第1章 (第16話)『休息の日』
昨日の一件を終えた俺たちは、いったん地上へ戻ることにした。
幸い、今回の依頼で稼いだ金は、酒場でちょっとした祝宴を開くには十分だった。
……まあ、祝宴といっても、食いきれないほど飯を食って、酒を飲んで、あとはロクでもないことをするだけなんだが。
「今日は好きなだけ飲んで、好きなだけ食え! 俺たちにはその資格がある!」
ルイスが勢いよくジョッキをテーブルに叩きつけ、そのまま中身を一気に飲み干した。
……
マジかよ。
こいつ、こんなに酒が強かったのか……。
いや、待てよ。俺たちが一緒に冒険するようになって、一ヶ月と一週間は経っている。こいつらのことも、もう大体わかってきたつもりだったんだが……。
……まだまだ知らない一面があるらしい。
「ジュンヤたんは、お酒を飲むの?」
アエラルがカップをテーブルに置き、首を傾げた。
「ん?」
俺は目の前の酒に視線を落とした。
正直、酒にはあまり興味がなかった。
日本にいた頃も、酒なんて基本的に避けていたしな。
だって、わざわざマズいものを飲んで、頭がおかしくなったみたいに騒ぐ必要あるか?
……
……いや、今のルイスを見ていたら、その答えがわかった気がする。
まあ、せっかくの祝いの席だ。一度くらい試してみてもいいかもしれない。
「それより、ジュンヤたんって……今、何歳なの?」
アエラルは少し迷ったように髪をいじりながら尋ねてきた。
「俺? 十八歳だけど」
俺は後頭部を掻いた。
すると、アエラルがピタリと固まった。
それから、ゆっくりと口元を手で覆う。
「じゅ、十八歳……?」
長い耳がみるみる赤くなっていった。
「そ、そんなに若いんだ……」
……
……は?
どういう意味だよ?
俺が聞き返そうとした、そのとき。
「ジュンヤは立派な大人だぞ、アエラル! 酒くらい飲ませてやれ!」
ルイスが再びジョッキをテーブルに叩きつけた。
そして、盛大にげっぷをした。
「げぇぇぇっぷ!」
……
……こいつ、ベロベロじゃねえか。
「そ、そういう意味じゃないの!」
アエラルが真っ赤な顔で反論する。
「た、ただ驚いただけだから!」
「何に驚いたんだ?」
「な、何でもない!」
……
……はいはい。絶対に何かあるだろ。
俺は少し身を乗り出した。
「なあ、アエラル先生。ちなみに、先生はいくつなの?」
彼女は勢いよくこちらを向いた。
「ジュ、ジュンヤたん! 女性に年齢を聞くのは――」
「五十六歳だ!」
ルイスが横から答えた。
……
沈黙。
アエラルの動きが止まった。
耳がピクリと動く。
そして、ゆっくりとルイスへ顔を向けた。
「ルイスくぅぅぅん!!」
彼女はルイスの腕を何度も殴り始めた。
「なんで言っちゃうのよぉぉぉ!!」
「ははははは! 何が問題なんだよ! 別に隠すことでもないだろ!」
ルイスは腹を抱えて笑っている。
……
五十六歳か。
正直、少なくとも百歳は超えていると思っていたんだが……。
エルフの年齢感覚って、まだまだわからないことだらけだな。
とはいえ……。
五十六歳、か。
……
……いや、俺、年上の女性って結構好きなんだよな。
「ジュ、ジュンヤたん……」
アエラルが、今にも消えてしまいそうな声で俺を呼んだ。
「これからはアエラルさんって呼んだほうがいいですか?」
俺はニヤリと笑った。
「やだぁぁぁ! お願いだからやめてぇぇぇ!」
俺は思わず吹き出した。
「ははははは!」
「ジュンヤたぁぁぁん!」
……
……いやあ、最高だな。
なるほどな。酒飲みが酒を飲む理由が、ちょっとわかった気がする。
酒そのものがうまいからじゃない。
酔っ払った仲間が恥ずかしい姿をさらすのが、最高に面白いからだ。
一方、オルシクはというと、酒場の奥で演奏している楽団に混ざって歌い始めていた。
低く響く歌声が、陽気な音楽に乗って酒場中へ広がっていく。
それにつられて、冒険者たちも歌い始めた。
一人、また一人と増えていき……。
気づけば、酒場の半分くらいが歌って、笑って、ジョッキをぶつけ合っていた。
……
……これだよ、これ。
これぞファンタジー世界の酒場ってやつだ!
