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Fable ― 異世界に転生した俺の物語 ―  作者: ソガシリュー11
第一章:死から始まる物語
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第1章 (第21話)『愚者と墓標、そして砕かれた約束』

どうして俺は生きてるんだ?


目を覚まして最初に浮かんだのは、そんな疑問だった。


そして二つ目に浮かんだのは、ケツがクソほど痛い、ということだった。


身体が跳ねるたびに、背中に硬いものが食い込む。規則的な車輪の音が耳に響き、指先には乾いてざらざらした感触があった。


……藁?


俺はゆっくりと目を開けた。


青い空。


視界いっぱいに広がっていたのは、それだけだった。


雲ひとつない、どこまでも続く青空。陽の光が顔を温め、そよ風が草と乾いた土の匂いを運んでくる。


数秒間、俺はただ空を見つめていた。


……は?


またひとつ大きく揺れて、身体が藁の上で跳ねた。


「いてっ」


自分の声が、妙に遠くから聞こえた気がした。


何度か瞬きをして、周囲を見回す。


左右には木製の柵。下からは車輪のきしむ音が聞こえ、馬車がデコボコした土の道を進んでいるのがわかった。


馬車?


なんで俺、馬車に乗ってんだ?


身体を起こそうとした瞬間、胸に鋭い痛みが走った。


息が詰まり、反射的に手が胸元へ伸びる。


あの男に、手で胸を貫かれた場所。


そこに触れてみた。


……何もない。


傷もない。血もない。傷跡すら残っていなかった。


俺は掌を胸に押し当てた。


一度。


二度。


そして、さらに強く。


「……なんだよ、これ……」


生きている。


俺は生きていた。


本当に、生きていた。


けど、そんなはずがない。


あの男の手が俺の身体を貫いた感触を覚えている。


痛みも、身体の内側から広がっていった冷たさも、自分が死ぬんだと理解した瞬間の絶望も。


そして、ほかのみんなが死んでいく姿も。


俺の手が止まった。


ゆっくりと顔を横に向ける。


隣には、愛子が横たわっていた。


短いワインレッドの髪はぐちゃぐちゃで、顔や腕には擦り傷がいくつもあった。服も汚れていて、まるでクソみたいな泥沼にでも引きずり込まれたような有様だった。


それでも、彼女は呼吸をしていた。


俺は愛子の胸を見つめた。


上下している。


一度。


二度。


「……愛子?」


返事はない。


胃のあたりがぎゅっと締めつけられた。


手を伸ばし、彼女の肩をつかむ。


「おい。起きろよ」


反応はない。


「おい、ふざけんなって」


もう一度、今度は少し強く揺さぶった。


「おい、愛子。いい加減にしろよ。冗談だろ?」


最後の言葉が、少し震えた。


……クソ。


そんな自分が嫌だった。


一瞬で最悪の事態を想像してしまったことも、肩に触れる指先が震えていることも、ここで目を覚ます前に、彼女が生きている姿を見た記憶がないことも。


呼吸してるんだから、大丈夫だ。


人間って寝るだろ? ボコボコにされたあとなら、すぐに目が覚めなくたっておかしくない。


普通だ。


うん。普通だろ。


……


じゃあ、なんで起きねえんだよ?


待て。


違う。


覚えている。


全部、覚えている。


黒い鎧の男。あいつの仲間たち。


前に飛び出していったルイ。


氷魔法で戦っていたアエラ。


巨大な剣を振るっていたオルシク。


そして、俺の隣で刃を閃かせていた愛子。


あのローブをまとったクソ野郎どもを相手に、必死に戦っていた。


それから、あの穴。


身体に開いた、あの穴。


さっきまで、みんなそこにいた。


なのに――


俺は馬車の端から身を乗り出し、吐いた。


目をぎゅっと閉じる。


「黙れ……」


自分に言い聞かせるように呟いた。


馬車がまた大きく揺れた。


俺は顔を上げる。


空は、相変わらず青かった。


太陽も、何事もなかったかのように輝いていた。


世界は終わってなんかいなかった。


……なのに、どうしてこんなにも苦しいんだよ。


俺はしばらく、愛子を見つめていた。


それから彼女の手首をつかみ、脈を確かめた。


ある。


よし。


もう一度、確かめる。


……まだある。


よかった。


そうだ。愛子は生きている。


生きているなら、パニックになる必要なんてない。


……そうだろ?


