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ビヨンド オブリヴィオン / BEYOND OBLIVION  作者: 蓮田 希玲
BEYOND OBLIVION / CHAPTER 1

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Episode 2 - I / 紅茶と私

「ベルジ、起きろ」

 三つ葉のように分かれた道の真ん中の敷地。道中の話によれば、家々が隙間なく並んでいるこの地区は、第二区。この街では一番賑わっていて、人口も多いと。

 ジェスターが足を強く踏み込むと、車が動かなくなった。何かを回すと、音楽も振動も無くなって静けさが戻ってくる。

「止まった……」

「ああ、着いたからな。よしベルジーそろそろ起きろよー」

 車は家に張り付くように、ギリギリ道を塞がず止まっていた。ひんやりとして澄んだ外に、思わず体を伸ばす。道路は四角い平らな石のブロックが、幾何学模様に隙間なく敷き詰められている。

「ベルジくんー」

 後ろの扉を開けて、彼の肩をゆらゆら揺らしてみた。すると目を擦って「わ、お、起きる起きる……着いた?」とカタコトに言いながら起きた。

 彼があくびしているのを見て、私は自分の髪を触った。激しく瞬きをしながら、彼も髪をいじっている。

 家を見ると、二階建てでお洒落な外装が目に飛び込んできた。ここ一帯の建物は温かい。縦、横、斜めに組んだ木組みがしっかりと施してある。同じなのは、赤みがかった傾斜が急な屋根。窓際には花。色彩が豊か。


 ジェスターが玄関のドアを開けながらベルジへ口を開く。

「お前も上がるか?」「いえいえ、俺はすぐ帰ります。もう遅いし親も、心配しますんで」「おん、そうか」

 ベルジは私の方に体を向けて「今日はほんとごめん、でも助かって良かった。また」と、下を見ながら言った。

「こちらこそ、いろいろ……ありがとね」

「今日はもうゆっくり休めよ」

 彼はそう言い残し、笑顔を見せて去っていく。

 私は見えなくなるまで、ずっと小さく手を振っていた。

 笑顔がまだしばらく目に焼き付いている。

「……ジェスター」「ん?」「私の顔、どう?」「どうって?どう……てなぁ、あはは。べっぴんさんだ」「はぁ」「はは、とにかく、上がってお茶でも飲もう。あったまる」

 彼の毛布みたいな言葉には強ばったものが全部ほぐされる。

 ジェスターの傍について小さな階段を登るのに足を上げると、膝の痛みが帰ってくる。

「ケガしてるのか、すまん気づかなかった」「ひざ、擦りむいた」「そのスカート、明日か明後日、時間使って、直しとくな」「ほんと?……そんなこと、できるの?」「ああ、まかせろ」

 彼が足でドアを二回軽く叩くと、ガチャっと音が鳴った。玄関のドアは木の香りが残る深い焦げ茶で、ところどころ節の跡が浮かんでいる。厚みがあって、まるで外と内をしっかりと分ける壁そのものだった。 

 鍵穴はあるのに鍵を使っていなかった。生きているみたいに開くなんて面白い。少し恐ろしくもある。

 入るとすぐに冷たい石の床があって、その先が木の廊下に続いている。境目には小さな段差で区切られており、壁際にあるのは大きな靴箱だ。上には写真立てや時計が並んでいる。

