56.5:カウルの目覚め。
遅れましたね皆様。
新年明けましておめでとうございます。
そして是非、今年もミカエラさんと本作をよろしくお願いします。
『……よもや、貴様が王族に剣を抜くとはな。"血塗れ"の名は、腰抜けをも戦士にするか』
抜き放った剣の先、血に塗れた青年が、『彼』を見て呟く。『彼』の体は、青年のものであろう返り血で真赤に染まっている。じわり、じわり。その血が、内側に入り込んでくるような、嫌な感覚。『彼』は、それを振り払うように大きく吠えた。本来ならば、その異常に気が付いた騎士達が即座に駆け付けてくるはずの深夜帯。しかし、その日、『彼』の……カウル・ラローシュの叫びに気付いた者はただ一人、彼の背後、大きな寝台で眠る少年だけだった。
後悔はない。正しいことをしたはずだ。ああする他に、何ができたというのか。
幾度となく問い続けた問いに、答えは出ない。ただ、その重圧に晒され続けたその騎士には。『血塗れ』と呼ばれただけの、ただの一人の男には。その問いは、あまりに重過ぎた。
『貴方が決めたことだもの。私は、貴方の進む隣を歩くと決めたのよ。……何があっても、私の気持ちは変わらないわ』
薄紫の髪の婦人が、薄く微笑み、彼を抱きしめる。
『貴様の判断に誤りはなかったのだろう。吾輩が貴様の立場であったとしても、同じ事を正義とした筈だ。……しかし、吾輩は主を喪った。立ち去れ、血塗れ。吾輩が……貴様の友でいられるうちに』
鎧の巨漢が、震えた声で言う。その拳は固く握られていたが、今にも爆発しそうなほどに震えていた。
多くの人の顔が、言葉が、浮かんで消える。決別したはずの過去。捨て切れなかった過去。忘れてはならない、自分が背負うべき過去。そこに向かって伸ばされたカウルの手が、何か温かいものに触れる。そこから流れ込んでくるのは、心地よい、優しい力。全身を覆っていた重苦しい感覚が、徐々に和らいでいくのが感じられる。
「……さん、カウルさん。起きてください」
……起きる?
言われて、カウルは自分が眠っていた事を悟る。一体、いつから。カウルは自問した。
——確か、マルバスに向かう馬車の中でフレアが倒れて、俺も気分が悪くなって、それで——
そこまで思い出して、カウルはハッと目を開けた。体を跳ね起こすと、八つの瞳がカウルを見ている。
「やっと起きましたね、カウルさん。フレアはもっとさっくり起きてくれましたよ?しっかりしてくださいよ、ほんとに」
それまで、心配で歪んでいたであろう顔を僅かばかり綻ばせて、銀髪の少女が言う。心配していた、と素直に言うのはシャクだとでも思っているのだろう。呆れたように肩をすくめているが、その声音はしっかり弾んでいる。その少女、ミカエラの可愛らしい悪態を、緋髪の少女、フレアが嗜める。
「こら、ミカ。カウルさんは病み上がりなんだから、もっと別に言う事があるでしょ? ほんと、良かった。カウルさん、凄くうなされていたから」
「あぁ……。すまん、状況が掴めんのだが、何がどうなってるんだ?それに、ここは?宿屋では無さそうだが……」
カウルの問いに、金髪の青年、ヴィスベルが応える。
「ここは、この街の……マルバスの孤児院、その一室だよ。カウルとフレアは、街に蔓延していた病魔の力に冒されて、倒れてたんだよ」
ヴィスベルの言葉を引き継いで、ローズブロンドの髪の少女、ミラが続ける。
「それで、ミカとヴィスベルさんがアリアさん……教会の聖女様やプリーストの人達と協力して、病魔をやっつけたんだよ!」
そこに含まれていた情報量の多さに、カウルは一瞬、瞠目した。
「……いや。待て。病魔に、聖女?御伽噺でも聞かされてるのか、俺は?」
「せっかく助けたのに御伽噺、なんて言われたら心外ね」
その声とともに現れたのは、カウルの知らない顔。
桜金の髪を小さく揺らす少女。勝ち気な紺碧の瞳が、優しげな光を湛えている。感じられる魔力はミカエラの物と似た雰囲気を匂わせており、なるほど、これが命の眷属神の加護の力かと、カウルをして思わせた。
「貴方を蝕んでいた呪いは、フレアさんと一緒で最優先で解呪したはずだけれど、調子はどうかしら?」
「ん、あぁ。身体は、随分と軽いような感じがするな。助かった。我らが父祖、アニムス・トーレントの剣に誓って、至上の感謝を」
カウルは身に染みた動きで胸を叩き、拳と掌を合わせる仕草をする。初めて見る動きに、ミカエラやヴィスベル、フレアなどは小首を傾げたが、ミラとアリアは何やら訳知り頷いている。
