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挽歌  作者: 卜貝了一
2/8

第一章 ネルリ登場

 1


 その晩、ネルリは夢を見た。目が眩むばかりのまばゆい光の中に、人らしき影が二つ立っている。その影が語りかけてくるのだ。

「ネルリ、ネルリ――私の声が聞こえるな? 私は宇宙の真理を知る者、釈迦如来である。お前のことは遥か西の国・極楽浄土からいつも見ておる」

 ネルリは眩しさを堪えながら言葉のする方をじっと見つめた。

「へ、へぇ。もしかしてお釈迦様でございますか? これは一体……兎にも角にも、私どもがいつも美味しいお魚にありつけるのはあなた様のおかげでございます」

「うむ。ネコでありながら感謝を忘れないとは殊勝な心がけである。そんなお前を見込んで、今日はひとつ頼みがあって参った。来たる一月十一日と二月二十二日の両日、イヌ対ネコの合戦を行う。お前にはネコ軍のリーダーを務めて欲しいのだ」

「イヌとネコの合戦でございますか」

「そうだ。ただし、相手に過度の傷害を加えたり死なせたりするのはタブーだ。お前なら仲間からの信頼も厚い。どうだ、やってくれるな?」

 ネルリは状況がうまく飲み込めないながらも、雰囲気で返事をした。

「へぇ、ガッテンでございます。して、勝った場合の報酬と負けた場合のペナルティは?」

 釈尊は、しまった――という顔をした。敗者の島流しは佐渡ヶ島あたりで問題ないと考えていたが、勝者側の報酬については一切ノープランであったのだ。

「う、うむ。勝者には何でも望むものをひとつ与えてやろう。敗者は島流しの憂き目に遭ってもらう。これで良いな?」

「ニャ、ニャンと島流し……分かりました。精一杯戦う所存でございます」

 釈尊は胸を撫で下ろした。

「最後に――今回のバトルの世話役を紹介しよう。導くことにかけて右に出る者なし・梵天である。困ったことがあればいつでも相談するが良い」

 ネルリは梵天が発するネコ好きオーラを嗅ぎ取り、彼の足元に擦り寄った。

「よろしくニャ~ン」


 2


 翌朝目覚めたネルリは、ハッ、と辺りを見回した。そこは漁師町近くにあるいつものねぐらで、二つの影はもうどこにもなかった。

 変な夢だったニャ――ネルリは昨晩見た夢の内容を反芻していた。なぜ自分が選ばれたのか、いまひとつピンと来ないまま顔を洗い、自慢のキジ三毛を毛繕いした。

 ネルリはオスの三毛で、この漁師町を取り仕切っている若きボスだ。三毛のオスは珍しく、三万匹に一匹の割合で生まれてくる。少し肥満気味の体型だが、運動が苦手という訳ではない。メスネコからも評判がいい。そんなネルリが選ばれた経緯など、ネルリ当人は知る由もなかった。なぜなら選定理由など存在せず、すべて釈尊の気まぐれだからである。

 ネルリはいつものように朝食の調達に出かけた。船着き場が近いこともあって、親切な漁師たちが余った魚を分け与えてくれることが多く、その恩恵に与ってネルリは主に生魚を主食としていた。ネルリをはじめとする多くの野良ネコたちは、波止場で顔を合わすのが朝の日課となっている。その朝も、ネルリが到着するといつものようにネコたちが数匹集まっていた。

「おっ、ネルリの親分、おはようございますニャ。今朝もいい天気ですニャ」

 声をかけてきたのはネルリの一の子分、黒ネコのGG(ジージー)だ。

「おう、おはようニャ。今朝のお魚は何かニャ?」

「今日はアジですニャ。それより親分、聞いて下さいよ! 昨晩あっし、変な夢を見やしてね。どんな夢かと言いやすと、これが妙ニャンですがね、お釈迦様があっしに語りかけてくる。その内容も変てこニャンですが、何やらイヌ対ネコの戦いが始まるから準備しておけ、そうおっしゃる。ね? おかしな夢でしょう?」

