第四十九話「第三部、開幕。使者は、血まみれで来た」
四十九話目です。第三部、開幕です。
マスターからいただいたアドバイスを受けて、第三部からはテンポと起承転結を意識した構成に切り替えます。静かに積み重ねる話から、動きのある話へ。
いきなり、動きます。
では、どうぞ。
その朝は、何も起きないはずだった。
集落の周りを歩いて、木に触れて、池でルミの成長を確認して、昼に帰る。そういう朝のはずだった。
シロが、最初に気づいた。
東の方向を向いて、耳を立てた。
「どうしましたか」
シロが動かなかった。
集中している。
「誰か来ますか」
シロが低く鳴いた。
急いでいる誰か、という感じの鳴き方だった。
一分ほどして、ラグル族が三頭、森の中から走ってきた。
いつもの連絡役の子ではなかった。
知らない個体だった。
三頭とも、息が上がっていた。
遠くから、速く走ってきた様子だった。
その後ろから、人間が一人、走ってきた。
倒れそうになりながら、走ってきた。
顔を上げた瞬間、分かった。
ミアだった。
服が、破れていた。
右の袖が、赤く染まっていた。
「ミアさん」
「凪さん」とミアは言った。息が切れて、声が出にくかった。「来て、ください。カナ先輩が」
「カナさんが、どうしたんですか」
ミアが、膝をついた。
限界だった。
「アルドで、何かありましたか」
ミアが顔を上げた。
目が、赤かった。
泣いていたのか、疲れているのか、両方か。
「先輩が、捕まりました」
◇
ミアを、集落に連れて行った。
右腕の傷は、深くなかった。
岩か木の枝か、何かに引っかかった傷だった。
ガルが、手当てをしてくれた。
ルナが、水を持ってきた。
「飲んでください」とルナが言った。
ミアが、一気に飲んだ。
「ありがとうございます」
「話せますか」と私は言った。
「話せます。急がないといけないので」
ミアが、息を整えた。
「三日前に、アルドで何かが起きました。都の中で、政変があったんです」
「政変」
「リドル様が、失脚しました。調査部門が、別の勢力に乗っ取られました。ベルク様も、今は動けない状態です」
「ベルクさんが」
「連行されたわけではないですが、監視下に置かれているようです。農務局のエイラ様も、一時的に権限を制限されました」
「農地の水路や、山の採掘の話が、全部動けなくなった」
「そうです。そして、カナ先輩が」
ミアが、少し目を伏せた。
「カナ先輩は、記録を持って逃げようとしました。鉱山局の人間が、カナ先輩の記録帳を奪おうとした。全部の記録が、消されそうになった」
「カナさんが、逃げた」
「逃げながら、記録帳を守ろうとして、捕まりました。今、都の中にある施設に、入れられています」
部屋が、静かになった。
ルナが、ミアを見ていた。
「カナ先輩を、助けてほしいです」とミアは言った。「凪さんしか、頼める人がいなかった」
「記録帳は、今どこにありますか」
「先輩が、最後の力で私に渡してくれました」とミアは言った。
服の中から、記録帳を取り出した。
カナの記録帳だった。
厚くて、大事そうに持っていた。
「これを、守りながら、ここまで来ました」
「三日で、ここまで来たんですか」
「ほとんど走りました。途中でラグル族に会って、一緒に来てくれました」
ミアが、記録帳を私に渡そうとした。
「持っていてください」と私は言った。「ミアさんが持つべきものです」
ミアが、記録帳を胸に抱えた。
「助けられますか、カナ先輩を」
「やってみます」
「やってみます、というのは」
「行って、確かめて、方法を考えます。今すぐ答えは出せないですが、行きます」
ミアが、少し息を吐いた。
「ありがとうございます」
◇
ルナが、私の袖を引いた。
少し離れた場所で、二人で話した。
「また行くんだね」とルナは言った。
「そうです」
「今度は、急ぎすぎて、ちゃんと話せない感じだね」
「そうかもしれないですが、ルナには言ってから行きます」
「うん」
「カナさんが、記録を守ろうとして、捕まったそうです」
ルナが、少し目を細めた。
「記録を守るために、捕まった」
「そうです」
「カナさん、すごいね」
「すごいですね」
「助けてくる」とルナは言った。命令するように言った。
「助けてきます」
「約束」
「します」
ルナが、石を取り出した。
また、池の底の石だった。
「これ」
「また持っていきます」
「帰ってきたら返して」
「返します」
ルナが、私の手に石を乗せた。
それから、少し考えて、また何かを取り出した。
「これも、持っていって」
小さな布に包まれたものだった。
「なんですか」
「春咲きの花を乾かして、布に包んだ。お守りみたいなもの」
「ルナが作ったんですか」
「ナギが帰ってきた日から、作ろうと思って作った。でも、渡すタイミングがなかった。今、渡す」
「ありがとうございます」
「カナさんにも、渡して。助けたら」
「渡します」
「それと」とルナが言った。「早く帰ってきて。今回は、どのくらいかかる」
