2 親の負債から、さっさと逃げる
ノイエルング公爵家は、ゲルチュタール王国の中でも一二を争うほど古い歴史を持つ。
遠い昔に何度も功績を上げ、その名を知る人も多い。
けれど現ノイエルング公爵は、凡庸な人物だった。それが、アストリアとサリオスの父である。
政争に敗れ、政敵から陥れられた公爵は、それにより領地換えの憂き目にあった。狭く痩せた土地と、村が1つだけの領地。それが現在のノイエルング公爵領である。爵位をそのままにして貰えたのは、温情だったのだろう。
領地経営や統治の才能、更には社交術でさえもろくに無い公爵だが、プライドだけは無駄に高く、現状を打破したいという意欲ばかりが高まっていた。
そして新しい領地に移動して直ぐに、彼なりに考えて行動を起こそうとする。けれど国内には、味方になってくれそうな貴族はいない。持ち出した財産があるとは言え、収益が上がらない領地では国王に納める税にも、これからは事欠きそうだ。
一方、両親と一緒に新しい領地へ来たアストリアとサリオスは、何度も話し合っていた。
「この先、どうなるのか・・・」
富や地位にはあまり興味が無いサリオスだが、やはり表情は暗くなる。
そんな彼に、妹は暫し考えてから、のんびりと口を開いた。
「これ、チャンスかもしれませんわ、兄上様・・・」
妹の提案に驚きながらも、サリオスは、彼女の告げた策を実行することにした。
不機嫌そうな公爵の前に立ち、サリオスは生真面目な表情で口を開いた、
「父上、私を旅に出してください。父上が表立って自ら行動を起こすのは難しいと思いますが、私なら比較的自由に動けます。国内にも、援助や支援をしてくれる人物が、まだいるかもしれませんし、国外なら可能性も高そうに思います。親交を結べそうな相手を、探しに行かせてください」
目立たぬように、共も連れずに行くという息子に、公爵は難色を示した。けれど、確かにその方が路銀は安く済むし、支援者は喉から手が出るほど欲しいのも事実なのだ。
貴族の子弟の割には世慣れている息子に、最後は父親も承諾してくれた。
サリオスが旅の準備をしていると、アストリアは手伝うと言って傍に来る。
そして事も無げに、自分もこっそり抜け出して同行すると言ってのけた。
「もう既に、幾つか縁組相手が見つかっているのです。裕福な金貸しとか豪商とか、下級貴族とか。家名を売るような縁談は、正妻では無く妾に、と言う物もございます」
世間話でもするように、他人事のように話すアストリアだが、サリオスは唇を噛んだ。
自分が旅に出てしまえば、大切な妹が不幸になる。
貴族の娘は家のために結婚をする、と言うのは当たり前だが、現状での縁組は悪く言えば、どれだけ高く娘を売れるかという目的があからさまだ。
どうやらこの大人しい妹は、それを見越して自分に旅を提案をしたようだ。けれど、それをどうこう言うつもりなど無い。
親の負債を押し付けられるなど、御免被る。
サリオスは、決意した。
アストリアを、一緒に連れてゆこう、と。
2人は、こっそりと準備をした。
自分の馬を持ち、乗馬にも自信があるという妹の言葉を受け、先にサリオスが家を出て、後からアストリアが屋敷を抜け出して追いつくという計画になる。
そして出立の日、玄関先でサリオスを見送る家族たち。
公爵は、似合わない威厳を精一杯見せて言う。
「連絡を待っておるぞ。路銀が尽きたら、こちらに知らせれば、送るのでな」
節約すればひと月程度はもちそうな額の金貨を渡すが、あまり多く持って旅をしても危ないだろうという親心か。それに足りなくなったら連絡がくるのなら、息子がどこにいるかも解るという思惑もあるのだろう。
「身体には、充分お気をつけなさい。軽はずみな行動は慎んで、危険なことはなさらないように。貴方は、跡取りなのですからね」
母親らしい言葉の公爵夫人だが、悲しそうにも寂しそうにも見えない。良くも悪くも、高位貴族の奥方なのだろう。
そんな両親から、1歩下がって立つアストリアは、口元にハンカチを当てて俯いている。
「兄上様・・・ご無事をお祈り申し上げます」
呟くような小さな声に、夫人が言葉を挟んだ。
「サリオスが帰る前に嫁ぐでしょうから、この先いつ会えるか解りませんよ。ちゃんとご挨拶なさい」
けれどアストリアは、深々と頭を下げて、逃げるように中に入った。
「しかたがない娘ですこと。仲の良い兄に、きちんと別れの挨拶も出来ないのですから」
娘の後姿を眺めながら、呆れたように言う母親だ。
けれど父親の方は、物分かりが良い風を装って、妻に言う。
「まあ、良いではないか。部屋で泣いているだろうから、しばらく放っておくが良い」
そんな両親に、サリオスは礼儀正しく別れの言葉を述べ、愛馬に跨って館の門を出る。
嬉しさに膨らむ心を、悟られないように。
村はずれまでゆっくりと馬を進め、枯れかけた大木の梢の下で待っていると、やがて館の方から馬影が近づいて来た。マイネレーツェルに跨ったアストリアだ。
ゆったりとした白いシャツと鹿革のズボンを身に着け、男のような姿で駆けて来た彼女は、いつも通りの表情で長閑に微笑む。
「お待たせ致しました、兄上様。さぁ、急ぎましょう」
急げという割には、のんびりとした口調である。
サリオスは苦笑交じりに、それでも優しく答えた。
「忘れ物は、無いな?」
遠足でもあるまいし、忘れ物があったら取りに戻れるわけでも無いのだが、ついそう言いたくなるサリオスである。
そんな過保護じみた兄の言葉に、妹はただハイとだけ答えて、愛馬の腹を蹴った。
そして今、2人は湖畔での小休止を終えて、出発しようとしていた。
「さて、どっちの方へ行こうか・・・」
村を出てから小高い丘を3つ越えた。領地は、完全に抜けて来ているが、しばらくは野宿で過ごした方が良いだろう。
とは言え、具体的な目的地がある訳では無い。
そんな兄の呟きに、アストリアが答えた。
「国境の方はどうかなぁ。小さな村が幾つかあるみたいだしね。兄さんは、支援者を探す気なんて無いでしょう?それなら、先ずはお金を稼いだほうが良いんじゃない?」
サリオスは、怪訝な顔で妹を見る。
「路銀なら、あるぞ。まぁ2人だと、半月もつかどうかというところだが」
アストリアは、彼を横目でちらりと見返した。前髪の白いひと房が、額の上でサラリと揺れる。
「それが無くなったら、連絡をしないといけないんでしょ?言い換えれば、お金がある間は連絡しなくても良いという事よ。居場所は知られたくないんだから、お金を稼ぎながら旅を続ければ良いと思うの」
半分ほど降ろした瞼の陰で、緑の瞳がキラリと煌めいた。
自分の知らない妹の本性が、少しずつ見えてくるような気がする。
けれどそれは、なかなか魅力的でもある。
守るだけだと思っていた対象が、楽しい旅の相方になりそうな予感を感じるサリオスだった。




