40話「静かなる朝、剣戟は舞う」
朝の運動は、案外気持ちがいい。
階段を上がっているだけで、意識がスッキリする。
空気はとても澄んでいる。吸うごとに脳がクリアになるんだ。
でも、少し体調が悪い。
最近は契術を使いすぎた。
たまに、反動でなにも考えられなくなる瞬間がある。
二徹しているから、という理由だけかもしれないが。
「ふぅ──」
俺は満身創痍ながらも、長い階段をなんとか登りきった。
顔を上げて、目の前を見据える。
帝国の西地区高所にそびえ立つ、立派な道場。
日本の武道場を彷彿とさせる建物だ。
ここに来るのは2度目だな。つい先日のことだけど。
さて、剣術師範どのはいるかな?
「ピートッ!」
道場に入ると、さっそく出てきた。
ガイゼフ──この剣術道場の師範だ。
白い道着の彼は、俺を見るなり怒ったような形相で歩いてきた。
あぁ……このお兄さんはピートっていうのか。
「今までどこで何をしていた。今度こそルシアンを始末できたのだろうな!?」
「始末、ですか」
確かにそう言ったな。
もう言い逃れはできない。
この目と耳が、お前がどういう存在なのかを証明させたぞ。
「しっかりと失敗させましたよ」
「そうか、しっかりと……失敗だと?」
俺は嘘をつかずに、ありのままを伝えた。
それだけでガイゼフの顔色は変わった。
ガイゼフは後退り、目を見開く。
「待て、誰だお前は!?」
「偽装解除」
この一言で、黒い霧は体から離れていく。
俺はピートの偽装を解き、元の姿に戻った。
ルシアンの赤い学生服をまとい、ガイゼフと対峙する。
「おはようございます。ガイゼフ──いや、剣士斬りどの?」
清々しい朝に挨拶はつきものだ。
俺とガイゼフは、一定の距離感を保ったまま向き合う。
「この姿は快適だったよ。ここらの兵士たちは、みんな揃って通してくれるんだから」
「……」
正直、こんな簡単にいくとは思わなかった。
俺はピートの容姿を思い浮かべ、偽装した。
ピートという名前は知らなかったが、名前を呼ばなくとも契術は機能したのだ。
『アルタの剣』とわざわざ呼称しなくてもいいように、ある程度の融通が効くらしい。
「それなりに体力使ったけど、おかげであんたに会えた」
ここに来る途中で、徘徊中の帝国軍に遭遇した。
特にお咎めはなかった。
自粛中の行動を黙認し、許容してくれた。
ピートには感謝しないとな。
「それで、目的はなんだ」
「あんた魔神の眷属なんだろ? 観念してもらおうか」
「……なるほど、そこまで知っているのか」
ガイゼフは腰の剣に手をかけた。
木刀ではなく、鞘に収まった真剣だ。
「はじめまして、名も知らぬ学生。君の言う通り、私は剣士斬りだった」
潔く自分の正体を認めた。
朝の空気が、ひんやりと体にまとわりつく。
いつ戦いが始まってもおかしくない。
その前に、少し聞いておくか。
「どうして剣士斬りなんか……」
そもそも、剣士斬りという存在そのものが謎だ。
なぜ剣士だけを狙うのか。
バレやすい状況の中で、なぜ実行に移したのか。
「私は以前から、帝国で幾度となく人を斬ってきた。軍の捜査に追われ、5年ほどは鳴りを潜めようと努めたよ」
ガイゼフは剣の柄を撫でる。
空を見上げ、目を細めた。
「──そんな時だった。あの方と出会ったのは」
「あの方?」
「完膚なきまでに叩き潰されたよ。極め続けた自分の剣がどうでもよくなってしまうほどの、すさまじい剣に魅せられた」
ガイゼフは拳を握った。
いつの日を思い返しているのか、顔には笑みがあった。
「だから私はあの方についたのだ」
「……なんだよ、結局はただの人斬り?」
真剣に聞いて損した。
魔神との接触よりも前から狂っていたようだ。
操られてやった、という感じでもないらしい。
コイツは……とんだ人でなしだな。
「もうじき太陽は呼ばれる。今さら私をどうしたところで無駄だとおもうがね」
「太陽? いいや、こっちは散々迷惑かけられてるんだ」
俺はしっかりと地面を踏み締めた。
相手を目線から離さない。
「お前たちの目的がなんだろうと、止める!」
「君に何ができる? 見たところ学生じゃないか、妙な力を持っているようだが──」
ガイゼフの体勢が変わった。
奴の剣は鞘から抜かれる。
