第1章 (第19話)『出会ⅠⅠ』
男の両手の周囲で、空間がひび割れた。
完璧な球形をした漆黒の球体が、指の周りにいくつも現れる。支えるものなど何もないのに、球体は互いに密集したまま宙に浮かんでいた。その隙間を、真紅のエネルギーが稲妻のように駆け巡る。まるで何かから逃れようともがいているかのように、激しくうねり、弾けていた。
……なんだよ、あれ?
バリバリバリッ!!
真紅のエネルギーが爆発した。
ルイスは後方へ吹き飛ばされ、ブーツで石畳を滑りながら壁に叩きつけられた。嫌な音が響く。
「ルイスくん!!」
俺が叫ぶ間もなく、男は再び動いた。
信じられない速度で広場を駆け抜け、ルイスが壁から身を離すよりも早く、その懐へと踏み込む。
速っ!!
ルイスはかろうじて武器を構えた。
ガキィンッ!!
鋼と鋼が激突し、火花が石畳の上に散った。
衝撃でルイスの腕が押し下げられる。彼は体勢を崩しながらも、必死に踏みとどまった。だが、男は間髪入れずに次の一撃を繰り出す。
嘘だろ。こんな簡単に押されてるのか!?
ルイスはそこらの冒険者とは違う。数え切れないほどの危険な戦いを生き延びてきた、英雄の刃だ。
冒険者なんてひとたまりもなく引き裂かれるような魔物を相手にしても、涼しい顔で戦う姿を、俺はこの目で見てきた。
なのに、この男はそんなルイスを圧倒している。
しかも、両手すら使っていない。
「おい!! ボーッと突っ立ってんじゃねえ!!」
アイコの叫び声で、俺は我に返った。
四人の黒いローブ姿の人物のうち、一人がすでにこちらへ突進してきていた。
四人の中で最も小柄な人物は、意外なほど身軽な動きでアイコに迫りながら、二振りの短剣を抜いた。
アイコはニヤリと笑った。
「やっと来た! これならぶん殴れる!」
「アイコ、それは――」
俺が言い終える前に、彼女は駆け出していた。
キィンッ!
彼女の剣が、顔のすぐ目の前で相手の刃を受け止めた。
衝撃に押されて一歩後退するものの、アイコはすぐさま手首をひねり、もう一本の短剣が脇腹に届く前に弾き飛ばす。
「うわっ! あんた、結構速いじゃん!」
ローブの人物は答えず、体をひねって再び攻撃を仕掛けてきた。二本の短剣を交互に振るい、目にも留まらぬ連続斬撃を繰り出す。
アイコは一撃目をかがんでかわし、もう一撃も紙一重で避けた。動きの途中で剣を反対の手に持ち替え、相手のタイミングを狂わせると、そのまま相手の脇腹を狙って斬りかかる。
だが、相手は身をひねって回避した。
刃は、あとほんのわずかのところで届かなかった。
くそっ。互角かよ!
アイコの戦い方は荒々しく、予測しづらい。だが、ルイスの指導を受けてから、彼女の腕前は格段に上がっていた。
斬りかかる途中で剣を左右の手に持ち替えられるため、次にどこから攻撃が飛んでくるのか、相手には読みにくい。
しかし、向こうも同じくらいの実力を持っているようだった。
動きには一切の無駄がなく、アイコの攻撃的な戦い方が、かえって無謀に見えるほどだった。
それでも、アイコは一歩も引かなかった。
「ほらほら! そんなもん!? もっと本気出しなよ!!」
……まあ、そう言うよな。
俺はほかの連中へと視線を向けた。
オルシクはすでに、巨大な剣を携えた長身の人物と交戦していた。
ドゴォンッ!!
互いの武器がぶつかり合い、その衝撃で広場に積もっていた落ち葉が吹き飛んだ。
オルシクはブーツを地面に食い込ませ、相手の一撃を受け止めていた。相手よりも小柄な体格にもかかわらず、鎧の下で幅広い肩の筋肉を張り詰めさせ、巨大な剣を押しとどめている。
「やるじゃねえか、坊主!」
オルシクがうなった。
長身の人物は剣を引き戻し、今度はオルシクの肩を狙って斜めに振り下ろした。
オルシクは攻撃の内側へと踏み込む。
斧が下から跳ね上がり、相手は寸前で剣の軌道を変えざるを得なくなった。
ギィンッ!!
