第1章 (第12話)『家族のこと』
数週間が過ぎた。
愛子はCランクに昇格し、俺はなんとDランクにまで上がっていた。
当然、あいつは起きている時間のほとんどを使って、そのことを自慢してきた。
しかも最近じゃ、夕食のたびに俺の皿にある料理の半分をもらう権利があるとか言い出す始末だ。
……
このバカビッチめ。
最近、俺たちのパーティーはダンジョン攻略の依頼を受けることが増えていた。ルイスくんが助けてくれなかったら、俺は何度死んでいたかわからない。
正直、一緒に過ごす時間が増えるにつれて、俺はどんどんルイスくんを尊敬するようになっていた。
「大丈夫か?」
ルイスくんが手を差し伸べてくれた。
「ぐっ……だ、大丈夫。ありがと」
俺はその手をつかみ、引っ張り上げてもらった。
「潤也、最近ずいぶん強くなったな。成長の早さには驚かされるよ」
ルイスくんは笑った。
「……あいつよりも?」
俺は愛子の方をちらりと見た。
ルイスくんも俺の視線を追う。
「グルァァァッ!! まだやるか!?」
愛子は楽しそうに、次から次へと魔物を斬り伏せていた。
……
はあ。
魔力が一滴もないくせに、あそこまで強くなっているのは、正直ちょっと腹が立つ。
チッ。
―――――※―――――
その日の依頼をすべて終えた俺は、ほとんど倒れ込むように座り込んだ。
「もおおおおお、疲れたああああ!!」
いや、マジで疲れた。
今日はダンジョンを丸ごと一つ攻略したんだぞ!
間違いなく、今までで一番の成果だった。
俺はテーブルの上に置かれた冒険者証に目を向けた。
「……あれ? 俺たちのパーティーランク、まだ変わってないのか。相変わらずDランクのままじゃん」
どうやら、この世界のランク制度は、俺が最初に思っていたよりもずっと複雑らしい。
簡単に説明すると、こんな感じだ。
まず、一番下がEランク。
このランクの冒険者が受けられる依頼は限られていて、主な仕事は雑用や配達、素材の採取、簡単な手伝いなどだ。
その次がDランク。いわゆる駆け出しのランクだ。
俺と愛子も、ここからスタートした。このランクになると、簡単な雑用だけでなく、もう少し幅広い依頼を受けられるようになる。
次はCランク。中堅と呼ばれるランクだ。
それなりの経験を積んだ冒険者が所属していて、依頼の危険度も上がる。魔物の討伐や、魔物がはびこる地域の掃討なども、このあたりから増えてくる。
その上がBランク。熟練の冒険者たちが属するランクだ。
さらに上にはAランクがあり、ここまで来れば一流と呼ばれる。
そして、最後がSランク。
どうやらSランクには、マイナスからプラスまでの細かな区分があるらしい。ここまで到達すれば、一流の魔法使いとして扱われるうえ、冒険者としても相当な知名度を持つことになる。
当然、そんな奴らは滅多にいない。
……
まあ、つまらない説明はこの辺にしておこう。
俺は冒険者証をテーブルに置き、自分のトラックスーツを見下ろした。
……
もう、ずいぶん長いことこの世界で暮らしている。
この服を見ていると、なぜか懐かしい気持ちが込み上げてきた。
……
は?
なんで俺、こんな気持ちになってるんだ?
俺が?
あの世界を懐かしんでる?
あんな世界、嫌いだったはずだろ?
