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ビヨンド オブリヴィオン / BEYOND OBLIVION  作者: 蓮田 希玲
BEYOND OBLIVION / CHAPTER 2

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Episode 7 - I / 言葉

 お風呂は丸ごと洗い流してくれたようだった。肌寒い風にさらされ、ひんやりとしたブランコに揺られ、その前には身体の芯から凍えるほどの嫌味に耐えた時間。そのすべてがさっき、温かいお湯と華やかな香りの泡で、綺麗さっぱりとまではいかないが、それでもあらゆるケガに対する痛み止めになったと思う。


 だけど鏡に見る自分の顔はやはり慣れない。自分のものなのに、どうして自分の目で見れないのか。鏡が嘘をついてたらどうする?でもジェスターの顔はそのまま映っていた。病院の先生が言っていた記憶の粒といったもので世の中ができているんだと考えると、怪しまずにはいられないのだ。あなたもあなたも、あれもこれも、記憶でできているのなら、私が直接聞いてみたいもの。


 髪を乾かすあの玉を押し潰しながら、私はリビングへ向かった。パチッと弾ける音が鳴ると、顔の周りだけ風が起きる。胡桃よりは潰しやすい。それでも簡単には割れない。何でできているんだろう。


 いろいろと考えていることも、美味しそうなご飯を見るとふわふわに溶けてどこかへ行ってしまう。


 椅子をそっと引いて、力を抜き取るようにして、私は人形を放り投げられるみたいに座った。


「疲れてるな?どこまで行った?」ジェスターが野菜がたっぷり入った、湯気立つシチューを配膳しながら呟いた。にんじんの元気なオレンジ色が覗いている。はやく食べたい。お腹がすいて、すっかり私の頭は、彼の言葉への返事を忘れていた。


「はは。さ、食べよう」


 彼が座りながら言った。石になったような頭を持ち上げて、スプーンを手に取り、シチューをそっと汲み取って、口へ運んだ。優しい甘みとクリーミーでまろやかな口当たり。鶏肉やにんじんの味もちゃんとある。それでいてぜんぶが前に出すぎない。私の好きな食べ物がまたひとつ増えた。


「夏なのに夜になると寒いからなここは。どうだ、シチュー」

「おいしい。好き」

「そりゃよかった」


 スプーンが皿の底を擦り、口に運ぶと歯とぶつかる音の中、私たち二人の隙間を埋めるように喋っているのはテレビだった。前にも見たような映像が映し出されている。ひとりでに壁が元に戻っていく様子。砂埃やレンガが、一点に集まるようにして動いているが、それを映像におさめている人や映っている人たちには何事もなく、違和感も無い。まるでそこだけ、時間が巻き戻っているみたいだった。


「これ、なんなの……」咀嚼しながら思い出して、飲み込んでからそうつぶやく。

「俺も同感だ」


 ジェスターはスプーンを一口すると、スマホを取り出して画面を見せてきた。同じような現象が何度も何度もひっきりなしに起こっているようだ。


「うそ、こんなに……?」

「珍しいことじゃないんだけど、これが起こるのは四区だけだ。勝手に直っては化け物にぶっ壊されての繰り返し」

「ちょっとひやひやするんだけど……」


【「この局所的な逆行は一体、どういう現象なのか、私たちはまだ真相に迫ることは――」】


「ぎゃっこう……?」

「時間が巻き戻ってるみたいだろ?だからそう呼んでるんだ」

「私もそう思ってた……私は巻き戻ってる?」

「言葉が逆さじゃないぞ?」

「あはは……」

「はぁ、こんなことがあるから、近寄れないし、無闇に触るのも怖いしで、見回りとかじゃない限り入ることはない。五年前と比べても勝手に綺麗になってるんだ。やべえだろ?」

「勝手に?」

「おお、マジだ。おっと、ご飯中にする話じゃ無かったな」


 それを聞いて、何年もの間あそこがほったらかしになっているのが腑に落ちた。私なら絶対にもう行きたくない。あの足を引っかけたのは、この不気味な現象に巻き込まれたせいだったから。吸い込まれたりしなくてよかった。もしあの時瓦礫の中にいたらつぶれてしまっていたかもしれない。想像するだけでも、だんだんとシチューが砂みたいに感じてきた。今日のいいことをジェスターに教えてあげないと。