「靴は脱いでくれ。お前ん家がどうだったかは、知らないけど」

 ジェスターはふわふわと言った。焦げ茶色で磨きのかかった靴箱に、ブーツを揃えてそっと置く。ぐしゃぐしゃに濡れた靴下を足先の感触でふと思い出し、ため息。

「……乾かしたい」「あぁ、なんとかしよう」「あとこれも……」「廊下歩いてったら洗面所あるから、そこに置いとけ」

 少しでも汚さないように慎重に、年季の入った床を歩いていく。

 すべすべしていて、歩くたびに小さく音が鳴る。

 その音がやけに家中に響く。真っ白の壁が、ランプで太陽みたいな色になっている。

 花を生けていたり、絵や写真を飾っていたり。あの人柄からは想像できないほど綺麗。

 洗面所に行くと、部屋が私に気が付いたかのようにランプが密かに点いた。小さな錆び猫が籠に丸まっている。黄色い目を光らせている。

「ど、どうも……」

 腰を低くして、靴下をそっと畳んでおいた。猫はずっと銅像みたいに固まって目を凝らしている。

「タオルかなんかあったらそれ使っていいからなー」

 張った声が聞こえた。ありがとう、と返して、積まれてあった一枚で足を拭く。

 濡らしてしまった床も、軽く叩く。

「なんだ床まで」「汚しちゃったから……タオルとか靴下も、自分で洗うから、大丈夫」「そうか。ベルジよりちゃんとしてんだな」「あはは……」「お風呂は?」「おふろ?」「湯船。あったかいお湯に浸かるんだ。俺は使ってない。綺麗だ」「入りたいかも」「じゃあ沸かしておこう。それまでお茶でも飲んで、リラックスだ。あっちの部屋で座って待ってろ」

 彼の指さした部屋は、外から見た時の想像よりもかなり広かった。天井は低く、黒ずんだ梁が何本も横切っている。

 大きな窓から消えかけの夕暮れの光が差し込み、通りを行き交う人影が揺れている。暖炉では薪がパチパチと音を立て、部屋全体に仄かな温かさが広がっていた。外の冷たい空気から逃れてきた体に、その熱がじわりと染み込んでくる。

 奥の壁一面を覆う本棚には、背表紙の色褪せた本が隙間なく並んでいる。古い紙とインクの匂いが、暖炉の煙と混じり合っている。部屋の角には作業机があり、散らばった道具や紙が、彼の毎日を物語っているようだ。腰より少し高めのテーブルと木彫りの椅子が、部屋の中央に置かれている。


「珍しいものでも見たみたいな固まり方だな?」「い、いろいろあるなーって……。素敵」「ありがとう。さあ座りな」

 椅子に腰を下ろすと、木のきしむ音が長く鳴った。

 腕をテーブルに預け、上半身を前に倒してみる。体がくたばっているのがよく分かる。ため息が漏れ、頭の中で今日の出来事が蘇り始めた。

「ふん、疲れたのか?」

 彼の声の方から、キンキンと甲高い金属の音と、香ばしい花のような香りが漂う。私は「うーん」と唸るように答えた。疲れず乗り切れるわけがないだろう。音がおさまると、彼がこっちへ歩いてきた。

「お疲れさん。はい、俺が一番好きなやつだ。口に合うかな」

 人差し指と親指の爪を無心に擦っていると、ジェスターがティーカップを持ってきた。ほんのりと甘く、さっぱりした香りがする。姿勢を正してスプーンで軽く混ぜると、湯気とともにその香りが増す。

「俺、紅茶が好きでな。ほら、あの瓶ぜんぶ茶葉が入ってるんだ」

「……ほんとに?」

 自分のぶんを持ってきた彼は、私の前に座りながら衝撃的なことを呟いた。キッチンで一際目立っていた、数十本も並ぶ瓶。一段、二段、三段。

 紅茶を口に運んでみる。口の中全体に温かな香りが広がっていく。苦味か渋味か、私にはその辺はよく分からないけれど、それがいい。温かい。

「こんなに美味しいのはじめてかも」

「そいつは良かった。これ気に入らない奴は紅茶向いてない。ベルジとか」

「ベルジくんってそんなに私と正反対?」

「何もかもな」

 くすくすと笑いが出る、だんだん心のこわばりが解けていく。

「俺な、街の保安官やってるんだ。だから子供たちの顔は、みーんな知ってるつもりだ。けどお前は――。ああ、落ち着いてからでいい。覚えてることがあれば教えてくれないか。一刻も早くお前の家、見つけないとな」

