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その瞳 煌めく時   作者: 甲斐 雫
第1章 旅の仲間たち

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1 公爵家なんて捨てましょう

 緑の草原に一筋走る道を、2つの騎馬が駆けてゆく。

 良く晴れた青空の下、馬上の男が、傍らの同行者に声を掛けた。


「この辺りまで来れば、大丈夫だろう。少し休むか」

 見事な黒鹿毛の馬をゆるゆると止めながら、優しく気遣うような声だ。

「はい、兄上様」

 鹿毛の馬に乗っていた女性が、緩やかに答えた。


 男の名は、サリオス・ノイエルング。ゲルチュタール王国で公爵位を持つ家の長男である。

 そんな彼の妹は、アストリアと言う名だ。



 道から外れた先にある小さな湖の畔で、2人は馬から降りた。

「綺麗な水ね。美味しい?レーツェル」

 水を飲む愛馬に語り掛けながら、アストリアは白いシャツの腕を捲って、湖面に手を入れる。

 ブルル・・・と小さく嘶いた鹿毛の馬は、優しい眼を彼女に向けた。


「ここなら危険も無さそうだ。疲れていないか?アストリア」

 周囲を見て回って来たサリオスが、声を掛けた。

「・・・はい、大丈夫です」

 軽く腰を落とし、ザバザバと少しばかり豪快に顔を洗いながら、妹が答える。

 こんな様子を見るのは初めてだ、とサリオスはフッと笑みを浮かべた。


 アストリアは、生粋の公爵令嬢で、屋敷の中ではとにかく大人しくて従順な印象があった。

 読書好きでおっとりとした彼女は、物静かで優しい。そんな妹を、サリオスは大切にしてきた。守ってやりたいと常に思い、可能な限り傍にいた。


(屋敷から出たので、のびのびしているのだろう)

 そんな風に考えるサリオスの目の前で、アストリアはスッと立ち上がり近くの木の下へ向かった。茶色の鹿革のズボンとブーツに、水しぶきの跡がついている。

 彼女は柔らかそうな草の上にストンと腰を下ろすと、身に着けていた護身用のナイフを出した。


 少し癖がある黒い髪を、彼女は手櫛でサッと整え、そのひと房を手に取る。そして、躊躇うことも無く、ナイフを動かした。

 サリオスは、驚きの声を上げた。

「えっ!何をする、アストリア」

 ザクッと小気味よい音を立てて、ナイフの刃が黒髪を切り落とす。

「この方が、色々とメリットがあります」

 手は止めず、アストリアは長閑にも聞こえる声音で言った。

「追手に見つかりにくくなるんじゃないかな、って。見つかって捕まったら、お兄様は『勝手について来た』って言えばそのまま旅を続けられるでしょうけど、私は問答無用で連れ戻されて、速攻で嫁がされるじゃないですか」


 それでは家出してまで兄の旅に付いて来た意味が無い、と言うアストリアに、サリアスは深く溜息をついた。

 主の大声に気付いた彼の愛馬が、そっと近づいて鼻先を差し出す。

 フフンと鼻息で気遣う黒馬に、サリアスはその鼻面を撫でながら答えた。

「ああ、ライゼ・・・大丈夫だ」

 ライゼと呼ばれた黒鹿毛の馬は、本名をヴェルトライゼンテと言う。世界旅行者、と言う意味だ。


 その間もアストリアは、髪を切り続ける。

 やがて腰まであった彼女の髪は、肩に触れない程度にまで切り落とされた。

「こんなモノかな・・・うん、頭が軽くなった」

 周囲に散った自分の髪を集めながら、アストリアは話し続ける。

「小さい頃からずっと、兄さまの夢の話を聞いていたでしょ。世界を旅して回りたいっていう夢。それを聞くたびに、いつも思ってた。私も一緒に行きたいって」


 集めた髪を握って、彼女はゆっくりと振り向いた。前髪の白いひと房が、はっきりと分かる。それは生まれつきのもので、母親はそれを嫌っていた。白髪みたいだから隠しておきなさい、と言われてきた白いひと房だが、サリオスはそれも好きだったのだ。

 短くなった髪だが、その表情はいつも通りのアストリアだ。

 伏し目がちの眼と、柔和な笑み。

 半分しか開いていないような目元は、母親から『眠そうな顔』と言われて嫌がられていた。けれどサリオスは、少し下がった目じりと眉も含めて、そんな妹の顔が好きなのだ。


「多分、お父様たちは表立って私を探すことは無いと思うし、私が勝手に兄さまに付いて行ったんだって思ってるだろうけど、それでも念のためって思って」

 いつの間にかアストリアの言葉は、サリオスの知っているそれでは無くなっている。公爵令嬢の言い方ではなく、ごく普通の娘の自然なそれだった。


「だから、これからは兄さまの事は、兄さんって呼ぶわね」

 笑みを深くして言うアストリアは、どこか悪戯っぽく、兄を見上げている。


 半眼のように少し下がった瞼の奥にある瞳が、キラリと煌めいた。

 朝露に濡れた新緑のように、緑の瞳が一瞬輝く。


 それは兄が初めて見る、妹の決意と覚悟の表れだった。

(・・・何だか・・・アストリアじゃないみたいだ・・・)

 それでもやはり、妹は愛しい。


「解ったよ。それじゃ、もう少し休んだら、出発しようか」

 そんな兄の言葉に、けれどアストリアは静かに立ち上がって言った。

「もう大丈夫。兄さんは知らないだろうけど、私、結構体力あるの。旅に出るなら、健康な体と体力は必須でしょ?毎日こっそり運動もしてたし、乗馬もしてた。ここまで来る時も、しっかり乗れてたと思わない?」


 アストリアは、自分の愛馬に歩み寄り、その鼻面を優しく撫でた。

 普段はレーツェルと呼ばれる鹿毛の馬は、正しくはマイネレーツェルと言う。『私の謎』と言う意味だ。

 額に『?』の形の流星がある馬は、嬉しそうに顔を擦り付けて来た。


 サリオスは、思った。

 そう言えば、そうだった。

 屋敷を出てから、ずっとかなりの速足で駆け続けてきたが、アストリアは遅れることなく、息を切らすことも無く付いて来ていたのだ。

「じゃぁ、行くか。だが、無理はするなよ。疲れたら、ちゃんとそう言え。この先、色々と大変な事は多いと思うが・・・」

 兄らしい言葉を、けれどアストリアは遮った。


「多分、大丈夫じゃないかなぁ。何とかなるわよ、きっと」

 短くなった髪と、前髪の白いひと房。

 ドレスではなく、白いシャツとズボン。

 今までと全く違う見かけになったアストリアだが、眠そうにも見える表情は変わらない。

 柔和な顔で、ゆっくりと暢気に言うその言葉に、サリオスはギャップを感じながらも、優しく頷いた。

 妹に対する気持ちは、変わらない。

 今までと同じように、これからもずっと、大切な妹を守っていくのだ。


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