金属同士が激しく擦れ合う。
オルシクは体をひねり、そのまま肩を相手の胸へと叩きつけた。長身の人物が後方へよろめく。
「ハッ! 遅えんだよ!」
オルシクは斧を振り上げ、突進した。
長身の人物は足を踏みしめ、大剣を振り下ろして迎え撃つ。
再び激しい衝突が起こり、広場が震えた。
……マジで、こいつら何でできてんだよ!?
オルシクの戦いを追うのがやっとだった俺の視界に、銀色の閃光が飛び込んできた。
アエラルだ。
女のような姿をした人物が剣を抜き、刃を腰の横に低く構えながら、アエラルへと迫っていた。
アエラルは片手を掲げる。
足元に魔法陣が浮かび上がり、その淡い光が雪の残る石畳を照らした。
「近づかないで!」
声はわずかに震えていた。それでも、アエラルは退かなかった。
ローブの女は歩みを止めない。
アエラルは杖を突き出した。
地面から氷が爆発するようにせり上がり、女の足元へと広がっていく。
女は跳び退いて最初の攻撃をかわすと、着地するなり剣を振り下ろした。狙いはアエラルの肩だ。
アエラルは身をひねってかわした。
刃がマントの端を切り裂く。
シュッ!
アエラルはよろめきながら後退し、さらに魔法陣を展開した。
一つじゃない。
いくつもだ。
彼女の周囲の空中に、氷の破片が次々と形成される。
「私を甘く見ないで!」
氷片が一斉に飛んだ。
女は最初の一つを剣で弾き、二つ目をかわした。だが、三つ目が肩当てに直撃し、鋭い音を立てて砕け散った。
女の体がよろめく。
その隙を逃さず、アエラルは腕を横へ振った。
女のブーツの下で氷が広がり、両足を地面に縫いつける。
一瞬、アエラルが優勢になった。
だが、女は剣を凍った地面へと突き立てた。
魔力の波動が周囲へと広がる。
バキィンッ!
氷が砕け散った。
アエラルは目を見開いた。女は氷を引き裂くようにして拘束を脱し、そのまま彼女へと飛びかかる。
「魔力操作……!」
アエラルの叫び声が聞こえた。
彼女は間一髪で迫りくる斬撃を受け止めた。
ガキィンッ!!
衝撃に押され、アエラルは片膝をついた。
くそっ!
俺は彼女へ向かって一歩踏み出した。
そして、止まった。
……俺に何ができる?
ルイスのようには戦えない。オルシクのように斧を振り回すこともできなければ、アイコの身体能力にだって到底及ばない。
俺の魔力量は情けないほど少ない。アエラルにいろいろ教わってきたとはいえ、みんなの足元にも及ばなかった。
でも、仲間が傷ついていくのを、ただ黙って見ているわけにはいかない。
俺は拳を握りしめた。
考えろ、潤也。考えろ!!
ルイスへと目を向ける。
彼はまだ、黒い鎧の男と戦っていた。絶え間なく繰り出される攻撃を必死に受け流している。武器がぶつかるたび、ルイスは少しずつ後退させられていた。
男の動きは恐ろしいほど効率的だった。
無駄な動きも、ためらいも、余計な見せ技もない。
ただ、攻撃する。
そして、ルイスはその速度についていくのに精いっぱいだった。
ガキンッ! ガキンッ! ガキンッ!
最後の一撃で、ルイスは片膝をついた。
男が手を掲げる。その周囲にエネルギーが集まり始めた。
「ルイス!!」
ルイスは身をひねり、振り下ろされた武器をかろうじてかわした。
ガガァンッ!!
刃が石畳に叩きつけられ、破片が飛び散る。
ルイスは武器を握りしめたまま、必死に後ずさった。
男は静かに拳を引いた。
「無駄なことだ」
ルイスは地面に唾を吐いた。
「だったら、こっちの時間を無駄にすんな!」
彼は勢いよく踏み込み、男の兜を狙って二本の剣を振るった。
「居合・連月斬!!」
初めて、男が攻撃を避けるために足の位置を変えた。
ルイスは間髪入れずに二撃目、そして三撃目を繰り出す。相手に攻撃させる隙を与えず、防御に回らせていた。
そうだ、その調子だ、ルイスくん!
ほんの一瞬だけ、勝機をつかんだように見えた。
だが、再び黒い球体が現れた。
男の空いている手の周囲に球が集まり、その隙間を走る真紅のエネルギーが、いっそう強く輝き始める。
ルイスの表情が変わった。
「待っ――」
バリバリバリッ!!
