決戦1
連合暦20年8月16日、レミューズ隊
ジェイルはシヴァが扉を抜け部屋の中へ入って行くのを見た後、
よろよろとよろめきながら部屋に突入した。
部屋の中に入ると、真っ先に目に入ったのは正面に鎮座する
巨大な真っ黒い何かだった。
足が止まり、その場でその異様な物を凝視する。
それは、巨大な魔獣を模った穴と表現する方が
正しいのかもしれない。
その穴の淵には真っ黒い小さな粒が蠢いていた。
ふと思った、もしかしたら小さな粒の集合体なのかもしれない。
背中に悪寒が走った。
自分の意志とは関係なく両方の脚がぶるぶると震えだす。
圧倒的な力の差を感じずにはいられなかった。
目をそらそうとしたが、それから目を離せない。
目を離せば捕食されるという恐怖があった。
食物連鎖の頂点が人間ではなく、魔獣王であると言われても
納得せざるを得なかった。
ジェイルは恐怖のあまり、立っていられなかった。
その場にしゃがみ込こみ、両手で頭を抱えた。
彼の頭の中は恐怖で満たされていた。
全員が初めて見る魔獣王に目を奪われていた。
パイン、アリスは当然の事だが、シェリルでさえ
直接肉眼で目にするのは初めてだった。
過去の戦いでは、アンジェラと本当の母が戦っていたのだ。
そう、初代ルシード王の話で出てきた赤ん坊こそが、
シェリルの実母であった。
ルシードを守ってきたのは彼女の母であり、
子供の彼女は、その使命を受け継いだのだ。
突然、過去の記憶が、事の大小にかかわらず蘇った。
貪欲*1,瞋恚*1などの、
ありとあらゆる煩悩が己の中に渦巻く。
過去に清算したはずの欲求、怒りが蘇り、
心の中に満ちて行く。
何故、あのような事になったのか?
何故、あのような行動をしたのか?
何故、あのような結論をだしたのか?
同時に、怒り、嫉妬、後悔、不安が湧き上がった。
己の理解の範囲を超えると、それが不安を生み、
そして恐怖へと変わる。
極限の恐怖は絶望へと変化する。
しかし、3人の巫女はすぐに冷静さを取り戻した。
幻獣の加護のある巫女には精神への攻撃は無意味なのだ。
シェリルは最も近くにいたレミューズの顔を覗き込んだ。
目の焦点が合っていない。
そして、その顔が恐怖に歪むのを目にした。
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レミューズは、真実の目で魔獣王を見ていた。
しかし、生涯この時の事を語ることは無かった。
いや、語れなかったのだ。
この僅か数秒の記憶を失っていたのだ。
同時に真実の目も使えなくなった。
魔獣王討伐後、数多くの魔導士がこれを治そうと試みたが、
それは叶わなかった。
魔導士達の結論は以下のようなものだった。
「レミューズは、魔獣王を真実の目で見ていた。
しかし、それは人間が耐え得るものでは無かった。
精神、あるいは肉体がそれを拒絶し、防衛本能により、
真実の目と共に記憶の底に封じ込めたのだ。」
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シェリル:((アリス、鎮静の呪文を。))
シェリルはレミューズに、アリスは近くに居たサールに
鎮静の呪文を唱えた。
その時、真っ黒い何かが腕(?)を上げるのが見えた。
そして、吠えた。
その声は、耳というよりは頭の中に響いた。
まるで精神を揺さぶるような咆哮だった。
更なる恐怖を生み出した。
恐怖は肉体へと伝搬し、筋肉が小刻みに震えた。
同時に上空に光が生まれた。
鎮静の呪文を受けたサールは、上方の強い光で我に返った。
そして、上を見上げる。
そこにあったのは、巨大な火の玉だった。
不思議なことに恐怖を感じることは無かった。
ただ、これで自分の人生が終わりであると確信した。
火の玉が徐々に大きくなり、飲み込まれると思った瞬間、
辺りが更なる光に覆われた。
目が眩む。
とっさに瞼を閉じた。
1秒、2秒と時間が過ぎる。
サールはゆっくりと目を開いた。
そして、魔獣王と対峙している事。
生きている事を実感した。
巫女の言った通り、シヴァが魔獣王の魔法を防いだのだろう。
目の前にパインが見えた。
魔獣王に向かって剣を構えている。
横では、シェリル、アリス、レミューズがパインに対して
補助魔法を詠唱しているところだった。
当初の計画では、シェリル、アリスがパインに対して、
レミューズ、サールがジェイルに対して補助魔法を詠唱する事に
なっていた。
しかし、レミューズはパインに対して詠唱を行っている。
とっさにジェイルを目で探した。
サールはすぐに事情を理解した。
ジェイルは座り込み、頭を抱え、震えていたのだ。
反射的にジェイルに近寄り、鎮静の魔法を唱える。
ジェイルの震えが徐々に治まって行く。
その時レミューズの声が聞こえた。
レミューズ:((サール何をしている。
すぐに障壁を張れ。))
その言葉にサールはハッとした。
サール:(シェリルとアリスの周りに魔法障壁を張り
2人を守らなければ。)