音楽に、賭け事に、うまい飯に、酒。
人間だけじゃない。エルフも、ドワーフも、獣人も、ハーフリングも、ノームも……。
天井付近を飛び回っている妖精までいる。
……マジで、これ以上何を望むんだ?
俺はしばらく椅子にもたれ、楽しそうに騒ぐ人々を眺めていた。
色々あったが、こうして何も気にせず楽しめる夜があるのは悪くない。
魔物に命を狙われることもない。
命懸けの状況に陥ることもない。
ただ、大勢の人々が酒場で楽しんでいるだけだ。
……うん。こういう生活も、悪くないな。
「なあ、ジュンヤ」
ルイスの声で、俺は我に返った。
「ん?」
「お前と愛子には、冒険者としての目標はあるのか?」
……
……目標?
俺は瞬きをした。
何だ、急に。
ルイスが頷く。
「そうだ。誰にだって、目指しているものがあるだろう? 成し遂げたいこととか、叶えたい夢とかさ」
彼は椅子にもたれ、ジョッキをテーブルに置いた。
「お前たちはどうなんだ?」
……
……成し遂げたいこと、か。
俺は考えてみた。
自分が本当に望んでいるものって、何だろう。
この世界に来てから、俺が最優先してきたことは至って単純だった。
生き延びる。
強くなる。
死なないようにする。
……できれば、この順番で。
でも、それを目標と呼んでいいのだろうか?
俺が答えを探していると、愛子が空になったジョッキをテーブルに叩きつけた。
「アタシは有名になりたい!」
……
……はいはい、そうですか。
「この世界中の人間に、アタシの名前を知らしめてやる! 待ってなさいよ! 番堂愛子の名を世界に轟かせてやるんだから!」
愛子は両腕を突き上げた。
まるで、今この瞬間に世界の女王へ立候補したかのような勢いだ。
……
……それは目標っていうより、野望だろ、このバカ。
「ははは! いいじゃないか、その意気だ!」
ルイスは笑いながらジョッキを掲げた。
「番堂嬢が世界に名を轟かせる未来に、乾杯!」
「おうっ!」
愛子も新しいジョッキを手に取った。
……五杯目である。
……
……この女、アルコール中毒で死ぬつもりか?!
愛子はオルシクとジョッキをぶつけると、再び飲み比べを始めた。
俺はただ、呆然と眺めることしかできなかった。
……
……本当に、こいつらときたら。
「それで、ジュンヤは?」
ルイスが再び尋ねてきた。
俺は彼に向き直った。
「お前の目標は何だ?」
……
……俺の目標、か。
俺は目の前のカップを見つめた。
平穏に暮らしたい。
明日、生きていられるかどうかなんて心配せずに済む生活がしたい。
せっかく転生したこの世界を、いちいち命の危険に怯えることなく楽しみたい。
……でも、それだけでいいのか?
別に、伝説の英雄になりたいわけじゃない。
王国を支配したいわけでも、世界最強の冒険者になりたいわけでもない。
金が欲しい。
何もせず、贅沢三昧の生活を送りたい。
自分がこの世界じゃ弱いことくらい、ちゃんとわかっている。
どう足掻いたところで、今の俺じゃ太刀打ちできない相手なんて山ほどいるだろう。
……だから何だ?
