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ビヨンド オブリヴィオン / BEYOND OBLIVION  作者: 蓮田 希玲
BEYOND OBLIVION / CHAPTER 1

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Episode 1 - II / 傷跡と私

 低く重い轟音が耳の奥を震わせ、家々から塵が絶え間なく落ちる。雨は石に当たって、はじけて。水たまりからは集まって上へ。  

 風は止まっている。

 男の子は息を深く吸い、手を伸ばす。指を広げ、姿勢を不自然に正している。

 彼をじっと見る。

 私は声をかけようとする。

 ――空気が顔を殴った。

 全身に押し寄せる衝撃波。立っていられずに腰を落とす。砂埃が鼻と目を襲う。口に入ってきて咳が出る。

 顔の前を手で払い、目を細くした。煙の向こう、決壊した壁。建物に匹敵するほどの黒い影。動いている。それが叫び声をあげ、地面を踏みつけ、隼のように飛んできた。

 男の子は息を止め、私の前に足を出した。その手に、光の粒が網状に模様を作りながら、一瞬で集まって銀色の剣が現れる。怪物に向かって、すぐさま大きく振りかかり、風を切る音が聞こえたと思えば、火の玉が一斉に舞った。


 熊にも見える真っ黒の何か。火の玉が五つ、蜂のように宙を飛んでいく。彼は左手で、右へ、上へ剣を振りながら怪物に近づき、斬りかかる。

 全身から昇るように揺らめく炎は、激しく動く体に振り払われる。身体中の至る所から蔦みたいなものが出ている。全身がすくみ上がるような、触手に見えた。

 くり抜かれたような目は、どこを見ているのか分からない。

 口が震えたままどうにもできない。

「……俺から離れんな!」

「う、うん……!」

 彼は声を張り上げ、火の玉を放っている。刃に炎を纏わせ、弧を描く。黒い返り血を避けながら、足で蹴りを入れつつ怪物に傷をつけていく。

 彼の腕が打ちつけられる。剣が足元へ硬い音を鳴らして飛んできた。見つめることしか出来ない自分に嫌気を感じながら、彼を見守る。

 彼はすぐに指を立てて火を起こす。小さな爆発を合図に、剣が粒になって彼の手元に漂流する。跳躍した彼が上から刃で斬りかかった。

 熱が伝わってきて、冷えきっていた体が芯から温まるようだった。不思議と、切り抜けようと勇気も湧いてきた。考えを凝らす。耳の火傷と破れたスカートを意識から振り払う。――私は何も持っていない。

「クソ……。なんであっち行かねんだよ!」

 怪物の暴れを避けながら音を鳴らしている銃は、至る所の壁に穴を作っていた。

「どっか行けっつってんだろおら!」

 彼は声を荒げながら、剣を乱暴に振り回している。空気が震え、辺りが暑くなっている。今の彼は、手に触れた時とは違って見えた。どこを見ているのか分からない。なにかに憑依されているようだ。火の玉を放つ度、彼の手からは花びらのような光が舞っている。

「ダメだ。おい、ジェスターさん知ってるだろ? ……クソ、呼んできてくれ、俺と一緒に、来てるんだ……!」

 冷やすように頭を振り、手で空気を割って火を飛ばしながら、彼は息を切らして言った。

「ジェ? なに……?」

「あぁ? クソ――」

 よく聞き取れなかった。動きが鈍くなっている彼を見て、私は自分の頭を軽く叩く。

 綺麗な弧を描いていた残像は、ゆらゆらと木の枝みたいになっている。そのうち怪物の抵抗で弾き返され、彼は足を踏み外してしまう。腰を抜かしていた私はそれを眺めるしかなかった。近づけない。ジェスターさん、と言っていたことに今、気がついた。

 彼の体が、怪物の大きな手に吹き飛ばされ、剣が飛んできた。亀裂が切先まで入っている。傷だらけで霞んだ刃は欠けている。

 彼は力を振り絞って立ち上がろうとしている。頭をゆっくり上げていた。だが怪物がゆっくりと近づいているのが見えていなかった。

 怪物が全身を使って彼を押しつぶそうとしている――――だめ。

 触手がこちらへ向いた。声に出ていたことに気がつく。胸を押しつける強い音。刺すような臭いに視線。あちこちから垂れるヘドロから目を逸らす。

 手の力だけで後ずさりする。足に力が入らない。

 何もできないまま、怪物は目前。手を伸ばして指を広げてみる。何も起こらない。

 怪物が涎を散らしながら、ついに飛び掛かってきた。

 あの汚れた爪に裂かれてしまう。そう思った。

 青い光と鋭く厚い音が貫いた。

 目を閉じ、伸ばした手からそれは放たれた。

 怪物の胴体に、匹敵するほど大きな氷の針が突き刺さっている。

 呻き続けている。藍色の結晶が抉っているところに、無数の手を広げるようにのびる網目模様。よろよろとありえない方向へ関節を曲げながらバタバタしている姿に、胃から何かを持ち上げられるような気分になる。

