2-6 ジェラルディーナの婚約者
「なかなか居心地が良さそうな、住まいじゃないか」
豪華では無いが、掃除が行き届いた室内を見て、ライがそう言った時、お茶の用意をしたトゥーレが入って来る。
手際よく置かれたティーカップのお茶と、香ばしく焼かれたナッツ入りのクッキー。
それらの味に、ライは少なからず驚いていた。
トゥーレが下がった後、ライはジェラルディーナに尋ねる。
「あの執事は、君が雇っているのかい? それにこの屋敷は、そもそも誰のものなんだ?」
2人きりになり、しばらくは誰も入ってこないと解ると、ライは砕けた口調になった。
「この屋敷は、仲間が借りた物で、元々空き家だったんだ。彼も仲間の1人で、失業中の執事見習いだ」
ジェラルディーナはそう答え、アストリアと出会ってからの事を、簡単に話す。
「アストリアは怪我で療養中だし、兄のサリオスも出かけているから、今は会えないが・・・ゆっくりしていけるのか?」
夕方以降までここに居られるのなら、紹介も出来るが、と言うジェラルディーナに、ライは静かに頭を横に振った。
「いや、残念だが直ぐにお暇する。実はモンテファスト公国に行く用事があってな、それを済ませる前に先にこっちに来たんだ。供の物を、宿に待たせている」
用事と言うのは国王からの依頼で、ジェラルディーナの直ぐ上の兄の縁談に関することだった。複数いる候補者の下調べ、と言うところで左程急ぐものではない。ゆるゆると旅支度をしていたところに、ファルコが知らせを持って来た、と言うわけだ。
「何だ、そう言う事か。随分早くやって来たなと思っていたが・・・そうか、兄上の縁談か。そう言えば、レジネッタの方はどうだ?何か変わったことはあるか?」
知らせを貰ってすっ飛んできたわけでは無いと言うことが解り、何故か少し残念になるジェラルディーナだが、顔には出さない。
そんな彼女の心中を察してしまうライだが、気づかないふりで話を進めた。
「そうだな、特には無いが・・・強いて言えば、将軍が王宮内で媚びを売ってるくらいだろうか」
「将軍・・・ジュエラー男爵だな」
「ああ、そうだ。だが社交術が下手糞で、笑いを買っているぞ」
何と言うことは無い内輪話だが、王宮内でどうのこうのと言う話は、ちょっとここでは拙いだろうと思う。
「では、そろそろ帰るとしようかな。元気でやっているのも解ったことだし、そろそろ纏まった雪が降ると聞いているしな」
ライは懐から金貨が入った袋を出してテーブルに置くと、静かに立ち上がった。
「追加の資金だ。ファルコはまた預けてゆくから、時々は連絡を貰えると嬉しい」
ニコリともせずに言うライは、見事に心の中を隠している。
そんな彼の心中など知らないジェラルディーナは、サラリと答えた。
「ああ、気が向いたら、そうする」
そして立ち上がった彼女は、トゥーレを呼んで、客人の帰りを告げた。
けれどライは、マントと帽子を持って来たトゥーレに、こっそりと耳打ちをした。
「私はジェラルディーナの婚約者だ。そのことを、旅のお仲間たちに伝えて置いてくれ」
身分は隠せと言われたが、婚約者であることを隠せとは言われていない。
牽制のような意味だが、ジェラルディーナにそう言う相手がいることは、知っておいて貰いたいと思ったライである。
「はい、かしこまりました」
トゥーレは、平然と彼の言葉を受け取った。
ジェラルディーナが、相当に身分が高い女性だという事は解っていたので、そう言う相手がいるのは当然だと思う。
そしてそれを旅仲間に周知させるのは、それを踏まえて行動せよという事なのだ。
ライ・カルストンを見送った後、夕食の時にでも、皆に伝えようと思っていた。
そして夕方、外出していたサリオスとフェローが、山の様に積み上がった本を抱えて帰って来た。
ベッドで安静を余儀なくされているアストリアが、退屈でたまらないと兄に訴えたからである。
本屋でサリオスは、店主にこう聞いた。
「読んでいて眠くなるような本を選んでくれ」と。
店主は、このお客は不眠症なのかな、と思いながらも出来るだけ難しそうで、挿絵も無いような専門書の類を選んで寄越した。
政治、経済、哲学、数学など、読むと眠くなる人が多そうな書物である。
けれどアストリアは、天井の模様や壁の染みを数えて過ごすよりは、よっぽど面白いと言って喜んだ。
夕食の時間になると、皆と一緒の方が沢山食べれると主張するアストリアに負けて、サリオスは妹を抱き上げてダイニングルームへ向かった。
久しぶりに全員揃っての食事に、皆喜んでテーブルに付く。
豊富な食材を得て張り切ったケィテイの料理が、ずらりと並んだ。
腹に野菜と穀物を詰め込んだ鳥の丸焼き、ハーブを利かせた白身の魚のソテー、ジャガイモや根菜類がたっぷり入ったスープに、パンは3種類。他にもサラダやピクルス、ハムやソーセージが乗った皿もある。
トゥーレやフェロー、そしてケィテイも一緒に、身分など関係なく一緒に食べる食事が楽しくて美味しい。
たとえ屋敷の中であっても、この習慣は変わらないメンバーなのだ。
そしてデザートの時間になり、ケイティが出して来た、冬リンゴを使ったホットプディングを前にした時、トゥーレが徐に口を開いた。
「昼間にジェラルディーナ様のお客様がいらっしゃいまして、皆さまに伝言をお預かりいたしました。ライ・カルストン様と仰るお方なのですが、自分はジェラルディーナ様の婚約者であり、それを皆に伝えて欲しいと頼まれまして」
「はぁぁっ!」
素っ頓狂な声を上げたのは、ジェラルディーナだった。
「あっ、あっ、あんの野郎! バラして帰るなんて、何考えてるんだっ!」
顔全体が真っ赤になっているのは、羞恥か怒りか。
けれどアストリアは、呆気に取られる兄やケィテイを無視して、のほほんと言った。
「婚約者が居たって、ジェラルディーナに変わりは無いんだから、別に良いじゃない?兄さんや私にだって、子供の頃はいたんだし。そんなに珍しいことでもないけど・・・あ、でもいきなり旅先に出現するのは、結構珍しいのかなぁ~~」
「あ、いや・・・旅の資金を、仕事のついでに届けて来ただけなのだが」
アストリアの言葉に毒気をが抜けたジェラルディーナは、少し落ち着いて答える。
「そっか・・・でも、こっそりでもイイから、見たかったなぁ。教えに来てくれたら良かったのに」
思い切り残念そうに言うアストリアに、サリオスは心の中で呟いた。
(グッジョブだぞ、ケィテイ)
安静を命じられている妹が、好奇心だけでフラフラとベッドから出てゆく姿を想像してしまった兄である。
結局アストリアは、ケィテイやトゥーレ、そしてジェラルディーナに話を聞いて、想像の中で楽しむこととなった。
そして数日後、エリンホルムに大雪が降る。
雪と氷に囲まれた、冬の都の生活が始まった。




