第1章 (第25話)『夢 I I』
世界が静まり返った。
この奇妙な場所に来てから初めて、俺は自分が夢を見ているということすら忘れていた。
「もし……あの瞬間に戻れたら……」
俺は呟いた。
エヴァはティーカップを指先で持ったまま、静かに俺の答えを待っていた。
「もっとログに注意を払っていたと思う。そうすれば、みんなに警告できたかもしれない。あるいは……あの黒鎧のクソ野郎が現れる前に、全員で逃げる方法を見つけられたかもしれない」
「かもしれない、ね」
エヴァが言った。
俺は眉をひそめる。
「……かもしれない?」
「ええ。かもしれない」
「それだけ? 他に何かないわけ?」
「どんな答えをお望みかしら? ありもしない可能性を十通りほど並べて差し上げましょうか?」
「別に悪くないだろ」
「それなら、もっと良い質問をすることね」
俺は彼女を見つめた。
「……何だって?」
エヴァはティーカップをソーサーに置いた。
「ログとは何なのかしら?」
俺は瞬きをした。
「それって、今まで俺が聞いてきたことじゃないのか?」
「いいえ、ジュンヤ。そなたが尋ねていたのは、メッセージの意味よ。ログそのものが何なのかを尋ねたわけではないでしょう?」
「じゃあ、その違いは何なんだ?」
彼女はテーブルの上で両手をきれいに重ねた。
「ログとは、情報を伝えるための手段。すでに起きた出来事、現在進行している出来事、あるいはこれから起こるかもしれない出来事を記録したものよ。ただし、情報というものは、何を見ているのか理解できて初めて役に立つの」
俺はテーブルに視線を落とした。
「つまり、俺はそれを理解できてなかったってことか」
「妾が言いたいのは、そなたが情報を目にした途端、その意味を勝手に決めつけて、自分を責め始めたということよ」
「都合のいい言い分だな」
「そうかしら?」
エヴァはわずかに首を傾けた。
「差し迫った死」
彼女がその言葉を口にした。
俺は瞬きをする。
「……何だって?」
「教えてちょうだい、ジュンヤ。そなたはそれがどういう意味だと思っているの?」
俺は少し考えた。なぜ急にそんなことを聞くのか、よく分からなかった。
「誰かが死ぬってことだろ?」
エヴァはくすりと笑った。
「惜しいわね」
彼女は微笑みを浮かべたまま、話を続けた。
「差し迫った死が、必ずしも避けられない死とは限らないのよ」
俺は顔を上げた。
エヴァの表情に変化はなかったが、その声は少しだけ静かになっていた。
「未来は常に決まっているわけではないわ。変えられるものもあれば、変えられないものもある。そして、何が起こるかを知っていたとしても、それをどう防げばいいのか分かるとは限らない」
俺はテーブルの下で拳を握りしめた。
「じゃあ、俺はどうすればよかったんだ? あのメッセージは、どうやって止めればいいのかなんて教えてくれなかった。ただ画面に表示されて、それで――」
声が詰まった。
俺は唾を飲み込み、無理やり続きを口にした。
「……それで、みんな死んだ」
エヴァは黙っていた。
その沈黙が嫌だった。
まるで天気の話でもしているかのように、平然と紅茶を飲んでいられる彼女も、言葉を絞り出すのに苦労している俺も、何もかもが嫌だった。
「もっと注意していれば、何かに気づけたかもしれない。みんなに警告できたかもしれない。もしかしたら――」
「ジュンヤ」
俺は口を閉じた。
「結果を変えられた可能性があることと、その結果にそなた自身が責任を負っていたということを混同してはいけないわ」
俺は彼女を見つめた。
「嵐が来ると知っていたからといって、そなたが雨を降らせたことにはならないでしょう? それに、嵐を止められなかったからといって、濡れる罰を受けるべきだったということにもならないわ」
一瞬、何も言い返せなかった。
馬鹿げた例え話だ。
腹が立つほど単純な話でもある。
それなのに、その言葉は妙に胸に引っかかった。
