3-9 バレット古戦場の幽霊
「見事に何も無いところだなぁ~~」
そんな言葉を呟いたサリオスだが、こういう風景を見るのも悪くないと思っている。
これも世界の一部なのだから。
緩い起伏のある荒野には、風化しかけた石碑がポツンと立っているだけだ。
トゥーレは、その石碑に近づくと、指先で碑文をなぞりながら言った。
「古代文字のようですね。先住民族の、かなり大きな戦があったみたいです。現在のエポカドーロ国は、渡来民族が興した国ですから、この古戦場はそれ以前のものでしょう」
エポカドーロ国の歴史は浅い。
建国してまだ数百年程度しか経っていないが、古戦場で起きた戦はその少し前だったようだ。先住民族間の激しい戦で衰えていた国力では、渡来してきたエポカドーロ人たちには抗えなったのだろう。
風も無いうら寂しい古戦場で、歴史の流れをひと時味わっていた一行だが、その時、全員の頭の中に声が聞こえた。
〔・・・ケハイ・・・ダイジナ・・・ナンダ?・・・]
「えっ!」
声を上げたのは、アストリアだった。
これは霊の声なのだと、直ぐに解った。
〔・・・キオクモ、フウカシテ・・・ダガ、ソウ・・・ナマエ・・・]
まさかとは思ったが、アストリアは思わず口に出す。
「その名前・・・イチル?」
その瞬間、石碑から少し離れた場所の岩の間から、もやっと煙のようなものが滲み出て来た。
「また幽霊かっ!」
ジェラルディーナが反射的に双剣の柄に手を掛けるが、アストリアはそれを留めた。
「ジェラルディーナ、兄さんも、少しこの場を離れて。ヤーコも、離れて」
きっぱりとした口調に、戦士の2人は後退して距離を取る。馬たちを下がらせ、けれど注意だけは怠らず、静かに幽霊を見つめた。ヤーコも不本意そうではあったが、黙ってサリオスの肩に飛び乗った。
アストリアとトゥーレは、その場にとどまって、少しずつ形作る靄のような霊体に対峙する。
〔・・・イチル・・・ソウダ、イチル!・・・イチルのケハイ・・・ドコダ?]
薄黄色の靄は、古そうな衣服に身を包んだ1人の男性の姿を取る。
けれど輪郭は淡く、ぼんやりと透けている姿は、完全に幽霊のそれだ。
「イチルの気配?・・・ずっと私の中にいたから、残り香のようなものがまだあるのかしら?」
アストリアが呟くと、トゥーレは頷きながら、彼女を庇うようにその斜め前に立った。
戦士では無くても、大切なものを護ることはできるのだ。何かあった時には、その盾になるくらいのことは出来る。
〔イチル・・・イチルガイタノカ?]
どうやらこの幽霊が、イチルの夫、クアンであるらしい。
青い幽霊になったイチルと同じように、この地で地縛霊になっているのだろうか。何百年もの間、この土の中にいたのだろうか。
アストリアは、小さく深呼吸をして、ゆっくりと口を開いた。
「ファヴァルトの町で、イチルに会ったわ。彼女はずっと夫であるクアンを待っている。亡くなった後も、幽霊になって待ってるの。そう、もうあれから長い長い年月が経っているから」
〔・・・イチル・・・ゴメン・・・オレハ、クスリヲトドケラレナカッタ・・・]
どうやらクアンの霊は、イチルの時よりもしっかりと自我を保っているらしい。
この古戦場と言う土地が、それを助けたのかもしれない。無念の霊魂は他にも、きっともっと沢山彷徨っていたのだろうから。
「貴方も、ここから離れることは出来ないのですか?」
トゥーレも、アストリアに倣って、静かにゆっくりと話しかける。
〔デキナイ・・・ナンドモタメシタガ、デキナカッタ・・・]
それを聞いたトゥーレは、暫し考えてから、驚くような事を口にする。
「私に憑依してみては、いかがでしょう?」
「えぇぇっ!トゥ、トゥーレさん・・・」
流石に制止しようとするアストリアに、彼はにっこりと笑って答えた。
「大丈夫ですよ、きっと」
そして再びクアンの霊に告げる。
「私なら、同じ部分が多いのではないかと思います。戦士ではありませんし、性別も年恰好も近いのではないでしょうか。イチルさんの場合も、アストリア様に同じ部分があったから、憑依できたのではないかと思うのです」
トゥーレは、それ以外にも同じ部分があるのではないかと思っていた。そして更に
(愛する人へ、届かない想い・・・その点に関しては、同じだと思う。立場の違いはあるとしても)
とも・・・
イチルとアストリアの場合も、おそらくだが、見かけが似ているというだけでは無かったのだろうと思っているトゥーレだ。何か他にも、同じものがあったのだろうと。
クアンの霊は、ふわふわと近寄ってきて、トゥーレの様子を観察していたが、最後に確認するように言った。
〔・・・イイノカ?]
