第1章 (第15話)『テラリアⅡ』
「じ、潤也! 愛子! 下がれ!!」
ルイスくんが怒鳴った。
化け物が頭を低く下げる。
空気が変わった。
――何か来る。
「避けろ!!」
テラリアが巨大な足を振り上げ、俺たち目がけて叩きつけてきた。
俺と愛子が反応するよりも早く、オルシクさんが飛び出した。俺たち二人をまとめて抱え上げ、その場から一気に離脱する。
ドゴオオオオオオン!!
直後、俺たちが立っていた地面が砕け散った。
石の破片が辺り一面に飛び散り、その一つが俺の肩に直撃する。鋭い痛みが腕を駆け抜けた。
俺はよろめきながらも、なんとか体勢を立て直す。
……っ、ホーリー・シット!!
地面には、巨大な穴がぽっかりと開いていた。
亀裂なんてレベルじゃない。
ただのへこみでもない。
クソデカいクレーターだ。
もしオルシクさんが間一髪で助けてくれなかったら、俺と愛子は今頃、ぺしゃんこになっていた。
「ルイス! こいつらを連れて離れろ!!」
「わかった!」
ルイスくんは剣を抜き、俺たちと化け物の間に立ちはだかった。
「アエラル! 潤也と愛子を頼む! こいつは俺とオルシクで何とかする!」
アエラルが俺たちのもとへ駆け寄ってくる。
……だが、俺はそれどころじゃなかった。
化け物から、目を離せなかったのだ。
テラリアはゆっくりとクレーターから足を引き抜くと、ルイスくんへと顔を向けた。
……
……あの化け物、俺たちを狙っていたのか?
胃の奥がギュッと縮こまる。
ただ地面を踏みつけただけじゃない。
あれは、明らかな攻撃だった。
しかも、特に力を込めたようにも見えなかったのに。
テラリアが低く唸り、勢いよく突進してきた。
巨体に似合わず、その動きは予想をはるかに超える速さだった。
ルイスくんは間一髪で横へ飛び退き、突進をかわす。
テラリアの角が地面に激突し、洞窟全体に衝撃が走った。
ガシャアアアアン!!
背後の岩柱に亀裂が走る。
ルイスくんは地面を転がって衝撃を受け流すと、すぐさま立ち上がった。
「くそっ! 見た目以上に速いぞ!」
テラリアが体をひねる。
その長い尻尾が、ルイスくんへと襲いかかった。
「ルイス!!」
オルシクさんが駆け出し、地面を踏みしめる。
両手で斧を構え、迫り来る尻尾へ横から叩きつけた。
「斧術――三日月斬り!!」
ガキイイイイイン!!
凄まじい衝突音が洞窟中に響き渡った。
オルシクさんの両腕が震え、衝撃に押されて後退する。ブーツが地面をえぐり、二本の深い溝を刻んだ。
それでも、攻撃は無駄じゃなかった。
尻尾の軌道がわずかに逸れたのだ。
そのまま尻尾は、近くの岩柱へと激突した。
ドゴオオオン!!
岩柱が粉々に砕け散る。
大小さまざまな石の破片が、周囲へ降り注いだ。
……
……あの化け物、どんだけ力が強いんだよ!?
オルシクさんは一度腕を振ってから、斧を握り直した。
「ルイス! こいつの装甲は硬すぎる! 弱点を探すぞ!」
「言われなくてもわかってる!」
ルイスくんはテラリアの頭の下へと飛び込み、前脚に向かって剣を振るった。
刃が二枚の装甲の隙間を捉える。
ガァンッ!!
耳をつんざくような金属音が響いた。
だが、剣は弾き返された。
……
……は?
今、確かに直撃したよな?
それなのに、ほとんど傷一つついていない。
テラリアがルイスくんへと頭を向ける。
ルイスくんはすぐさま後退し、二度目の突進を間一髪でかわした。
化け物の角が、ついさっきまで彼が立っていた地面をえぐり取る。
……あっぶねえ。
ルイスくんは数歩離れた場所に着地すると、険しい表情で化け物を見据えた。
「オルシク! 関節だ! 装甲の隙間を狙うぞ!」
「了解じゃ!」
オルシクさんは尻尾の薙ぎ払いに警戒しながら、テラリアの右側へと回り込む。
ルイスくんは反対側へ移動し、化け物の注意を自分へと引きつけた。
……なるほど。
二人の作戦が、なんとなく見えてきた。
ルイスくんが敵を引きつけ、その隙にオルシクさんが露出した関節を攻撃する。
シンプルな作戦だ。
……まあ、相手が普通の魔物なら、の話だが。
テラリアは決して愚かではなかった。
オルシクさんが接近した瞬間、化け物は唐突に体重を移動させ、前脚を地面へと叩きつけた。
砕けた岩が波のように周囲へと押し寄せる。
オルシクさんは後ろへ飛び退いたものの、いくつもの破片が鎧に直撃した。
「ぐっ!」
彼の体勢が崩れる。
その瞬間、テラリアがオルシクさんへと向き直った。
――クソッ!!
