Episode 1 - Interlude
酷く裂けて散らばった肉片、石灰化した骨片。
夜になろうとも、ここの街灯は起き上がらない。
壁にへばりついたヘドロにしがみつくように、爪を立てた何者かが口を大きく開いて唸っている。
それを目の当たりにしたのは、ジェスター達が始末した怪物の死体の処理にやってきた、私を含めた三人。
今日もこうして、見ることになるとは思わなかったと、この場で大きなため息を漏らす。息を切らしたのか、唸っていた男は間もなく糸を切られたマリオネットのように倒れた。彼が倒れた物音まで耳に入っていた。
しかし仲間は、倒れた男のそばをただ通り過ぎるだけ。瓦礫を指し、頭を捻らせ、あちらこちらを観察している。
革手袋についた焦げ臭さと共に、手に持った藍色の氷の粒に意識を戻した途端、何者かに頬を叩かれた。
「まったくどうして……。どうして!あなたなんか私の……!」
口紅を光らせて紺色のドレスを着たふくよかな女。その巻いた茶髪とヘアバンドを見た途端に、蜘蛛の巣を引きちぎる勢いで振り払った。
その女は音もなく消えた。男も消えた。
「おい、捨てろ。触るな」
「ごめんなさい……!」
足元へ落ちた氷は、水で固めた泥のように脆く、粉々に砕けた。
掴んでいた時は、それは宝石のように輝く黒曜石そのものであったはずだった。
風の音が戻ってきた。
耳たぶを押してくれるおかげでわかった。胸を撫で下ろし、コートの糸がほつれかけたボタンをとめた。
「気味が悪い」
「あなたも見た?」
「ガキの頃のくだらんことを、そっくりそのままだ。全く誰だこんな真似しやがるのは」
「怪物のじゃないわ」
「そんなことは、見りゃ分かる」
同じ部署の年配、ストローズががらがらの声で顔をひしゃげて怒鳴った。
黒曜石みたいな氷の粒があちらこちらに、つららのように生えている。
砂利のような細かなものまで、一に気づけば百現れた。それぞれが軽く震えている。手も同じく震えていた。手袋を外して、両手を確かめるようにすり合わせた。
「これでも、受かってるの」
ストローズとマーティンが目玉だけで相づちを打った。
「ジェスターのそばにいた娘か?」
一人の男の子を連れて巡回をすると私は聞いていたが、さっき検問所から出てきて車に乗ったのは三人。それはマーティンも見逃していなかった。通知を送った時刻からして――スマホの画面はここだと一層眩しく見える。明るさを下げながら時刻を見ると、やはりこの死体は彼らが仕留めたものだ。
つまり、あの女の子のものとしか考えられない。
「彼らがやったんだもの。間違いないわ」
「こんなの見た事ないぞ。氷なんて」「ふん、実に寒気のする魔法だな」
「ジェスターなら、なんとかやってくれるわ、きっと……」
がらくたを寄せ集めたみたいに真っ黒でぐちゃぐちゃになった死体の裏側に回ると、熊の顔をしていたのが分かった。体はレディオラリア特有の繊維めいた気管が布みたいになって覆われ、傷口からは手に掴めるほどの放散虫みたいな物体と黒い液体が漏れ出ている。自然の生態系からは考えられない混濁感は慣れることはなかった。
「いつ見ても吐き気がするわね……」
「これもユニファイの蚕か?」
「――おい水溜まりが無くなってる」
マーティンがそう言った。
砂が跳ねて波打っているのを見ると、「離れましょう」と二人の背中に手を当てて言った。タイルの溝に溜まった粉が集まって石になる。どこかへ向かって引き寄せられるように転がり出す。
「足元」
石煉瓦は何個も出来上がり、足元を転がっては倒壊した家へ向かって飛んでいく。
ある砂は石ではなかった。
マーティンが突然叫んだ。
「何!?ちょっと?」
「ナタリー、ダメだ」
マーティンの腹にはガラス片が突き刺さっていた。彼は自分の革手袋を切りながらガラス片を抜き取る。彼のコートは赤に染まり、破片は見る見るうちに大きくなって、瓦礫の大波は彼の足元をすくい上げた。
