5 楽しい旅を始めようじゃないか
アストリアが細工師の家の玄関を出ると、待っていたマイネレーツェルがトコトコと近づいてくる。
主が外出だと気づいて、自分も行くと決めたのだろう。
「ああ、ごめんねレーツェル。ちょっと買い物に行くだけだし、重い物じゃ無いから待ってて」
馬連れの買い物はちょっと面倒なので、愛馬にそう告げるアストリアだ。
すると傍に来たヴェルトライゼンテが、マイネレーツェルの手綱をパクリと咥えた。主の命に従え、という事なのだろう。
如何にも嫌そうに振りほどこうとする鹿毛の馬に、我儘を許すのは良くないとは思うが、悲しそうな眼を見てしまうと無下にも出きないアストリアである。
「仕方が無いわね。まぁ経験を積むのは悪くないし、勝手な行動をしないと約束するなら、連れて行ってあげる。今日だけよ。ライゼ、ありがとね。兄さんはまだ来ないけど、のんびり待ってて」
黒鹿毛の馬にそう告げて、アストリアはマイネレーツェルの轡を取って歩き始めた。
細工師から教えて貰った商店街で、目当ての店は直ぐに見つかる。
「ここで塩とか調味料を買って来るから、いい子で待っててね」
アストリアは、マイネレーツェルの額にある『?』の形の流星を優しく撫でて、店の中に入って行った。
塩の小瓶と幾つかのハーブの小袋を買い、支払いを済ませた時、店の外から悲鳴のような声が聞こえた。
「ウガッ!なっ、何だ、この馬っ!」
アストリアは、愛馬の名を呼びながら店を飛び出した。
店の外には、地面に転がる人相の悪い男と、それを抱き起す中年女性がいる。
「アンタ、大丈夫かい!」
「うう・・・クソ・・・いきなり蹴りやがって」
「暴れ馬なら、人を呼ぼうか?」
そんな会話を聞きながら、アストリアはマイネレーツェルの傍に寄る。
「大丈夫?レーツェル、怪我は無い?」
その様子を見たオバサンは、ハッと気づいた。
「・・・っつう事は、アンタ、馬泥棒じゃないかっ!」
オバサンの一喝に、マイネレーツェルを盗もうとしたらしいチンピラは、すっ飛び上がって逃げ出した。鉱山村のオバサンは、気迫も腕っぷしも相当である。
その後ろ姿を見ながら、アストリアは愛馬に向かって呟く。
「馬泥棒対策、ライゼから教わったの?ちゃんと、手加減したのね。偉いわ」
逃げ出すことが出来る程度には、多少優しく蹴り上げたのだろう。馬が本気で蹴れば、数メートルは吹っ飛ばされて、下手すればあの世逝きである。
「それでも、肋骨の1本くらいは折れているんだろうな。御気の毒に」
悪事の罰が当たったのなら、それも当然だろうと思うので、アストリアは心にもない言葉を送るだけに留めた。
一方サリオスの方は、2時間後には目的を達して、細工師との金銭の受け渡しも終えていた。
「・・・それにしても、遅いな・・・」
指でテーブルをコツコツと叩きながら、窓の外に視線を投げるサリオスに、若い細工師は微笑みながら話しかける。
「もうぼちぼち、お戻りになるでしょう。お兄さんも、気苦労が絶えませんね。あれほど魅力的な妹さんだと」
「む・・・・」
サリオスはムッとした表情になる。妹を褒められるのは嬉しいが、目の前の相手が妹に気があるなら別だ。
けれど細工師は、そんなサリオスの気持ちを直ぐに察した。
「ああ、変な意味じゃ無いから安心してイイですよ。褒めただけです」
にこやかにサラリと言った言葉に、とりあえずホッとする兄だ。
丁度そこに、アストリアが帰って来た。
「ただいま。もう終わった?」
「ああ、お帰り。無事で良かった。こっちも終わったよ」
厳密に言えば、馬泥棒をされかけたのだが、被害は無かったのだから報告することも無いだろう。アストリアはそう考えて、長閑な顔で頷くに留める。
「磨き方を教わって、携帯用の砥石も予備の物をひと揃い売って貰ったんだ。旅の間、暇な時に少しずつ磨こうと思ってね。今は、ここまでしか磨けていないが」
サリオスが差し出した石は、鶏の卵くらいの大きさで、白から焦げ茶色へとグラデーションのように層が出来ている。まだ表面はザラザラだし、形も歪で色もぼんやりしているが、きっと美しい貴石になるのではないかと思える。