反論したかった。何も知らないくせに、と言ってやりたかった。あの場にいなかった彼女に、俺が見たものを理解できるはずがないと。
けれど、一つだけ否定できないことがあった。
俺には分からない。
本当にみんなを救えたのかどうかも。
ログが警告だったのか、予言だったのか、それとも別の何かなのかも。
たった一つでも違う選択をしていれば、結果が変わっていたのかどうかも。
俺は自分の罪悪感を、自分が失敗した証拠のように扱っていた。
自分に責任があると感じるから、自分に責任があったに違いないと。
エヴァは答えをくれなかった。
それでも、メッセージを読んで以来、初めて少しだけ息ができた気がした。
ほんの少しだけ。
「……じゃあ、どうして俺にこんなことを教えてくれるんだ?」
エヴァは首を傾けた。
「妾がそうしたかったからよ」
「それだけか?」
「他に理由が必要かしら?」
「普通、タダで情報をくれる奴には何か裏があるだろ」
「あら。疑り深いのね」
「俺は真面目に聞いてるんだぞ」
「妾も真面目よ」
彼女は再びティーカップを持ち上げた。
「贈り物だと思っておきなさい」
「贈り物ねえ」
「そうよ」
「自分を監視していたとか言い出す謎の女からの贈り物か」
「まあ。随分と恩知らずなのね」
「俺はただ、自分の身に何が起きてるのか知りたいだけだ」
「だからこそ、何を尋ねるかには気をつけるべきなのよ」
俺は目を細めた。
「それはどういう意味だ?」
「知識には価値がある。ただし、すべての知識が同じ価値を持つわけではないわ。安く手に入る答えもあれば、相応の代償を求められる答えもある」
彼女は紅茶を一口飲んだ。
「そして、尋ねない方がいいこともあるのよ」
俺はエヴァを見つめた。
もちろん。
夢の中で出会った謎の女が、今度は謎めいた占い師みたいなことを言い始めた。
俺は椅子の背もたれに体を預け、腕を組んだ。
「なるほど。答えが欲しければ、対価を払えってことか」
エヴァは微笑んだ。
「話が早いわね」
「金か?」
彼女は小さく笑った。
「あら、いいえ。こんな場所でお金をもらって、妾に何の使い道があるというの?」
「そうだよな。何でこのクソみたいな場所のことが、まともに理解できると思ったんだろうな」
「言葉遣いには気をつけなさい、ジュンヤ」
「今さらかよ?」
*今になって言葉遣いを注意するのかよ?*
「……」
俺は額を押さえた。
「じゃあ何だ? 魂でも差し出せって?」
エヴァは一瞬黙った。
そして、口元を楽しそうに緩めた。
「もしそう答えたら、そなたはがっかりするかしら?」
俺は彼女を見つめた。
「正直、ちょっとな」
彼女は胸に手を当てた。
「あら、ひどいわ。妾としては、そなたの心に深い傷跡を残してあげるつもりだったのに」
「もう十分残ってるよ。残念ながらな」
「それは素晴らしいわ。成功ということね」
俺は疲れたように息を吐いた。
「金でもない。魂でもない。じゃあ、他に何がある?」
「それを決めるのは妾よ」
「便利な立場だな」
「ええ、とっても」
エヴァとの口論は、どうやら時間の無駄らしい。何を言っても、彼女はそれを俺をからかう機会に変えてしまう。
それでも、一つだけ無視できないことがあった。
彼女はログについて知っている。
俺たちに何が起きたのかも知っている。
そして、俺が名乗る前から俺の名前を知っていた。
彼女が何者であれ、俺よりも俺自身の状況を理解しているのは間違いなかった。
この機会を無駄にはできない。
「分かったよ。何が欲しいんだ?」
エヴァはティーカップを置いた。
「そなたの注意よ」
俺は瞬きをした。
「……俺の注意?」
「ええ」
「それだけか?」
「今のところはね」
俺は冗談でも言うのかと彼女を見つめた。
だが、何も言わなかった。
「随分と安い対価だな」
「そうかしら? そなたはこれまで、妾にあまり注意を払ってくれなかったでしょう?」
「ずっと話を聞いてただろ!」
「あら、そうだったかしら? それなら、ついさっき妾が何を言ったのか、答えられるわよね?」