「はい、どうぞ」
次の瞬間、黄色の霊体はトゥーレの身体の中にスゥっと入った。
〔ああ、身体だ。これで、行かれる!]
爆発するような歓喜の声に、間髪入れずにアストリアが叫ぶ。
「ヤーコ、来てっ!」
灰色のヨウムが、バサバサと翼の音を立てて、トゥーレの肩に飛び乗って鳴いた。
〈ギャ、ギャ、ギャ!〉
彼の身体を覆っていた黄色い光が、吸い込まれるように消えた。
「・・・ふう、ありがとうございます、アストリア様」
トゥーレが、ホッとしたように口を開いた。
「これでクアンを、私の意思で連れて行けます。勝手で申し訳ないのですが、私はファヴァルトの町へ一度戻ります。皆さんは、どうぞ先へ進んでいて下さい。後から、出来るだけ早く追いつきますので」
トゥーレはそう言うが、この状態の彼を独りで行かせるのは不安が大きい。サリオスが代表して、一緒に行こうかと言うが、トゥーレはそれを固辞した。
「今は、ご老公の心残りを晴らすという目的がある旅です。クアンを憑依させたのは私の独断ですし、先へ進んでいて下さい」
きっぱりとそう言うトゥーレは、独りで行ってくると決めているようだ。
するとアストリアが、そっと近づいて来て、小声で囁く。
「私だけなら、一緒に行っていい?憑依されると、物凄く体力を奪われるの。その看病とかなら、出来るから」
トゥーレは、優しく微笑みながら答えた。
「アストリア様、ありがとうございます。けれど、執事見習いの体力を侮らないで下さいませ」
確かに、執事見習いの生活は過酷だ。朝は夜明け前から起きて、使用人としての仕事を行いそれを全て身につける。夜は真夜中過ぎまで起きていて、時には屋敷の見回りも行った。トゥーレは少年の頃からずっと、そんな生活を続けながら、執事として必要な勉強もこなしていたのだ。
更に、トゥーレは続けた。
「アストリア様が、イチルさんの事を気に掛けていらっしゃるのは重々承知しております。ですがまだ、病み上がりでもございます。ここはどうぞ、お任せくださいませ。戻りましたら、しっかりご報告させていただきますので」
そしてアストリアの耳元で、こっそりと囁いた。
「サリオス様の、御心労も心配ですから」
大切な妹が、幾ら仲間だとは言え、自分と2人きりになるのは許せないだろうと推察するトゥーレだ。
そこまで言われては、彼の申し出に否やは言えない仲間たちである。
サリオスは、解ったと頷きながら、愛馬の轡を取った。
「では、ライゼに乗っていけ。その方が、格段に速いからな。心配しなくても、しがみ付いているだけで大丈夫さ。落とさないように、と言っておくから」
これも主の命令ならば、とヴェルトライゼンテは大人しくトゥーレの傍に立った。
最速を誇る軍馬の背に身を預け、ヤーコを肩に乗せたトゥーレは、青の町へと戻って行った。