「オルシクさん!!」
ルイスくんが駆け出し、化け物の頭部へと斬りかかる。
刃が黒曜石の装甲をこすり、火花を散らした。
テラリアが咆哮し、尻尾を振り回す。
ルイスくんはその下をくぐり抜けたものの、攻撃を避けるためにオルシクさんから離れざるを得なかった。
一瞬、二人の距離が開く。
そして、その間に立ちはだかるのは――化け物。
……
……押されてる。
その事実に気づいた瞬間、胸の奥がズシリと重くなった。
ルイスくんもオルシクさんも、俺が今まで出会った中では間違いなく最強クラスの冒険者だ。
これまで何度も二人の戦いを見てきたが、大抵の魔物なら、まるで大したことじゃないかのように倒してしまっていた。
だが、こいつは違う。
二人に、そんな余裕を与えてくれない。
近づけば押し返される。
隙を見つけても、攻撃を仕掛ける前に位置を変えられる。
しかも、戦いが長引くほど、周囲の地形まで破壊されていく。
洞窟そのものが、少しずつ崩壊し始めていた。
……こいつ、一体何ランクなんだよ?
「潤也たん!」
アエラルの声に、俺はハッと我に返った。
彼女は俺の腕をつかみ、戦場からさらに距離を取る。
「下がって! 地形が崩れたら、逃げる時間もなくなるわ!」
俺は頷いた。
だが、戦闘音があまりにも大きく、彼女の声を聞き取るのもやっとだった。
そのとき、テラリアが突然、頭を持ち上げた。
大きく開かれた顎。
その喉の奥に、青白い光が集まっていく。
ルイスくんの目が見開かれた。
「オルシク!! 伏せろ!!」
次の瞬間、化け物が青い酸を吐き出した。
オルシクさんは地面へと身を投げ出し、間一髪で直撃を免れる。
酸は、その背後にあった壁へと直撃した。
ジュウウウウウウウッ!!
酸が触れた部分から、石がみるみる溶けていく。
鼻を刺すような悪臭とともに、白い蒸気が立ち上った。
……
……嘘だろ。
石まで溶かす酸を吐くって、どういうことだよ!?
一体、何でできてんだ、あいつ!?
ルイスくんがオルシクさんのもとへ駆け寄り、手を差し伸べる。
「大丈夫か!?」
「問題ないわい! だが、あのクソ野郎に酸を吐きかけられるのは、もううんざりじゃ!」
「なら、別の攻撃を叩き込んでやろう!」
ルイスくんはテラリアの前脚へと視線を向けた。
オルシクさんも、その意図を察したらしい。
次の瞬間、二人は同時に動き出した。
ルイスくんが正面からテラリアへと突進し、再び角による攻撃を誘う。
化け物が頭を低く下げた、その瞬間――
ルイスくんは進路を変え、角の下を滑るようにして潜り抜けた。
テラリアが彼を追って体をひねる。
その隙を、オルシクさんは見逃さなかった。
化け物の後脚へと駆け寄り、露出した関節に向かって斧を振り下ろす。
ガキィッ!!
刃が装甲の隙間へと食い込んだ。
テラリアが咆哮する。
その脚が、わずかに折れ曲がった。
「今じゃ、ルイス!!」
ルイスくんが駆け寄り、同じ関節へと剣を突き立てた。
今度は、刃が深く食い込む。
テラリアの巨体がぐらりと揺れた。
……
やった!!
戦闘が始まってから初めて、テラリアが明らかにダメージを受けたのだ。
だが、二人が追撃するよりも早く、化け物は傷ついた脚を地面へと叩きつけた。
凄まじい衝撃が二人を吹き飛ばす。
「ルイス!!」
「オルシクさん!!」
ルイスくんは地面に叩きつけられ、何度も転がった末にようやく止まった。
一方のオルシクさんは岩場へと激突し、手から斧を取り落とした。
ほんの一瞬。
二人とも、まったく動かなかった。
……
……嫌だ。
心臓が、肋骨を内側から叩きつける。
立て。
頼むから、立ってくれ……!
