第1章(第2話)『アストリア最悪のヒーロー』
「……ああ、くそ。これって……」
周辺を歩き回っていた俺は、大通りから少し外れた細い裏路地の前で足を止めた。
路地の奥から、若い女性の慌てた声が聞こえてくる。どうやら、何か厄介なことに巻き込まれているらしい。
……待てよ。
ここが本当にファンタジー世界なら、誰かを助けることで、ゲームによくある強制イベントが発生するんじゃないか?
俺の目が、わずかに見開かれた。
……へへへ。
もしかして、将来のハーレムメンバーをゲットするチャンスなんじゃねえの?
……いやいやいや。落ち着け、潤也。
気が早すぎるだろ。
俺は後ろを振り返り、愛子を見た。
**……却下。こいつだけは絶対にない。**
「ちょっとここで待ってろ」
そう言い残し、俺は足早に路地へと向かった。
愛子が何か尋ねるよりも早く、俺は路地へと駆け込んでいた。
一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
賑やかな大通りの喧騒が遠のき、代わりに聞こえてきたのは、三人の男たちが話す声だった。
その前には、居心地が悪そうに立っている若い女性が一人。
……うん。間違いない。
強盗だ。
少なくとも、俺にはそう見えた。
「おーい、ハニー! やっと見つけたぞ! ずっと探してたんだぜ!」
俺は無理やり明るい笑顔を作り、彼女に向かって声をかけた。
「まったく、お前は本当にドジだな。旦那をこんなに心配させやがって……」
三人の男たちが、一斉に俺を振り返った。
一人は、豚のような顔をした大柄な男。
もう一人は、ほかの二人より明らかに背の低いドワーフ。そして最後の一人は、どこにでもいそうな普通の人間だった。
三人とも、しばらく俺をじっと見つめていた。
少女もまた、困惑と呆れが入り混じったような表情で俺を見ている。
頼むから、話を合わせてくれ……!
「ほう、ほう……」
ドワーフが首を傾げ、ゆっくりと口元に笑みを浮かべた。
「こいつは面白くなってきたな」
少女は俺と男たちを交互に見たあと、小さくため息をついた。
「はあ……。このバカ……」
おい! そういう反応を期待してたんじゃねえよ!!
俺は彼女の言葉を無視し、その手を取った。
「ほら、帰るぞ」
まるで、一日中買い物をしていた妻を迎えに来た夫のように、できるだけ自然な口調を心がける。
頼む、うまくいってくれ……!
なあ、頼むから……!
**お願いだから、マジでうまくいってくれえええ!!**
「おっと、そうはいかねえぞ、坊主」
豚顔の男が一歩前に出て、路地の出口を塞いだ。
「俺たちは、この女との話を終わらせようとしてたところなんだ。そこへお前が割り込んできたってわけだ。……さあ、ポケットの中身を全部出してもらおうか?」
……
……は?
俺は男を見つめた。
それから、少女に目を向ける。
……やべえ。めちゃくちゃ怒ってる。
待て待て。
俺は彼女を助けに来たんだよな?
なのに、どうして一日を台無しにされたとでも言いたげな目で睨まれてるんだよ!?
落ち着け、潤也。考えろ。
相手は三人。こっちは武器なし、魔法なし、十八歳。しかも、ひょろひょろの身体つき。
……うん。勝てるわけがねえ。
となると、ハッタリで切り抜けるしかないか……。
アニメをそれなりに見てきた俺にはわかる。自信満々に振る舞えば、相手を一瞬だけでも怯ませられることがある。
もちろん、アニメですら、この作戦は自分がその場で一番弱いときにはあまり役に立たないんだが。
……まあ、やらないよりはマシだろ。
「お前ら、後悔することになるぞ。……おい、お前ら、俺が誰だか知ってるのか?」
少女が間髪入れずに答えた。
「バカ」
**お前は少し黙ってられねえのかよ!?**
ハーフリングの男が呆れたように首を振った。
「お前なんか、ただのモブにしか見えねえけどな」
**お前にだけは言われたくねえよ!!**
……くそっ。全然効いてねえじゃねえか!
俺は必死に別の作戦を考えようとしたが、頭の中は完全に真っ白だった。
戦えない。魔法も使えない。そもそも武器すら持っていない。
……マジで、何の取り柄もない主人公ってどうなんだよ!?
普通、異世界に転生したら何か一つくらい特典があるもんじゃねえのか!?
チート能力とか、伝説の武器とか、せめて困ったときに役立つ謎のスキルとか!
……いや、今そんなことを考えても仕方ないんだが!
そのとき、視界の端に、通りを歩く一人の人物が映った。
騎士だ。
周囲の人々の中でもひときわ目立つ鎧を身につけている。午後の日差しを受けて金属がきらめき、いかにもファンタジー世界の騎士といった風格を漂わせていた。
**よっしゃあああ!! 助かったあああ!!**
俺は騎士の方へ振り向き、人生で一番深く息を吸い込んだ。
「おおおおい!! 誰か助けてくれえええ!! こいつらが女の人を襲ってるんだ!!」
騎士が足を止めた。
こちらに顔を向けると、そのまま路地へと歩いてくる。
騎士の姿を見た瞬間、三人の男たちの表情が変わった。
豚顔の男は舌打ちし、人間の男は近づいてくる騎士を不安そうに見つめている。
ドワーフの笑みも消えた。
三人は何も言わず、じりじりと後ずさり始めた。
そして数秒後。
一目散に逃げていった。
ふううう……。
俺は、いつの間にか止めていた息を吐き出した。
あっぶねえ……!