 それを黙って聞いていたネルリは、昨晩の夢が現実味を帯びてきたことを実感した。

「ふむ、その世話役として梵天殿を紹介され、お前は足元に擦り寄った……違うかニャ?」

 GGは驚いて目を見開いた。

「そ、そうですニャ! 何でそのことを? ――ハッ、まさか親分も同じ夢を!?」

「まぁ、そんなところニャ。多少ディテールは違うけどニャ」

ネルリはペロペロと顔を洗った。

「そうでしたか……不思議なこともあるものですニャ~」

GGも一緒になってペロペロと顔を洗った。

「ところでGGよ、今度の集会のセッティングは大丈夫なのかニャ?」

「ええ、ええ、バッチグーですとも。我々2匹にスケさんを加えてオス勢は三匹、相手のメス勢も三匹メンツが揃ったそうですニャ」

「スケコマ四郎か……まぁいいだろう。よくやったニャ」

「ありがとうございますニャ。奔走した甲斐がありましたニャ」

 ちょうどそこへ漁船がカンカンと音を鳴らしながら港へ入ってきた。

「「お恵みニャ~!」」


 3


 ネルリは調達したアジを咥えて近くの真魚公園(まおこうえん)にやって来た。そこにはネルリの崇拝する真言宗の開祖、弘法大師こと空海上人の銅像が立っており、ネルリの一番のお気に入りの場所であった。公園内の小高い丘の上から銅像を一望しながらゆっくり過ごすのがネルリの日課となっていた。

 ネルリは今日も魚にありつけることを上人に感謝し、アジに食らいついた。

「う、うまし……」

 思わず口からこぼれる感嘆の言葉――口いっぱいに広がる生魚の芳醇な味わい、鼻から抜ける磯の香りにネルリは酔いしれた。

 頭と尾と骨を残してアジを綺麗に平らげたネルリは、力強く口を開いた。

「まこと、ご馳走様でございやした」

 丘の上までテクテクと歩くネルリの足取りは軽やかだった。頂上に辿り着いたネルリは、ゴロンと仰向けになって後ろ脚を組み、横に生えていたエノコログサをむしり取って口に咥えた。

「――オイラがリーダー、か……」

 ネルリは十ヶ月前の出来事を思い出しながら、徐々にまどろんでいった。


 4


 ――時を遡ること十月と十日。

 ネルリは隣町のネコたちとの抗争の最中であった。ネルリの所属するネコネコ団と新進気鋭のニャホニャホ団は真っ向から対立していた。両者の縄張り争いは熾烈を極め、退っ引きならない展開が続いていた。

 当時のネルリはまだ駆け出しのペーペーで、団の一構成員でしかなかった。ネルリにはシャムネコのフェリスという身重の妻がいた。

ある日、ネルリとフェリスは安産祈願のために近くの神社へ出かけた。帰り道の途中、フェリスが「近くに美味しいネコ草があるの!」と言い出したため、寄り道することになった。

