2-3 馬との絆 アストリア編2
〈タイヘン、タイヘンーーー! ピギャーーーッ!〉
森から弾丸のように飛び出してきたヨウムが、叫んだ。
「どうした、ヤーコ!」
トゥーレがバッと立ち上がると、ヤーコは早口で叫ぶ。
〈オオキナ・・・ポ、ポー・・・キュ、キュパ・・・アストリア、ケガシテ、タイヘンーーーッ〉
ヨウムの言葉を最後まで聞かず、トゥーレは駆け出す。
フェローは木剣を手に、ケィティも調理中のフライパンを持ったまま、トゥーレの後を追った。
森の中で睨み合いながらジリジリと後ずさるアストリアだが、対峙するポーキュパインは鋭い爪を持つ前脚を高々と上げて、今にも飛びかかりそうな体勢だ。
そこへ、マイネレーツェルが跳び込んで来た。
バサッ!ドガガッ!
「ブヒヒヒィィーーーン!」
藪を突き破って蹄を鳴らし、鹿毛の馬はアストリアとポーキュパインの間に入ると、前脚を高く上げて大きく嘶いた。
賢いマイネレーツェルには、解っていた。
自分が悪戯心と甘えで、アストリアを森の奥へ追いやったのだ、と。
だから、絶対に助けなければならないのだ、と。
「ダメッ!レーツェルっ! 逃げてっ!」
アストリアが、叫んだ。
二本足で立ち上がっているポーキュパインの大きさは、マイネレーツェルの身体の倍近くもある。興奮した手負いの獣の爪に、軍馬でも無いマイネレーツェルでは歯が立たないだろう。
けれど彼女の愛馬は、主の言葉には耳を貸さず、何度も蹄で地を打って激しく威嚇した。
「ブヒッ!ブハッ!ヒヒィィーーンッ!」
真っ直ぐに獣の眼を見て、気迫と闘志をぶつける馬に、ポーキュパインは苛立ったように前脚を薙ぐ。
バッと、血しぶきが宙を舞った。
僅かに避け切れなかったマイネレーツェルの顔を、巨大なモグラのような爪が掠めたのだ。
「レーツェルっ!」
アストリアの悲鳴のような声が、森の中に響く。
けれど、鹿毛の馬は怯まず臆せず、更に身体を進めた。
「アストリア様ーーーっ!」
その時、真っ青な顔のトゥーレが現場に飛び込んだ。更に、フェローとケィティも続く。
アストリアを庇うように、彼女とマイネレーツェルの間に身体を入れるトゥーレ。
フェローは木剣を構え、ずいッとポーキュパインに詰め寄る。
そこにケィティがフライパンを振って、たっぷりとソースが絡んだ熱々の炒め物を、獣の顔にぶちまけた。
ギャォッ!
ポーキュパインは、顔に掛かった物の熱さに悲鳴を上げ、増えた人数に臆して後ずさる。
「エイヤァーーーッ!」
ガンッ!
ギャオンッ!
ポーキュパインの鼻面に叩きつけられたのは、フェローの渾身の一撃だった。
逃げ出してゆく巨大な獣を、ホッとして見送るトゥーレを押しのけて、アストリアは膝行るように前に出る。
そしてそこに立つマイネレーツェルに向かって、手を差し伸べた。
「レーツェル・・・」
鹿毛の馬は、荒い息もそのままに、顔を主に向けた。
ポーキュパインの爪は、マイネレーツェルの額に二筋の傷を負わせていた。流れ落ちる血で、鹿毛の馬の顔の半面は血まみれだ。
「・・・ごめんね・・・ごめんね、レーツェル」
アストリアは、愛馬の頭をそうっと抱きしめて言った。
「こんな怪我、させちゃって・・・ごめんね」
泣きそうな声で言う主に、マイネレーツェルはその顔をそっと寄せて、彼女の頬に擦り付けた。
「・・・ヒン・・・ヒヒン・・・・」
吐息が漏れるような優しい声。
もしマイネレーツェルが、人の言葉を話せたら、きっとこう言っていたのだろう。
『私こそ、ごめんなさい』と。
そしてアストリアは、続けた。
「でも、助けてくれて、ありがとう。勇敢だったわ、レーツェル」
その時、マイネレーツェルの心に浮かんだのは、褒められた嬉しさよりも、主を守ることが出来たという喜びだった。
大切な何かを、身を挺して護ったという喜び。
その時、この賢過ぎるくらい賢い馬は、覚醒したのかもしれない。
『自分も、大切な主を、アストリアを護りたい。もっともっと、強くなって護りたい』と。
新しい扉を開けたような、一段階成長したような、そんなマイネレーツェルの額から流れる血は、アストリアの肩から流れる血と、混じり合って滴り落ち、地面に吸い込まれていった。
アストリアの肩に刺さったポーキュパインの大きな棘は、軽傷とは呼べないほどの傷を、彼女に負わせていた。
野駆けから帰って来たサリオスは、妹の様子を見て真っ青になる。
「大丈夫かっ!しっかりしろ!直ぐに手当てを・・・」
慌てる兄に向かって、寧ろアストリアの方が落ち着いて答えた。
「大丈夫よ、痛いけど。今、トゥーレが手当てしてくれるって」
直ぐに戻って来たトゥーレの手には、かなり本格的な医療用の応急手当のキットがあった。
「多少の心得はございます。以前いたお屋敷で、医師から勧められて応急手当の方法を学びましたので」
執事見習いとして働いていた頃、彼はどんな事でも、少しでも役に立つならばと、様々なことを手当たり次第に学んでいた。
「・・・それじゃ・・・頼む」
サリオスは、不審げな顔ではあったが、妹の手当てを彼に譲る。
自分がやるより良かろうと思ったのだが、それでもその様子はしっかりと見張っていた。
アストリアの手当ては滞りなく終わり、マイネレーツェルの怪我もフェローによって消毒と止血が行われた。
けれど出来るだけ早く、ちゃんと医師に診せた方が良いだろうという事で、一行は急いで出発することにする。
これだけは譲れない、とサリオスは妹を抱いて自分の馬に乗った。
ジェラルディーナはフォルテヴェローチェに乗りながら、自分がマイネレーツェルの轡を取って行くと言った。
ジェラルディーナは、ポーキュパインの様子を聞いた時から、酷く落ち込んでいたのである。
「そのポーキュパインだが、背中の矢は私が射たものだろうと思う。野駆けの時、遠くにいたヤツを見つけて、訓練のつもりで遠矢を射たんだ。矢は当たったのだが、致命傷にはならなくて逃げられてしまったんだ。ヤツが手負いになっていたせいで、アストリアとマイネレーツェルに怪我を負わせてしまった」
まだまだ未熟だ、と頭を下げるジェラルディーナだったが、アストリアはそれを遮った。
「違うわ、ジェラルディーナ。私が、森の奥へ入り込んだのが悪いの。不注意だったと反省してる。だから、気にしないで」
謝り合いのような2人の傍で、マイネレーツェルは大人しく佇んでいる。
自分の非も謝りたい、とでも言いたそうな馬に、アストリアは微笑んで言った。
「レーツェルの流星、『?』の形が『?!!』になっちゃわね。謎が強化されたって言うか、レベルアップしたみたいだわ。カッコよくなったのよ。貴女は私を護ったんだから、胸を張っていてね」
そうして一行は、エリンコート王国の王都、エリンホルムへと急いだ。