心臓がバクバク鳴っている。
いや、マジで危なかった。
あと少し騎士が来るのが遅れていたら、俺は今ごろどうなっていたんだ?
……考えたくもねえ。
騎士が、鎧をかすかに鳴らしながら俺たちのもとへ歩いてきた。
「二人とも、怪我はないか?」
その声は、驚くほど穏やかで優しかった。
……不思議なもんだな。
見た目は人を怖がらせるのに十分すぎるほど威圧的なのに、声だけ聞けば、お年寄りの荷物を持ってあげそうな人だ。
「はい。助けていただき、ありがとうございます」
俺は慌てて、礼儀正しく答えた。
「気にするな」
騎士は小さく頷くと、今度は俺に目を向けた。
そして、頭から足元までじっくりと観察し始めた。特に、俺の服装が気になっているらしい。
「ふむ……珍しい服装だな。君はアストリアの住人か?」
……あっ。やべえ。
俺、何か疑われてる?
自分の服装がこの世界でどれほど珍しいのかはわからない。だが、こうして質問されると、なんだか急に落ち着かなくなってくる。
……いや、待て。別に悪いことはしてないだろ。
……強盗を止めようとしただけだ。
……まあ、止められたかどうかは微妙なところだが。
「旅行者です、騎士様」
「そうか」
騎士はもうしばらく俺を見つめていたが、それ以上は追及しないことにしたらしい。
「個人的なことを尋ねてすまなかった。では、残りの一日を楽しんでくれ」
そう言い残すと、騎士は踵を返して歩き去っていった。
俺は、その姿が人混みの中に消えるまで見送った。
「はあ……。あの人、めちゃくちゃ威圧感あったな……」
正直、さっきの三人を相手にハッタリをかましていたときより、騎士と話しているときのほうが緊張した。
少なくとも、あの三人は、俺を金属の塊で圧し潰せそうな鎧なんて着ていなかったからな。
……衛兵に連行されるんじゃないかって、本気で思ったぞ。
俺は隣に立つ少女へと振り向いた。
彼女は俺をじっと見つめていた。
感謝の目ではない。
安心した目でもない。
**……めちゃくちゃ怒っていた。**
……うん。
こっちのほうが、さっきの騎士より怖いかもしれない。
「……で、さっきのは一体どういうつもりよ?」
少女が一歩、俺に近づいてきた。
俺は思わず瞬きをした。
……は?
もしかして、まだ何が起きたのか理解できていないのか?
そうだ。きっとそうに違いない。
「お、おいおい。そんなに感謝しなくてもいいぞ」
俺は服についた埃を払いながら、まるで壮絶な戦いを終えた英雄のように振る舞った。
「男として当然のことをしたまでだからな」
少女はもう一秒ほど俺を見つめたあと、心底呆れたようにため息をついた。
「はあ……。男って本当に単純ね。バカじゃないの」
……は?
今、なんつった?
俺が口を開くよりも先に、彼女は続けた。
「あたし、もうあいつらの要求には応じてたのよ」
俺の動きが止まった。
「……え? 今、なんて?」
「だから、もうお金は渡してたの! 抵抗して事態が悪化したら困るでしょ!? なのにアンタが割り込んできたせいで、全部台無しじゃない!!」
俺は彼女を見つめた。
それから、さっきまで男たちが立っていた場所を見た。
そして、もう一度彼女を見た。
「……あ」
**……あああああ。**
ようやく理解した。
俺は、ろくに事情も知らないまま突っ込み、見事に恥をさらした挙げ句、助けようとしていた相手に迷惑までかけたらしい。
……俺、マジでバカじゃねえか。
いや、バカだ。
完全にバカだった。
ちょっと待て。俺は正しいことをしようとしたんだよな?
……いや、正しいかどうかを判断する前に突っ込んだ時点で、もうダメだったのか。
少女はもう一度、苛立たしげにため息をつき、くるりと背を向けた。
「もういいわ。忘れてちょうだい」
彼女はブツブツと文句を言いながら、路地の外へと歩いていった。
俺は数秒間、その場に立ち尽くした。
……追いかけて謝ったほうがいいのか?
いや、でも、今さら何を言えばいいんだ?
「さっきはごめんなさい。事情も知らずに勝手に助けようとして、逆に迷惑をかけました」……とか?
……うん。正論すぎて、余計に惨めだな。
……いや、やめとくか。
これ以上恥をさらしたら、今日一日だけじゃ済まなくなりそうだ。
俺は深いため息をつき、敗北感に打ちひしがれながら大通りへと戻った。
愛子は、俺が置いていった場所で待っていた。
まるで一歩も動いていなかったかのように。
俺が近づくと、彼女は頭のてっぺんから足元まで、じろじろと俺を見た。
「……何よ、その死にそうな顔」
「うるせええええ!!」
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