第1章 (第17話)『墓場へと導く手』
今日が、迷宮ルイナへの最後の挑戦だった。
俺たちは、これまで誰も到達できなかった迷宮の深層まで進み、かなりの稼ぎを得ていた。いや、本当にかなりの額だ。
まさか、巨大な地下の死地を探索するだけで、こんなに儲かるなんてな。
少なくとも、俺は想像もしていなかった。
ちなみに、ここまでの道のりを楽にするため、俺たちはアエラルの転移魔法を利用していた。最初に迷宮を訪れたとき、彼女がその仕組みを説明してくれたのだ。
どうやら、マナ技法とマナ拡張は、まったくの別物らしい。
マナ技法とは、マナを間接的に操作し、さまざまな魔法を発動させる技術のことだ。基本となる原理は四つ。攻撃魔法、防御魔法、補助魔法、そして固有魔法に分類される。
これらの技法を習得するには、魔導書が必要になる。魔導書にはそれぞれランクがあり、記されている魔法の水準を示しているのだとか。
そして、アエラルが最初に説明してくれたのが、転移魔法だった。
まず、ある区域に入る前に、その外側へ魔法陣を設置する。次に、区域内の目的地にも別の魔法陣を設置する。すると、二つの魔法陣がつながり、その間を自由に行き来できるようになるらしい。
さらに奥へ進みたい場合は、内側の魔法陣を消し、新たな目的地に設置し直せばいい。そうすれば、新しい魔法陣が外側の魔法陣と自動的につながるのだという。
簡単でしょ?
「簡単でしょ?」
「いや、全然」
俺は即答した。
ていうか、なんでこの世界のことって、何もかもこんなにややこしいんだよ。
……まあ、そんなこんなで、俺たちは前日に到達した階層から探索を再開していた。
「みんな、調子はどうだ?」
通路に響く声で、ルイスが尋ねてきた。
「問題ないぞ!」
オルシクが答える。
「うちも元気ー!」
愛子も続いた。
「私も大丈夫です。お気遣いありがとうございます、ルイスくん」
アエラルが微笑む。
「俺も平気だ!」
最後に俺が答えると、ルイスは満足そうに頷いた。
やっぱり、こいつはいいリーダーだ。
みんなが元気そうに見えても、こうして一人ひとりの様子を確認してくれる。
些細なことかもしれないが、俺はそういうところが好きだった。
……。
そういえば、些細なことといえば。
アエラルが、ちらちらとこちらを振り返っていることに気づいた。
目が合った瞬間、彼女はビクッと肩を震わせ、慌てて顔をそらした。
……ん?
何だ、今の。
もしかして俺たち、そういう関係になったりしてる?
いやいや、潤也。調子に乗るな。
俺は小さくため息をついた。
はぁ……俺、なんか気まずい空気でも作っちゃってるのかな。
俺の様子がおかしいとでも思ったのか、アエラルはルイスに声をかけた。
「ねえ、ルイスくん?」
ルイスが振り返る。
「ん? どうした?」
「少し休憩にしませんか?」
彼は軽く笑った。
「いいぞ。ほかのみんなも休むか?」
誰も手を挙げなかった。
「じゃあ、ここで少し休憩にしよう」
アエラルは頷くと、俺の横を通り過ぎ、大きな岩場へと歩いていった。
その背中を目で追う。
へえ。あそこで休むのか。
……と思った、その瞬間。
彼女が俺の手首をつかんだ。
「えっ、ちょ――」
言い終わる前に、俺は岩の陰へと引っ張り込まれていた。
はぁ!?
アエラルは人差し指を唇に当てた。
「しーっ」
俺は彼女を見て、それから岩を見て、もう一度彼女を見た。
……え、何?
彼女はさらに奥へと俺を連れていく。仲間たちの声が、遠くのざわめきに変わるまで。
そして、ようやく俺のほうを向いた。
何が起きているのか尋ねようとした、そのとき。
彼女はそっと俺を石壁へと押しつけた。
「ねえ……」
アエラルが微笑む。
「あ、うん……どうしたの?」
クソッ! なんでもうどもってんだよ、俺!!
アエラルの白い頬が、ゆっくりと赤く染まっていく。彼女は俺たち以外に誰もいないことを確かめるように、周囲を見回した。
……これ、俺から何かするべきか?
いや、待て。心臓がうるさすぎる。
落ち着け。落ち着くんだ、俺。
そんな役にも立たない自問自答を繰り返していると、アエラルはそっと俺の胸に頭を預けた。
……。
近い近い近い!!