「うん、凄く綺麗。暇な時に少しずつなら、結構時間がかかりそうだけど、それもイイわよね」
アストリアは、買ってきた品をテーブルに置いて、石をしげしげと見ながら言った。
「ん?何を買って来たんだ?」
「え?お塩と調味料を少しだけど?」
「いや、テーブルに立てかけた、それだ」
サリオスが指さしたそれを、アストリアは掲げて見せた。
「丁度手頃な物を見つけたから、買っちゃった。あったら便利だと思って」
それは、足の長さ程度の、いわゆるロッドという武器だ。スタッフ程長くなく、ワンドよりも長い。
簡素で軽そうな感じだが、サリオスは頭を傾げた。
「武器なんて、使えないだろう?」
「うん、でも道具としても便利かなって。高い所の木の実を落としたり・・・何かを追い払うくらいは出来そうだし。拾った棒切れだと、直ぐに折れちゃうでしょ」
ニコニコと言う妹に、何だかドンドン彼女が公爵令嬢から離れてゆくと、額に手を当てる兄である。
「今までは使った事無いけど、そのうち慣れると思う」
サラリと言ってのけるアストリアに、サリオスは呟くように答えた。
「誰かが傍にいる時は、振り回さないでくれよ・・・」
そんな兄妹の様子を眺めていた細工師は、最後に言った。
「磨き方とかで、また何か解らないことがあったら、手紙を寄越すか直接来てください。タヤス村のバーグで届きますから。差出人は、『妹激ラブの兄』でも、短く『シスコン』だけでも解りますんで」
最後に、とんでもない言葉を言い放った細工師だ。訳ありなのだろうとは思ったが、最初から最後まで、彼らが名乗らなかったことに対するちょっとした意趣返しなのかもしれない。
けれどそれを聞いたアストリアが、思い切り噴出したので、サリオスは憮然と頷くことしか出来なかった。
その晩は、村の宿屋に泊まることにする。
ごく一般的な簡素な宿だったが、アストリアは大層気に入ったようで、いかにも楽しそうにしていた。
「如何にも宿屋っていう感じで、素敵」
部屋に向かう途中でも、辺りを見回してウキウキする妹に、サリオスは苦笑いで言う。
「屋敷のベッドとは違うぞ。期待値を上げない方がいい」
「解ってる。昨日までは、草の上に寝てたんだから、寝心地なんて気にしないわ」
ほわほわニコニコと答えるアストリアに、兄はそう言えば、と思い出した。
初めての野宿でも、薄い毛布に包まった妹は、朝まで安眠していた。火の番をしていたサリオスは、安心しながらその寝顔を見守っていたのだ。
(楽と言えば楽だけど、アストリアは本当にメンタルが強いんだな)
見た目や言動は、おっとり大人しい印象だが、精神はタフで頑丈だ。
(もしかしたら、こっちが素のアストリアかもしれないな。そうすると、今までずっと我慢してきたという事か)
親の言いつけを守る、いや適当に受け入れて、上手く流していたのだろう。
だから今、公爵令嬢の殻を破って旅をしているアストリアが、本当の彼女なのだ。
だったら、自分も。
部屋の中に入り窓を大きく開けたサリオスは、心の中で決意する。
(自分も変わろう。この旅を、とことん楽しもう。公爵家の跡取り息子と言う立場なんか、邪魔なだけだ)
そして彼は、自分の服に手を当てて、小さく呟いた。
「先ずは、着ているものから替えるか。旅を安全に進めるためにも、しっかりと装備を整えるべきだ」
今は、いかにも貴族の子弟の、物見遊山的な旅装束だ。けれどこの先、自分で稼ぎながら旅をするのなら、戦えるような装備を整えた方が良い。
「石拾いが、随分と金になったしな」
親から与えられた路銀ではなく、自分たちで稼いだ金がある。それを使う事は、何だか心が浮き立つように感じるサリオスだ。
「何か言った、兄さん?」
ベッドの上にちょこんと座ったアストリアが、小首を傾げて声を掛ける。
「いや、何でもない。これからもっと、旅を楽しもうと思っただけだ」
妹の眼が更に細まり、奥に煌めく緑の瞳が見えたような気がした。




