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劉邦、転生したら劉備だった件  作者: レイン
第一章 黄巾の乱

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第三十話 報い

第三十話 報い


 董卓軍を救援してから、十日ほどが過ぎた。


 黄巾軍は斜面の向こうへ陣を引いたまま、大きく動こうとしない。


 官軍も追わず、睨み合いが続いていた。


 朝になれば兵が並び、斥候が戻るたびに旗が動く。


 何か始まるかと思えば、そのまま日が傾く。


 翌日も、その次の日も同じだった。


「いつまで待たせる気だ」


 張飛が空になった椀を地面へ置いた。


「もう十日だぞ」


 劉備は自分の椀を傾けた。


 粥が底に薄く残っている。


 初めの頃は、董卓軍から回される糧も今より多かった。


 それが日を追うごとに細くなり、副食も減っている。


 自分たちで持ち込んだ糧もあるが、先が見えない以上、使い切るわけにはいかない。


 少し離れた炊事場では、董卓軍の兵が米袋を運んでいた。


 こちらへ回ってきた分は、昨日より少ない。


「兄者」


 関羽が声を落とす。


「このまま長引けば、糧の方が先にもたなくなる」


「ああ」


 義勇兵の中には、支給された分だけでは足りず、持参した干し飯を口にしている者もいる。


 今はまだ戦える。


 だが、この状態がさらに十日、二十日と続けばどうなるか。


「指示は変わらんか」


「変わらん」


 関羽が答えた。


「昨日も陣の者を通して確かめたが、待機のままだ」


 張飛が鼻から息を吐く。


「戦うなら戦うでいい。何もさせずに飯だけ減ってくのが一番腹立つ」


 劉備は何も返さず、遠くの陣へ目を向けた。


 先日の戦で、董卓が軍を立て直した手際は覚えている。


 崩れかけた兵をまとめ、退く順を決め、追撃を受けながら軍を潰さなかった。


 軍を率いる腕があることは認めている。


 だが、待機を命じられた兵も、待っているだけで腹は減る。


 いつ動くかも分からぬまま日だけが過ぎれば、義勇兵から先に苦しくなる。


「昼まで何もなければ、鄒靖殿に話してみるか」


 言い終える前に、陣の入口が騒がしくなった。


 馬の蹄が続けて響く。


 何騎かが兵の間を抜けてきた。


 先頭にいる男を見た瞬間、劉備は眉を寄せる。


 あの時、盧植の陣へやってきた男――左豊の姿があった。


 張飛も気づいたらしい。


「また来たのか」


 左豊は周囲へ目も向けず、そのまま董卓のいる陣奥へ進んでいく。


 戦況よりも朝廷の意向ばかりを口にしていた男だ。


 今度は、何を言いに来た。


 やがて董卓の陣から伝令が走り出し、将たちが奥へ呼ばれていった。


 兵も慌ただしく動き始める。


 攻撃でも始まるのかと思ったが、軍勢に動く気配はない。


 代わりに、酒の甕や食材が董卓の陣へ運び込まれていった。


 夕方。


 義勇兵にも食事が配られた。


 薄い粥と僅かな漬物。


 劉備が地面へ腰を下ろし、椀を手に取る。


 張飛も隣へ座った。


 関羽が自分の分を受け取って戻ってきた時、風向きが変わった。


 香ばしい匂いが流れてくる。


 焼いた肉の匂いだった。


 張飛の手が止まる。


 劉備も顔を上げた。


 陣の奥から煙が上がっている。


 料理を載せた大皿を抱えた兵が、次々と董卓の陣へ入っていった。


 劉備は手元へ視線を戻す。


 椀の中には、米粒の少ない粥がある。


「……俺たちには、これか」


 張飛の声は低かった。


 関羽も何も言わない。


 周囲の義勇兵たちも同じ匂いを嗅いでいた。


 陣奥へ目を向ける者もいれば、黙って粥を口へ運ぶ者もいる。


 誰も騒がなかった。


 それがかえって、劉備の腹に残った。


 少し離れたところで、兵たちの話し声が聞こえる。


「朝廷の使者らしい」


「左豊とかいう男だ」


「董卓将軍がもてなしているそうだ」


 劉備は粥を一口すすった。