ところが、ネルリとしたことが迂闊にもニャホニャホ団の縄張りに入ってしまったのだ。あっという間にネルリたちは敵ネコ十数匹に囲まれてしまった。

しまった――ネルリがそう思った時には既に遅く、身重のフェリスを連れて無事にこの状況を脱することは不可能に思えた。二匹を囲む敵の環はじりじりと径を狭めてくる。

だがその時、ネコネコ団の当時のリーダー・ロシアンブルーのボドカが現れたのだ。

「ボドカ団長!」

「ここは引き受けた! お前はかわいい奥さんを無事に家まで送り届けるんだ!」

そう言ってボドカは敵陣に突っ込んでいった。注意を引きつけるためだと二匹にはすぐに分かった。

「今のうちだ、逃げるぞ、フェリス!」

「で、でも、団長さんが……」

「馬鹿野郎! ボドカ団長の男気を無駄にする気か!」

 ネルリはそう言って歯を食いしばった。辛いのはネルリも同じだった。

 二匹はやっとの思いで先程の神社まで到達し、ゼェゼェと息を切らせた。手水舎の水を飲み、ようやく呼吸が整ったところでフェリスが口を開いた。

「団長さん、大丈夫かしら……」

「分からない。あとでオイラが様子を見てくるから、きみはここで待っていてくれ」

 フェリスはコクンと頷いた。

 ネルリが件の場所へ戻ってみると、もう敵ネコたちはいなかった。しかし、よくよく耳を澄ませてみると、奇妙な声が聞こえてきた。

「フニャ……フニャ……」

 ハッ、としてネルリは声のする方へ駆け出した。

草むらの中で倒れていたのは、肉球型のアザを体中に付けられてネッコネコにされたボドカ団長そのひとであった。

「団長、団長! しっかりして下さい!」

 ネルリは駆け寄ってボドカの首を抱え起こした。

「ネ……ネルリか……。俺はもう駄目だ……少なくとも……第一線では戦えないだろう……」

ボドカはハァハァと肩で息をした。

「団長……オイラたちが敵の縄張りに入ったばっかりに……」

ネルリは重く責任を感じていた。

「ネルリよ……よく聞け……たった今から……ネコネコ団のリーダーはお前だ……いいな……ゲフッゲフッ」

「オ……オイラが団長に? ――そんなの無理ですニャ! ボドカ団長の代わりは誰にも務まりませんニャ!」

ネルリは溢れる涙を堪えきれなかった。

「ば……馬鹿野郎……泣くやつがあるか……いいか……お前は仲間想いで……優秀なネコだ……お前以外のメンバーに団長は務まらんよ……俺には分かる……」

「団長……!」

ネルリは涙と鼻水まみれになった顔を拭いもせず、ボドカの言葉に全神経を傾けた。

「……フッ……いい顔になったじゃないか……ネルリよ……さすが俺の見込んだオスネコだ……ネコネコ団を……よろしく頼んだぜ……」

 ボドカはゆっくりと目を閉じていった。

「団長、しっかりして下さい! 今、救急隊を呼びますニャ!」

 ネルリはボドカの上半身を草の上に静かに横たえ、全速力で団のアジトへと向かった。


 5


 ――時は戻り現在。

 ネルリは泣きながら目覚めた。公園内では小さな人間の子どもたちが遊び回っている。ネコにはあまり関係ないが、今日は日曜日だった。

「チッ、ガキどもに絡まれる前にズラかるとするか」

 ネルリはエノコログサをペッと吐き出し、素早く丘を駆け下りた。

「あっ、ネコだ!」

「えっ、うそ!? ほんとだ、ネコちゃんだー!」

 しまった、見つかったか――ネルリはギクリと立ち止まり、周囲を伺った。見ると、幼稚園の年長ぐらいの男の子と女の子が嬉しそうに駆け寄ってくるところだった。

「くっ、見つかっちゃあしょうがないニャ。人間とはいえ、ネコ好きのガキを邪険に扱うのは主義に反するニャ」

 子どもたちはネルリのそばまで来ると「かわいー」などと言いながらネルリの頭を撫でてきた。ネルリは臆することなく男の子の足元に「ゴロニャーン」と擦り寄った。

「これ、食べる? 向こうで見つけた魚の骨だよ」

 男の子は右手に持っていた魚の骨をネルリの鼻先に差し出した。それは明らかにネルリが食べたアジの残骸であった。ネルリは仕方なく匂いを嗅ぐふりをしてすぐにそっぽを向いた。

「ちぇっ、食べないね。リンは何か持ってないの?」

 男の子は女の子に問いかけたが、女の子は首を横に振るだけだった。

 その時、公園の入り口の方向から人間の大人の声が聞こえてきた。

「リンにレンー、お昼ごはんよー」

 それを聞いて男の子と女の子は同時に立ち上がった。

「はーい、すぐ行くよ!」

 男の子は元気よく返事をした。

「行こう、リン。じゃあね、ネコちゃん。バイバイ」

 そう言って男の子は女の子の右手を取って駆け出した。女の子も後ろを向いてこちらに「バイバイ」と手を振って去っていった。

 やっと解放されたか――ネルリはようやく「ふぅ」と一息つくことが出来た。また捕まってはマズいとばかりに、ネルリは早足で公園の裏出口へ向かった。

 ネルリが出口に差し掛かった時、公園をぐるりと取り囲んでいる植え込みの一部がガサガサと音を立てた。ネルリは反射的にハッと身構えた。そこに現れたのは二匹の若きロシアンブルーだった。

「ネルリさん、ご無沙汰しておりますニャ!」

「お前たちは……まさかボル七とピロ助か!?」

 二匹の精悍なロシアンたちはニカッと笑ってネルリの方に駆け寄った。

「たった今、高野山での修行から帰ったところなのですニャ。いやぁ、お懐かしい!」

 兄のボル七がそう言うと、弟のピロ助はウンウンと頷いた。

「そうかそうか、お前たちだったのか! こんなに大きくなりやがって! ――修行の方はどうだったのニャ?」

 弟のピロ助が答えた。

「ええ、バッチリですニャ。苦労しましたが、これも父を快方へ向かわせるためですニャ。――そうだ、これから家に帰るところなのですが、ネルリさんも一緒にどうです? 顔だけでも見せてやって欲しいですニャ」

 ネルリは喜んで頷いた。

「もちろんニャ! レッツゴー!」


 6


 ネルリにとって、この場所を訪れるのは一ヶ月ぶりであった。

前ネコネコ団長・ボドカは、十ヶ月前に負傷して以来、昏睡状態となっていた。それからというもの、責任を感じていたネルリは毎月ボドカの様子を見に訪れていた。ボドカを主に世話していたのは妻アンナと妹マリアだった。女手だけでは大変だろうと、ネルリは看病の手伝いを申し出たこともあった。だが、すべてアンナに「申し訳ないから……」と言って断られていた。