私は指でカーブを描いて風を起こし、目を開けられないほどの激痛に襲われている彼に申し訳なく思いながら吹き飛ばした。
耳を塞ぐ。
破壊のコーラスが鼓膜を押し付ける勢いで鳴り響く。爆轟は、私たちの後ろから襲って、前面に押し出される。そして何かに飲み込まれるように、すべてが止んだ。吹き飛ばした彼を急いで運ばないと。
「すまない、見て、無かった……気づかなかった……うう……」
「喋らないで」
* * *
「誰かの魔法に違いない!どうしていつもこんなわけの分からないもので!」
澄んだ空気と慣れ親しんだはずの街は、四区を訪れるたびにかけがえのないものだったと気付かされる。
ネーベの全貌を見下ろすように建てられた保安局。
一区、二区と明かりが溜まっているのに対し、陸側の端、四区には窪みができている。
何度見ても思うのは、なぜあの様になってしまったのかという率直な疑問。腹部を怪我したマーティンを運び、報告中の私のところにまで届く上の人の怒号は、終いには明日のネーベの雲になる。
「ナタリー、お前はフォノトスへ留学していたはずだ」
今日の報告書の内容に頭の回路を回していたせいで、周囲が何を話しているのかさっぱりだった私は、誤魔化すように考え事をしているふりをした。
「聞いてるのか」
「いえ、はいもちろんです、あはは」
「笑い話じゃねんだ」「いつになったらあの――なんたら現象のついて詳細がわかる?」
「逆行」
壁に設置されたボードは、同様の現象を報告する書類と写真で埋め尽くされている。あそこへ行けば、帰るまでに必ず一度は目にするほどの頻度であった。
「まさに放散虫の幽霊だな。海は陸より広いのに、満足いかなかったのかね」
副司令官が、大きな鼻と苔のような髭を立てて、レディオラリアの写真を見比べている。二つとして同じ模様が存在しない、幾何学的な体を持った生き物。
「私たちが何をした?」「人に化ける」「思考ができる」「思考してるように見えるだけだ」「人に化けたやつが手を取り合うことは?」「有り得る」「生き物に寄生する点は懸念すべきだろう、うちのカメレオンはやられた」「あれはお前のせいだろ」
山のように椅子にのしかかった副司令官に寄ってたかって、なにか深い話でもするのかと思えば、またまた同僚の思い出話が始まった。私は目にかかった髪をはらいながら、部屋を後にしようとした。
「ジェスターからだ。四区で迷子の女の子が、いたって。記憶が無くなってると」
ピンと張った背筋と盛り上がった肩、刺々しい髪と長い顔つき。一瞬で分かる男が扉を押し開けて、室内にそう言いながら入ってきた。相変わらず身軽そうで、疲れの見えない人だ。
「女の子、見たわ、今日」「そうか。行くって言ってたな。お疲れさん」「ライアンも、ちょっとは休んで」「あはは、ありがとな。んで、マーティンだっけ、あいつ大丈夫なのか?レディにやられた?」
ライアンは廊下の向かい側へ親指を向けて言った。彼がつけていたシルバーリストバンドが三つまとめてすとんと落ちる。
「もう、その呼び方やめて。はぁ、逆行ガラスに、お腹をやられちゃったのよ」
「ふーん」
懐から取り出したのは紙タバコの箱だった。人差し指ほどの長さの十本入り。
「何本?」「もうない」「嘘。ちょうだい」
彼は顎を首につけたまま目だけをこちらへ向けて黙り込む。鼻で大きく息を吸ってから、最後の一本を私の手のひらに落とした。「帰りに買ってくれよ」と言いながら、ひしゃげた箱をゴミ箱に投げ捨てた。私が口の前に指で挟んでいた一本に、彼はいつものように先端に風を当てるように、手を振る。シトラスの香りが鼻の奥にまでやってくる。へとへとの体にはやはりこれが一番だ、と煙をふかせる。
