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来年も、その先も  作者: ムネディ


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2/13

第2話 旅の支度

 月曜日の昼休み、直人はスマートフォンのカレンダーに並んだ3日間をもう一度確かめた。

 8月最後の金曜日から日曜日まで。

 休みの予定を確認し、問題がないと分かったのは午前中だった。

 美帆にはすぐ知らせようと思ったのに、短い連絡を送るだけの時間がなかなか取れず、気づけば昼に

なっていた。

『休み、取れそう。金曜から2泊で行ける』

 送信してスマートフォンを伏せる。ところが、昼食に手をつけるより先に震えた。

『えらい。本当に忘れなかったんだ』

『約束したからな』

『昨日の夜、念押ししようか迷った』

『信用なさすぎない?』

『3年の経験則です』

 第1話で自分が使った言葉をそのまま返され、直人は苦笑した。

『宿、去年と同じところでいい?』

『空いてたら。私もあとで見てみる』

『じゃあ今日の夜、電話する』

『了解。今度こそちゃんと計画立てようね』

 最後の1文には、笑っている顔の絵文字が添えられていた。

 今度こそ、という言葉に心当たりはある。

 去年は行く日だけを先に決め、宿を取ったことで安心してしまった。

 初日の昼食も、帰りの電車も、その場で考えればいいと言った直人に、美帆は「旅行は出発する前から始まってるの」と呆れていた。

 それでも、現地では誰より楽しんでいたのだから、結果としては悪くなかったはずだ。

 そう思う一方で、美帆が旅行サイトを見比べていた横で、自分はほとんど任せきりだったことも覚えている。

 今夜は先に調べておこう。

 そう決めた直後、再びメッセージが届いた。

『あのカフェ、今年も営業してるみたい』

 続けて送られてきたのは、店の公式ページの画面だった。

 青い屋根と白い壁。

 その向こうに、夏の光を弾く海が写っている。

 直人は自然と目を細めた。

『相変わらず調べるの早いな』

『楽しみにしてるので』

 第1話の帰り際にも届いた言葉だった。

 今度は返事に迷わなかった。

『俺も楽しみ』

 *

 その夜、約束どおり美帆から電話がかかってきたのは21時を少し過ぎた頃だった。

「お疲れさま。今、大丈夫?」

「大丈夫。宿も見てる」

「珍しい。明日は雨かな」

「俺が調べただけで天気変わるのかよ」

「だって去年、予約したのほとんど私だったじゃん」

「反省したんだよ。多少」

「また多少なんだ」

 美帆が笑う。カフェで交わした会話を覚えていたらしい。

 直人はタブレットに表示した宿泊予約の画面を眺めた。

 去年泊まった小さなホテルには、海側の部屋が1室だけ残っている。

 駅から少し歩くが、窓を開けると潮騒が聞こえ、朝は水平線まで見渡せた。

「去年と同じホテル、まだ空いてる。海側の部屋」

「本当? そこがいい」

「即決だな。他も見なくていいの?」

「去年よかったし、場所も分かってるから。直人も気に入ってたでしょ」

「まあな。朝、美帆にカーテン開けられて起こされたこと以外は」

「海まで来て昼近くまで寝ようとする人が悪いの。朝の海、すごく綺麗だったのに」

「ちゃんと見たよ。目が半分しか開いてなかっただけで」

「今年も起こすからね」

「せめて8時にして」

「7時半」

「交渉になってない」

 言いながら、直人はその部屋を選択した。

 宿泊者名や連絡先を入力し、確認画面まで進む。

「予約するぞ」

「うん、お願い」

 クリックすると、間を置かずに予約完了の表示が出た。

「取れた。金曜から2泊」

「よかった。これで今年も行けるね」

 電話越しの声が、わずかに弾んだ。

 ただ同じ場所へ旅行する。

 それだけなのに、美帆は心から喜んでいる。

 直人まで嬉しくなり、画面に表示された日付をしばらく眺めた。

「あとは電車か。去年と同じくらいの時間でいい?」

「うん。でも今年は駅でお昼を買わない?」

「向こうに着いてから食べればいいだろ」

「覚えてないの? 最初に行ったとき、駅前のお店がほとんどお昼休みだったじゃん」

 言われて、3年前の光景がよみがえった。

 交際を始めてまだ数か月だった、最初の夏。

 2人とも海へ行きたいという話だけで盛り上がり、詳しい予定を立てないまま電車に乗った。

 窓の外に海が見えた瞬間、美帆は子どものように身を乗り出し、反対側に座る直人へ何度も手招きした。

 町の小さな駅へ着いたのは、正午を少し過ぎた頃だった。

 昼食を取ろうと駅前を歩いたものの、目当てにした店は定休日。

 次に見つけた食堂は準備中で、その先の店には臨時休業の札が掛かっていた。

「直人、ちゃんと調べたって言ってなかった?」

「電車の時間と海までの道は調べた」

「ご飯は?」

「店くらいあると思うだろ」

「私もそう思ってたから強く言えないけど、お腹すいた」

 少し前を歩く美帆の声は拗ねていたが、本気で怒ってはいなかった。

 直人が謝ろうとしたとき、彼女は路地の先を指さした。

「あそこ、何かある」

 古い商店の間から、青い屋根が覗いていた。

 近づいてみると、白い壁に小さな木製の看板が掛かっている。