ルイスくんがようやく片膝をつき、体を起こした。
オルシクさんも呻き声を上げながら、落とした斧へと手を伸ばす。
……よかった。
二人とも、生きている。
だが、無傷ではなかった。
ルイスくんの袖は破れ、腕から血が流れている。
オルシクさんは肩を押さえ、苦痛に顔を歪めていた。
そして――テラリアは、まだ立っている。
……
……あれこそ、本物の化け物だ。
いや、そりゃ魔物なんだから化け物に決まってる。
だが、こいつは違う。
俺が頼りにしてきた人たちを圧倒するほどの存在。
たった一度の判断ミスで、二人の命を奪いかねない存在。
そして俺は、その戦いをただ眺めていることしかできない。
何もできずに。
テラリアが再び頭を低く下げた。
ルイスくんはふらつきながらも立ち上がり、剣を構える。
オルシクさんも斧を拾い、彼の隣へと並んだ。
二人は一瞬だけ視線を交わす。
言葉はない。
だが、それで十分だった。
ルイスくんが化け物の頭部へと駆け出し、意図的に注意を引きつける。
テラリアが咆哮し、彼へと突進した。
ルイスくんは、ギリギリまで動かなかった。
そして、角が届く寸前――横へと飛び退く。
テラリアの角が地面へと突き刺さった。
バキィィィィン!!
頭部が、二つの巨大な岩の間に挟まる。
「今じゃ!!」
オルシクさんが駆け出した。
そして、傷ついた関節へと斧を振り下ろす。
ガキィッ!!
テラリアの前脚が折れ曲がった。
巨体が横へと傾き、バランスを崩す。
その瞬間、ルイスくんはすでに動いていた。
彼は低くなった化け物の頭を駆け上がり、装甲に覆われた鼻先へ片足をかける。
そして、勢いよく跳躍した。
一瞬だけ、ルイスくんの体がテラリアの首の上で宙に浮いた。
次の瞬間、剣が閃いた。
「抜刀術――シャイニングスター!!」
キィィィィン!!
刃が、テラリアの後頭部にある装甲の隙間へと深く突き刺さった。
化け物が耳をつんざくような咆哮を上げる。
その巨体が激しく痙攣した。
岩に挟まれた頭を引き抜こうともがき、地面を揺るがす。
だが、ルイスくんはすでに安全な場所へと着地していた。
「離れろ!!」
オルシクさんがルイスくんの腕をつかみ、戦場から引き離す。
テラリアが狂ったように暴れ回った。
尻尾が地面を叩きつけ、残っていた岩柱を粉砕する。
爪が大地をえぐり、深い溝を刻みつける。
だが、やがて――その動きが鈍くなっていった。
目の奥で輝いていた光が、弱々しく明滅する。
一度。
二度。
そして、ついに――
巨体が崩れ落ちた。
ドゴオオオオオオオオン!!
洞窟全体に響く轟音とともに、砂埃が爆発的に巻き上がる。
地面が激しく揺れ、俺は反射的に腕を上げて顔をかばった。
数秒間、視界が完全に塞がれる。
やがて、砂埃が少しずつ晴れていった。
その先に見えたのは――
洞窟の床に横たわる、巨大なテラリアの亡骸だった。
……
……静寂。
俺は、化け物の死骸を呆然と見つめた。
……勝った、のか?
ルイスくんは剣を下ろし、長く息を吐いた。
オルシクさんは斧に体重を預け、荒い呼吸を繰り返している。
二人とも、勝利を喜んでいるようには見えなかった。
ただ、疲れ切っていた。
……正直、それが何よりも恐ろしかった。
AAランクの魔物と戦うだけで、ここまで消耗するのか。
なら、もっと強い相手を倒すには、一体どれほどの力が必要なんだ?