彼が肘をついてできたアーチをくぐって、局の玄関に一直線に向かう。ライアンも何も言わないまま、ただ鼻で笑ってからドアを締めて、私の後に続く。死角からこれまた大きな図体が飛び出してきてぶつかった。
「ちょっと、前見て歩いて」と、せっかくの気分を台無しにされた私は腕を組んで言った。
「今から?行くのかロドニー」
ライアンがタバコを咥えたまま、聞き取りづらい発音で言う。
「忘れもん取りに行くだけだ、心配ご無用」「銃を忘れてる」「あ、ああ、はは」
装備のあちらこちらが傷もぐれ、布もビリビリに破れ、血潮も目立つ。この街、いやこの国一野蛮な保安官の一人だと思う。あんな様子だから誰も手を取らない。そもそも彼は仲間を使わない。
「何で化け物を追っ払うつもりだったんだ?」「まあ、取りに行くだけだ。心配すんな」
鼻の詰まったような声でそう呟いた。通報や依頼があればすかさず一足先に出ようとする彼は、危なっかしくてかつ、心を配らずにはいられない。態度は気に食わないけれど、会う度に言っている気がする言葉を投げる。
「何回も言うけど、ひとりで全部、やろうとしないで。私たち、チームなの」
「わかってるさ。ああわかってる」
「あなたはとっても強いけど……いつか限界が来るわ」
「俺の限界は勝手に遠ざかってくからな」
ポケットに手を入れながら床の音を鳴らして去っていった。
「あいつ疲れないのかな」
「もう、どうでもいいわ、あんなポンコツ」
「キレすぎだろお前」
* * *
「道路にいっぱい、黒曜石みたいなのが落ちてて、なんだろうって拾ってみたの。そしたら、大っ嫌いなおばあちゃんが出てきたのよ!?」
車の中での帰路、明かりが線になって模様を作る窓の外。局を出るついでに入れたカフェラテは、氷も入れてないくせに死んだ生き物か無機物みたいに冷えていた。口に入れた途端に吐き出したくなって、疲れているのは分かっているけれど、ライアンに向かってぶつけた。
「見た見た。誰かの魔法なんだろう?きっと迷子の子のだろうな」
「それが本当なら、もう、私彼女が関わってることには首突っ込みたくないわ。こういう魔法、いままでに何回も見たことあるけどこれは……はあ」
信号機の屋根が、赤くほそぼそとした光を地面に落とした。誰も歩いていないのに止まる必要はあるのか。溜息をついてから、おでこを窓につけて冷やした。
「そんなにヤバいのか?」
ライアンがハンドルから手を放し、ラージサイズの紙コップを持って口に運んだ。私は首だけ向けつつ、うーんと答えながら考える。あの感じはどういえば彼に伝わるか。そこまで事を重く見ない彼が、その気持ちをつかめるのかどうかも含めて悩む。
「なんと言ったら伝わるの?こう、誰かにすごく怒られたり、無視され続けたりした時の目ががらがら動かされるあの感じ。わかる?」
「あー、ああ」
「分かってないでしょ?」
「いや、わかるよ、ほら……目薬さした時みたいな、それだろ?」
「なんか違う」
次は身振り手振りも大げさに加えて伝えてみる。「こーんな感じよ、こんな。ここがあるじゃない。それが、こう、がらがらがらって」腹の底からすくい上げ、目頭をつまんで動かして見せた。泡を表現するときみたいに指をわんさかさせながら、自分の言葉の限界にイライラしてきた。
「自分で言うのもなんだけど、俺、能天気だからさ」
ストローを放した口からそう言った彼は、相変わらずの笑顔でこっちを見てきた。余裕ぶっているのか知らないけれど、なかなかわかってくれないことが残念だ。それでも彼らしさが喉を震わせてきた。微笑み返すのも恥ずかしく思って「うるさい、信号が変わったわよ」と前だけを見て言った。
もう一度彼を見てみると、まだ笑っている。何も言わずただそうしていた。彼の頬を指で押して、首を前へ向けさせた。私は背中を背もたれにくっつけ、力を抜いた。