「ただいま、母さん、叔母さん!」

 ボル七たちは威勢よく家の敷居を跨いだ。

「あら! おかえりなさい、あなたたち! ボル、またいちだんと逞しくなったわね……ピロもこんなに大きくなって。母さんビックリしちゃった」

 アンナはそう言って目をウルウルさせている。

「再会の挨拶はあとで。それより父さんの具合はどうだい?」

 そう言ってピロ助は背中の風呂敷包みを地面に置いた。

「相変わらずよ。今も目が覚めないままの状態が続いてるわ。一体いつになったら目覚めるのかしら」

 アンナはそう言って鼻をかんだ。

「ま、とにかく一度会ってやってちょうだい。ネルリさんもご一緒にどうぞ。大したお構いも出来ませんが」

 アンナは先頭に立って三匹をボドカのもとへ案内した。

「父さん、ただいま! 僕たち帰ってきたよ!」

 立派な息子たちはボドカに凱旋を告げたが、父の目が開く気配は一向になかった。

「ほら、言った通りでしょう? 昔の勇ましかった父さんはもう帰ってこないのよ、きっと……」

 アンナは困ったような笑顔のまま目に涙を浮かべた。それを見て、ボル七は母の肩に優しく右前足をのせた。

「いいや、きっと父さんは今でも勇敢に戦っているよ。自分自身とね」

 そう言うと二匹の兄弟たちは風呂敷包みを開き、何やら術か儀式のようなものを行うための準備を始めた。

 二匹が風呂敷から取り出したのは、榊、法螺貝、薬壺、護摩壇、錫杖などだった。

 山伏の衣装を身に着けた二匹は、厳かに護摩を焚き始めた。

「オンコロコロセンダリマトウギソワカ……オンコロコロセンダリマトウギソワカ……」

 二匹は息を合わせて真言を唱え始めた。やがて火は勢いを増し、熱気がムンムンとネルリたちを包んでいった。

「――眠れるロシアンブルー・ボドカの魂よ、今ここに目覚め給え……オンコロコロセンダリマトウギソワカ、(オン)!!」

 その時だった。薬壺がカタカタと小刻みに震えだし、一瞬宙に浮いたかと思うと、その瞬間に護摩壇の火がフッと消えた。

 静寂が辺りを支配し、永遠とも思える時間が過ぎていった。

「う……うーん……」

 ネルリたちは、ハッ、として声のする方を振り向いた。どうやら声の主は、眠れるロシアンブルー・ボドカのようだった。

「お兄ちゃん!」

 一番近くにいたマリアは、ボドカの身体に飛びついた。

「うぅ……マ、マリアか……?」

 遂にボドカが目を開いた瞬間であった。

「「父さん!」」

「あなた!」

「団長!」

 その場にいた全員がボドカの回りを取り囲んだ。

「ううっ、や、やめてくれぇ!」

 ボドカはネコたちの予想とは違う反応を示したが、ネルリだけは瞬間的に理解していた。

「ハッ、そうか……きっとニャホニャホ団にやられた時の光景がフラッシュバックしているニャ! みんな、少し離れて!」

 ネルリの言葉を受けて、各々はボドカから距離を取った。

「ハァ、ハァ……す、すまない。もう大丈夫だ」

 ボドカは落ち着きを取り戻した。だが、その心には肉球攻めの記憶がトラウマとして深く刻まれていた。

「あ、あなた……ご加減はどうですか? 何かお召し上がりになります……?」

 妻は夫の顔を覗き込んだ。

「うむ……今は結構だ。どうやら長い夢を見ていたようだニャ。――皆に心配をかけさせてしまってすまない」

 ボドカは静かに目を閉じ、ゆっくりと言葉を発した。その頬にはいつの間にか一筋の涙が伝っていた。

「お兄ちゃん……これからは家族みんなで静かに暮らしましょう? ボルちゃんたちも帰ってきたことだし――ねぇ、そうでしょう?」

 マリアは山伏姿の二匹を見て、目を潤ませている。しかし、二匹の表情は硬いままだった。

「叔母さん、僕たちが本当の安寧を手に入れるのは、もう少し先みたいだよ。そうですよね、ネルリさん?」

 ピロ助はネルリの目をじっと見つめた。

「そう、ピロの言う通りさ。僕たちは戦わなきゃならない――種族を超えてね」

 ボル七もネルリの方に向き直った。ネルリは自分に課せられた使命を強く実感し始めていた。ボドカたちのためにも、負ける訳にはいかない。今度は自分が恩を返す番であるとネルリは固く決心した。

「ボル七、ピロ助。お前たちのチカラを貸して欲しいニャ」

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