 店名と営業時間だけが手書きされ、開いた窓からコーヒーの香りが流れてきた。

「カフェみたいだな」

「ご飯あるかな」

「なかったらケーキでも食べる?」

「お昼にケーキだけ?」

「美帆なら喜ぶかと思って」

「それは食後ならね」

 店へ入ると、窓の向こういっぱいに海が広がっていた。

 大きな観光施設も、派手な看板もない。

 ただ陽光を受けた水面と、ゆっくり流れる雲が見えた。

 窓際の席へ案内された美帆は、空腹を忘れたように立ち止まった。

「すごい。海しか見えない」

「それ、褒めてる?」

「褒めてるよ。こういうところ、好き」

 幸い、店にはサンドイッチとパスタがあった。

 2人で別々のものを頼み、半分ずつ交換した。

 付き合い始めたばかりで、まだ相手の好みを探っていた頃だ。

 美帆がトマトを避けたことも、直人がコーヒーに砂糖を入れないことも、その日初めて知った。

 食事を終えてもすぐには店を出なかった。

 アイスティーの氷が小さくなるまで話し続け、気づけば海は午後の淡い色に変わっていた。

「来年も来たいね」

 窓の外を見たまま、美帆が言った。

 まだ次の季節の約束さえ少し照れくさかった頃だ。

 直人は海を見るふりをしながら答えた。

「じゃあ、来年はちゃんと昼の店も調べる」

「そこ?」

「大事だろ」

「大事だけど。じゃあ約束ね」

 美帆が差し出した小指に、直人は笑いながら自分の小指を絡めた。

「直人、聞いてる?」

 電話の声に引き戻される。

「聞いてる。最初の年の話だろ」

「そう。私たち、あのときから計画性ないよね」

「それであの店を見つけたんだから、悪いことばかりじゃない」

「うん。偶然だったけど、見つけられてよかった」

 美帆の声が穏やかになる。

 あの日、軽い気持ちで交わした「来年も」は実現した。

 そして今年もまた、同じ町へ向かおうとしている。

「じゃあ、お昼は買っていこう。美帆が忘れなければ」

「どうして私任せなの?」

「旅行は出発する前から始まってるんだろ」

「そうだけど、都合よく使わないでよ。直人も一緒に選ぶの」

「分かった。少し早めに待ち合わせるか」

「直人、どうせ早く着くもんね」

「美帆が時間どおり来ればな」

「旅行の日は遅れません」

「信用していい?」

「約3年の経験を思い出してから判断してください」

「だめそうだな」

 2人の笑い声が重なった。

 そのあとも、乗る電車や持っていくものを話した。

 美帆は浜辺を歩くためのサンダルを買ったと言い、直人は第1話で一緒に探した淡い色の一足を思い浮かべた。

 天気が悪かった場合の過ごし方まで考え始めたところで、美帆が小さくあくびをした。

「そうだ。夕方は早めにカフェへ行こうよ」

「去年みたいに、日が沈むまでいるの?」

「だめ?」

「いいけど、窓際が空いてるとは限らないぞ」

「だから早めに行くの。最初の年はたまたま座れたけど、去年は少し待ったでしょ」

「そうだったな。美帆が店の前を何度も覗くから、帰るお客さんが気まずそうにしてた」

「急かしてないよ。空いたかなって確認してただけ」

「それを急かしてるって言うんじゃないのか」

「声には出してません」

 妙に堂々とした返事に、直人は声を上げて笑った。

 美帆が見たがっているのは、夕陽で海がオレンジ色に変わる瞬間だ。

 第1話で彼女自身が思い出していたように、去年はその景色を待ちながら、暖かな窓辺でうとうとしていた。

 眠っていたことを認めないところまで含めて、直人には楽しい思い出だった。

「じゃあ、今年は早めに行こう。窓際が空くまで待ってもいい」

「うん。晴れるといいね」

「まだ2週間以上あるのに、天気は分からないだろ」

「今から願うくらいいいでしょ」

 美帆の声を聞きながら、直人は予約画面の隅にある海の写真を見た。

 当日の空が晴れでも曇りでも、2人で行けばきっと楽しめる。

 そう考えられること自体が、3年を一緒に過ごした証のように思えた。

「もう寝る?」

「うん。でも、旅行の話してたら目が冴えそう」

「どっちだよ」

「楽しみってこと。直人は?」

「俺も。あのカフェ、今年は美帆が寝る前に写真撮るよ」

「だから寝てないって。今度撮ったら消させるからね」

「じゃあ起きてろよ」

「分かりました。おやすみ」

「おやすみ」

 通話が切れ、部屋が急に静かになった。

 直人は予約確認の画面へ目を戻した。

 去年と同じホテル。

 初めての夏に見つけたカフェ。

 毎年歩いた海沿いの道。

 同じ場所へ行けば、同じように楽しい時間を過ごせる。

 美帆も隣で笑っている。直人は疑うことなく、そう思っていた。

 けれど、3年前の自分が照れながら口にした「来年」は、今よりずっと特別な言葉だった気がする。

 約束が実現することを、まだ当たり前だとは思っていなかったからだ。

 直人はカレンダーの3日間に「海」と予定を入れた。

 入力したのは、たった1文字だった。

 そこには、美帆と重ねてきた3度の夏が詰まっている。

 そして月末には、また新しい思い出が加わる。

 その先のことまでは、まだ予定に書かなかった。


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