他人にどう思われようと知ったことじゃない。
俺はただ、生きていたいんだ。
……
……けど。
何か目指すものもないのに、本当に冒険者なんて名乗っていていいのだろうか?
俺は首の後ろを掻いた。
「正直、まだわからない」
ルイスが眉を上げた。
「そうか」
この世界に来てから、俺はずっと生き延びることばかり考えていた。
それ以外に、自分が何を成し遂げたいのかなんて、まともに考えたこともなかった。
俺は気まずそうに笑った。
「悪い。期待外れの答えだよな」
「そんなことないさ」
ルイスは首を横に振った。
「十八歳で、何もかも決まっている必要なんてないだろ?」
彼は仲間たちへ視線を向けた。
「それに、目標っていうのは必ずしも自分一人で見つけるものじゃない。旅を続けるうちに、自然と見つかることだってある」
……
……旅の途中で見つかる、か。
言いたいことは、何となくわかる気がする。
でも、完全に理解できたわけじゃない。
俺が尋ねようとした、そのとき。
ルイスはカップへ視線を落とした。
「俺の目標は、奴隷を解放することだ」
……
その一言で、テーブルの空気が変わった。
酒場の音楽や笑い声は相変わらず響いていたが、ルイスの声だけは、さっきまでより明らかに静かだった。
「親父の夢だったんだ。そして今は、俺の夢でもある」
彼はゆっくりと息を吐いた。
「母さんは奴隷だった。まだ十五歳のとき、親父が奴隷船から助け出したんだ。母さんだけじゃない。一緒に運ばれていた人たちも、全員解放したらしい」
俺は黙って耳を傾けた。
「その後、二人は一緒に暮らすようになって、やがて結婚した。しばらくは、平穏な生活を送っていたそうだ」
ルイスはかすかに笑った。
「……少なくとも、母さんからはそう聞いていた」
彼は少し間を置いた。
「俺が生まれる前、親父はまた奴隷を解放するために旅に出た。別の奴隷船を探しに行ったんだ。母さんが俺を身ごもっていることも知らずにな」
……
……待てよ。
じゃあ、ルイスは父親の顔を知らずに育ったのか?
「母さんは一人で俺を育ててくれた。親父が助けた人たちのことや、旅先で見た景色のことを、よく話してくれたよ。俺にとって親父は、まるでおとぎ話に出てくる英雄みたいな存在だった」
ルイスは小さく笑った。
「母さんはいつも言っていた。いつか、あの人は帰ってくるって」
その笑顔が、ゆっくりと消えていく。
「……でも、親父は帰ってこなかった」
……
酒場の喧騒が、少し遠くなった気がした。
「それから何年か経って、山賊が村を襲った。母さんは殺されて、俺は捕まった」
ルイスの指が、カップを強く握りしめた。
「……奴隷として売られたんだ」
……
……何だって?
俺は彼を見つめた。
「ずっと、親父が助けに来てくれると信じていた。どれだけ時間がかかっても、いつか必ず見つけてくれるって……そう思っていたんだ」
彼は一度言葉を切った。
「そんなある日、奴隷商人たちが話しているのを聞いた。奴隷船に乗っていた人たちを解放しようとして、殺された男がいるってな」
ルイスは視線を落とした。
「……そいつの名前を聞いた」
……
……聞かなくても、誰のことかはわかった。
「信じたくなかった。嘘に決まっているって、何度も自分に言い聞かせた。でも……結局、俺は親父の遺体をこの目で見たんだ」
彼は黙り込んだ。
しばらくの間、ただカップを見つめていた。
「父さんは死んだ。母さんも死んだ。そして俺は、もう二度と帰ってこない人を、ずっと待ち続けていたんだ」
……
……くそ。
その気持ちは、少しだけわかる気がした。
俺も、自分の両親に会ったことがない。
二人とも、俺が一歳になる前に亡くなったからだ。
それからは叔母が俺を引き取り、実の息子のように育ててくれた。
……けど。
奴隷として売られるなんて。
何年もすがってきた希望を、ある日突然、無慈悲に奪われるなんて。
俺には想像することしかできなかった。
ルイスはゆっくりと顔を上げた。
「だから、俺は誓ったんだ。母さんに。父さんに。そして、自分自身に」
彼の声に、少しずつ力が戻っていく。