なのに、どうして……。
「久吾さん。何か悩み事でもあるんですか?」
声をかけられ、俺は振り返った。
いつの間にか背後に立っていたルイスくんに、思わず肩が跳ねる。
「お、おお、ルイスくん。まあ……ちょっとな」
ルイスくんは、俺の顔をじっと見つめた。
どういうわけか、俺が何を考えているのか、すでに見透かされているような気がした。
「何に悩んでいるのか、無理に聞くつもりはないよ。誰だって、他人には話したくないことくらいあるからな」
そう言うと、ルイスくんは俺の肩に手を置いた。
「でもな、潤也。いつも平気なふりをする必要なんてないんだ。つらい日があったっていいし、何もかも一人で解決しようとしなくてもいい」
……
「俺たちのパーティーに入ってから、お前はずいぶん成長した。何に悩んでいるにせよ、一人で抱え込む必要はないんだ。お前はもう、このパーティーの一員なんだから」
ルイスくんは、俺の肩を優しく握った。
「だから、話したくなったらいつでも聞くよ。無理に話せとは言わない。……それでいいだろ?」
……
俺はしばらく、ルイスくんを見つめていた。
……
はあ。
俺、何て答えればいいんだよ……。
知り合ってまだ数週間しか経っていないのに、こいつはまるで何年も前からの友人みたいに接してくれる。
故郷にいた頃の俺は、いつの間にか他人と距離を置くことに慣れきっていた。
誰かに頼ることも、弱みを見せることも避けていたせいで、見返りを求めずに本気で心配してくれる人間がいることさえ、忘れかけていた。
……
「うん……ありがとう、ルイスくん」
俺は小さく笑った。
「本当に感謝してる」
「……まあ、俺が考えすぎてるだけかもしれない。ありがとう、ルイスくん。でも……お前には話さない方がいいと思う」
ルイスくんは、理解を示すように微笑んだ。
「そうか。なら、無理に話さなくていいよ。お前が話したくないことまで聞き出そうとは思わないから」
……
はあ。
なんでこいつ、こんなにいい奴なんだよ。
秘密を隠していることに、ちょっと罪悪感を覚えちまうじゃねえか。
……
まあ、ほんのちょっとだけどな。
―――――※―――――
「ご飯できたよー!」
アエラルが台所から声をかけた瞬間、俺と愛子は小屋に向かって駆け出した。
「どけ、このバカ!」
「アンタこそどきなさいよ、タンポポニート!」
「俺はニートじゃねえ! このビッチ! アンタのケツが邪魔なんだよ!」
「あたしのお尻は太くないわよ!!」
俺たちは、同時に戸口を通り抜けようとした。
当然、二人そろって詰まった。
「どけっつってんだろ!!」
「アンタこそどきなさいよ!!」
ようやく中に入れた頃には、俺の顔はボコボコになっていて、料理を見る気力すら失せていた。
……
クソゴリラめ……。
いつか絶対、首を絞めてやる。
「おっ、もう夕食か」
ルイスくんが、濡れた髪をタオルで拭きながら部屋に入ってきた。
「オルシク! 飯だぞー!」
「今行く!」
ほどなくして、全員がテーブルを囲み、湯気の立つ鍋料理を楽しんでいた。
温かい料理が体に染み渡り、外の寒さも忘れてしまう。
みんなで他愛もない話をして、ときどき大声で笑う。オルシクにからかわれるたび、アエラルもいつもよりくつろいだ様子で、恥ずかしそうに微笑んでいた。
そして、愛子はというと……。
相変わらず、軍隊全員分の食事でも食べるつもりなのかという勢いで、料理を口に運んでいた。
……こいつは本当に変わらないな。
「おい、それ俺の肉だぞ!」
愛子が俺の皿から肉を取ろうとしたので、俺はその手を叩いた。
「はあ!? アンタ、まだ食べてないじゃない!」
「今から食べるところだったんだよ!」
「だったらさっさと食べなさいよ、ノロマ!」
「この野郎……!」
俺たちの言い争いを聞いて、ルイスくんは笑い、オルシクは「お前ら、いつになったら大人になるんだか」とでも言いたげに首を振った。
そんな中、アエラルがそっと俺の皿に肉を一切れ置いてくれた。
「はい、潤也たん。これ、食べていいよ」
「おっ。ありがとな、アエラル」
俺は笑って、箸を手に取った。
……
ふと、俺はテーブルを見回した。
オルシクの話に笑っているルイスくん。
嬉しそうに料理を頬張るオルシク。
自分で作った料理を、静かに味わっているアエラル。
そして、相変わらず俺の皿から肉を盗もうとしている愛子。
……
……ああ。
いいな、これ。
特別なことなんて何も起きていない。
誰も魔物と戦っているわけでも、訓練しているわけでもない。次の依頼について頭を悩ませているわけでもない。
ただ、みんなでテーブルを囲んで、夕食を食べているだけだ。
なのに……。
なぜか、妙に懐かしい気がした。
まるで、昔にもこんな時間を過ごしたことがあるような……。
ずっと前に。
……
ふと、叔母さんの顔が頭に浮かんだ。
次に、妹。
学校の友達。
そして、祖父。
一つ、また一つと記憶がよみがえり、忘れかけていた顔が次々と浮かんできた。
……
……ああ。
そうだ。
しばらく、あいつらのことを考えていなかったんだな。
故郷にいた頃の俺は、ずっと周りの人間と距離を置いてきた。
誰も必要ない。自分一人でいた方が楽だ。
そうやって、自分に言い聞かせていた。
それなのに、今こうして別の世界に来てみると……。
どうしても、あいつらのことが頭から離れなかった。
……
会いたい。
その気持ちに気づいた瞬間、思っていた以上に胸が締めつけられた。
みんなに会いたい。
叔母さん。妹。学校の友達。祖父。
全員に。
……
俺は、皿に視線を落とした。
料理はまだ温かい。
みんなは変わらず話している。
何も変わっていない。
それなのに、どうしてこんなにも胸が痛むんだ?