俺は彼女の手首を離した。


「起きたらキレるんだろうな、お前……。今回のことも、どうせ俺のせいにするんだろ」


そう呟いてみた。


待ってみる。


返事はなかった。


「……だよな」


俺はしばらく、馬車の車輪が鳴らす音に耳を傾けていた。


それから、隣の空いた場所に目を向けた。


ルイなら、もう何か言っているはずだった。


オルシクなら、うるせえって怒鳴っていただろう。


アエラは……


俺は藁に目を落とした。


「……お前ら、マジで最悪だな」


短い笑いが漏れた。


自分でも、馬鹿みたいな笑い声だと思った。


もう一度笑おうとしたけど、喉の奥が詰まったようになった。


「俺に何をすればいいか教えてくれる奴、もう誰もいねえじゃん……。こんなの、どんなパーティーだよ」


口元がわずかに引きつった。


どうしてなのか、隣の空白から目を離せなかった。


ルイが前に飛び出した姿を思い出す。


オルシクが剣を振り上げた姿を思い出す。


あのローブの女と戦っていたアエラを思い出す。


そして、俺の隣で刃を閃かせていた愛子を思い出す。


みんな、そこにいた。


みんな、生きていた。


それなのに――


俺は両手で顔を覆った。


「……やめろ」


小さな声が漏れた。


やめろ、やめろ、やめろ。


思い出したくなかった。


あいつらの身体に穴が開いていた光景なんて。


次々と倒れていった姿なんて。


何が起きているのか理解できず、ただ立ち尽くしていた自分なんて。


自分の胸を貫いた、あの男の手の感触なんて。


全部、忘れてしまいたかった。


けど、忘れられなかった。


俺は全部覚えていた。


呼吸が浅くなる。


「……俺、頑張ったんだよ」


思わず、そんな言葉が口からこぼれた。


「俺だって……必死に戦ったんだよ」


指が顔に食い込む。


「あいつと戦った。できることは全部やった。なのに、どうして……」


声が途切れた。


それ以上、何も言えなかった。


数秒間、馬車の揺れる音だけが響いていた。


やがて、俺は笑った。


小さくて、ひどく惨めな笑いだった。


「……クソ」


手を下ろす。


空はまだ青い。


それが、たまらなく憎かった。


顔を照らす陽の光も、遠くで呑気に鳴いている鳥も、まるで何も起きていないかのように道を進み続ける車輪も。


全部、憎かった。


そして、何よりも。


自分がまだ生きていることが、許せなかった。


「……なんで俺なんだよ」


声は、ほとんど聞こえないほど小さかった。


「なんで俺だけ、生きてんだよ……」


自分の手を見下ろす。


この手で、あの男を止めようとした。


この手で、みんなを助けようとした。


……なのに、失敗した。


拳を握りしめる。


爪が掌に食い込むほど強く。


それから、もう一度愛子を見た。


彼女はまだ呼吸していた。


少なくとも、彼女は生きている。


俺は手を伸ばし、彼女の手を握った。


「……起きろよ」


唇が震えた。


泣くな。普通に呼吸しろ。愛子が目を覚ましたら、全部大丈夫になる。


そう自分に言い聞かせようとした。


けど、どうしても信じられなかった。


涙が一粒、頬を伝った。


すぐに拭う。


「……クソッ」


また一粒。


それから、もう一粒。


唇を固く結んだ。


それでも、声が漏れた。


壊れたみたいな、情けない嗚咽だった。


