第1章 (第20話)『ログ1』
俺は、腕があった場所を見つめた。
うそだろ。
本当に、あいつにダメージを与えた。
俺が、本当に――
俺は顔面から地面に倒れ込んだ。
「……うん、もう無理」
今の攻撃で、魔力を全部使い切った。
ああ、気持ち悪い……。
男はゆっくりと肩を下ろした。
悲鳴はなかった。苦痛にうめく声もない。
ただ、自分の腕が消えた場所を見つめ、それから兜を俺へと向けた。
……。
やばい。
背後では、まだ戦いが続いていた。
オルシクが雄叫びを上げ、大剣と斧をぶつけ合っている。アイコは二本の刃を紙一重でかわしながら、何やら意味不明な叫び声を上げていた。アエラルの魔法が、淡い青色の光となって広場を照らす。
そして、ルイスは――
ルイスは、立ち上がることさえままならなかった。
もう勘弁してくれよ!!
「そこまでだ」
男の声が広場に響き渡った。
なぜか、その声は全員の耳に届いた。
四人のローブ姿の人物は、ほとんど同時に戦闘を中断した。
アイコの相手は跳び退き、数歩離れた場所に着地した。オルシクと戦っていた人物は大剣を引き、アエラルと対峙していた女も剣を下ろす。
ルイスさえ、動きを止めた。
彼は荒い息を吐きながら、片手で胸を押さえていた。
「……何だ?」
俺はつぶやいた。
黒い鎧の男は、俺の横を通り過ぎた。
何をするつもりなのか分からず、俺は目でその背中を追った。
男は少し離れた場所で立ち止まり、ルイスへと視線を向けた。
「警告したはずだ」
ルイスはゆっくりと体を起こした。
「誰がお前にあいつを好きにさせるかよ」
男は兜を傾けた。
「まだ分かっていないようだな」
残った手を掲げる。
再び黒い球体が形成され始め、その隙間を真紅のエネルギーが走った。
ルイスは武器を握り直した。
オルシクが一歩前へ出て、ルイスの隣に並ぶ。
アエラルもふらつきながら立ち上がり、彼女を襲った女へ向けて片手を構えた。
アイコは剣を掲げたまま、俺の近くへと移動してくる。
一瞬、全員が俺の前に立ちはだかった。
俺はアイコを見た。
彼女は顎を引き締め、剣を強く握りしめていた。
次にアエラルを見る。呼吸が乱れている。
オルシクは腕に疲労をにじませながらも、斧を構えて立っていた。
そして最後に、ルイスを見る。
彼は傷つき、疲れ果て、立っているのもやっとの状態だった。
それでも、男と俺たちの間に立ち続けていた。
……どうして?
どうして、まだ戦おうとするんだ?
どうして、誰も逃げないんだ?
俺には、その答えが分かっていた。
俺たちはもう、異世界でたまたま出会っただけの他人じゃない。
俺たちはパーティーだ。
家族なんだ。
誰一人として、仲間を見捨てるつもりなんてなかった。
……くそったれ。
残ったわずかな魔力を使い、俺は土属性魔法を発動させた。
上半身の下の地面がせり上がり、俺の体を持ち上げる。下半身はもう言うことを聞かなかったが、どうにか前を向ける程度には体勢を整えられた。
男が兜をこちらへ向ける。
しばらく、何も言わなかった。
やがて、わずかに首を傾げた。
「なるほど」
黒い球体の隙間で、真紅のエネルギーが再び弾け始める。
「私の魔法能力は……」
男が静かに口を開いた。
「……私が脅威と見なしたものなら、生物であろうと、現象であろうと、すべて抹消できる。」
その言葉の意味を理解する暇すらなかった。
ルイスが俺の前へと飛び出した。
そして――
ルイスの体に、四つの穴が開いた。
気づいたときには、もうそこにあった。
閃光もない。
目に見える衝撃もない。
音すらしなかった。
ほんの一瞬前まで、ルイスは俺の前に立っていた。
次の瞬間には、体にいくつもの穴が穿たれていた。
……。
……は?