 味はほとんどしなかった。


 しばらくして、陣奥から声が届く。


 何を話しているのかまでは聞き取れない。


 ただ、一言だけ、風に乗って耳へ入った。


「朝廷は、この膠着を望んではおりません」


 左豊の声だった。


 張飛が椀を握る手に力を入れる。


 劉備は何も言わず、董卓の陣を見た。


 肉を焼く煙が、夕暮れの空へ細く昇っていた。


 翌朝。


 左豊は陣を出ていった。


 来た時と同じように数騎を連れ、振り返ることもない。


 劉備は離れていく背を見送った。


 昨日、左豊が入ってから慌ただしかった董卓の陣も、今朝は静かだった。


 兵はいつも通り持ち場へ向かい、将たちも動いてはいない。


「……終わりか?」


 張飛が呟く。


 劉備は陣の奥を見る。


 董卓の旗は動いていない。


 攻める様子もなかった。


 関羽も陣の奥へ目を向ける。


「すぐに軍を動かすことはなさそうだ」


 張飛の顔が険しくなる。


「また待つのか」


 その答えは、昼前に届いた。


 待機。


 昨日までと同じだった。


 その日も戦は始まらなかった。


 翌日も。


 さらにその次の日も。


 黄巾軍は陣を崩さず、官軍も動かない。


 見張りと斥候だけが行き来し、時折遠くで太鼓が鳴る。


 それだけだった。


 義勇兵へ回される食事は、さらに少なくなった。


 粥の量が減り、漬物すら出ない日が増える。


 持ち込んだ干し飯を崩す者も、もう珍しくなかった。


 劉備たちも同じだった。


 袋の口を開く。


 残っている量を確かめ、また閉じる。


 先が分からない。


 腹が減ったからといって、好きなだけ食うわけにはいかなかった。


「アニキ」


 夕方。


 張飛が手の中の干し飯を見ながら言った。


「これ、あとどれくらいもつ」


「食い方次第じゃな」


 張飛は一欠けだけ口へ放り込んだ。


 そのまま袋を閉じる。


 以前なら残りも食べていたはずだった。


 劉備は何も言わなかった。


 少し離れた場所で、一人の義勇兵が袋を逆さにしていた。


 中から落ちてきたのは、砕けた干し飯が僅かだけ。


 男は掌へ集めると、それを口へ入れた。


 翌朝。


「劉備殿」


 声を掛けられ、劉備は振り返った。


 一人の男が立っている。


 涿郡を出てから、何度も同じ陣で夜を越した顔だった。


「どうした」


 男はすぐには答えなかった。


 腰に下げた袋を握る。


「……帰らせていただきたい」


 張飛が顔を上げた。


 関羽もこちらを見る。


 劉備は男を見た。


「理由を聞いてもええか」


「家に、妻と子がおります」


 男は俯いた。


「持ってきた糧も、もうほとんどありません。このままここにいても……」


 言葉が途切れる。


「戦うのが怖くなったわけではありません」


「分かっとる」


「ですが――」


「帰れ」


 男が顔を上げた。


「……よろしいのですか」


「ああ」


「しかし、俺は劉備殿についていくと――」


「家族を餓えさせてまでついてこいとは言っとらん」


 男は黙った。


 劉備はその肩を軽く叩く。


「残った糧があるなら、帰り道に使え」


「……申し訳ありません」


「謝るな」


 男は深く頭を下げた。


 その日のうちに陣を離れていった。


 一人だけではなかった。


 翌日には二人。


 さらに数日が経つ頃には、同じように陣を離れる者が増えていた。


 中には、傷の治りきっていない仲間を連れて帰る者もいる。


 理由は皆、似ていた。


 糧がない。


 家族が待っている。


 いつまでここにいるのか分からない。


 劉備は誰も止めなかった。


 止められるはずもなかった。


 戦うために集まった。


 だが、何日も何日も腹を空かせて待つために集めたわけではない。


 夕暮れ。


 劉備は残った義勇兵たちを眺めていた。


 随分と隙間が増えた。


 最初からついてきた顔が目立つようになっている。


 張飛が隣へ来た。