俺は前かがみになり、愛子の手を握りしめた。


まるで、手を離したら彼女まで消えてしまうかのように。


「……ごめん」


誰に謝っているのか、自分でもわからなかった。


「ごめん……ごめん、ごめん……」


肩が震え始めた。


止めようとした。


本当に、止めたかった。


けど、押さえ込もうとするほど、涙は止まらなくなった。


そして、異世界に来てから初めて。


痛みを少しでも紛らわせるための、馬鹿げた冗談すら思いつかなかった。


そばには、俺のトラックジャケットが落ちていた。


それを拾おうとして、折りたたみ式の携帯電話が目に入った。


俺は固まった。


視線が、そこに釘づけになる。


【ログ #003】――完了:ルイ


【ログ #004】――完了:オルシク


【ログ #005】――完了:アエラ



まさか……。


そんなはずがない。


「……潤也?」


再び、身体がこわばった。


一瞬、幻聴かと思った。


けど、隣で彼女が身じろぎする音が聞こえた。


「おい。何があったんだよ?」


顔を上げる。


愛子が目を覚ましていた。


眩しそうに目を細めながら、こちらを見ている。相変わらず、ひどい有様だった。顔や腕には擦り傷があり、髪はぐちゃぐちゃになっている。


いつもなら、何か一言くらい言ってやったはずだ。


けど、俺はただ彼女を見つめていた。


「……生きてる」


愛子が眉をひそめる。


「は? 当たり前だろ。さっきまで生きてたんだから」


「本当に……生きてるんだな」


「何回言うんだよ、この馬鹿」


彼女は身体を起こそうとした。


だが、すぐに顔をしかめ、脇腹を押さえた。


「クソッ……あの野郎、あたしに何しやがったんだよ……」


俺は視線を落とした。


携帯電話は、まだ手の中にあった。


画面には、ログのメッセージが表示されている。


そして、俺の頭からは、それらのことが離れなかった。


愛子が俺の顔を見て、それから携帯電話に目を向けた。


「……潤也。あたしが気を失ったあと、何があった?」


唾を飲み込む。


「……わからない。目が覚めたら、ここにいた」


愛子は黙り込んだ。


しばらくの間、聞こえるのは車輪の音と、馬車が揺れるたびに軋む木の音だけだった。


やがて、彼女が口を開いた。


「……アエラが、あたしたちを助けたんだ」


俺は顔を上げた。


「……は?」


「全部がめちゃくちゃになる直前、あいつがあたしたちの足元に魔法陣を展開したんだ。どんな魔法だったのかは知らないけど……あたしたちを逃がそうとしてたんだと思う」


愛子は額を押さえた。


「光ったのは覚えてる。そのあと、意識がぼやけて……気づいたら、ここにいた」


俺は彼女を見つめた。


アエラが……俺たちを助けた?


胸が締めつけられる。


「……ほかのみんなは?」


愛子はすぐには答えなかった。


答えを聞くまでもなかった。


「……あたしも見たよ。ルイも、オルシクも……みんな」


彼女の顎が、わずかに強張った。


「……もう、いないんだよ……」


淡々とした言葉だった。


けど、彼女はもう俺を見ていなかった。


馬車の外に目を向け、指先を藁に食い込ませている。


「……なんであたしたちが生きてるのか、わからない。あいつが、なんであたしたちを治したのかも。みんなを殺したのは、あいつなのに……。なんで、あたしたちだけ生かしたんだよ」