俺はゆっくりと首を動かした。
アエラル。
オルシク。
二人にも、同じことが起きていた。
彼らは一瞬だけ立ち尽くし、それから糸が切れたように崩れ落ちた。
……嘘だ。
俺はアイコの方を見た。
彼女の胸にも、穴が一つ開いていた。
あまりにも巨大な穴だった。胴体のほとんどを貫き、体を大きくえぐり取っていた。
彼女の手から剣が滑り落ちる。
そして、そのまま倒れた。
……。
……嘘だ。
嘘だ、嘘だ、嘘だ……。
動けなかった。
目の前で起きていることが、理解できなかった。
ルイスが倒れている。
アエラルが倒れている。
オルシクが倒れている。
そして、アイコは――
……。
一体、何が起きたんだ?
男が攻撃するところなんて見ていない。
何も見えなかった。
みんな、ただ立っていただけなのに。
それなのに、次の瞬間には――
もう、立っていなかった。
男が俺へと歩み寄ってくる。
「お前たちが降伏していれば、こんなことにはならなかったのだがな、少年」
男は俺の首をつかみ、そのまま地面から持ち上げた。
息ができない。
残った手が、俺の胸に押し当てられる。
「残念だ。ルイスは気に入っていた。将来が楽しみな男だったのだが」
……。
次の瞬間、俺の胸にも穴が開いた。
痛みは、少し遅れてやってきた。
体から力が抜ける。
男は俺を放し、俺は石畳へと崩れ落ちた。
―――――※―――――
全員が地面に倒れていた。
それなのに、なぜか俺はまだ生きていた。
どうしてなのか分からない。自分でも理解できなかった。
ただ、体がどんどん冷たくなっていくことと、意識が遠のいていくことだけは分かった。
……マジで、また死ぬのかよ。
男とその仲間たちは、歩き去り始めた。
足音が遠ざかっていく。
やがて、男が立ち止まった。
「……そうか」
最も小柄な人物が男に近づき、耳元で何かをささやいた。
男はしばらく黙っていた。
そして、どこか面白がるように、小さく笑った。
「興味深い……」
男は動かないアイコへと視線を戻した。
ゆっくりと、その傍らにしゃがみ込む。
「体内に魔力の痕跡が一切ない。それなのに……」
男は兜を傾け、まるで奇妙な標本でも観察するかのように、アイコを見つめた。
「生きていた。動いていた。戦っていた」
短い沈黙。
「この世界のあらゆる法則に照らせば、あり得ないことだ」
男は手袋に包まれた片手を掲げた。
「死者蘇生の暗黒神護《ダーク・ディヴァイン・プロテクション・オブ・リザレクション》」
手のひらに黒い円が現れた。その表面は、墨を垂らした水面のように、どろりとうねっている。
男はそれをアイコの胸の上へとかざした。
薄れゆく視界の中で、俺は傷口が塞がっていくのを見た。
肉がつながり、損傷が少しずつ消えていく。まるで、最初から何もなかったかのように。
それでも、アイコは動かなかった。
……何だよ、それ。
男は立ち上がり、今度は俺へと顔を向けた。
「そして、お前だ」
重い足音を響かせながら、男が近づいてくる。
「魔法陣を介さずに魔法を発動させる。魔力を直接操り……生み出す現象そのものへと圧縮する」
男は俺の前で立ち止まった。
しばらく、ただ俺を見つめていた。
そして、表情の見えない兜の奥から、かすかな愉悦を含んだ声が聞こえてきた。
「実に興味深い」
男はわずかに頭を傾け、アイコへと視線を向けた。
「二つのあり得ない存在が、並んでいるとはな」
そして、再び俺を見る。
「教えてくれ、少年……」
声が静かなささやきへと変わった。
「お前たちは、一体何者なのだ?」
……。
二人、だって?
何を言っているのか聞き返したかった。
男の正体も知りたかった。仲間たちに何をしたのか、なぜ俺たち自身も理解していないことを知っているのか――何もかも、聞きたいことだらけだった。
けれど、体は動かない。
声も出ない。
目を開けていることすら、もうできなかった。
男の声が遠ざかっていく。
広場の景色がぼやけていく。
そして――
すべてが、闇に沈んだ。




