第1章(第6話)『怪しげな勧誘』
「――なあ」
背後から、不意に低い男の声がかけられた。
「ん?」
俺の身体がピクリと強張った。
心臓が嫌な跳ね方をするのを感じながら、俺はゆっくりと振り返った。
そこには、短髪で背の高い男が一人、立っていた。
俺たちより少し年上に見えるが、正確な年齢まではわからない。顔には親しげな笑みが浮かんでおり、どこか人懐っこい――悪く言えば、お人好しそうな雰囲気を漂わせていた。
俺は無意識のうちに、そいつの装備をスキャンするように全身を観察した。
これまでギルド内で見かけてきた熟練冒険者たちにありがちな、威圧感のある装備は一切身につけていない。
顔面を縦に走る恐ろしげな傷跡もなければ、獲物を品定めするような殺気に満ちた眼光もない。『俺はこれまでに千匹の魔物を殺してきた。次はお前の番だ』とでも言いたげな、ベテラン特有のドス黒いオーラも皆無だった。
見た目だけなら、ただの……めちゃくちゃいい人そうな男だった。
……いや、待て。逆に怪しすぎるだろ。
こんな荒くれ者ばかりが集まるファンタジー世界のど真ん中で、なんでそんなマイナスイオンを放ってるんだよ。絶対に裏がある。新手の詐欺師か、宗教の勧誘にしか見えねえ。
「……はい? 何か用ですか?」
俺は警戒レベルを最大まで引き上げ、できるだけ冷淡な声を意識して答えた。
「いや、そんなに警戒しないでくれよ。俺は怪しい者じゃないからさ」
男は両手を軽く上げ、苦笑交じりに言った。
……そのセリフを吐く奴が大抵一番怪しいって、ゲームの基本設定で決まってんだよ。
「今日登録したばかりの新人って、君たち二人のことだろ? ちょっとギルドの受付のあたりで噂を聞いてね」
俺はわずかに眉を上げた。
……は? もう噂になってんのかよ。
まだ登録を終えてから十分かそこらしか経ってねえぞ。ここの情報ネットワーク、5G回線並みに爆速かよ。
男は一瞬、俺の隣で依然として依頼掲示板に夢中になっている愛子へと視線を移した。
愛子は「初心者がヒュドラと戦えないなんて不公平だ! 法律違反だ!」とでも言いたげに、Aランクの依頼書に向かってブツブツと呪詛を吐き続けていた。
……おい。まだ諦めてねえのかよ。
男は彼女の様子を見て小さく笑うと、再び俺に向き直った。
「実は、君たちにちょっと面白い提案があってね。君、商売の話がわかりそうな、なかなか賢い顔をしてる」
……へえ。
俺は男をジロリと観察した。
ほう……見た目に反して、なかなか見る目があるじゃないか、この男。
日本にいた頃、商売や交渉の類は、俺の数少ない得意分野だと胸を張って言えるものの一つだった。
相手の表情から何を求めているのかを読み取り、どうすれば自分に最も有利な条件で取引を持ち込めるか、頭の中でシミュレーションする。そういう腹黒い計算なら、それなりに自信があった。
もちろん、一晩で億万長者になれるほどの神がかった話術があるわけじゃない。だが、目の前の話が『本物のチャンス』なのか、それとも『ただの罠』なのかを見極めるくらいの嗅覚は持っているつもりだ。
それに何より、相手がうまい話を持ちかけて何かを売りつけよう、あるいは俺を嵌めようとしているときくらいは、瞬時に見抜ける自信があった。
……問題は、目の前のこの男の提案が、どっちに転ぶかってことだ。
俺は口元に小生意気な笑みを浮かべた。
「見る目がありますね。それで、その提案ってのは?」
「ははっ、やっぱりな!」
男は嬉しそうに声を弾ませた。
俺たちはギルドの入り口付近の喧騒から少し離れ、声を張り上げなくても話せる、広間の隅の薄暗いスペースへと移動した。
「あ、待ってよ、タンポポくん!」
愛子はそう声を上げながら、金魚のフンみたいに俺の後ろをついてきた。
……だから、その呼び方をやめろっての。
男は改めて居住まいを正すと、自己紹介を始めた。
「俺の名前はルイス。一応、これでも中堅の冒険者パーティーでリーダーをやってるんだ」
ルイスの話を要約すると、こういうことだった。
彼らのパーティーは、ギルド内での評価を上げ、もう一段上のランクへ昇格する方法を探していたらしい。
そんなとき、ギルドを揺るがすほど異質なステータス――おそらく、愛子のマナゼロの件だろう――を叩き出した、登録したばかりの俺たち二人に目を留めたのだという。
そして彼は、俺たちを自分たちのパーティーに勧誘したい、とストレートに告げてきた。
最初、俺の脳内アラートは真っ赤に点滅していた。
会ったばかりの、素性も知れない人間にパーティーへ誘われるなんて、どう考えてもまともな話じゃない。