俺の心臓がまだ準備できてねえんだよ!!
「私ね……あなたと二人きりになりたかったの」
彼女の声は小さく、どこか恥ずかしそうだった。
ジャージ越しに、彼女の温かな吐息が伝わってくる。
「そ、そうなんだ……?」
天才かよ、潤也。天才的な返しだな、おい。
アエラルは顔を上げ、俺を見つめた。
そして、つま先立ちになると、そっと俺の頬に手を添え、顔を自分のほうへ引き寄せる。
何が起きているのか理解する間もなかった。
彼女の唇が、俺の唇に触れた。
一瞬、頭が真っ白になった。
だが、すぐに我に返る。
……ああ、もう。どうにでもなれ。
俺は彼女の腰に腕を回し、そっと抱き寄せた。
迷宮のことも、魔物のことも、果てしない修行のことも。
その瞬間だけは、何もかも頭から消えていた。
そこにいたのは、アエラルだけだった。
そして――
「……あんたら、何やってんの?」
……。
その声。
俺はゆっくりと顔を横に向けた。
岩場の入り口に立っていたのは、愛子だった。
……あっ、終わった。
※ ※ ※
それから数分後。
俺とアエラルは、仲間たちの前で地面に正座していた。
俺は額を石の床に押しつけ、アエラルも隣で同じように頭を下げている。
……どうしてこうなった。
「で?」
愛子が口を開いた。
声が、恐ろしいほど冷たい。
「あれは一体、どういうことなのかなぁ?」
「いや、あれはその……」
俺は言葉に詰まった。
……もういいや。
これ、何を言っても無駄だろ。
「それでぇ? アエラルさんはどうなのかなぁ?」
愛子はゆっくりと彼女に視線を向ける。
「それとも……もうクーゴ夫人って呼んだほうがいい?」
「ひゃ、ひゃあああっ! ごめんなさい!!」
アエラルの顔が一瞬で真っ赤になった。
そして、勢いよく頭を下げた。
ゴンッ!!
……思いっきり額を地面にぶつけていた。
痛ってぇ……!
見ているだけの俺まで、思わず顔をしかめた。
一方、愛子の後ろでは、ルイスとオルシクが必死に笑いをこらえていた。
この野郎ども……。
お前ら、助ける気ゼロかよ!?
俺はゆっくりと顔を上げた。
ルイスと目が合う。
……が、奴は即座に視線をそらした。
肩がプルプル震えている。
ルイス……この恨み、いつか絶対に晴らしてやるからな。
※ ※ ※
そんなこんなで、俺たちは再び迷宮の奥へと進んでいった。
岩盤を直接削り出して造られた、巨大な門をくぐる。
その先に広がっていたのは、途方もなく広大な空間だった。
入り口は何層にも重なった巨大な円形構造になっており、その表面には精巧な模様が刻まれていた。模様は渦を巻くように内側へと続き、その先には暗く口を開けた通路が広がっている。
その向こうにあったのは、巨大な白樺の森だった。
真っ白な樹皮を持つ木々が、天を突くほど高くそびえ立っている。枝葉が頭上を覆い、淡い色の天蓋を形作っていた。
そして、地面一面には、濃い紫がかった桃色の葉が絨毯のように敷き詰められている。
あまりにも葉が厚く積もっているせいで、歩いてもほとんど音がしなかった。
空間の中央には、周囲より一段高くなった、汚れ一つない石造りのテラスがあった。
そこへ続くのは、幅の広い白い階段。
階段の先には、二つの巨大な石像がそびえ立っていた。
……まるで、天使みたいだ。
二体とも両手を組み、階段のほうへ顔を向けている。
まるで、この場所全体を静かに見守っているかのようだった。
……。
正直、めちゃくちゃ綺麗だった。
澄んだ空気の中、冷たい風が木々の間を吹き抜けていく。
俺はジャージのファスナーを上げた。
愛子も茶色い革ジャンのファスナーを上げ、両手に息を吹きかけた。唇から、白い吐息がこぼれる。
「うわ、寒っ!」
いや、そこまで寒くなくね?
……まあ、わざわざ反論するほどのことでもないか。
そのときだった。
ブブッ。
ジャージのポケットが震えた。
……ん?
ポケットに手を突っ込み、折りたたみ式の携帯電話を取り出す。
は? この場所、電波でも通ってんのか?