「親父のような人間になるって。誰かが物みたいに扱われているのを見ても、見て見ぬふりをしない人間に。自分の命を懸けてでも、奴隷を解放するために戦う人間に」
彼はジョッキを持ち上げた。
「それが俺の目標だ。必ず、成し遂げてみせる」
……
しばらく、誰も口を開かなかった。
愛子でさえ飲むのをやめていた。もっとも、彼女は相変わらずテーブルに突っ伏していたが。
オルシクが力強く頷いた。
「お前の親父さんも、きっと誇りに思っているさ」
ルイスは微笑んだ。
「……そうだといいな」
……
……なるほどな。
オルシクが、ルイスの夢を叶えると約束した理由。
ルイスが、自分の身を危険にさらしてまで人を守ろうとする理由。
それは、ただの高尚な理想なんかじゃなかった。
本人にとって、どうしても譲れないものだったんだ。
自分の両親を奪った奴隷制度を、この世界からなくす。
そして、自分と同じ思いをする子供を、二度と生み出さない。
……
……こいつら、本当にすげえな。
俺はアエラルへ視線を向けた。
彼女はカップを両手で包みながら、静かに話を聞いていた。
俺と目が合うと、彼女は小さく微笑んだ。
「私の夢は、シンプルよ」
皆が彼女へ視線を向けた。
「今、一緒にいる人たちと平穏に暮らしたい。私が見つけた新しい家族を守って、皆と過ごせる時間を大切にしたいの」
彼女はルイスを見た。
「それに、ルイスがいてくれたから、私は今も自分の夢に向かって歩き続けられている。だから……ありがとう」
ルイスの表情が柔らかくなった。
「礼なんていらないさ、アエラル」
オルシクがジョッキを掲げた。
「それに、この頑固者が夢を叶えるまでは、俺が責任を持って見届けてやるさ!」
彼はルイスのジョッキに自分のものをぶつけた。
「おい! 誰が頑固者だ!」
「お前だよ!」
「はははは!」
……
俺は思わず笑みを浮かべた。
本当に、すごい人たちだ。
誰もが色々なものを失ってきたはずなのに、それでも笑い合って、世界を少しでも良くしようとしている。
それに比べて俺は……自分の目標すら見つけられずにいる。
……
……俺、本当に冒険者に向いているのか?
ルイスが手を伸ばし、俺の肩にそっと手を置いた。
「なあ、ジュンヤ」
俺は顔を上げた。
「今夜、無理に目標を決める必要はないさ。いつか、きっと見つかる」
彼は安心させるように、俺の肩を軽く握った。
「そのときは、俺たちも力を貸す。そういうのがパーティーってもんだろ?」
……
俺はしばらく彼を見つめた。
それから、小さく頷いた。
「ああ……ありがとう、ルイス」
俺は笑おうとした。
「もう少し、考えてみるよ」
「よし!」
ルイスは再びジョッキを掲げた。
「さあ、辛気臭い話はここまでだ! もっと楽しもうぜ!」
「おうっ!」
愛子が叫んだ。
……こいつ、まだそんな元気が残っていたのか。
まったく。
こうして、酒場は再びいつもの騒がしさを取り戻した。
※ ※ ※
やがて夜も更け、俺たちはドラコノの宿へ戻ることになった。
夜空は美しかった。
無数の星が暗闇の中に散らばり、まるで小さな光の欠片のように輝いている。
俺は少し歩みを緩め、空を見上げた。
……
……これが、今の俺が生きている世界か。
時々、今でも不思議に思うことがある。
人々。街。魔物。魔法。
かつてはあり得ないと思っていたものが、今では当たり前の日常の一部になっている。
そして、そんな世界で……俺には友達と呼べる人たちができた。
……
……もう少し、そのことを大切に思ってもいいのかもしれないな。
「ジュンヤァァァ! 早く来なさぁぁい!」
遠くから愛子の声が響いた。
そちらを見ると、彼女はオルシクに寄りかかっていた。
……というか、ほとんど担がれている。
……
……うん。間違いなく酔っ払っている。
俺は首を振り、二人の後を追った。
宿に着く頃には、皆すっかり疲れ切っていた。
おやすみの挨拶を交わし、それぞれの部屋へ向かう。
俺も階段へ向かおうとした、そのとき――
「ジュンヤたん!」
足が止まった。
俺はゆっくりと振り返った。
数歩先に、寝間着姿のアエラルが立っていた。
……
……お。
おおお?