「……減ったな」


「ああ」


 それ以上は言わない。


 少し遅れて、関羽も来た。


「兄者」


「分かっとる」


 劉備は先に言った。


 関羽が口を閉じる。


「このまま待っとっても、また減る」


「なら」


「行く」


 張飛が顔を向けた。


「董卓のところか」


「ああ」


「俺も行く」


 関羽も前へ出る。


「俺もだ」


 劉備は二人を見る。


「分かった」


 立ち上がる。


 董卓の陣へ目を向けた。


 これ以上、待つつもりはなかった。


 董卓の陣へ着くと、入口で兵に止められた。


「何の用だ」


「董卓将軍に話がある」


 兵が劉備を見る。


「将軍は忙しい」


「劉備玄徳と伝えてくれ」


 兵は三人を見回したあと、奥へ向かった。


 しばらくして戻ってくる。


「将軍がお会いになる。入れ」


 董卓は地図を前に座っていた。


 左右には数人の武将が控えている。


 その中に、大柄な男がいた。


 劉備たちが入ってきても動かず、陣幕際からこちらを見ている。


「劉備玄徳」


 董卓が顔を上げた。


「先日はよく働いたな」


「中軍の混乱を抑え、追撃を止める時間も作った。貴様らがいなければ、損害はさらに増えていただろう」


 劉備は黙って聞く。


 董卓が椅子へ背を預けた。


「恩赦については、俺からも口添えすることを考えておこう」


「それより、兵のことじゃ」


 董卓の眉がわずかに動く。


「兵?」


「ワシらについてきた奴らじゃ」


 劉備は一歩前へ出た。


「飯が減っとる。待機が続いて、持ち込んだ糧も少なくなった。もう帰った奴もおる」


「それで?」


「それで、じゃねぇ」


 張飛の声が後ろから飛ぶ。


 関羽が視線だけを向けた。


 董卓は張飛を見たあと、また劉備へ戻す。


「寄せ集めだろう」


「……何?」


「俺の兵と同じようには扱えん」


「戦う時は使ったじゃろ」


「必要だったからだ」


 董卓は迷わず答えた。


「戦場で使える兵を使う。それだけだ」


 劉備の目が細くなる。


「囮にしたこともか」


「あの場では必要だった」


「悪いとは思わんのか」


「思わん」


 董卓は即答した。


「結果として軍は立て直せた。貴様らも生きている」


 張飛が一歩出た。


「てめぇ――」


「翼徳」


 関羽が止める。


 張飛は歯を食いしばったまま動かない。


 劉備は董卓から目を逸らさなかった。


「戦わせる時は使って、あとは知らん顔か」


「兵糧には限りがある」


「それは分かる」


「なら話は終わりだ」


「終わっとらん」


 陣の空気が変わる。


 董卓の周囲にいた武将たちが、劉備へ目を向けた。


「ワシへの恩赦は後でええ」


「何?」


「残ってる奴らに糧を出せ。怪我した奴にも、帰れるだけのものは持たせてやれ」


「褒美は戦が終わってから決まる」


「いつ終わる」


「敵が崩れればだ」


「その前にこっちが減っとる」


 董卓の目が険しくなる。


「それは貴様が抱えている兵の問題だ」


「そうじゃ」


 劉備は答えた。


「だからワシが来た」


 しばらく、誰も口を開かなかった。


 董卓が立ち上がる。


「勘違いするな」


 劉備よりも大きな身体が、正面に立つ。


「貴様らは俺の軍に加わった正式な兵ではない」


「知っとる」


「なら分を弁えろ。寄せ集めにまで同じ扱いを求めるな」


 張飛の肩が動いた。


「アニキ」


「待て」


 劉備が片手を上げた。


「止めんな」


「止めとらん」


 張飛が眉を寄せる。


 劉備は董卓を見る。


「ワシがやる」


「……は?」


 関羽の顔が変わった。


「兄者」


 劉備はもう踏み出していた。


「その言い方が一番気に食わん!」


 拳を振り上げる。


「兄者!」


 董卓へ届く前に、横から腕を掴まれた。


「なっ」


 身体が止まる。


 振りほどこうとしても動かない。


 陣幕際にいた大柄な男だった。


