第五話 旗を掲げる
第五話 旗を掲げる
桃園で誓いを交わした、その日の午後。
三人は再び義勇兵の募集所へ戻ってきた。
朝よりも人が増えている。
農民。
職人。
町人。
腕に覚えのありそうな若者。
武器を持つ者もいれば、棒一本だけを握っている者もいた。
「さて」
劉備が腕を組む。
「人を集めるぞ」
張飛が横を見る。
「俺たちも義勇兵になるんだろ?」
「なる」
「なら、このまま入ればいいんじゃねぇか」
「三人で行くより、十人、二十人まとめて行った方が話は通しやすいじゃろ」
関羽が劉備を見る。
「最初から一つの集まりとして扱わせるつもりか」
「その方が雲長と翼徳をばらばらに使われずに済む」
「なるほど」
「それに」
劉備は募集所を見る。
「人を連れて行けば、向こうも無下には扱いにくい」
張飛が笑った。
「そういうところは妙に計算高いな」
「天下取るのに、勢いだけで何とかなると思っとるのか」
「自分で天下取ったみたいに言うな」
劉備は張飛を見る。
「取ったんじゃが」
「…………」
張飛は募集所へ視線を戻した。
「まずは目印じゃな」
「目印?」
「人は、集まる場所が分からんと集まれん」
劉備は周囲を見る。
「旗を作るぞ」
◇
しばらくして。
三人は町の一角に立っていた。
その横には一本の棒。
棒の先には、あり合わせの布が括りつけてある。
布には大きな文字が書かれていた。
――黄巾に抗う者、求む。
「…………」
劉備が旗を見上げる。
「なんか曲がっとらん?」
「文句あるならお前が書け」
張飛が腕を組む。
「ワシ、字はそこまで得意ではない」
「なら黙ってろ」
関羽が旗を見る。
「読める」
「ほれ見ろ」
「それ以上でもない」
「雲長まで!」
風が吹く。
布が頼りなく揺れた。
その前に。
三人。
「…………」
誰も来ない。
劉備が旗を見る。
通りを見る。
もう一度、旗を見る。
「おかしいのう」
関羽が官軍の募集所の方へ視線を向ける。
「向こうは官軍だ」
「うむ」
「こちらは、正体の分からぬ三人だ」
「…………」
劉備は少し考えた。
「言われてみれば怪しいのう」
張飛が鼻で笑った。
「今さらかよ」
通りを歩く者たちは、旗を見る。
だが。
足を止めても、こちらへは来ない。
「向こうにないものが要るな」
「何がある」
関羽が聞く。
「飯」
「ない」
「金」
「ない」
「武器」
「ない」
「馬」
「ない」
「…………」
三人の間に風が通り抜けた。
劉備が咳払いする。
「まあ、見とれ」
◇
「おい!」
劉備が声を張った。
通りを歩いていた何人かが振り返る。
「黄巾と戦いたい奴!」
数人が足を止めた。
「だが、無駄死にはしたくない奴!」
さらに何人かがこちらを見る。
「なら来い!」
一人の若者が眉をひそめる。
「官軍なのか?」
「これから入る!」
「兵は?」
「今のところ三人!」
「武器は?」
「これから集める!」
若者が背を向けた。
「待て待て!」
劉備が呼び止める。
「最後まで聞け!」
「何をだよ」
「お主は何ができる」
「は?」
「普段何をしとる」
「鍛冶屋で働いてる」
劉備の目が変わった。
「なら来い」
「なんでだよ」
「武器が壊れた時、直せるじゃろ」
「……まあ、多少は」
「十分じゃ」
「でも俺、剣なんかまともに使えねぇぞ」
「誰が全員前で戦えと言った」
「…………」
周囲にいた者たちも、少しずつ耳を傾け始める。
劉備は別の男を見る。
「お主は?」
「俺?」
「何ができる」
「馬の世話なら」
「よし」
「馬なんてないだろ」
「今はな」
「…………」
「そのうち要る」
男は何とも言えない顔で劉備を見た。
次に。
少し年嵩の男。
「お主は」
「飯なら作れる」
「来い」
「即答かよ」
「腹が減った兵が戦えるか」
「……まあ、そうだな」
「何人分作れる」
「道具がありゃ、二十や三十は」
「十分じゃ」
その時。
少し離れたところにいた若い男が、ぼそりと言った。
「俺は何もできねぇ」
劉備が見る。
「何もしとらんのか」
「農家だよ」
「どこの」
「この町の外れ」
「この辺りの道は分かるか」
「そりゃ、生まれた時から住んでるから」
「裏道も?」
「まあ」
「川の浅い場所は?」
「知ってる」
「なら来い」
男が目を瞬く。