サールはシェリルに近づくと、
魔法障壁を張るべく詠唱を開始した。
シェリル:((これから、魔獣王を封じ込める為の
魔法を唱えます。
詠唱完了までは時間がかかります。
それまで耐えてください。))
当初の予定通り、シェリルは呪文の詠唱を始めた。
サールがジェイルに対して鎮静の魔法を唱える直前、
ジェイルは、恐怖の真っただ中にいた。
身体が小刻みに震え、まるで雪山に居るような寒気を感じる。
頭の中は今にも張り裂けんばかりに恐怖で埋まっていた。
少しでも刺激を与えれば爆発してしまいそうだった。
しかし、その中で唯一の光があった。
それは、シェリルとベルノへの思いだった。
2人を守りたい、助けたいという思い。
それがジェイルを踏みとどめていた。
霞がかかったように、思考が纏まらない。
ジェイルは縋るように、その光に手を差し伸べた。
その時新たなる光が生まれた。
瞼を閉じているにも関わらず、光が見えた。
光は急速に広がり、恐怖と霞を消し去って行った。
しかし、全ての恐怖が消え去ったわけでは無かった。
その時、手を差し伸べた光の中に2人の姿をみた。
シェリル、そしてベルノだった。
ジェイルは恐怖に抗う様にゆっくりと目を開いた。
最初に見えたのはパインだった。
魔獣王に向かって走り始めていた。
それを見て、カイン王の言葉を思い出した。
「パインとジェイルがこの作戦の肝だ。
パインが渦雷の剣の攻撃で魔獣王の動きを止める。
ジェイルはパインに魔獣王の攻撃が集中しないように
反対側から攻撃を仕掛ける。
魔獣王の攻撃を分散するのだ。
集中的に魔獣王の攻撃を受ければ受け身になり、
攻撃を与えることは困難だろう。」
座っている場合ではなかった。
震える脚を両手で抑え込み、無理やり立ち上がった。
サールとレミューズが近寄り、補助魔法を唱え始めた。
ジェイルはそれを待って魔獣王に向かおうと考えた。
脚の震えはまだ収まらない。
両手を添えてそれを無理やり抑える。
詠唱が終わり、ジェイルは魔獣王に向かおうとした。
ジェイル:(なんだこれは。)
考えとは裏腹に、足は動かなかった。
ジェイル:(動け、動け、動け、、、。)
ジェイルは、抗う様に両脚を拳で叩いた。
パインは冷静だった。
ベンヌの力によって魔獣王の精神攻撃は防がれていた。
魔獣王の最初の魔法もシヴァが防ぐと信じていた。
剣を構え、補助魔法の詠唱完了を待つ。
果たして己の剣が魔獣王に通じるだろうか?
レミューズから受け取った小手の力を最初から解放すべきか?
仲間の方をちらっと見る。
ジェイルが頭を抱え座り込んでいるのが見えた。
その横にはサールが立っていた。
様々な考えが頭の中に渦巻いた。
そして決断した。
最初から全力で行くことを。
3人の詠唱が終了すると全力で魔獣王に突進した。
途中に落ちていた瓦礫を巧みに避けながら走った。
幸運なことに魔獣王からの攻撃は無かった。
魔獣王の足元まで到達すると、
その黒い何かの左脚と思われる物に対して、
最初の一撃を叩き込んだ。
まるで金属に剣を当てたような感触だった。
その瞬間、小手が光り、その衝撃を吸収した。
剣からバチバチと火花が溢れ出る。
その火花が剣の当たった部位から大きく広がり、
魔獣王を包み込んだ。
魔獣王の動きが止まった。
パインは理解した。
僅か数秒の事であったが、全力で攻撃すれば、
魔獣王の動きを止められることを。
そして剣柄を強く握る。
手は痺れていない。
パイン:(いける。)
そう考えたパインは、魔獣王の動きを冷静に見ながら
続けざまに剣を振った。
レミューズはパインの攻撃を見ていた。
小手が正常に機能していることに安堵し、
順調に続いている攻撃から自信をもった。
このまま続られれば、確実に勝てると。
安心したレミューズは、シェリルの方を向いた。
そしてシェリルの身体から噴き出す白い霧のような物に驚いた。
その霧は上へと昇り、そして城の天窓から外へと流れ出ていた。
シェリル:(これが、魔獣王を封印する魔法なのか?)
今までのレミューズであれば、真実の目を使っただろう。
しかし、その考えすら思いつかなかった。
次にジェイルを見た。
両手で両脚を掴み、揺さぶっていた。
そして目を見る。
ジェイルの目は死んではいなかった。
この時理解した。
ジェイルは完全に恐怖を克服していないということを。
本能的に危険を察知し、魔獣王に近づかない事を
選択したのだろうと。
本人の意志とは関係なく肉体が拒んでいるのだ。
こればかりは、魔法で如何することも出来ない。
ジェイルが完全に恐怖を克服することを祈るしかなかった。
*1:三毒
仏教において人が克服すべきものとされる
最も根本的な三つの煩悩。
煩悩の根源(人間の諸悪の根源)は、貪欲,瞋恚、愚痴とされ、
これをあわせて三毒と呼び、
人が克服すべき事と言われている。
その中でも、愚痴が三毒の根源であるとされる。
貪欲:必要以上にむさぼり求める心。
瞋恚 :怒りの心。
愚痴 :真理に対する無知の心。