異世界テンプレ的に考えれば、ダンジョンの奥底に連れて行かれ、魔物の餌か身代わりにされて見捨てられる未来しか見えねえからだ。
……いや、待て。まだこの世界に来たばかりなのに、もう仲間に裏切られるイベントなんて勘弁してくれよ。
だが、ルイスの話を聞き進めていくうちに、提示された条件そのものは、無一文の俺たちにとって悪くない……いや、むしろうますぎるように思えてきた。
彼らは、俺たちがEランクから昇格できるよう、全面的に手助けしてくれるという。
さらに、効率的な金の稼ぎ方や、この世界で生き延びるための冒険者としての立ち回り、さらには裏ルールまでも、塾の講師よろしく叩き込んでくれるらしい。
その代わりに、俺たちが彼らへ支払う対価は一つ。
近々行われるという、彼らのパーティーの『資格更新試験』に、新加入のメンバーとして協力することだった。
「……なるほどね。でも、その試験って具体的にはどんなことをするんですか? 裏で怪しい犯罪に加担させられるのは御免ですよ」
俺はルイスを睨みつけ、探るように尋ねた。
「おい、人聞きが悪いな! ギルドが公式にパーティーの実力や状態を審査するための、至って健全な手続きだよ」
ルイスは焦ったように手を振った。
「メンバーが必要な条件を満たしているか、登録しているランクに見合った活動ができているか、必要なギルドへの書類手続きがきちんと済んでいるか……そういった事務的な確認をするだけさ」
さらにルイスは、この世界で冒険者パーティーを維持するためには、独自の登録条件や厳しい義務が存在することも教えてくれた。
守るべきギルドの規則があり、定期的に支払うべき維持手数料があり、さらには――『パーティー税』なるものまで存在するらしい。
俺は、ルイスの顔を無表情で見つめた。
パーティー税。
……パーティー税だと?
いや、ちょっと待て。
ここがファンタジー世界だってことは、この数分間でよーく分かった。
だが、現実世界の泥臭い要素が入り込みすぎじゃねえか?
俺はあのクソみたいな日本でトラックに轢かれて死んで、せっかく異世界に転生したんだ。
これで、ファンタジーの主人公なら真っ先にゴミ箱に放り込んでくるはずの『労働』や『しがらみ』から、ようやく解放されたと思っていたのに……。
税金。
この世界でも納税の義務から逃れられねえのかよ。
どうやら、こっちの世界の神様ってやつは、なかなか独特で底意地の悪いユーモアのセンスを持っているらしい。
それでも、このルイスという男の提案が、今の俺たちにとってこれ以上ない救いの手なのは否定できなかった。
俺たちには今、今日を生き延びるための金が必要だ。実戦経験も必要だ。そして、何か大きな決断を下す前に、この未知の世界のルールを一から学ぶ必要がある。
そもそも、マナが最低値のサヴァンと、マナゼロの歩くゾンビなんていう、地雷剥き出しのバグ物件コンビを、自ら進んで仲間に迎え入れてくれる奇特な人間なんて、この先何日待ったところで現れるわけがない。
俺は隣の愛子をチラリと見た。
何しろ、こいつにはマナがまったくないのだ。普通のパーティーなら、不吉の象徴として塩を撒かれて追い出されるのがオチだろう。
だからといって、周りから変わり者扱いされているからという理由だけで、日本から一緒に来たこのゴリラ女を見捨てるつもりは毛頭なかった。
この世界で本気で生き延びるつもりなら、まずは利用できる人脈を確実に作るところから始めるのも悪くない。
俺は再び、ルイスへと向き直った。
「わかりました。ルイスさん、あなたたちのパーティーの試験とやらに、乗らせてもらいます」
ルイスの顔が、ぱっと明るくなった。
「本当かい!? よかった! 引き受けてくれて本当に嬉しいよ!」
彼が嬉しそうに手を差し出してきたので、俺もその手をしっかりと握り返した。
「それじゃあ、さっそく他の仲間に紹介するよ。今、ギルドの裏手にある馴染みの酒場で待たせてるんだ。ついてきてくれ」
「了解です」
俺はルイスの後ろを歩き始めたが、心の片隅では、まだ何か見落としている強烈な裏があるんじゃないかと、不気味な胸騒ぎを感じていた。
……それにしても、この人、やっぱりちょっといい人すぎないか? 詐欺の定番の手口じゃないだろうな。
俺は、まだ依頼掲示板に未練たらたらな愛子の方を振り返った。
「おい、愛子!」
彼女は肩越しに、不満たらたらの顔でこちらを睨んだ。
「んあ? 何よ、タンポポくん。あたしは今、ヒュドラの倒し方を脳内シミュレーションして――」
「いいからちょっとこっち来い、クソビッチ!」