……
……とんでもねえ。
その寝間着、めちゃくちゃ色っぽいんだが?!
俺は慌てて視線を逸らした。
落ち着け、ジュンヤ。ただ寝間着を着ているだけだ。女の子の姿なんて、今まで見たことがないわけじゃないだろ。
……
……いや、嘘です。
アエラルがくすりと笑った。
「ねえ……寝る前に、少しお話ししない?」
……
……ごくり。
一瞬、本気で息の仕方を忘れた。
「え、あ……う、うん。別にいいけど」
……
……しっかりしろ、ジュンヤ! 落ち着け!
アエラルは微笑み、廊下を進んでバルコニーへと俺を案内した。
夜風が肌を冷やす。
眼下には、街灯や時折見える光る看板に照らされた街並みが広がっていた。
俺たちは手すりに寄りかかり、屋根の連なる景色を眺めた。
しばらく、どちらも口を開かなかった。
別に気まずい沈黙というわけじゃない。
ただ……。
寝間着姿の美人なエルフが隣にいるせいで、俺の脳みそが完全に機能停止しているだけだ。
……
……情けねえ。
「ねえ、ジュンヤたん」
アエラルの声で、俺は我に返った。
「こっちの生活には慣れた? 色々あったでしょう?」
俺は街を見下ろした。
「正直、すごく楽しいよ」
少し間を置き、俺はかすかに笑った。
「まさか、こんな人たちと出会えるなんて思ってなかった。最初は、何もかも一人で何とかしなきゃいけないと思ってたんだ。でも、皆が愛子と俺を助けてくれた」
俺は頬を掻いた。
「どうやって恩返しすればいいのか、わからないくらいだよ」
アエラルがこちらを向いた。
「最初に来たとき、っていうのがどういう意味なのかはよくわからないけど……恩返しなんて必要ないわ」
彼女は微笑んだ。
「私は、あなたがここにいてくれるだけで嬉しいもの」
……
……くそ。
何でこの子は、いちいちそんなことを言うんだよ。
また顔が熱くなってきた。
アエラルは視線を逸らし、首元のペンダントへそっと指を伸ばした。
「ジュンヤ……ひとつ、話してもいい?」
「ん?」
彼女は少し迷った。
外に出てから初めて、本当に緊張しているように見えた。
「一緒に訓練を始めた頃、あなたが私に言ってくれたこと……覚えてる?」
……
俺は少し考えた。
それから、思い出した。
彼女の両親と故郷のことを忘れないと約束したんだ。
彼らを生き返らせることはできなくても、起きたことをなかったことにはしない。
彼女の家族が生きていたことを、忘れないと。
「ああ。覚えてるよ」
アエラルは視線を落とした。
「あの言葉、本当に嬉しかった」
声は柔らかかった。
「ずっと、復讐することだけが私に残された道だと思っていたの。故郷を壊した人たちを見つけて、必ず報いを受けさせる。そのために強くなりたかった」
彼女は首元のペンダントに触れた。
「でも、あなたが家族のことを覚えているって言ってくれたとき……気づいたの。あの人たちは、ただ殺された人たちじゃない。ちゃんと生きて、誰かを愛して、誰かに愛されていた人たちだったんだって」
……
……何も言えなかった。
アエラルは月明かりの中で、潤んだ瞳を俺に向けた。
「あなたは、私を慰めるためだけに言ったんじゃない。本当にそう思ってくれていた」
彼女は小さく微笑んだ。
「……あのときから、あなたのことを少しずつ意識するようになったんだと思う」
……
……待て。
ちょっと待て。
それ、どういう意味だ?!