俺は携帯を開いた。
画面が光る。
そして――
俺の表情が、一瞬で凍りついた。
メッセージが届いていた。
四件。
どれも、嫌というほど見覚えのある名前だった。
【LOG #003】
対象:ルイス・エフロン
死因:不明
残り時間:00:12:48
【LOG #004】
対象:オルシク・コバルト
死因:不明
残り時間:00:12:31
【LOG #005】
対象:アエラル・ティノル
死因:不明
残り時間:00:12:17
【LOG #006】
対象:番堂愛子
死因:不明
残り時間:00:11:59
……。
は?
俺は画面を凝視した。
瞬きをして、もう一度見る。
……消えていない。
嘘だろ。
このメッセージ、まさか……。
日本にいた頃、俺が受け取ったものと同じだ。
俺の死を予告した、あのメッセージ。
そして、愛子の死も。
俺たちが死ぬ瞬間まで、秒単位でカウントダウンしていた、あのメッセージだ。
携帯を握る指に、力がこもる。
……おい、まさか。
俺は顔を上げ、仲間たちを見た。
ルイスは前を歩きながら、オルシクと何か話している。
アエラルも、そのすぐ後ろを歩いていた。
愛子だけは少し遅れていて、俺の隣を歩いている。
誰も、異変には気づいていないようだった。
俺はもう一度、画面に目を落とした。
カウントダウンは、今も進んでいる。
【00:11:42】
……クソッ。
俺は足早に愛子へ近づいた。
「なあ、愛子」
「んー?」
愛子がこちらを向き、俺の手元にある携帯電話を見た。
次の瞬間、彼女の目が大きく見開かれる。
「はあああ!? ちょっと待って、なんであんた携帯持ってんの!?」
……あ。
そうか。こいつ、知らないんだった。
「いや、俺も知らねえよ。こっちに来たときから、なぜか持ってたんだ」
「はぁ!? ずるっ! なんであんただけ!」
……お前、そこ気にするところかよ!?
俺は愛子の文句を無視して、携帯を持ち上げた。
「なあ、愛子。これ、見覚えないか?」
彼女が身を乗り出す。
「メッセージ? 何それ?」
「いいから、見てみろって」
俺は画面を彼女に向けた。
「日本にいた頃、俺たちが死ぬ前にも、こういうメッセージが届いてたんだ。俺たちの名前と、カウントダウンが表示されててさ」
喉が、ぎゅっと締めつけられる。
「信じられないかもしれないけど……俺たち、本当にこの携帯の予告どおりに死んだんだ」
愛子の表情が変わった。
いつもなら、すぐに何かふざけたことを言い返してくるはずなのに。
今回は、違った。
「ねえ、潤也……」
「ん?」
「……うちには、何も見えないんだけど」
……。
は?
俺は愛子を見た。
「……何が見えないって?」
彼女は画面を指さす。
「だから、何もないって。画面がバグってるみたいに、ノイズしか見えないんだけど」
俺は愛子を見つめた。
それから、携帯の画面へと目を戻す。
文字は、はっきりと表示されていた。
名前も。
カウントダウンも。
何もかも、さっきと変わっていない。
……いやいや、こいつ、からかってんだろ。
「おい、今はふざけてる場合じゃねえんだよ。嘘つくなって!」
「はぁ!? だから嘘じゃないってば! マジなんだけど!」
俺は愛子の顔を見た。
知り合ってから、まだそれほど時間は経っていない。
それでも、こいつが俺をからかっているときくらいは、少しずつ分かるようになってきた。
そして、今の愛子は……。
嘘をついていなかった。
……。
待て。
まさか、このメッセージ……俺にしか見えていないのか?
俺は再び携帯に目を落とした。
【00:10:56】
数字は、止まることなく減り続けている。
胃のあたりが、嫌な感じにねじれた。
……いや、考えすぎだ。
誰かがいたずらで送ってきている可能性だってある。
そもそも、日本で俺たちを殺した奴が関わっているのかもしれない。
そう考えれば、辻褄は合う。
……合うよな?
俺はしばらく画面を見つめたあと、携帯を閉じた。
パチン。
……そうだ。考えすぎなんだよ。
俺は昔から、あれこれ考えすぎる悪い癖がある。
分からないことを、今から悩んだって仕方がない。
……今は、まだ。
「おーい! お前ら、置いてくぞー! さっさと来いって!」
広場にルイスの声が響いた。
俺は携帯をポケットにしまった。
「今行く!」
愛子と一緒に、俺たちは慌てて仲間たちの後を追った。
大丈夫だ。
俺が考えすぎているだけ。
……。
だったら、どうして。
どうして、こんなにも嫌な予感がするんだ?