 男の子のもとへ急ぐ。

「だ、大丈夫? ねえ」

 汗を見せた彼の表情が、柔らかくなった。

「はぁ……すごいな、お前、うぅ……。もう少しでほんとに、やられるとこだった」

「さっきの――えっと、ジェスター? て?」

「ああ、遠くには、いない……」

 うっすらと見える膜のようなものが彼を包んでいた。そのいたるところに傷や穴が見える。目立った怪我はなさそうだ。

「大丈夫? ジェスター探そう?」

 男の子はポケットに手を入れ、何かを急ぐ。

 怪物に刺さった氷は溶け始めている。

 まだ動いている。口を開けないと息ができなくなる。ポケットにしか目を向けない彼と激しく動く怪物。私はどっちを見ればいい?

 鳴っていた物音が止む。

 彼は小さな金属の球を持っていた。すぐにそれは地面に押し付けられて潰されてしまった。

「なにそれ……」

「呼んだ」

「え? だいじょ――」


 頭の中で何かが膨らむ。締め付けるようでもある。

 痛い。目にも流れ込んでいる。

 痛い。塗りつぶされた絵がうっすらと浮かんでくるように、それが見える。

 置いていかれる。離れていく。

 待って、と叫んでいる。

 私の手じゃない。

 ああ、置いて行かないで……。

 これは――。

 息が詰まる。でも息はできている。

 なのに苦しい。浮くようにも沈むようでもある。


「おい……! あいつ、まだ!」


 分かっている。でも手足が動かない。

 知らない人の声がたくさん聞こえてくる。

 全部、泣いている。


「おい! ――クソッ……!」


 大きく揺れた。

 彼は剣で受け止めている。

 細かな音と、食いしばる声だけがその場を占めていた。

 一歩下がって、鼻をすすって立ち上がる。

 膝を伸ばすと、ありえない量の涙が目からこぼれ落ちた。

「私……」

 濡れている袖と手の甲で拭う。顔がもっと濡れた。

 腕を前に出す。彼の歯の音が聞こえる。

 彼がするどい目が、こっちを一瞬ついた。何度も何度も振り返ってくる。

 怪物を狙って、もう一度あの氷の針を――――

 掴まれた。彼に腕を強く掴まれ、私は投げ飛ばされる。石が腕を切るところだった。軋むような痛みが走る。横になった体を起こすのもしんどい。雨を吸った服が重りになっている。

 彼も吹き飛ばされていた。膝をついて、息を切らしているのが見える。

「ジェスターさん!!!」

 彼が有り余る力を振り絞るように叫んだ。

 彼は足を引きずりながら、私の元へ動く。

 でも、山の上から麓を見たように遠く感じる。

 何もできない。体が重たい。

 ふり絞って手を上げて広げてみるが、出ない。彼もそばにいない。誰も防げない。

 乱雑に並んだ牙と、粘度の高い唾液がのびているのが見える。

 音が遠のく。

 夢なら、ここで覚める――

 目を瞑って、何も考えない――


 ――突くような音。銃声だ。彼が持っていた銃と似ている。

 怪物が液体を吹き出しながら倒れた。

 常に響いていた轟音が、あまりにも突然消えてしまって、静けさの気味悪さがより一層強まる。

 雨の音を久々に聞いた気がする。

 ゴツゴツとした分厚い足音が聞こえる。

「大丈夫か?」

 乾いた低い声。首まで伸びた髪と無精髭。しっかりとした体つきで、茶色のコートを着た背の高い男の人が、力の抜けた身振りでそこにいた。うっすらと煙草のにおいもする。太い眉毛と細長い目。コートにはたくさんのポケットがついている。