「あ、そうそう。見て見て」


 シチューの皿を前に避けて、テーブルの端に置いていたカメラを傍に持ってきた。ジェスターはスプーンを置いて、眉を上げた。


「それ気になってたんだ。どうしたんだそのカメラ」

「これね、カメラ屋さんに貰ったんだ」

「も、もらった?」

「何十年も置きっぱなしで可哀想だからって、譲ってもらったの」

「そ、そりゃあ、そうだわな……だってそれ、何十年前だ?下手すりゃ……。でもあれだろ?使い方は――」

「えへへ、見てて」


 椅子を引き、テレビを遮るように立って、カメラを低く構える。ジェスターも体をこちらへ向けた。カバーを外してファインダーを見ると、彼の思考回路の止まったような表情が見えた。もみあげの辺りに、風も何も吹いていないのにふんわりとした寒気が襲ってくる。


【信じられませんよね!こんなこと!】


 シャッターをきると、彼を代弁するように、テレビの向こう側の女の人が喋った。その通りだよ、と朧気に映ったジェスターが訴えている。


「振らないでね」と私は言って、歩きながら出てきた写真を差し出した。


 どう見られてしまうか。何を思うのか。カメラを手に取った時は、何かを思い出せたことに手を広げてくれるかもしれない、あの時のベルジみたいに笑ってくれるだろうとジェスターの前に立った。けれど、私が今近づいている彼の顔は、私の目の奥を覗き込み、重く深くしわをよせ、そっと手を伸ばして写真を指に挟んだ。本当に私かどうかを見極めているようだった。


 あまりにも黙り込んで、形ないものを咀嚼しているものだから、彼の名前を呼ばずにはいられなかった。口をぽっかりと開けたジェスターが、写真にくっきりと写っている。後ろにキッチンが覗く、紅茶みたいな色のかかった一枚。


「あ、あとね、ベルジくんに動画、教えてもらったよ。すごいよね、あんなに小さいもので……」


 ズレたものを正したくて、何を思われているのかがよく分からなくて、結露を拭うように出した言葉。口にしてみれば、素敵なものなのに残酷な扱いをされていたことと、悪趣味な彼らの顔が私の隙を突いてきた。ジェスターが眠りが覚めたみたいに「すまん、びっくりしすぎた」と呟いて、私の肩に手を乗せた。顔に出てしまっていたようだ。


「もう、黙らないでよ……」

「怖かったか?」

「怖いっていうか、なんか……むずむずするから」

「はは、悪かった」


 私の目は実際よりも事を重く濃く捉えてしまうのかもしれない。何事も無かったかのような明るい顔で、彼はまたシチューにスプーンを沈めた。


「冷めるぞ」

「あ、ああ、ごめんなさい、私」


 カメラをそっとテーブルに置き、服をはたいてから座った。一体どこから冷やされたのか、熱々だったのにぬるま湯のようになっている。手をつけなかったせいか、表面が膜を張って固まっていた。


「こんなな、大昔のもんを急に使われたら、困るぞまったく」ジェスターがカメラを見ながら呟いた。

「そんなに、へん?」

「ばあちゃんじいちゃんが使ってたようなカメラだぞ?」

「えー」

「ほんとお前はどんなとこで育ったんだか」

「私もなんだか、ちょっと気になってる……」


 冷めていたのは表面だけ。下のほうはまだほんのりと温かかった。


 彼が抱えている家族のことについて、あまり口にしない理由が今ならわかる気がする。最初は嘘はつかないとか言ってくれたのに、いつまでもルネにいるで済ませて話を逸らす。隠し事は良い感じはしないけれど、必要なものなんだ。あの三人に出会って、いろいろあったこと、ベルジが涙ながらに打ち明けてくれたことを、ジェスターに話そうとは到底思えない。彼なら絶対に、心配するはずだから。ジェスターは口角を上げたまま、静かにシチューをたいらげた。