カウルはバツが悪そうに、「悪い、忘れてくれ」と首を振った。
「いいえ、カウルさん、だったかしら。私もディバイデアの様式には詳しくはないから簡易の返礼しかできないけれど……。アニマ・グレイルの杯より溢れたる光栄の雫に感謝します」
言って、アリアは両手の五指を眼前で合わせて僅かに頭を下げる。ここで初めて、ヴィスベル達はそれがカウルの地元である騎士国家の様式なのだと思い当たった。
「カウルさんも地元の癖とかあるんですねぇ」
「うるせぇ。寝起きだ、んなこともあるわ」
そう軽く返しつつも、カウルは自分の身に染み付いた騎士国家の儀礼に、僅かに顔を顰めた。
——すっかり、捨て去ったものと思っていたのだが。
カウルの内言は他の誰にも拾われる事なく、話が進む。
「今回は、ヴィスベルさんとミカエラちゃん、ミラちゃんの力で、無事に病魔を討伐することができました。改めて、感謝を。謝礼として、今はこの場にいない教会の錬金術師が作成したポーションを数点、用意しています。……あたしたちは、まだ街の人たちの解呪や土地の浄化作業が残っていますので、見送りなどはできませんけど」
これです、とアリアが小さなポーション用ポーチを開いて見せる。中には色とりどりの液体が詰められた瓶が何本か並んでおり、その一つ一つが薄く発光しているのが見える。「薬神の吐息」とも呼ばれるこの現象は、本当に上質なポーションが作成後数時間、特別な処理をされれば数日間呈し続けるもので、これを手掛けた錬金術師の腕の良さを証明するもの。暗闇でないにも関わらず、見て分かる程に光るポーションに、カウルはその目を大きく見開いた。
「こりゃあ、相当の良品じゃないのか?こんなものをもらっていいのか?然るべき所に出せば、金貨の10枚20枚は堅いだろうに」
「それだけ、大きい事をしてくれたから……。改めて、もう一度だけ。ううん、何度だって言わせて。ありがとう」
アリアが頭を下げると、もう何度も見たのだろう。ミカエラが、見飽きたとばかりに呆れ笑いの表情を浮かべている。
何をやったかは知らないが、今回ばかりはトラブルではないらしい。カウルはそんな事を考えて、ホッと小さなため息を吐き出した。
アリアが立ち去って、部屋に見知った顔だけになる。
「それで、カウルさん。実際のところ、体調はどうなんです?」
ミカエラの問いに、カウルは鷹揚に頷いた。
「さっきも言った通りだ。……しっかり眠れたみたいで、疲れもない。身支度が終われば、すぐにでも出発できる」
カウルがはっきり答えると、一同が微かに抱いていた不安の空気が一気に霧散する。
カウルは一番目が覚めるのが遅かったということもあって、皆、それぞれ不安を抱えていたのだ。特に、自分の力不足でうまく治療できなかったという負い目のあるミカエラなどは、人には言わないまでも人一倍、カウルを心配していた。そのミカエラの機微を何となく察したカウルが、ベッドから体を起こしてミカエラの頭に手を置いた。
普段、彼女がアホな事をやらかした時に落とす拳骨ではなく、優しい、慈しみの篭った手である。ミカエラはぶるりと肩を小さく震わせて、
「え、何ですかカウルさん。やっぱり体調悪いんじゃないですか?ちょっと気持ち悪いですよ、その、頭の触り方が。らしくなく丁寧と言いますか、いつもの乱雑さがないというか」
少しは可愛げのある反応を期待したカウルは、そのあまりに酷い、ある意味でいつも通りのミカエラの反応に、ぴしりと表情を固めた。
ミカエラ、ひいてはミカヅキの視点から見れば、いっそ友人としての親密さすら感じているカウルからのらしくない愛情表現に驚きと微かな嫌悪を抱いただけではあるのだが、年相応の少女としてミカエラを見ていたカウルにしてみれば、飼い犬に手を噛まれたような心地とでも言おうか。
ともかく、その不幸なすれ違いが、カウルの「らしくない」優しさを消滅させてしまった。カウルは突然手つきを乱雑な物に変えて、ガシガシとミカエラの頭をぐしゃぐしゃにする。ミカエラは、いつも通りに戻ったカウルの反応に「ぎゃー!」と叫びつつもどこか楽しげである。その叫び声は、その場の全員に「日常が戻ってきた」と思わせるに十分なほど、彼らにとっての「日常」そのものだった。
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