俺は、あの頃の生活が嫌いだった。
学校に通うことも、本当の自分を隠して誰かを演じることも、周りに合わせようと無理をすることも。
全部、嫌だった。
けど、いつの間にか俺は、周りにいた人間まで問題の一部みたいに扱うようになっていた。
距離を置いた。
無視した。
そして、そんなことはどうでもいいんだと、自分に言い聞かせていた。
……
でも、本当は違った。
どうでもよくなんかなかった。
あいつらは、大切な人たちだった。
それなのに、今となっては……。
もう、謝ることすらできない。
会いたいとも言えない。
何も伝えられない。
……
「じ、潤也……?」
愛子の声が、俺を現実に引き戻した。
顔を上げると、愛子が肉を口に運びかけたまま、俺を見つめていた。
「アンタ、どうし……」
そこで言葉が途切れた。
「……え?」
俺は瞬きをした。
……何の話だ?
「何言ってんだよ?」
そう返してから、ようやく周りの様子がおかしいことに気づいた。
ルイスくんは話すのをやめていた。
オルシクは心配そうに俺を見つめ、アエラルも箸を置いていた。
全員が、俺を見ていた。
……
……は?
なんで、そんな顔で俺を見てるんだ?
ルイスくんだけは、心配そうなだけじゃなかった。
優しく、理解を示すような笑みを浮かべていた。
そして、そのときだった。
頬に、何か温かいものが伝った。
……
……ん?
俺は手を上げて、頬に触れた。
指先が濡れていた。
「な、なんだ……?」
声が震えた。
「なんで、俺……泣いてるんだ?」
……
……あ。
……やべえ。
俺、泣いてる。
拭っても拭っても、涙が頬を伝って流れ落ちてくる。
止めようとすればするほど、胸が苦しくなった。
待て、落ち着け。
しっかりしろ、潤也。
なんで、みんなの前で泣いてんだよ?
なのに、涙は止まらなかった。
だって、本当は……。
会いたかったんだ。
あんなに距離を置いていたのに。
あんなに、あの頃の生活が嫌いだと思い込んでいたのに……。
それでも、会いたかった。
叔母さんに。
妹に。
学校の友達に。
祖父に。
みんなに、会いたかった。
そして、何の見返りも求めずに俺を受け入れてくれた人たちに囲まれていたからこそ、俺は気づいてしまった。
故郷にいた頃、どれだけ多くのものを当たり前だと思っていたのか。
どれだけ、あいつらの大切さを見落としていたのか。
自分の気持ちを、どれだけ伝えずにいたのか。
そして今、もう二度と伝えられないということに。
……
「く、くそ……」
俺は必死に涙を拭いながら、うつむいた。
「わ、悪い……みんな……俺、自分でも……なんでこんな……」
声が途切れた。
「ごめん。夕食を台無しにするつもりなんて、なかったんだ……」
「潤也……」
アエラルが静かに椅子から立ち上がり、俺のそばへ歩いてきた。
何が起きたのか理解する間もなく、彼女はそっと俺の頭を抱き寄せた。
そして、泣き続ける俺を優しく抱きしめてくれた。
「大丈夫……」
アエラルの声は柔らかかった。
「謝らなくていいんだよ」
……
俺は、何も答えられなかった。
ただ涙を流し続けた。
久しぶりに、自分がどうしようもなく情けない人間に思えた。
すると、ルイスくんもそばに来て、俺の頭を優しく撫でてくれた。
「大丈夫だ、潤也。泣きたいだけ泣けばいい」
オルシクもテーブル越しに手を伸ばし、力強く、けれど安心させるように俺の手を握ってくれた。
二人とも、理由を尋ねなかった。
何があったのか、無理に聞き出そうともしなかった。
ただ、そばにいてくれた。
……
愛子は、その場から動かなかった。
大きく目を見開き、まるで初めて俺を見たかのように、じっとこちらを見つめていた。
いつもの愛子なら、何かしら文句を言ってきそうなものなのに。
今は、何も言わなかった。
けれど……。
やがて、愛子の目もかすかに潤み始めた。
彼女は慌ててうつむき、髪で顔を隠した。