アエラルが二人のもとへと駆け寄った。
「二人とも、大丈夫!?」
「まだ息はしとるわい。……しばらく座って休みたいところじゃがな」
オルシクさんが呻くように答える。
ルイスくんも、疲れた笑みを浮かべた。
「同感だな……」
アエラルはすぐさま二人の怪我を確認し始めた。
俺はその場に立ち尽くし、テラリアを見つめ続けていた。
巨大な体が、少しずつ崩れ始めている。
黒曜石の装甲が剥がれ落ち、破片となって塵のように消えていった。
隣では、愛子が黙って立っていた。
いつもなら、冗談の一つでも飛ばしているところだ。
さっきまでの魔物を簡単に倒したことを自慢していてもおかしくない。
だが、今の彼女は違った。
俺と同じものを見つめていた。
……ただ、俺の頭の中を占めていたのは、別のことだった。
もし、オルシクさんが助けてくれなかったら。
もし、ルイスくんが化け物の注意を引きつけられなかったら。
もし、オルシクさんが倒れたまま、二度と立ち上がれなかったら。
……
……俺たちは死んでいた。
あっけなく。
劇的な最期の言葉を残す暇もなく。
反撃する機会すら与えられずに。
あの巨大な足に押し潰されて、それで終わりだった。
俺は唾を飲み込んだ。
……
……俺、情けなさすぎるだろ。
自分の手を見下ろす。
一ヶ月。
俺がこの世界で訓練を始めてから、一ヶ月が経った。
魔法を圧縮する方法も覚えた。
《ブレス・オブ・ウィンド》で素早く移動する方法も身につけた。
異なる属性の魔法を組み合わせることだってできるようになった。
成長はしている。
それは間違いない。
……なのに。
こんな化け物を前にしたら、何の意味もなかった。
俺の魔法じゃ足りない。
経験も足りない。
そして、ルイスくんやオルシクさんが戦っている間、俺にできることは何もなかった。
ただ、二人が無事であることを祈るだけ。
……
……俺は、足手まといだ。
その考えが、重い石のように胸の奥へ沈んでいった。
「おい」
ルイスくんの声に、俺はハッと顔を上げた。
彼が俺に向かって手を差し伸べている。
「大丈夫か?」
俺はその手をしばらく見つめてから、そっと握った。
「う、うん……ありがとう」
ルイスくんに引き上げてもらい、俺は立ち上がった。
そして、愛子にも手を伸ばして立たせる。
「ありがと、潤也」
愛子が小さく呟いた。
俺は彼女を見た。
……愛子も、動揺しているようだった。
だが、すぐに表情を変えると、ルイスくんとオルシクさんへ向き直った。
「二人とも大丈夫!? さっき、すっごい勢いで吹っ飛ばされてたじゃん!」
「心配するな。あんなの、赤ん坊からお菓子を取り上げるようなもんさ!」
ルイスくんが疲れた笑みを浮かべる。
オルシクさんが鼻を鳴らした。
「お前さんはそうかもしれんが、わしの肩は一週間は痛みそうじゃわい」
アエラルが呆れたように首を振った。
「二人とも、本当に懲りないわね。ちゃんと座って、手当てを受けて!」
……
……もう、いつもの調子に戻っていた。
ルイスくんとオルシクさんは、まるでちょっとした厄介事でも片づけたかのように笑い合っている。
アエラルは二人の怪我を心配し、愛子は危うく押し潰されるところだったと文句を言っている。
まるで、さっきの死闘なんて一日の途中で起きた、ちょっとした邪魔でしかなかったかのように。
俺も、無理やり笑みを作った。
「うん……みんな無事でよかった」
誰も、俺が急に口数を減らしたことには気づいていないようだった。
……いや。
もしかしたら、気づいていたのかもしれない。
どちらにしても、それが気になって仕方なかった。
ルイスくんはアエラルに礼を言い終えると、俺たちの方へと向き直った。
「よし。今日はここまでにしよう。探索は十分だろう」
オルシクさんの目が輝いた。
「酒がうまい時間じゃな!」
愛子がすぐさま手を挙げる。
「賛成! あたしも行く!」
……
……だよな。
この二人、酒の匂いだけは一瞬で嗅ぎつけるんだよな。
俺は小さく笑みを浮かべ、みんなが帰り支度を始めるのを見守った。
だが、転移門へ向かう途中、ふと視線が後ろへと戻る。
テラリアが倒れていた場所。
地面には亀裂が残り、岩柱は砕け散っていた。
そして、俺たちが死にかけた場所には、もはや塵の山しか残っていなかった。
……
……強くならなきゃいけない。
この先、仲間を守りたいのなら。
いつもの依頼に出てくる魔物を倒せる程度じゃ駄目だ。
次にこんなことが起きたとき、ただ立ち尽くしているだけじゃなく――
自分の力で、何かができるくらいに。
俺は拳を強く握りしめた。
次こそは、必ず。
何かができるようになってやる。
「潤也たん」
声に振り返ると、アエラルが杖を手に立っていた。
彼女は俺をじっと見つめたあと、突然、杖の先で俺の額をつついた。
「痛っ! 何すんだよ!?」
アエラルは腕を組み、頬をぷくっと膨らませた。
「ふんっ!」
……
……はあ?
俺、何かしたか!?
顔を赤くした彼女がそっぽを向くのを、俺は呆然と見つめた。
……
……女ってやつは。
何を考えているのか、さっぱりわからん。
だが、一つだけ確かなことがある。
明日からは、もっと本気で訓練する。
たとえ、それで死にかけることになったとしても。
……
……できれば、本当に死ぬのは勘弁してほしいけどな。
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