「ほあんかん……ってなんだっけ」

「え、ああ、えーと、みんなが安心できるように街を見守る仕事、かな」

「ごめんなさい、ほんとに何も覚えてないの。名前もほんとに私のか、分からない」

「……困ったな。アヴァって響きの名前、聞いた事ないんだ。もっとこう、女の子は丸っこい響きが多いんだけど」

「え、じゃあ私の名前じゃないのかな……」

「いやいや、すごく華があるっていうかその、なんつーか、お前にすごく合ってるよ。きっとお前のだ」

「なんか嬉しい。これ見て」

 オパールのような色をした繊細な網目模様をもつリストレットをはずす。黒地のものに金色で書いてあるのを、彼によく見えるように見せた。

「これは?」

「何のことか分からないから、これを今は、名前にしてるだけ」

 黒いプリーツドレスの上に羽織っていた、ベージュの重ね着を脱いで、ショルダーケープの裏面を見たりした。まだ少し湿っている。雨を弾いた跡を細かく残していて、触れるとひんやりしている。

 何も無い。腰を締めている紐もただの紐。

「……お前がつけてたなら、名前なんじゃないか?」

「うーん……」

「ブランドの名前?とは思ったけど、知らない。らしくもない」

 肌触りは、包み込むような、しっとりとした優しい感触。それに、初めて見た時から、この服は気に入っている。元々愛用していたからだろうか。使い古した感じは全く無い。

「なあ、ちょっと考えたんだけど、いいか」

「うん」

 自分の服を見ていると、間を開けて、ジェスターが低い声で言った。思わず両足の膝を合わせて、握りこぶしをそこに当てた。自分を上からつまむように、背中をまっすぐにした。

「俺にはその、自分の名前が分からないとか家が分からないとか、そういうの、正直理解してあげられる自信はないけど、お前がすごく、いま心配だ」

「えっと……ごめんなさい、なんていえば……」

「謝らなくていい。お前は悪いことしてないだろ?」

「それは、分からないよ……」

「……まあとにかく。家族が見つかるまでは、ここに居ていい」

 ジェスターは服を丁寧に畳んで、私の目の前に置きながら言った。

 私はそれを聞いて、すかさず頷いた。もちろん、と言いたかったけれど、声にならなかった。はっきりとは言葉を返せない。

「いいの?よく分かんない人なんだよ?よく、よく……」

 言葉にしてみる。

「自分の状況、分かってるか?」

 ジェスターは一口飲んで言う。

「え……えっと、分からない。……分かんない」

「それを記憶喪失っていうんだ」

「きおく、そうしつ……」

「覚えてるはずのことが、すっぽり抜けてるんだ」

「覚えてるはずのこと……って?」

「――自分。名前。家。家族。友達。常識。まあ、生きていくのに必要なこと。この中で、言えるのは?」

 言われたことをひとつずつ、頭の中で唱える。

 自分。自分は……。

 名前。私はアヴァ。かもしれない。

 家、家族、友達――

 どんなものかは分かる。だが。

「なんにも、言えない……」

「……辛いかもしれないが、それが今の、お前なんだ、アヴァ」

「私なにを信じたらいい?ジェスターは、ほんとのこと言ってくれてる?嘘、ついてない?」

 こんなことを人に聞くのも、正しいのかどうか分からない。

「ああ。嘘なんてつかないよ。なんで俺が嘘つくんだ?」

 彼の声は深くなっていた。

「……変なこと聞いたかも」

「何を信じればいいかは――目の前のことをまず受け入れないと、分からない」

「そう、だよね……」

「ここが嫌だったらいい、知り合いに世話好きのいい人がいるから」

 ジェスターは眉間にしわを寄せて真剣に喋っていた。

 そっと彼の強ばっていた手をつついてみた。指輪がランプの光を跳ね返して、ゆらゆらと光っている。私の指が冷たいのが分かった。

「私がいても、迷惑じゃない?」

「迷惑だなんて。思わないよ」

「ん……。ここで頑張ってみる」

「安心した。俺の心配じゃなくて、自分のことを心配しなさい」

「怒らせちゃうかも。聞いてばっかりで、うんざりとか。邪魔にならない?」

「大丈夫。俺はこれでも保安官だぞ?はは、お前は優しいな」

 彼はもう片方の手で私の手を握った。

 紅茶の熱だけでは言葉にできない温かさがあった。


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