「……バカ」
その声は、ほとんど聞こえないほど小さかった。
「アンタまで泣いたら……」
そこまで言って、言葉が途切れた。
彼女は両手をぎゅっと握りしめていた。
その先は聞こえなかった。
もしかしたら、最初から誰かに聞かせるつもりなんてなかったのかもしれない。
……
それが、なぜか余計に胸に刺さった。
わかっていたからだ。
愛子も、故郷が恋しいんだ。
彼女も、置いてきた人たちに会いたいんだ。
俺と同じように。
それなのに、俺たちはお互い、その気持ちをどう扱えばいいのかわからず、一人で抱え込もうとしていた。
……
でも、もう一人じゃない。
俺は涙でぼやけた視界の中、周りを見渡した。
アエラルは、まだ俺を抱きしめてくれていた。
ルイスくんは隣で優しく頭を撫でてくれている。
オルシクは、何も言わずに俺の手を握っていた。
そして、愛子は……。
自分も泣きそうなのを、必死にこらえていた。
……
……ああ。
そうか。
この人たちは……。
知り合って、まだ数週間しか経っていない。
血のつながりもない。
一緒に育ったわけでもない。
同じ過去を共有しているわけでもない。
それなのに、俺をパーティーに迎え入れ、飯を食わせ、訓練に付き合い、一緒に笑って、つらいときには支えてくれた。
見慣れたものをすべて失った俺に、ここにいてもいいと思える居場所を与えてくれた。
そして今も、俺がなぜ泣いているのか知らないまま、そばにいてくれている。
……
この人たちは……。
俺にとっても、家族なんだ。
涙を拭っても、まだ止まらなかった。
それでも、異世界に来てから初めて、平気なふりをせずに泣くことができた。
そして、久しぶりに……。
何もかも一人で抱え込まなくてもいいんだと思えた。
やがて、俺は泣き止んだ。
正直、あれだけ泣いたあとでは、誰の顔もまともに見られなかった。
人前で泣くこと自体、恥ずかしい。
それも、知り合ってまだ数週間しか経っていない人たちの前でなんて……。
……
……もう、いっそ殺してくれ。
「わ、悪かった……みんな……」
俺は袖で顔を拭い、何事もなかったかのように振る舞おうとした。
「気まずくするつもりなんて、なかったんだ……」
「気まずい? 何が気まずいんだ?」
オルシクは笑いながら、俺の方へ肉を一切れ押しやった。
「ほら、食え。腹がいっぱいになれば、少しは気分もよくなるさ」
……
この人……。
俺は肉をしばらく見つめてから、ありがたく受け取った。
「……ありがとう、オルシク」
そして、俺たちは何事もなかったかのように夕食を再開した。
誰も、俺への接し方を変えなかった。
ルイスくんはいつもどおり話を続け、オルシクは相変わらず俺に料理を勧め、アエラルもときどき俺の様子を気にかけてくれた。
そして、愛子はというと……。
いつも以上に、愛子らしかった。
バカみたいな顔をして俺をからかったり、俺の皿から料理を盗んだり、わざと俺をイラつかせるようなことばかり言ってきたり。
……こいつなりに、俺を元気づけようとしているのか?
……
いや、まさかな。
……とはいえ。
ふとした瞬間、俺が見ていないと思っているときに、こちらを気にしているような気がした。
……
……へっ。
もしかして、本当に心配してくれてたのか?
……いや、ないない。
一方、アエラルは妙に俺を気遣ってくれていた。
顔に食べかすがついているのに気づくと、何も言わず、そっと拭き取ってくれるのだ。
……
おいおい、おいおい。
このまま優しくされたら、母親と勘違いしちまうだろ。
……
……いや、今のは自分でも意味がわからなかった。
それでも、みんながいつもどおり接してくれたおかげで、少しずつ恥ずかしさも薄れていった。
夕食が終わる頃には、だいぶ気持ちが落ち着いていた。
もちろん、完全に立ち直ったわけじゃない。
それでも、さっきよりはマシだった。
今は、それで十分だった。