「分からないです。早ければ一週間。長くなれば、それ以上かもしれないです」
「一週間で帰ってきて」
「努力します」
「努力じゃなくて」
「一週間で帰ります。ただし、カナさんを助けてから」
「条件つきで帰る、か」とルナは言った。「まあいいか。カナさんが先だから」
「そうです」
ルナが、頷いた。
「行ってきて」
「行ってきます」
◇
出発の準備をしていたとき、ガルが来た。
「凪様、一つ聞いていいですか」
「なんですか」
「都に行って、一人で大丈夫ですか。今回は、政変があって、状況が変わっています」
「大丈夫かどうか、行ってみないと分かりません。でも、行きます」
「カナさんを助けるだけではなく、政変で変わった状況を、何とかしようとしていますか」
少し考えた。
「カナさんを助けながら、状況が分かれば、できることをやります。でも、私一人で政変を元に戻すのは、無理です」
「無理だと分かっている」
「そうです。ただ、ベルクさんやエイラさんが動けない今、外から助けられることがあるかもしれないです」
「外から、というのは」
「内側が動けないなら、外から話を持ち込む。別の国が関係していることなら、別の国に話を通す方法があるかもしれない」
「セルドのガレス王ですか」
「セルドは、アルドと直接つながっています。川の問題を通じて」
「そのつながりを、使えるかもしれない」
「使えるかどうかは、行ってみないと分かりません。でも、使おうとしてみます」
ガルが、静かに頷いた。
「気をつけてください」
「気をつけます」
「集落は、ルナと一緒に守ります」
「お願いします」
ガルが、少し間を置いた。
「凪様」
「なんですか」
「第一部の最初から、見てきましたが」
「そうですね」
「最初に来たとき、花を一本咲かせた転生者が、今は都の政変に関わろうとしている」
「気になることが、大きくなってきましたね」
「大きくなっても、やることは同じだと思います」
「そうですね。ずれているところを、直す。それだけです」
ガルが、また頷いた。
「帰ってきてください」
「帰ります」
◇
ミアと、シロと一緒に、集落を出た。
振り返ったら、ルナとガルが立っていた。
クロとキョロが、二人の横にいた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」とガルが言った。
ルナが、手を上げた。
大きく振った。
笑っていなかった。
でも、手を振っていた。
「帰ります」ともう一度言った。
森の中に入った。
ミアが、隣を歩いた。
「凪さん、一つ聞いていいですか」
「なんですか」
「怖くないですか。政変があった都に、向かうのが」
少し考えた。
「怖いです」
「そうですか」
「都の状況が、どうなっているか分からない。カナさんがどこにいるか、正確に分からない。ベルクさんが動けるかどうかも、分からない。分からないことが多い。それは、怖いです」
「でも、行きます」
「そうです」
「なぜですか」
「気になるからです。カナさんが記録を守ろうとして、捕まった。それが、気になります。助けなければ、ずっと気になります」
ミアが、記録帳を胸に抱えた。
「先輩は、助かりますか」
「やってみます。やれることを、全部やります」
「全部、というのは」
「今日の今日は、分からないです。でも、一つずつ、分かってから、動きます」
ミアが、少し安心した顔をした。
「凪さんが来てくれたら、何かが変わる気がします」
「変わるかどうかは、分からないですが」
「変わります」とミアは言った。「来てくれた、というだけで、変わります」
シロが、前を歩いた。
春の森が、続いていた。
どこかで、鳥が鳴いた。
「行きましょう」
「はい」とミアは言った。
第三部が、始まった。
四十九話目、書きました。第三部の開幕です。
「使者は血まみれで来た」というタイトル通り、いきなり動きのある展開にしました。第一部・第二部と積み重ねてきたつながりが、今回一気に危機に晒されます。ベルクが動けない、エイラが制限された、カナが捕まった。凪が築いてきたものへの直接的な攻撃です。
ミアが血まみれで走ってきた場面から始めることで、今まで静かだった物語に緊張感を入れました。第三部では、このテンポを維持していきます。
ルナとのやりとりも、今回は短くまとめました。感情的な部分は、短く、でも確かに。「カナさんを助けてから」という条件付きで帰ると言った凪に、ルナが「まあいいか、カナさんが先だから」と言えた。ルナが成長している場面でもあります。
ガルの「花を一本咲かせた転生者が、今は都の政変に関わろうとしている」という言葉は、第一話からここまでの積み重ねを振り返るものでした。
次話では、都に向かいながら、状況の全体像が見えてきます。
また明日。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




