら、昨日ハチツー君が話してくれたじゃない。覚えてない?」

 ハチツーは昨日のことを思い出した。その瞬間、ハチツーの頭の中でファンファーレが小さく鳴った。

「そうか、その手があったワン! ――でもどうやってコンタクトを取ったらいいか……何かいい方法はないのかワン」

 二匹が思い悩んでいたその時、リビングの電話が鳴り出した。トゥルルルルという電子音に驚きながらも、二匹はイヌの習性でワンワンと吠え始めた。電話は七回か八回コールしたあと、留守番電話に切り替わった。

「ただいま留守にしております。ピーッという発信音のあとに、ご用件をお話し下さい」

 自動音声が流れたあと、発信音に続けてどこかで聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「……ハチツー、ハチツーよ……私の声が聞こえるな? 私は釈迦を大いなる悟りに導いた者、梵天である。何か困ったことが起きたようではないか」

 何と、電話の主は梵天そのひとであった。ハチツーとキャニスは、梵天の狙いすましたかのようなタイムリーな登場の仕方に驚きつつも、梵天との会話を試みた。

「……はい、おっしゃる通りでございます。私の主人が失踪を遂げたのでございます――それもUFOに連れ去られるという前代未聞の方法で。それで為す術もなく途方に暮れていた次第でございます」

 ハチツーは電話に向かって説明した。すると、どういう仕組みかは分からないが、ハチツーの声が梵天に届いたらしく、会話が成立した。

「ほう……左様であったか。しかしながらハチツーよ、お前の主人はいずれ帰ってくるのではないか? よく思い出してみよ。今度のネコたちとの戦いに勝った報酬で、お前の主人をお前のもとへ連れ戻せばよいではないか。残念ながら、お前の主人の行き先は私にも分からない。だがしかし、釈迦如来であれば造作もなく主人を見つけられるだろう」

 ハチツーはそれを聞いて尻尾を激しく振り始めた。

「ほ……本当でございますか? あ、ありがとうございます!!」

 ハチツーの目は爛々と輝いた。

「うむ。ただし、ネコたちに勝つことが条件であることを忘れないように。それではさらばだ」

 梵天の声は途切れ、「メッセージをお預かりしました」という文言を最後に電話は沈黙した。

 ハチツーとキャニスは顔を見合わせ、「やったー!」と抱き合って喜んだ。

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