「……このクソ女」
エヴァは笑った。
「そんなに怒らないでちょうだい」
「五秒くらい黙ってられないのか?」
「数えてほしいのかしら?」
「結構だ」
「それなら、永遠に分からないわね」
俺は椅子に深く座り直した。
この女、いつか本当に俺を脳卒中にするつもりだ。
エヴァは両手をテーブルの上で重ね、少しだけ真面目な表情になった。
「さて。そなたには二つ、質問する権利をあげるわ」
俺は身を乗り出した。
「二つ?」
「そうよ」
「それには答えてくれるんだろうな?」
「妾が答える気になれば、ね」
俺は彼女を見つめた。
「それ、質問の意味ないだろ!」
「あら、そうかしら?」
「二つ質問していいって言っておいて、答えるかどうかは自分で決めるって、おかしいだろ!」
「実際、できるもの」
「そういう問題じゃねえ!」
「なら、そなたの言いたいことを、もう少し分かりやすく説明してちょうだい」
俺は歯を食いしばった。
絶対にわざとだ。
間違いなく、わざとやっている。
エヴァは片手に頬を乗せた。
「ジュンヤ。妾は、そなたが本当に知りたいことを尋ねる機会を与えているのよ。わざわざ妾との口論に使う必要はないでしょう?」
俺は口を開き、そして閉じた。
*正直、こいつは元の世界にいたら、討論会で無敵だっただろうな。*
だが……
くそ。
彼女の言う通りだ。
腹立たしいほど筋の通った話だった。
「ログについて知りたいのでしょう? 仲間たちのことも。あの結末が違うものになり得たのかどうかも」
俺の胃が締めつけられた。
彼女は、俺が何を尋ねたいのかを正確に分かっていた。
もちろんだ。
俺は自分の手を見下ろした。
知りたいことは山ほどあった。
ここはどんな世界なのか。
どうして俺はこの世界に来たのか。
スマホに表示される、あのメッセージは何なのか。
黒い鎧をまとった男は何者なのか。
どうしてあいつは、みんなを殺したのか。
そして、どうして俺とアオイだけは殺さずに治療したのか。
一つの疑問から、また別の疑問が生まれる。答えを得たところで、さらに多くの疑問が待ち受けている気がした。
けれど、その中でも一つだけ、他の何よりも頭から離れない質問があった。
*俺は、みんなを救えたのか?*
その考えが浮かんだ瞬間、胸が締めつけられた。
エヴァに尋ねることはできる。目を見て、答えろと迫ることだってできる。
だが、もし彼女が「救えた」と答えたら?
俺は残りの人生を、あの時の自分の行動を振り返ることに費やすだろう。ルイ、オルシク、アエラルを救えたかもしれない、たった一つの選択を探し続ける。彼らの死を何度も何度も思い返し、他のことなど考えられなくなるかもしれない。
では、「救えなかった」と言われたら?
俺は彼女の言葉を信じられるのか?
本当に、どうしようもなかったのだと受け入れられるのか?
分からなかった。
きっと反論するだろう。彼女が嘘をついていると思い込むかもしれない。答えを求め続けて、最後にはその疑問に心まで食い尽くされるかもしれない。
どちらにしても、今の俺には答えを受け止める覚悟ができていない。
それが嫌だった。
今になっても、答えを聞くことを恐れている自分が嫌だった。
だが、理解する準備もできていないことに、質問を一つ使うわけにはいかない。
俺はゆっくりと息を吸った。
エヴァの言葉が本当なら、これは有益なことを知るための機会だ。次にログが何かを知らせてきた時、少しでも理解できるようになるための情報を得るべきだ。
もう、起きてしまったことは変えられない。
仲間たちを生き返らせることもできない。
それでも、これから起こることに対して何かできる可能性が少しでもあるのなら……
その方法を知る必要があった。
俺は顔を上げた。
「……分かった。決めた」
エヴァの唇がわずかに弧を描く。
「あら、もう決めたの? あと三営業日くらい悩むと思っていたのに」
「うるさい」
「ふふっ。さあ、聞かせてちょうだい」