 男の人が私の体を起こしてくれる。彼が私の腕に手を当てると、怪我をしたところがほんのりと温かかった。すると、傷は変わっていないが、痛みだけが引いた。

「まさか女の子に守ってもらったのか?ベルジ」

「やっと……遅くないすか? クソ、いってぇ……」

「健闘したな。一発で死んじまった」

「ごめんな、まだ、俺、力不足で」

 ベルジ。そう呼ばれた男の子が、ふらふらしながらも歩み寄ってくる。

「嬢ちゃんも頑張ったんだろ。おつかれさん。ずいぶん……よく何もつけずに来たな?」

 自分のかどうか正直自信はないけれど、リストレットにあったあの名前を思い出す。

「アヴァ。私の名前。アヴァ、クラ……クラ……?」

「ちょっとは思い出した?」

 ベルジは砂埃を払いながら言った。あれだけ目で読んだにも関わらず覚えられていなかった。

「い、いや……」

 まだ心臓が速く動いている。胸元を手で押さえる。

 ただ俯いて時間が経つのを待った。

「俺、なんもお前のこと知らずに、めちゃくちゃしたな……。さっきもごめん、わざとじゃないんだ」

「大丈夫、全然、気にしてないから」

 声が勝手に小さくなった。彼の顔を見るのも迷った。

 自分の中身が抜け落ちているという感覚ははっきりとあるが、知らないジグソーパズルのピースをトントン拍子に渡されているような時間がずっと続いている。それを言葉にしようにも口が動かない。

「ん? はじめましてか。てっきり知り合いなんじゃねーかと。アヴァ、でいいか。俺は……知ってるよな」

 男の人が口を開いた。

「…………だれ、だっけ」

「ジェスターさんマジで知らないのか」

 ベルジが体をさすりながら言う。そうか、この人が。

「あ……この人が――」

 ジェスターは私の目を覗き込むように見てきた。頭ひとつ、いやふたつ分の高さから見下ろされると、さっきにも似た自分のちっぽけさを感じた。

「何があった?」

 ジェスターは腰を下ろして、毛布で包むような声に変えてそう言った。

「め、目が覚めたらここにいて。その、目が覚める前のこと、思い出せなくって。だから、歩き回ってて、ベルジくん? に会って……ベルジくんに追いかけられて、撃ってきて……」

 ジェスターはベルジの方に首を回した。

「だ、だから、あれは違うんだアヴァ、その……」

 ベルジはすぐに目を背けて、倒れそうな支柱を心配するように声を出した。ジェスターはゆっくりとこっちへ顔を戻し、何秒か黙った。

「もう大丈夫だ。落ち着いたら、また話を聞こう」

 私の肩を叩きながら柔らかい口調のまま彼は言った。力強くて、でも痛みにはならない彼の手と言葉に、張っていた自分の筋がすべて緩められた。彼はランタンみたいだ。

「ずっと何なのか分からなくて、私なんなんだろうって」

「うんうん。……まあ、とりあえずここにいちゃまずい、まずは出るぞ。お話は、それからだ。ほらベルジ立て立て」

 ジェスターはベルジの背中をさすりながら、腕を掴んで起こした。

「あの死体どうします?」

 ベルジがゆっくりと立ち上がりながら言う。手首を締めて、服の破れたところを気にしていた。

「大丈夫?」

 私はそう声をかけずにはいられなかった。

「……あ、ああ、うん。それより自分の心配、したほうがいい」

 彼は手を伸ばしてくれた。

 両手を使って、彼の右手に全体重を任せる。彼の息が切れそうなのが分かった。ジェスターも腰を抑えながら、起き上がるのを助けてくれた。立ち上がれたと思ったら、一度だけがくりと膝を落としそうになった。ふくらはぎが細かく震えている。

「…………がんばったな」

 ジェスターが肩を軽く叩いて、背中をさすってくれた。息が落ち着いた。深く吸って吐けた。せっかく立ち上がれたのに足から力が抜けていくようだった。彼のコートに身を任せるようにして、しばらく泣くのを我慢できなかった。絞めた喉から出る声も抑えられず、それは雨が止むまで続いた。


 死体は、まだうねうねと動く蔦を見せ、傷口からは黒い液体が漏れ出ている。

 目を合わすのは諦める。飛び散ったいろんなものは、見ていると胃の奥が震えだす。それでも見てしまう。硬直した顔から、この生き物の過去を想う。折れ曲がった歯に、分裂した手。熊に見えて他の生き物も合わさったような姿形が、最も鮮明な記憶のひとつになる。

 得体の知れない、自分の手から放たれた氷の粒が、ひとりでに震えて囁いている。格子状の模様を作りながら内側から飛び出している氷は、蒸発するように薄くなっていった。

「別の奴らに任せよう」

 ジェスターのその一声を聞いて後にする。死体を背にしても、しばらくはまるでまだ目の前にあるかのような、気味の悪い感覚が続いた。膝の痛みと、壊れていたはずの家が元に戻るようにして建ったことを、今ようやく自分の中で言葉にして、連想をひたすら続けた。

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