答えはなかった。


俺にも、彼女にも。


俺は自分の胸を見下ろした。


傷跡ひとつない。


あの男は、俺の胸を手で貫いた。


本来なら、俺は死んでいるはずだった。


なのに、ここにいる。


生きている。


……何もかも、意味がわからなかった。


「……それと、もうひとつ」


愛子は身体を動かし、痛みに顔をしかめながら、隣に置かれていた荷物に手を伸ばした。


そして、真っ白なマントを取り出した。


一瞬、それが何なのかわからなかった。


けど、すぐに気づいた。


ルイのものだ。


目を見開く。


「……それ、どこで?」


「逃げる前に、ひったくってきた。ほかに何も持ち出す余裕なんてなかったし」


愛子はマントを俺に差し出した。


手を伸ばす。


指先に触れた布地は、少しごわついていた。


このマントを知っている。


ルイが身につけている姿を、何度も見てきた。


先頭を歩きながら、まるで何もかもわかっているかのように振る舞うあいつの背中で、風になびいていたマント。


けど、頭に浮かんだのはルイの姿ではなかった。


アエラだった。


俺はシャツの中に手を入れ、エメラルドのペンダントを取り出した。


彼女がそれをくれた瞬間。


俺を見つめていた、あの表情。


あの約束。


手の中にあるマントを見つめる。


「……潤也?」


答えられなかった。


また喉が締めつけられた。


何か言おうとした。


どんな言葉でもいい。


けど、何も出てこなかった。


もう二度と、あいつらと話すことはできない。


ルイの文句を聞くことも。


オルシクのくだらない話に付き合うことも。


アエラが、あの優しい目で俺を見つめることも。


もう、できない。


みんな、いなくなった。


そして俺の手には、あいつらが残したものだけがあった。


「……持ってなよ」


愛子が静かに言った。


「それをどうするかは、お前の好きにすればいい」


俺は頷いた。


彼女がそれに気づいたかどうかは、わからなかった。


それからしばらく、俺たちは何も話さなかった。


やがて愛子が息を吐き、馬車の側面に背中を預けた。


「……とりあえず、どっか泊まれるところを探さないと」


俺はマントで顔を拭った。


「……ああ」


「金、まだ残ってるよな?」


「……たぶん」


「よし。じゃあ、部屋と飯と風呂だ。こんな馬車で一晩過ごすのは、もうごめんだからな」


「……ああ」


愛子が俺を見る。


「聞いてんのか?」


「聞いてるよ」


「だったら、いつまでもそのマントを見つめてんじゃねえよ。話しかけても返事なんかしてくれないぞ」


思わず笑いそうになった。


……笑えなかったけど。


「……うるせえ」


「はいはい。いつもの馬鹿が戻ってきたな」


彼女は再び顔を背けた。


俺はマントを見下ろした。


それ以上、何も言わなかった。


ただ、馬車が道を進み続ける間、ずっとそれを握りしめていた。


―――――※―――――


宿の部屋は、思っていたよりも狭かった。


ベッドがひとつ。


木製のテーブル。


椅子が二脚。


窓際には洗面器が置かれている。


それだけだった。


愛子が宿の値段に文句を言い、女将と口論し、どうにか部屋と夕食を確保してくれたらしい。


けど、そのやり取りの大半を覚えていなかった。


今、俺はベッドの端に座り、ルイのマントを見つめていた。


手を洗った。


着替えた。


何かを食べた。


……たぶん。


何を食べたのか、味すら思い出せなかった。


顔をこすり、窓の外に目を向ける。


日が沈み、部屋の中は家具の形がかろうじてわかる程度に薄暗くなっていた。


テーブルの上には、携帯電話が置かれている。


LOGのメッセージは、まだそこにあった。


俺は携帯電話を手に取った。


読み返す。


もう一度、読み返す。


何も変わらなかった。


相変わらず、意味がわからない。


「……クソ」


画面を消した。


数秒間、携帯電話を握ったまま座っていた。


それから、再び画面をつけた。


……何を期待してるんだ、俺は?


説明でもしてくれるのか?


謝ってくれるのか?


それとも、何か違うことをしていれば全部うまくいったとでも教えてくれるのか?


画面を見つめ続ける。


目が痛くなるほどに。


もし、あのとき。


ちゃんと注意を払っていれば……。


その考えは、恐ろしいほど簡単に頭に浮かんだ。


もし、あのメッセージをきちんと読んでいたら、何が起きるのか理解できていたんだろうか?


理解できていたなら、みんなに警告できたんだろうか?


ルイは、まだ生きていたんだろうか?


オルシクは?


アエラは?


俺は両手で目を覆った。


わからない。


それが、一番つらかった。


何かできたのかどうかも。


あの男が、なぜ俺たちを治したのかも。


なぜ、ほかのみんなが死んだのに、俺たちだけが生き残ったのかも。


何もわからない。


それなのに、目を覚ますことができたのは俺だった。


携帯電話を握る指に力がこもる。


「……なんで、俺なんだよ」


部屋は答えなかった。


……当たり前だ。


俺は俯いた。


こんなときでさえ、冗談ひとつ思い浮かばなかった。


この状況を少しでもマシに感じさせてくれるような、くだらない言葉すら。


何もかも、笑い話になんてできなかった。


みんな、死んだ。


俺だけが、ここにいる。


どれくらいそうしていたのか、わからない。


やがて、俺はベッドに横になった。


天井を見つめる。


目を閉じるたび、同じ光景が浮かんでくる。


ルイ。


オルシク。


アエラ。


それから、あのメッセージ。


そして、すべてが壊れた瞬間。


俺は横向きになり、毛布を身体に引き寄せた。


明日になれば、起きなければならない。


愛子と話して、これからどこへ向かうのかを決めて、次に何をすべきか考えなければならない。


……考えるだけで、疲れ果てそうだった。


俺は目を閉じた。


もう、眠らせてくれ。


けど、眠りは訪れなかった。


「……兄ちゃん……ルイ兄……頼むよ。俺、これからどうすればいいんだよ……」

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