「将軍に何をする」


「離せ!」


「断る」


 腕へ力を込めてもびくともしない。


 張飛が丈八蛇矛へ手を掛けた。


 関羽も半歩、前へ出る。


 青龍偃月刀へ手を掛けた、その時だった。


 大柄な男の視線が関羽へ向く。


 関羽も足を止めた。


 一瞬だけ、二人の視線がぶつかった。


「華雄、そこまでだ」


「はっ」


 華雄は劉備を董卓から引き離し、それから腕を放した。


 関羽ともう一度だけ視線がぶつかる。


 どちらも何も言わなかった。


「将軍への狼藉だ! 囲め!」


 周囲の兵が一斉に武器を抜いた。


 陣幕の出口へ回り込もうとする兵が見える。


 張飛が丈八蛇矛を構え、関羽も青龍偃月刀を構える。


「やらん!」


 劉備が出口を指した。


「囲まれる前に出るぞ!」


 関羽が劉備を見る。


「兄者……」


「雲長も早く来い!」


 劉備は踵を返した。


 張飛も続く。


「待て!」


 怒号が背後から飛ぶ。


 三人は陣幕を抜けた。


 兵の間を走り、董卓の陣から離れていく。


 何人かが追ってきたが、追手はやがて止まった。


 しばらく走ったところで、劉備は掴まれた腕を確かめた。


「……あいつ」


「アニキ、その腕……」


「何でもない」


 劉備は袖を下ろした。


 関羽が一度だけ後ろを振り返る。


 追手の姿はもう見えなかった。


 その日のうちに、三人は鄒靖のもとへ戻った。


 事情を聞いた鄒靖は、しばらく何も言わなかった。


「……董卓将軍を殴ろうとしたのか」


「あれは、仕方ない」


「何が仕方ない!」


 鄒靖が額を押さえる。


「何を考えている!」


「腹が立った」


「それで将軍を殴る奴があるか!」


 劉備は黙って視線を逸らした。


 鄒靖は深く息を吐く。


「董卓将軍が、これ以上追及してこなければ御の字だと思え」


 劉備は黙っている。


「だが、もう董卓将軍の指揮下には置けん」


 鄒靖はしばらく考え込んだ。


「朱儁(しゅしゅん)将軍の方面へ増援を回すことになっている。お前たちはそちらへ回す」


「朱儁?」


「ああ。俺から話を通す」


 鄒靖は劉備を睨んだ。


「勝手に動くなよ」


「分かった」


 劉備も外へ目を向ける。


 残った義勇兵たちが待っている。


 数は減った。


 それでも、まだついてきている者がいる。


「こいつらも一緒でええか」


「そのつもりだ」


「頼む」


 鄒靖はもう一度大きく息を吐いた。


「今度は騒ぎを起こすな」


 劉備は返事をせず、外へ出た。


 張飛と関羽も続く。


 董卓の陣がある方角を、一度だけ振り返る。


 先日の退き方を見れば、将としての腕は分かる。


 劉備は前を向いた。


*


【董卓視点】


「追手を戻せ」


 董卓は椅子へ戻った。


「よろしいので?」


「今は黄巾だ」


 余計な騒ぎに兵を割くつもりはなかった。


「殿」


 別の部下が声を掛ける。


「劉備へ、恩赦の口添えをすると仰っていましたが」


「ああ」


「朝廷へお伝えになるので?」


 董卓が鼻で笑った。


「俺に殴りかかった男だぞ」


 部下が口を閉じる。


「あれで口添えまでしてやる義理がどこにある」


 董卓は地図へ目を落とした。


「それに、今は朝廷へ余計な話を持ち込むつもりもない」


 劉備玄徳。


 無官。


 正規の兵も持たない。


 それでも先日の戦では、自軍の兵まで動かした。


 今日は恩赦を口にしても頭を下げず、最後には自分へ拳を向けた。


「劉備玄徳。あれは危険な男だ」


「危険、ですか」


「後先を考えずに動く奴が、一番何をするか分からん」


 董卓は鼻を鳴らした。


「恩赦をちらつかせた直後に、俺を殴りに来るような奴だからな」


 陣の外から太鼓の音が聞こえた。


 董卓は再び地図へ目を落とした。


「ここまでお読みいただきありがとうございます!

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