4-1 初めての船旅と船酔いの地獄
南航路の貨客船に乗った時から、アストリアははしゃいでいた。
船の中を駆け回るようにして見終えると、出航する船の甲板で、その光景に歓声を上げた。
けれど・・・
数時間も経たないうちに、アストリアの体調は急降下する。
「ぎぼぢ・・・う゛ぁる゛い゛・・・・う゛~~ぐ」
吐き気、頭痛がMAXで、目の前が薄暗くなる。呻き声を出すだけで、胃の内容物が喉元まで上がって来た。
「船酔いだな、船室で休むか、アストリア?」
サリオスが心配そうに声を掛けるが、彼女は必死に意思を伝えようとして、頭を振った。
「ダメ・・・」
ここで風に吹かれているほうが、まだマシだと言おうとして・・・
「う゛・・・・ごバッ!」
甲板の手すりから頭を突き出して、とうとう吐いてしまったアストリアだ。
「だ、大丈夫か?」
慌てて妹の背中を摩るサリオスだが、それが余計に嘔吐を誘った。
ゲボゲボ・・・ゴホッ・・・ゲェ・・・・
描写するのも気が引ける濁点だらけの音が、アストリアの喉から零れ、やがて彼女はぐったりと膝をついた。
「ハァハァ・・・多分もう・・・全部出ちゃったから、大丈夫・・・・っ!」
最後まで言えず、再び海へ向かって吐き始めた彼女だが、やがてその様子に気付いた仲間たちが寄ってきた。
「そろそろ夕暮れなので、船室に入るように言われました。アストリア様は、お辛いかもしれませんが、中に入るしかなさそうです」
フェローがそう言うと、アストリアも頷く。サリオスは妹を抱きかかえるようにして、船室に戻った。
結局アストリアは、ひと晩中眠ることも出来ずに船酔いに苛まれた。
トゥーレやケィティが持って来てくれた水と布などを傍に置いているが、特にバケツが手放せない。
(・・・まるでこれ・・・バケツに Fall in Love・・・みたいな?)
抱えたバケツに顔を突っ込んだまま、馬鹿々々しいような事を考えてしまう。手放せないバケツを握って、気を紛らわせようと努めた。
けれど努力は実らないまま、水の一滴も飲めず、最後は胃液でさえ出せなくなって、ただベッドの中で悶絶しているアストリアだ。しかし、仲間たちに出来ることは無い。
そして翌々日、船は漸く最初の寄港地に入った。
そこは小さな島で、船は多少の水や食料の補充をするだけだったので、直ぐに出航の予定だ。けれどサリオスたちは、一旦そこで下船することにした。
アストリアの状態もあったし、船は定期便なのでまた次を利用すればよい。先を急ぐ旅でもないので、この島で少し物見遊山も良いだろうと決めたのだ。
モエレと言う名の小さな島は、海流の影響もあって、高温多湿の夏のような気候だった。島民は露出度の高い最低限の衣服を身に纏い、観光客らしき人々も多い。土産物屋や宿、別荘らしき建物もあるので、リゾート地になっているらしい。
船が接岸し錨を降ろすと、サリオスは妹を抱えて真っ先に降りる。
「アストリア、地面だぞ。大丈夫か?」
「・・・降ろして、兄さん」
そうっと彼女の足を降ろすと、アストリアはフラフラと歩き出すが、直ぐによろめいた。
「・・・何か、まだ揺れてる・・・」
確かに自分も、まだ微かに揺れているように感じるサリオスだが、どうやらそれは、慣れない船旅の後遺症らしい。
「足元が危ないから、座れるところまで運ぶぞ」
サリオスはもう一度彼女を抱きあげると、スタスタと歩き出した。
荷物も馬たちも船から降ろして貰い、一行は海辺に近い宿を取った。
仲間たちは全員、島に滞在するのは初めてだし、海を楽しむことも生まれて初めてである。数日はここにいることにして、先ずは馬たちも連れて浜辺に行ってみた。
「おお、海に浸かっている人々もいるな。女性もいるが・・・薄着のようだな」