「何でだよ」
「道を知っとる」
「それだけで?」
「それが大事なんじゃ」
劉備は男を見る。
「兵が迷ったらどうする。敵より先に着きたい時は。逃げ道を探す時は」
「…………」
「お主が知っとる道を、知らん奴は大勢おる」
男は少し黙った。
「……そんなもんでも役に立つのか」
「役に立つかどうかは使い方次第じゃ」
関羽が静かに劉備を見る。
劉備は集まり始めた人々へ向き直った。
「家でも畑でも家族でも!」
声を張る。
「取られたくないもんがある奴は来い!」
ざわめきが止まる。
「朝廷のために死ねなんぞ言わん!」
「…………」
「戦える奴は戦えばよい。飯を作れる奴は飯を作れ。武器を直せる奴は武器を直せ。道を知っとる奴は道を教えろ」
旗を指す。
「できることを持ち寄れば、それで一つの力になる」
一人が尋ねる。
「戦えなくてもいいのか」
「戦いたいなら」
劉備は関羽を見る。
「雲長に習え」
関羽が僅かに眉を動かす。
「私か」
「お主以上の適任がおるか?」
「……承知した」
今度は張飛が一歩前へ出た。
「腕に自信ある奴は俺でもいいぞ」
大柄な男が張飛を見る。
「強いのか?」
張飛が笑う。
「試すか?」
男は少し考えた。
「……いや、いい」
周囲から笑いが漏れた。
その中から。
鍛冶屋の若者が一歩前へ出る。
「本当に、戦えなくてもいいんだな」
「うむ」
「なら」
若者は旗の横へ立った。
「俺は行く」
一人。
次に。
馬の世話ができると言った男。
「じゃあ、俺も」
二人。
「飯を作る奴も要るんだろ?」
三人。
道に詳しい男も、少し迷ってから前へ出た。
「俺も……役に立てるなら」
「もちろんじゃ」
さらに。
「俺は弓なら少し使える」
「来い」
「荷運びくらいしかできんぞ」
「それも要る」
「村の連中なら、何人か声をかけられる」
「頼む」
一人。
また一人。
旗の前に人が増えていった。
◇
日が傾き始めた頃。
集まったのは十数人。
多くはない。
官軍の募集所と比べれば、取るに足らない数だった。
しかも。
戦える者ばかりではない。
鍛冶屋。
料理人。
馬に慣れた者。
地理に詳しい者。
腕自慢。
農民。
職人。
「兄者」
関羽が呼ぶ。
「なんじゃ」
「これからどうする」
「全員に、できることを聞く」
「戦えぬ者もか」
「だからこそじゃ」
劉備は人々を見る。
「できることを知らんでは、任せようがない」
関羽は一度頷いた。
「本当に、人を使うことには長けているらしい」
「じゃろ?」
「まだ十数人だ」
「これから増える!」
関羽はそれ以上何も言わなかった。
劉備は集まった者たちの前へ出る。
「では、一人ずつ聞くぞ!」
ざわついていた者たちが静かになる。
「名前!」
一人目を指す。
「できること!」
次を指す。
「それから」
一度、言葉を切る。
「何でここに来たか。言いたい奴だけでよい」
人々が互いを見る。
「それも聞くのか?」
「知っといた方がよいじゃろ」
「なんでだ」
「逃げたくなった時に思い出せる」
「…………」
「ワシも逃げるが」
「おい」
何人かが吹き出した。
劉備も笑った。
◇
夕暮れ。
人々はまだ旗の下にいた。
関羽は武器を持つ者たちの構えを見ている。
張飛は腕自慢の男たちと話している。
鍛冶屋の若者は、持ち込まれた剣を眺めていた。
料理ができる男は、何人分の食事が必要になるかを誰かと話している。
地理に詳しい男は、地面に簡単な道を書いて説明していた。
まだ。
軍とは呼べない。
隊ですらない。
ただ。
人が集まっただけだ。
劉備は最初に立てた旗を見る。
あり合わせの布。
曲がった文字。
立てた時と何も変わっていない。
だが。
今は。
その下に人がいる。
「…………」
「どうした、アニキ」
張飛が聞く。
「いや」
劉備は旗を見上げる。
「ようやく旗らしくなったと思ってのう」
関羽も旗を見上げた。
風が吹いた。
みすぼらしい布が大きく揺れる。
その下には。
十数人の人間が立っていた。
そして。
少し離れた通りの向こう。
二人の旅商人が、その旗を見ていた。
傍らには。
荷を積んだ馬が、何頭も繋がれていた。
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