3-7 解決してはいないけど
バヒヒィィーーン!
マイネレーツェルは、嘶きと共に両方の前脚を高々と上げる。
その下には、ベッドに横たわったアストリアの姿があった。
サリオスとジェラルディーナの覇気、ヤーコとファルコの鋭い威嚇の声。
それらが満ちた空間で、鹿毛の馬の蹄が叩きつけられる。
アストリアの身体を跨ぐように落ちて来る馬の肢だったが、それがベッドに触れる前に、悲鳴のような音が響いた。
ギャァァァーーーー!
そして、ベッドが粉砕される音が続き、馬の前脚で落ち込んだ大穴の中で、布団に埋もれる様な姿のアストリアがいる。
「・・・・・・あ、出ていった・・・」
呆然と呟く彼女の声を聞きながら、仲間たちは窓から飛びだしてゆく、ぼんやりと青い幽霊の姿を見ていた。
どうやら馬や鳥たちの加勢で、イチルの霊を追い出すだけの力が集まったようだ。
マイネレーツェルが、そうっと前脚を引くと、サリオスとトゥーレがアストリアの身体をベッドから助け出す。
けれど、霊が離れた衝撃に消耗した身体が耐えられなかったらしく、アストリアは意識を手放してぐったりとしていた。
別室に移されたアストリアは、深い眠りの中にいた。
マイネレーツェルは、擦り傷だらけの身体に手当てをしてもらい、廊下まで来ていたヴェルトライゼンテやフォルテヴェローチェと一緒に、中庭に戻される。フェローに、ご褒美の御馳走をたっぷりと貰ったのは言うまでもない。
そしてジェラルディーナは、ヴェール老公にこれまでの顛末を漸く話せるようになる。
心配をさせたくないという気持ちから、アストリアが憑依されたことは、一切伝えていなかったのだ。
けれど、ベッドと扉2枚を破壊してしまったわけだし、その謝罪も含めてきちんと話しておこうと思ったジェラルディーナなのである。
「・・・・と、言う事がありまして、ドアを2枚とベッドを1台破壊してしまいました。今、仲間たちが修繕していますが、本当に申し訳ありません」
深々と頭を下げるジェラルディーナに、ベッドの老人は笑って答える。
「いやいや、扉や寝台はどうでも良い。それよりアストリア嬢は、大変だったな。身体の方は、大丈夫なのかな?」
「疲労が激しいようで、しばらくは療養することになると思います。ようやくサリオスが回復したところにこれで、まだしばらく滞在させていただくことになりそうです」
ヴェール老公は、寧ろ嬉しそうに答えた。
「儂は、皆が居てくれるのが本当にありがたいんじゃ。不謹慎じゃが、願ったり叶ったり、というところなので、是非のんびりしていってくれ」
けれど彼の様子は、どこか弱々しく見える。ジェラルディーナは、老公の体調を気遣った。
「・・・お爺様のお身体の方は、いかがなのでしょう?」
老人は、達観したような表情で、穏やかに答えた。
「儂はもう、充分に生きたと思う。人生を思い返せば、ツラく苦しい事もあったが、それと同じくらいの幸せもあったと思うんじゃ。いや、最後にジェラたちと過ごせた楽しさを加えると、幸せな人生だと言えるよ。・・・じゃが・・・もし、心残りがあるとすれば・・・」
「心残り、ですか?」
「ああ、この国の現状じゃな」
エポカドーロ国は、2つの地方に分かれている。バシケーン地方とマグリブ地方だ。
遠い昔、国王に双子が生まれ、どちらも甲乙つけがたく優秀であったため、国を二つに分けて統治させたという歴史がある。
領主王という名称で、2人の王子は共同統治を行った。それ以降も、バシケーン領とマグリブ領は、領主王同士の話し合いでそれなりに上手くやってきていた。
けれど先代辺りから、その関係が怪しくなっている。
「儂は、両者の関係を悪化させないよう、精一杯頑張ってきたんじゃ。危ういながらも、何とか戦にはならずに話し合いで何とかしてきた。じゃが、引退してここに来てからは・・・儂の後任が、へまばかりやっているようでな。たまに都から手紙が届くが、一触即発の状態と言っても過言ではないらしい」
バシケーン地方とマグリブ地方の間には山脈があるが、幾つもの街道が通っている。山脈を挟んで、バシケーンは荒野、マグリブは砂漠という地形になっているが、山から流れてくる水が、どちらにとっても貴重な存在なのだ。
老公が現役の頃は、小規模な水争いなどを、話し合いと妥協策で何とかしてきたのである。
デヴィアス・ヴェール老公は、やがてフッと苦笑を浮かべて言った。
「すまんな、つい愚痴が漏れてしまったわい。ジェラに言っても、困らせるだけじゃな。年寄りの愚痴は、聞き流しておくれ。・・・さて、儂は少し午睡でもしようかの。些細な事で、疲れてしまうのでな」
老人は、皺だらけの手を差し伸べて、微笑んで見せた。
ジェラルディーナは、その手をしっかり握り返す。
「では、また明日、参ります、お爺様」
彼女は、子供の頃のような素直な笑みを浮かべてそう答えた。
数時間後、アストリアは目覚めた。
ぼんやりと辺りを見回す彼女に、付き添っていたケィティが声を掛ける。
「アストリア様、ご気分はいかがですか?」
「・・あぁ、ケィティ・・・う~~ん、身体に力が入らないっていうか・・・怠さが酷い・・・」
顔色は悪いままだし、声にも力が無い。
「何か、喉越しが良くて消化の良いものを、お持ちしますね。皆さんにも、お目覚めを伝えてまいります」
ケィティが出てゆくと、ややあって仲間全員が集まってきた。
「・・・本当に、ありがとう。霊を追い払ってくれて」
アストリアが何とか言葉を絞り出すと、皆どういたしましてと笑顔を見せる。
「レーツェルは大丈夫?」
最後に見た愛馬の姿は、血を流していたように思う。眉を顰めて問い掛けるアストリアに、サリオスが答えた。
「ああ、壊れたドアに擦れた傷だが、ちゃんと手を当てをしておいたから。それにしても、マイネレーツェルのお手柄だな。尤も、前脚を振り下ろした時は、流石に肝が冷えたが」
ベッドを壊す程の勢いで叩きつけられた馬の前脚の威力は凄まじく、それが彼女の身体に当たったらと思うと、今でもゾッとするサリオスなのだ。
「絶対に・・・レーツェルは私を傷つけない・・・って解ってるから」
だからアストリアは、あの時声も上げず身動きもしなかった。
大切な主人に害をなすものに対する愛馬の気迫が、最後の一押しを成し遂げたのだ。
最後にトゥーレが、水を差すようで申し訳ありませんが、前置きして言った。
「けれど、これで根本的な解決ができたわけではありませんね。イチルの霊は、多分墓標のところへ戻っただけでしょう。しばらくは出てこないとは思いますが、注意をしておいたほうが良いと思います。ヤーコを、お傍に置いておきましょう。警報器のような役に立つはずです」
アストリアが回復して、ここを出発するまでは、警戒を怠らないと決意する仲間たちだった。