「あれは、水着というものらしいです、ジェラルディーナ様。何でも、カイスイヨクと言うそうで、健康に良いらしいです」
片手を目の上に翳して、眩しそうに眺めるジェラルディーナに、フェローが答えた。既に宿の主人から、話を聞いていたようだ。
「成程・・・面白そうだ」
そう言うと、このらしくない王女様は、サッサと服を脱ぎ始める。
「えっ、ジェラルディーナ様!まさかっ!」
「ああ、私も試してみる。見た所、泳いでいる人々もいるしな。心配するな、私は泳げるぞ」
(いや、そっちの心配じゃないですって・・・)
水着では無いが、下着だってそう変わりはないだろうと、ジェラルディーナは胸と腰だけを覆う格好になって、スタスタと海に入って行った。
砂の上に散らばった主の衣服を集めていたフェローに、サリオスも声を掛ける。
「俺も行って来る。馬たちも一緒に連れてゆくから、後を頼む」
「はぁ・・・いってらっしゃいませ」
下帯一つになって5頭の馬を引き連れてゆくサリオスを眺めながら、大きなため息をつくフェローだった。
「凄く綺麗な青ね。海って美しいわ」
多少気分が回復したアストリアも、トゥーレとケィティを伴って浜へやって来る。
「健康に良いなら、私も入って・・・・」
ソワソワしだしたアストリアに、3人の大声が飛んだ。
「ダメですっ!」
さっき漸く水が喉を通って、水分補給が出来たばかりのアストリアなのだ。真っ青だった顔色は何とか元に戻ったが、絶食のせいで頬が削げている。
「今日はここで、眺めるだけにしてください」
トゥーレは、波打ち際近く借り物のゴザを敷いて厳しめに言う。
「はぁい・・・」
渋々返事をして、アストリアは大人しくそこに座った。
ジェラルディーナとサリオスは波と戯れ、やがて抜き手を切って泳ぎ始める。その愛馬たちも、上手に泳ぎ始めた。
・・・・一頭を除き。
ヴェルトライゼンテはスイスイと流れるように泳ぎ、フォルテヴェローチェはグイグイと力強く波を立てて進む。どちらも軍馬として、泳ぐ訓練を受けていた。
驚いたのは荷役馬と乗馬用の馬である、カスターニョとブチだった。どちらも体が浮くのが面白いようで、ぷかぷかと暢気そうに海に浮かんでいる。
けれど、マイネレーツェルだけが・・・
ガボッ・・・バシャバシャッ! ゴボガボバシャバシャッ!・・ガボン、ゴボン・・・
馬にも金槌がいるのかもしれない。
マイネレーツェルは、何とか頭だけは海面から出てはいるものの、どう見ても泳ぐというより溺れている状態だった。
「レーツェルっ!」
アストリアは思わず立ち上がって、愛馬の名を呼ぶ。
マイネレーツェルは、必死に足が立つところまで来たが、そのままヨロヨロと海から上がり、波打ち際にドテッとへたり込んだ。
目が死んでいる。
ゼェゼェと息をつく愛馬に駆け寄ったアストリアは、労わるように首を撫でながらそっと頭を抱いた。
「レーツェル・・・泳ぐの苦手なのね。私も海は苦手だから・・・誰にだって、苦手はあるわよね」
そしてアストリアは、遠い眼を青い海に投げて呟く。
「海は、こんなに綺麗なのにね・・・」
「ブヒンッ・・・」
するとマイネレーツェルは、再び立ち上がった。
そして主から離れて胴震いをすると、また海に入ってゆく。負けん気の強さは、超一流なのだ。
「レーツェル・・・・そうね、苦手なんて言ってられないわ」
船酔いも、いつか慣れると船長も言っていた。
「辛いことも、嫌なことも・・・苦手なことも。船酔いだって、大事な思い出の1つ。私にとっては、本当に大切なもの・・・」
アストリアは、スッと立ち上がって愛馬の奮闘ぶりを見つめる。
その足元を、波が洗うように打ち寄せていた。