爆発がルイスの胸を直撃した。
彼は後方へ吹き飛ばされ、石畳の上を滑った末に、石碑の土台へと激突した。
「ルイス!!」
俺は彼に向かって走り出した。
その瞬間、突風が広場を吹き抜けた。
俺は足を止めた。
黒い鎧の男が、すぐ目の前に立っていた。
……え?
いつ動いた?
足音すら聞こえなかった。
男は兜の細い隙間から、俺を見下ろしていた。
「手を出すな、少年」
全身が硬直した。
息ができない。
体が動かない。
動けよ……動け!
何も変わらなかった。
脚が言うことを聞かない。俺の体は、この男に挑むこと自体が無意味だと判断してしまったらしい。本能が全力で逃げろと叫んでいる。
それでも、逃げるわけにはいかなかった。
ルイスがあそこに倒れているのに。
アイコも、ほかのみんなも、まだ戦っているのに。
俺はごくりと唾を飲み込んだ。
「……風の息吹」
かすれた声が、どうにか唇からこぼれた。
足元から突風が巻き起こり、横殴りに男の体へとぶつかる。
男がわずかに体勢を崩した。
その隙に、俺はよろめきながら後退し、どうにか数歩分の距離を取った。
よし……効いた。
心臓が肋骨を叩くように激しく脈打っている。
いや、喜ぶな。まだ何も終わってないぞ、バカ。
俺は左手を背後に引き、右手を男へ向けた。できる限り姿勢を崩さないよう、必死に踏ん張る。
手のひらに水が集まった。
そこへ、バチバチと弾ける電流が絡みつく。二つの属性が渦を巻きながら混ざり合い、不安定な小さな球体へと圧縮されていく。
あと少し……。
エネルギーが凝縮される。
そして――
ヒュオッ!!
弾丸のような魔法が飛び出した。
男は前腕を掲げ、それを受け止めようとする。
ドォンッ!!
攻撃が鎧に炸裂した。
一瞬、青白い閃光が男の腕を包み込む。煙が晴れたとき、鎧は内側へと大きくへこみ、歪んだ縁が皮膚に食い込むほど押し込まれていた。
……当たった!?
俺が状況を理解するより早く、聞き慣れた声が頭上から響いた。
「居合・属性突き《エレメンタルスラスト》!!」
ルイスだ。
上空から男へと迫っていた。体を引き絞り、剣の切っ先を一点に集中させている。全身の動きが、ただ一撃の突きに集約されていた。
男がルイスへと振り向く。
真紅のエネルギーが男の体を包み込み、盾のように形成された、その瞬間。
ルイスの刃が激突した。
ズガァァンッ!!
衝撃が男の足元の石畳を吹き飛ばし、巨大なクレーターを穿った。
土煙と石の破片が四方へと飛び散る。
一瞬、二人の姿が見えなくなった。
やがてルイスが数歩離れた場所に着地した。荒い息を吐いている。
男は、まだ立っていた。
その視線はルイスから離れていない。
よし。そっちを見てろ。
俺は最初の攻撃を放つ前から、次の攻撃の準備を始めていた。
組み合わせがうまくいくかなんて分からない。けど、迷っている時間はなかった。
火。水。雷。風。
四つの属性を、一つの攻撃へと圧縮する。
頼む……うまくいってくれ……!
俺は魔法を放った。
男はすぐさま反応し、残った腕を上げて迎え撃とうとする。
「……!!」
……かかった。
最初の攻撃は、ただの囮だ。
本命として準備していたのは、土属性魔法。
よし、引っかかった!!
俺は左手で右腕を支えながら、右手を突き出した。
手のひらにエネルギーが集まっていく。不安定なまま、無理やり圧縮された力が激しくうねる。
男の傷ついた腕は、まだ下がったままだった。
男もそれに気づいた。
だが、反応する時間はない。
……いや、もしかしたら、あったのかもしれない。
どちらにせよ、このチャンスを無駄にするつもりはなかった。
ヒュオッ!!
複合魔法が広場を切り裂くように飛んだ。
男は間一髪で振り向き、負傷した腕を掲げて防御する。
バキィンッ!!
攻撃がまばゆい閃光となって前腕を呑み込んだ。
光が消えたとき――男の腕は、跡形もなく消し飛んでいた。
一瞬、俺は身動きひとつ取れなかった。
……俺が、やったのか?