アエラルはゆっくりと息を吸った。
「ジュンヤたん……私……あなたのことが好きになってきたみたい」
……
……
……
……は?
……はああああああ?!
俺の脳みそは、とうとう完全に停止した。
アエラルは顔を真っ赤にして、慌てて視線を逸らした。
「こんなことを言うの、恥ずかしいわ。男の人を好きになったのも初めてだし……でも、本当なの」
彼女は髪の先を指で弄んだ。
「あなたって、無茶をするし、面倒くさいし、時々すごく失礼だし……本当に呆れることばかりだけど」
……
……おい!
……
「でも、怖くても誰かのことを気にかけられるでしょう? 何をすればいいかわからなくても、それでも前に進もうとする」
彼女は再び俺を見つめた。
「だから、もっとあなたのことを知りたい。これからも、あなたと一緒に過ごしたいの」
……
……うわあああああ!
これ、マジで起きてるのか?!
俺、とうとうモテ期に突入したのか?!
彼女の肩を掴んで叫びたかった。
バルコニーを走り回りたかった。
バク転だってできそうな気がした。
……もちろん、体は一ミリも動かなかったが。
……
……落ち着け、ジュンヤ。落ち着け!
アエラルはゆっくりと手を伸ばし、首元のペンダントを外した。
それは、俺が出会った頃からずっと彼女が大切にしていた形見だった。
彼女はそれを俺の手にそっと置き、俺の指を包むように握らせた。
「あなたの約束が、私にとって本当に大切だったから……今度は、あなたにこれを預かってほしいの」
俺は手の中のペンダントを見つめた。
「アエラル……本当にいいのか?」
彼女は頷いた。
「うん」
彼女の手が、俺の手に重なった。
「私の家族を忘れないって約束してくれたでしょう? だから……これからは、私のことも大切にしてほしい」
彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。
「……私のこと、ちゃんと責任取ってね?」
……
……おいおいおい!
こんなの、どう返事すりゃいいんだよ?!
手のひらには汗が滲んでいた。
心臓は今にも胸を突き破って飛び出しそうだ。
俺は彼女を見つめた。
彼女も俺を見つめ返す。
そして、アエラルはそっと俺の頬に触れ、つま先立ちになった。
何かを言う暇もなく、彼女の唇がそっと俺の唇に重なった。
……
その瞬間、世界が止まったような気がした。
街の明かりも。
星空も。
冷たい夜風も。
すべてが遠のいていく。
俺の頭の中には、目の前にいる彼女のことしかなかった。
アエラルはゆっくりと唇を離した。
顔は真っ赤だった。
「……ちゃんと、私のこと大切にしてね?」
そして、俺が何かまともな返事をする前に、彼女は踵を返して廊下へ駆け出した。
「お、おやすみなさい、ジュンヤたん!」
……
俺はその場に立ち尽くしていた。
手の中にはペンダント。
顔は燃えるように熱い。
心臓はうるさいくらいに脈打っている。
……
……何が起きたんだよおおおお?!
※ ※ ※
部屋のベッドに寝転がり、俺は天井を見つめていた。
……
顔は真っ赤。
頭の中はぐちゃぐちゃ。
そして、眠気?
……そんなもの、来るわけがなかった。
目を閉じるたびに、彼女の笑顔が浮かぶ。
告白。
あのキス。
……
……へへへへへへへ。
……
……待て! 俺は何を考えてるんだ?!
俺は枕に顔を埋めた。
……
……ああ、もう。
俺、完全に終わったわ。
※ ※ ※




