003話 街へ
アルカディアの街へ向かう街道を歩いていると、突如として目の前の空間がぐにゃりと歪んだ。
空気の密度が変わり、辺りの景色が重く沈み込んでいく。
秀「な、なにこれ……!? 急に空気が重くなった……?」
老爺「ぬ……! これは『空間の亀裂』……現世界と幻世界を繋ぐゲートが開いてしまったか!」
老爺が警戒露わに杖を構えると同時に、歪んだ空間の中心から真っ黒なモヤのようなものが溢れ出した。それはやがて、人のような、あるいは野獣のような歪な形を結び——不気味な赤目を光らせる『影の存在』へと姿を変える。
老爺「気をつけろ秀! 幻世界から溢れ出た『影獣』じゃ! 現世界の生命力を食らう悪意の塊のようなものじゃぞ!」
「グオォォオオンッ!!」
耳を刺すような咆哮と共に、影獣が地面を爆破するように蹴って襲いかかってきた。
秀「くっ……! 火よ、出ろ!」
僕は慌てて右手を突き出し、炎の魔法を放とうとした。しかし、練り合わせた魔力は小さく弾けただけで、影獣の表面を少し焦がした程度で消えてしまう。
秀「嘘だろ……!? 全然効いてない!?」
老爺「焦るな秀! 単純な魔法では影の体をすり抜けてしまう! 相手の核を捉えよ!」
影獣の鋭い爪が僕の胸元をかすめ、服が引き裂かれた。衝撃で地面を転がり、背中に激痛が走る。速い。そして攻撃が通らない。冷や汗が吹き出し、心臓がバクバクと早鐘を打つ。
(落ち着け……考えろ!【上位化】の力で、僕は魔力の扱いを人一倍早く吸収できるはずだ。ただ魔法をぶつけるんじゃダメだ。この世界の法則と、僕の『召喚魔法』を掛け合わせるんだ……!)
押し寄せる恐怖をねじ伏せ、感覚を研ぎ澄ます。
影獣の胸の奥深くに、黒いモヤとは明らかに違う、禍々しく脈打つ「赤い核」が見えた。
秀「そこか……! 来い、炎の精霊!」
深く息を吐き出し、体内から溢れ出る魔力を練り上げる。召喚陣が足元に展開すると同時に、基本属性の「火」を精霊の形として実体化させた。
しかし、ただ放つだけではない。僕は【上位化】による高速の魔力制御で、炎の精霊をドリル状に激しく回転させた。
秀「貫けえええっ!!」
影獣が再び襲いかかってくる直前、放たれた炎の使い魔は、影の体を強引に削り取りながら一直線に突入した。
ズドォォンッ!
激しい爆発音と共に、炎の使い魔が影獣の胸の核を正確に打ち抜く。
「グガアアアッ……!?」
核を破壊された影獣は断末魔の叫びを上げ、崩れ落ちるように黒い霧となって消滅していった。
秀「はぁ……はぁ……はぁ……」
地面に膝をつき、激しい荒い息を吐く。手は震えていたが、手のひらには確かに魔力を完璧にコントロールした感触が残っていた。
老爺「……ほう! 一度の失敗で属性魔法と召喚術の『混合』を理解し、さらに回転の威力を乗せるとは。恐ろしい成長速度じゃな……」
老爺は驚きを隠せない様子で髭を撫でながら、そっと僕の肩を叩いた。
秀「なんとか……倒せた……。めちゃくちゃ怖かったけど……」
それから少し歩いていると、街の全貌が視界に飛び込んできた。
白を基調とした巨大な石造りの城壁がどこまでも続き、その向こうには尖塔や色鮮やかな屋根の建惑がいくつも連なっている。城門の付近には、商人の馬車や旅人、獣の耳を生やした人々が列をなし、賑やかな活気がここまで伝わってきた。
秀「あれが……中央都市アルカディア……!」
老爺「ふふ、ようやっと着いたのう。街道沿いは影獣の脅威もあるが、あの城壁の内側に入りさえすれば、強力な結界と騎士団のおかげで安全じゃ」
街道の緊張感から解放され、僕は思わずほっと息をついた。だが、城門の前で兵士たちが一人ひとりを厳重にチェックしているのが目に入る。
秀「おじいさん、僕みたいな身元の分からない人間でも、すんなり街に入れるんですかね?」
老爺「案ずるな。身元不明の『流れ者』などこの世界では珍しくもない。それに……お主には『訪問者』のスキルがあるじゃろ? あれがあれば通行証の発行もスムーズに済むわい」
老人は不敵に微笑むと、杖をトントンと鳴らして足を速めた。
老爺「さあ、まずは身分証を手に入れて、腹ごしらえと宿の確保じゃ! 異世界での本当の生活は、ここから始まるぞ」
城門をくぐり、賑やかな大通りの人ごみに紛れながら、僕はふと足を止めた。
老爺「どうしたね、秀? 腹でも減ったか?」
秀「あ、いえ……なんか、視線を感じた気がして」
振り向いても、行き交うのは笑顔の商人や旅人たちばかりだ。気のせいかと思い直して歩き出そうとしたその時、ポケットの中でスマホがブーッと短く震えた。
圏外のままのはずの画面に、見たこともない通知が件名なしで1件届いている。
『——彰人:お前、どこにいるんだ?』
ゾクッと背筋に冷たいものが走る。
福岡タワーの窓から落ちたのは、僕一人だったはずだ。
「おい秀、置いていくぞ?」
少し先を歩く老爺が振り返る。その顔は先ほどまでと同じ穏やかな笑顔のはずなのに、なぜか夕闇の影が深く差し込み、その瞳の奥には光が一切宿っていなかった。




