44話「憎しみは灰へ」
ルドは目を見開いた。
ルシアン・フォン・シュタイン。
才能無しの臆病者。
いつまでも学園に居座る邪魔者。
姉の威光に隠れるしかない弱小貴族。
そう──決めつけていた。
自分の命を顧みず、わざわざ身を差し出してくるとは。
「は、はは、ははははははっ!」
ルドの笑いが周囲に響く。
首を傾けながら、レイネの喉をさらに締め上げた。
「これまた勇敢なことだなァ、ルシアン……。お得意の魔法でも披露するのか?」
「……」
湧き上がる黒炎。
ルドに油断はなかった。むしろ警戒していた。
ルシアンが前に出てきた。
──なにか理由があるはずだ。
「いつも目障りだった。無能なくせにいつまでも学園に居座るッ! 命令がなくとも殺意が湧いたさ!」
「……そうか」
「軍隊長の父親は死に、フラメアも今日殺される。そして役立たずのお前は、そうやって立ち尽くすだけ!」
ルドは狂ったように喚き散らす。
怨み、妬み、蔑み。
吐き出される言葉すべてが、殺意に染まっていた。
喉を締め上げられ、呼吸が砕ける。
視界が滲み、指先から力が抜けていく。
それでも――レイネは目を逸らさなかった。
折れることだけは、決して選ばない瞳だった。
「お似合いの結末、まったく羨ましい限りだ。偉大なる太陽の薪になれるんだからな」
ルドは右手を振りかざす。
彼女へトドメをさすため、手刀でその体を貫こうとした。
「──知らねぇよ」
「あ?」
そんな短い一言が、ルドの動きを止めた。
眉がぴくりと痙攣する。
そこにあったのは──覚悟だった。
ルシアンの表情には覚悟があった。
数秒先の自分がどうなろうと、構わないというように。
「俺は確かに魔法の才能がなかった。シュタイン家の恥知らずと言われ、何度も諦めかけた」
過去の自分を思い出すように下を向いた。
だがそれを噛み締め、再び前を見る。
鎧の足を踏みしめ、息を荒くしながらも地に立った。
「だがな──外道には落ちない。お前のようなクズは、ここで止める」
ルドはそれを聞いて、蛮勇だと鼻で笑う。
「はっ、じゃあどうするんだ? 何もできない分際で」
「俺が何かする必要はない」
ルシアンはそう言い切った。
その時。
上空から真紅の雷光が降ってくる。
──短剣だ。
高速回転しながら、一直線に落ちてきていた。
早朝に突如現れた、雷雲いらずの閃光が弾ける。
──ザンッ!
ルドの肩口を深く斬り裂いた。
「な、なにィッ!?」
何が起きたのか、ルドは理解できなかった。
右腕が斬り落とされていた。
地面に転がった腕は、黒炎となって崩れていく。
「彼女の一手は、もう終わっている」
レイネを拘束していた黒炎がバラけた。
ルドの動揺と連動するように、解けて消える。
「まさかあの時、上空に……!」
落ちてきたのは、レイネのもう一本の短剣だった。
ルドが地面から火柱を立てた瞬間、彼女は短剣を空へ放っていたのだ。
「だが、この程度で倒れるとでも――!」
斬られた腕の根元が塞がっていく。
傷口を黒炎で修復し、体勢を立て直そうとした。
「──いいえ、剣士斬り。これで終わりよ」
次の瞬間。
雷光が孤を描いた。
揺れ動くのは、鮮やかな赤髪。
彼女の首を掴んでいた左腕が、宙に舞う。
遅れて咲くのは、花のような血しぶきだった。
「……なんなんだ、お前は……!」
ルドの瞳に映る彼女の顔は、まさに狩人であった。
獲物を絶対に狩るという、執着の念。
短剣の魔法は途切れていない。
再び息を吹き返し、螺旋の雷音が鳴る。
「貫け、赤雷──!」
レイネは再び踏み込む。
朱色の雷光が奔った。
彼女の握る短剣は、今度こそルドに命中する。
轟雷が響き渡り、彼の体は大穴を開けて貫通していた。
「お、のれ…………ルシ、ア………………」
ルドは最後にそう言い残して、地に倒れた。
黒炎の力も弱まり、徐々に鎮火されていく。
剣士斬りは完全に沈黙した。
凶器は砕かれ、両腕を失い、呼吸さえも機能しない。
剣士斬り事件はルシアン邸の庭で、人知れずその幕を閉じた。
「死んだ、のか?」
「えぇ、注意を逸らしてくれたおかげよ。これで魔神とのつながりを断つことができたはず」
レイネは落ちてきた短剣を拾い上げる。
彼女の声は静かだった。
戦闘の余熱が、まだ白い吐息のように立ちのぼっている。
「そうか。……死んだんだな」
ルシアンの視線の先には、崩れ落ちたまま動かない影。
もう二度と剣を握ることのない骸だった。
「聞いてもいいだろうか? 助けることは、不可能だったか?」
「────」
レイネは即答できなかった。
自分を殺そうとした相手を気遣う。
そんな優しさをまだ向けられるのかと。
少し考えて、また口を開く。
「……彼はついこの間、眷属になったと言っていた」
ふたりはその場から動かない。
暖かい風が木々を揺らし、焦土を撫でる。
「これは私の仮説になるけれど、眷属になった者は負の感情を増幅される。眷属になる前の悲しみや苦しみ、それこそ、あなたに対する剣士斬りの憎しみがね」
「憎しみ……」
「彼になにか恨まれることをした覚えはある?」
「いや──」
「そう」
レイネは短く返したあと、ゆっくり歩き始めた。
そうしてルシアンの前に立つ。
「なら半端な優しさを抱いてはダメ。どんな因縁があったとしても、眷属になってしまえば後戻りは許されないわ。実際、犠牲になった人たちは少なくない」
帝国でルドは人を斬った。
楽しみながら、人の命を奪った。
決して消えることはない、悪の痕跡。
「魔神の眷属になる。それだけで罪なのだから」
その声には、断ち切るような硬さがあった。
彼らに慈悲を与えることは考えない。
まるで──自分自身にも言い聞かせるように。
ルシアンは視線を下げ、その言葉を受け止めた。
「そういえば、アメハルは上手くやってくれてるかしら」
ふと、レイネは空を見上げる。
「心配なのか? なんだかんだでアイツは信頼できるのだろう?」
今この場にいないもうひとりの仲間。
ふたりは彼を気にかけていた。
「……私はまだ、アメハルを信用しきれてない」
レイネはそう小さくつぶやいた。
空を見上げたまま視線を戻さない。
その瞳には、迷いが残っていた。
「うん? なぜだ」
「私に快く手を貸してくれた、帝国に着いてからも魔神探しに協力してくれた。でも、わからないの」
善人だということはわかっている。
だが、レイネの迷いはそこにあった。
「何を考えて、どういう目的で私を手伝うのか──わからない」
信じたい気持ちと、裏切られる恐れの狭間で、彼女は揺れている。