銀刃が露わになり、朝日の光が反射する。
「すぐに斬り伏せて……おわりだ」
体を傾け、まっすぐにこっちへ飛び込んできた。
速い。
殺人鬼とはいえ剣術師範か。
俺はというと、口を動かすだけで精一杯。
体調は絶不調。あの動きに対応するのは無理だ。
「偽装──オーバーキャスターッ!」
ガイゼフが剣を振るよりも先に、叫んだ。
まさに万能。
これで勝ちを確信したとも言っていい。
たった今、俺は万能を身にまとったのだから。
「言っておくが……今度は逃がさねぇぞ?」
明確な身体能力の変化。
湧き上がる魔力と、もはや恒例と化した黒の濃霧。
俺は腰に現れた剣を抜き放つ。
金属の甲高い音が鳴り響く。
お互いの刃がぶつかり、ガイゼフと至近距離で競り合った。
「また違う姿に──!」
「初見じゃないだろ。なに驚いてんだ?」
俺は踏み込み、さらに体重を剣に乗せた。
剣を滑らせるように横へ払う。
力の均衡は崩れた。
相手の刃は弾かれ、体勢を崩す。
がら空きになった胴体。
そこにめがけて、思い切り拳をぶち込んだ。
「がぁッ──!?」
ガイゼフは苦悶の声をあげる。
低い放物線を描いて、道場の建物へ吹き飛んだ。
オーバーキャスターの能力は、この世界基準でもおそらく高い。
ルシアン状態のパンチは怯みもしなかったのに。
まさか、これでノックアウトじゃないよな?
「ぐ……なんだ今のは。ただの殴りで、この私を……!」
「お、生きてる」
ガイゼフは道場からゆっくり出てきた。
流石にタフだな。
ガイゼフに帯びているあの紫色のオーラは……魔力?
ほう、魔法を使わずとも身体強化ができるのか。
「なあガイゼフ。ルシアンとの模擬戦、覚えてるか?」
俺は剣を肩に乗せて、何気なく聞いた。
「それが、なんだね」
「あれ、実は俺」
「……なに?」
ガイゼフは訝しげに顔をしかめる。
「俺がルシアンに偽装してたんだ。俺はけっこう根に持つタイプでな、その時の雪辱を晴らしにこうしてやってきたわけだけど……」
これまでの経緯を語った。
ガイゼフと対峙した感想を、正直に述べる。
「所詮は人斬り。ただの弱者狩りだったか」
つい半笑いが出てしまった。
ガイゼフの眼光が鋭くなる。
「ならば! 貴様も剣の錆にしてくれる──ッ!」
奴の魔力が目に見えて隆起した。
風が吹き、ガイゼフが弾丸のように突っ込んでくる。
「……してみろよ」
間合いを急激に詰められた。
俺は飛び込んできた刃を、すれ違いざまに受け流す。
ガイゼフは俺の背後へ回った。
次々と斬撃が舞う。
縦横無尽に攻めてきて、俺を殺そうとしてくる。
だが俺は、その場から動かない。
作業のように、淡々と猛攻を防ぐだけ。
「ぐ、おおおおおッ──!」
「……」
あの黒い炎は使わないのか?
この程度はお遊びだ。
これじゃあ、実力の半分も出せやしない。
ガイゼフは真正面から、連続剣技を叩きこんでくる。
その全てに剣を合わせる。
すばやく、力強く、正確に。
「はあ……はあ……!」
ガイゼフの手が止まった。
奴は一旦後ろに退いて、距離を取った。
肩で息をするほど疲弊しているように見えるな。
「もういいのか? これで、俺の剣術より下だな」
「そ、そんなものは剣術ではない! ただの力技、素人の猿真似だ!」
「あぁ? んじゃあ、お前はそれ以下ってわけだ」
ガイゼフは深く呼吸をしている。
相当頭にきてるらしい。
「今まで積み上げた罪の研鑽を、俺が清算してやる」
「……フッフッフ、それは不可能だ」
それはどういう意味だ?
さっきので、俺とガイゼフの力量差は理解したろうに。
「疑問におもわなかったのか? 私が今まで、どうやって痕跡を残さず人を斬ってきたのかを」
「それは──」
確かにそうだ。
いくら道場の弟子たちが共犯だったとはいえ、軍の追跡を完全に振り切ることはできないはずだ。
……そういえば。
レイネもあの日、こんなことを言っていた。
魔神の反応が突然消えた、と。
「神の祝福などいらん。私には、これだけあれば十分なのだよ」
ガイゼフは剣を手に提げた。
不敵な笑みを浮かべ、目は俺を睨んでいる。
なにかしてくる。
そんな予感で、少し身構えた。
「──〈無霊虚影〉」
すると。
奴は消えた。




