2-13 聖女騒動が落ち着いたと思ったら
プレジール公爵夫人とグレイス子爵令嬢は、囁き交わした。
「鳥や馬とも話が通じるなんて、アストリア様はやっぱり特別なお力をお持ちなのです」
「ヴィクトリア様が仰る通り、聖女様なんですね・・・」
その会話は、アストリアの耳にも聞こえてしまった。
(え~~~、これってマズくない?この状況で、誤解ですって説得するのは大変そう・・・)
見れば彼女体の後ろには、子爵夫妻も来ている。
(人数、増えちゃったし・・・だったらいっそ、誤解を解くより口止めの方が良いかも)
そんなことを考えていると、マイネレーツェルがサリオスを連れて戻って来る。
妹に何かあったかと慌ててやって来た兄だが、単に同席を求められているだけだと解りホッとした。
サリオスが挨拶を終えると、アストリアは徐に口を開く。
「皆様に、内々でお願いがございます。申し訳ございませんが、あちらへ」
彼女は狩りの喧騒から離れた場所に、公爵夫人と子爵家の3人をいざなった。
「私たちが旅をしているのは、ご存じだと思います。詳しい事情は明かせませんが、それは秘密の旅なのです。兄と私を探して追って来る者も多いのです」
笑みを消した表情に、微かな辛さを浮かばせて、アストリアは話し出した。
サリオスは、心の中だけで、こっそりと思う。
(誤解を解くんじゃないのか?・・・まぁ、全くの嘘では無いのだが。誇張はあるけど)
「今はまだ、ここエリンコート王国に私たちがいることは知られていません。けれど・・・『聖女』の噂が広がると、どうなるか解らないのです」
秘密の旅の内容や目的は言わないが、それでも彼らは軽く頷いてくれた。
特に公爵夫人は、彼女の話を脳内で物語風に解釈していた。
(きっと聖女様の御力を狙う陰謀があって、それから逃げるために国を離れたのでございましょう。なんてお労しいこと・・・)
「ですので、どうか『聖女』の噂が広がらない様にしていただきたいのです。ヴィクトリア様には、あのことは私たちだけの秘密としていただいて、周囲には勘違いだったと言っていただけるとありがたいのです。子爵家の皆さまも、どうか胸の内にしまっておいていただけると助かります。どうぞ、お願いいたします」
そしてアストリアは、優雅に頭を下げた。
公爵夫人は、猛烈に感動していた。
(聖女様が・・・私たちだけの秘密と仰ってくださった!あの癒しの御力は、私だけに与えられたもの)
そして彼女は、キッと唇を引き締めて答えた。
「解りました。知らぬこととは言え、貴女様をお探ししようと騒ぎ立ててしまったことを、悔やんでおります。せめて今後は、噂を消すことに努めますわ」
アストリアは嬉しそうに微笑むと、ポケットから緑の模様の布を取りだした。
異国風ドレスを作った時の余り布で、勿体ないからとハンカチ代わりに持っていたものだ。
「ヴィクトリア様、これを私たちの信頼の証としてお渡しいたします」
名前を呼んでもらい、持ち物を貰ったことで、公爵夫人は歓喜の絶頂を味わっていた。
そうして少しずつ、聖女の噂は消えて行った。
公爵夫人と子爵家の人々は、きちんと頼みを聞いてくれたようだ。
けれどプレジール公爵家では、妙な状態になっていた。
夫人はあれほど聖女の話を口にしていたのに、ピタリと話を止め、あれは自分の勘違いだったと言うようになった。けれどそれに、内心眉を顰めたのが公爵だったのだ。
(聖女、聖女と狂信的な言動をしていた時は、いい機会だと思っていたのだが・・・)
プレジール公爵には、何人もの妾や愛人が居た。その中で、特に気に入っている若く美しい女性と、再婚したいと思っている。それには先ず、今の妻と離婚しなければならない、と。
たまに起こすヒステリーだけでは、離縁する理由としては少し弱いと思っていた矢先、夫人が聖女信者のような言動をとるようになった。
(狂信的な振る舞いを誇張して、精神的におかしくなったという理由にして、国に帰せるかと思ったのだが・・・)
公爵は、愛人の1人である夫人の侍女に命じて、その後の様子を探らせてみた。
「奥方様は、小さな祭壇のような物をお作りになられて、小さな布を掛けた台座に向かって、毎日お祈りをされております」
そんな報告を受けても、それではダメだと思うしかない。
(独りで黙って、こっそり聖女を信仰しているのでは、離縁を申し渡すことも出来ないではないか)
プレジール公爵は、無い知恵を絞って考えた。
(聖女・・・聖女か・・・これが、悪魔だったのなら離婚できるのに。だが・・・そう言えば、そもそもその異国の公女は、どんな女なんだ?)
とりあえず先ずは、それを調べてみようと思い立った公爵だった。
聖女の噂は、都の街中にまでは広まっていなかった事もあり、仲間たちはいつも通りの生活に戻っていた。借りている屋敷に訪問者が来ることも無く、たまにグレイスやヴィクトリアから手紙が届く程度だ。その手紙も、他愛ない内容のものでしかない。
ただエリンコート王国の冬は、一番寒い時期を迎えていた。
都の街路も雪が積もり、露天商や屋台も殆ど出なくなる。商店は日中の短時間だけ店を開け、人々は目当ての買い物を済ませると、そそくさと帰ってゆく。
人も馬車も数を減らした街中は、ただ静かに春を待っていた。
そんな状況で、屋敷の仲間たちも外に出るのが最小限になっている。
天気や気温を見て買い出しに出るのだが、そんな日は数日おきに一度くらいなので、買い物の量は当然多くなる。フェローの馬、カスターニョと仲間全員が協力してそれにあたっていた。
ジェラルディーナは暇を持て余し、仕方なくサリオスやフェローを相手に鍛錬をするが、やはり物足りない様だ。
「街中の道場も、閉めているところが多いし、そうでなくても近頃は、門を叩くと居留守を使われたりしてな。少し前は、門前で金を渡されて『これでどうか、御勘弁ください』とまで言われたぞ」
どうやら街中の道場は、完全にジェラルディーナを道場破りと認定したらしい。
どうせなら目一杯稽古したいと思うあまり、道場にいた全ての相手をコテンパンにしたようである。
悪気は全く無かったのだが。
そんなある日、事件が起きた。
買い忘れた香辛料を、ひとっ走りと買いに出たアストリアが、行方不明になったのである。