「アヴァ、今日は上で寝てみないか?ベッドでちゃんと、寝てみて欲しいんだ」

「うーん……わかった」


 乾いた歯磨き粉を唇を巻いて擦りとりながら、手すりをしっかりと持って階段を登る。ツルツルとした床は、踏むたびに軋んだ音を鳴らした。少し足を滑らせてみると、調子に乗ればすぐに転がり落ちそうなほどで、全身にふわっとした感触が覆いかぶさってきた。


 前に来た時は無かった写真が壁にかけてある。額縁の中には、まだ何も無かった。それでも寒く感じていた二階が、これを見た途端に嘘のようになった。


 足元を見ながら駆け足で一階へ降りて、カメラと写真を取りに向かう。


「どうかしたか」紅茶を入れていたジェスターが言った。


 私はただ笑いかけて「おやすみ」と返事をして、額縁の元へ戻った。今日撮った写真を二枚入れた。傾きを正してから、一歩引いて見る。映っているベルジのおかげか、明かりの色から青が手を引いたみたいだった。さっきの驚いた顔のジェスターも面白い。よく撮れている。


 ひとりで二階にいるのは分かっているが、誰かがそばにいると思いたいのか、思っていることが口から漏れ出てしまいそう。


「たしか……こっち」


 ベッドがあった部屋の扉を開けてみると、まず見えてきたのがカーペット。こんなにふわふわとした赤色のカーペットは無かった。壁のボタンを押してみると、はじめて入った時に感じた埃っぽさが消えていた。布団が天気のいい日に見える雲のようにふかふかな毛布とマットに変わっている。人差し指でつついてみると、もっちりとしていてほっぺたみたいだった。押して離すとすぐに元通り。


 窓際にあった花瓶も挿してある花も、物が若干錯乱していた机もぜんぶが綺麗になっている。ベッドに上がると、これまたお風呂とは違う抱擁感と温かさに、自分の体が沈んでいく。天井は木の骨組みで複雑な模様を作っていた。明かりが奥まで反射しながら届いている。


 何かを忘れている、日記だ。毛布のせいですっかりまぶたが落ちそうになっていたが、何とか両手で体を起こし、目を擦りながらまた階段を降りる。足を滑らせるようにして、リビングに向かうと、ジェスターは紅茶を飲みながら、眼鏡をかけてスマホを見ていた。


「ん?まだ夜だぞ?」

「あの部屋ジェスターが綺麗にしてくれたの?」

「ああ。ちょっと散らかってたからな」

「ありがとう」

「まあな。家族が見つかっても相当な時間かかるだろうし。居心地は、良くしとかないとな」

「そうだね」


 キャビネットの上の小さな本棚に立てかけてあった日記を取って、ジェスターの前に座った。ページを捲って、昨日の事をじっと見てみた。思えばこれは今日の朝書いたんだ。自分のはじめて書いた名前、それに日付。遠い昔のことのように感じる。それほど今日はいろんな事を見たり聞いたりした。いざペンを手にすると、何から書こうか迷いに迷う。言葉にするにも時間もかかるし、私は苦手だ。


 まずカメラのこと。カメラ屋さんは……あそこに行くまでの道はさっぱり分からなかった。ベルジを追うので精一杯だったから。もっと周りを見てみたかったけれど、彼は落ち着きがなかった。どうしてだろうと考えたら、やっぱりあの嫌な感じの三人組だ。ベルジがひととき、まるで私から離れていくような素振りを見せた時は、あの場から逃げ出したくなった。それでも、彼は自分とあそこで戦っていたんだと、後々公園までの道で分かった。ベルジも私の氷と似ている炎を持っているけれど、彼は怒りを誘うと言っていた。似たもの同士頑張ろうって目を合わせた。ひとりじゃなかった。


「ジェスター今日ね――」


 やっぱり話したくなった。前じゃなくて、彼の隣に座って、ペンで自分の文字をさしながら。彼が前に、この部屋で子供の時のことを話してくれたみたいに。伝わるかは分からないけれど、私なりに丁寧に言葉にした。不安を感じたらすぐ帰ってくるって約束していたけど、ごめんなさいジェスター。

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