第二十七話
第二十七話
黄巾兵が斜面を下りてくる。
「来るぞ!」
劉備の声に、義勇兵が盾を寄せた。
ぶつかった槍が盾の縁を滑り、後ろへ逸れる。別の槍が隙間を狙って伸びたところを、関羽の刀が横から弾いた。
「右からも来る」
「そっちは任せる」
関羽が右へ寄る。
張飛は前列の間から槍を突き出し、盾へ身体を預けていた黄巾兵を押し戻した。
「さっきより増えてんぞ!」
「増えすぎたら下がる。それまではここでしのぐ!」
劉備は前へ出ようとした兵の肩を押さえた。
「追うな。盾から離れるな!」
押し返された黄巾兵が数歩下がる。
その後を追わず、義勇兵はその場に残った。
遠くから鬨の声が響いた。
一度途切れ、少ししてまた聞こえる。
張飛が遠くで響く鬨の声の方へ顔を向けかける。
「前を見ろ、翼徳」
「分かってる!」
黄巾兵が再び押してきた。
劉備は剣で槍を払いながら、高所の動きを見る。
奥にいた兵の一部が横へ走り、空いたところへ別の兵が入る。
「もう少し持たせるぞ!」
義勇兵の前列が声を返した。
矢が飛んでくる。
「伏せろ!」
盾が上がった。
何本かが木へ刺さり、一本が地面へ跳ねる。
矢が途切れたところで、張飛が盾の脇から槍を突き出した。
「出すぎるな!」
張飛が前へ出かけたところで、足を止める。
黄巾兵が一歩下がり、張飛も追わずに槍を引いた。
負傷した兵が二人、後ろへ下がる。
「穴を空けるな。後ろの二人、前へ!」
後列にいた二人が空いた位置へ入り、盾を構えた。
その間に負傷者が退路へ向かう。
関羽が一度振り返った。
「退路はまだ使える」
「なら、下がる時も崩れずに済む」
劉備は前へ向き直る。
黄巾の旗が揺れた。
前にいた兵が止まり、その後ろから別の一隊が前へ出てくる。
劉備は眉を寄せた。
「……まだ寄越すか」
張飛が槍を握り直す。
次の一隊が斜面を下り始めた。
盾の間隔を崩さず、足並みを揃えたまま近づいてくる。
関羽が刀を低く構えた。
「兄者、来るぞ」
「うむ」
劉備も剣を構えた。
張飛も相手を見る。
「だったら、こっちから――」
「行くな」
張飛の足が止まった。
関羽の視線は敵から動かない。
「来るまで待つ」
義勇兵も盾を構えたまま待った。
黄巾兵がじわじわと距離を詰める。
先頭同士が槍の届くところまで近づく。
最初に動いたのは黄巾側だった。
盾へ槍が当たる。
すぐ後ろから二本目が伸びた。
義勇兵も槍を返す。
今度は一度ぶつかっただけでは相手が退かなかった。
盾を押し合わせたまま、前列が足を踏ん張る。
「押し返せ!」
張飛が槍の柄を横にして、盾ごと相手を押すと、黄巾兵が一歩下がる。
だが、その後ろの兵がすぐ身体を入れた。
「ちっ」
「崩れんな」
関羽が横から入った槍を刀で払い、そのまま柄の根元へ刃を当てる。
槍を引いた敵が下がると、別の兵がすぐ前へ出た。
「交代が早い」
劉備は高所を見る。
奥では、まだ兵が動いている。
遠くの鬨の声も続いていた。
*
西側では、董卓が斜面の下から前線を見上げていた。
先頭の兵が盾を並べ、その後ろへ槍兵が続いている。
道は正面より広い。
だが、上へ行くほど左右の高所が迫り、一度に進める兵は少なくなる。
「前を止めるな!」
董卓の声が響いた。
高所から矢が降る。
先頭の盾へ何本も刺さり、兵の足が鈍った。
「右側の盾兵を前へ出せ! 左の槍兵はそのまま上がれ!」
伝令が走る。
右側の盾兵が前へ出て、矢を受ける。
その陰を使って左側の槍兵が斜面を上がった。
黄巾兵が斜面を下りてくる。
槍がぶつかった。
前の兵が止まりかける。
「後ろの兵を右側へ回せ!」
「はっ!」
後ろから兵が上がり、右側へ回る。
黄巾兵が一歩下がる。
「間を空けるな!」
官軍が斜面を上がった。
董卓も馬を進める。
「将軍、前へ出すぎです!」
「まだ遠い」
矢が近くの地面へ突き立った。
董卓は気にせず前を見る。
「柵までどれほどだ」
「二百歩ほど!」
「まだ詰められる。止まるな!」
黄巾側から新たな兵が降りてくる。
前線が再び止まった。
「左側の槍兵を中央へ寄せろ!」
董卓が指す。
兵が動く。
黄巾兵もその動きに合わせて向きを変えた。
「……こちらの動きをよく見ている」
董卓は前方から目を離さない。
右側の盾兵を指した。
「右側の盾兵を少し下げろ」
「盾兵を?」
「敵が前へ出たら、左の槍兵を斜面へ上げる」
「はっ!」
命令が伝わる。
右側の盾兵が僅かに下がった。
黄巾兵が前へ出る。
「今だ。左の槍兵を上げろ!」
槍兵が斜面を駆け上がった。
黄巾兵の側面へぶつかる。
盾が傾き、一人が後ろへ下がった。
「押せ!」
官軍が前へ出る。
董卓は馬上からその動きを追う。
崩れた列を埋めようと、黄巾兵が寄る。
「そこへ入れさせるな!」
先頭の兵が槍を伸ばし、崩れた列をさらに押し広げた。
柵までの距離が縮まる。
「将軍!」
部将の声に、董卓が振り向く。
「正面の敵兵が、こちらへ回っています」
「何人だ」
「まだ分かりません」
「構わん」
董卓はすぐ前へ向き直った。
「寄せたなら、向こうは薄くなる。義勇兵にも仕事をしてもらおう」
さらに兵を前へ出そうとする部将を手で止める。
「ここには増やすな」
「しかし――」
「道が詰まる」
董卓は斜面を指した。
「今いる兵で押せる。後ろは空けておけ」
「承知しました」
前方から声が上がった。
官軍が柵の手前まで届いた。
董卓は腰の刀へ手を掛けた。
「よし」
馬を降りる。
「将軍?」
「ここから先は馬では邪魔だ」
手綱を従者へ渡し、刀を抜いた。
「行くぞ」
董卓は自ら斜面を上がり始めた。
前では官軍の槍兵が柵へ取りつき、黄巾兵を押し戻していた。
「柵の切れ目を広げろ!」
董卓が刀で前方を示す。
槍兵が柵の間へ踏み込み、二人がかりで横木を押した。
組まれていた木が軋む。
柵の向こう側から、黄巾兵が槍を突き出す。
一人が腕を引き、盾を持った兵が前へ出た。
「盾を入れろ! 槍兵はその後ろだ!」
盾が並ぶ。
その陰から槍が伸び、柵の向こうにいた黄巾兵が下がった。
董卓も刀を振るう。
突き出された槍を払うと、そのまま前へ踏み込んだ。
「止まるな!」
官軍の兵が声を上げる。
横木が外れた。
「開いたぞ!」
「中へ入れ!」
先頭の兵が柵を越える。
黄巾兵が受けようとするが、後ろから続いた官軍が一気に押し込んだ。
董卓も柵を越えた。
その先には、さらに上へ続く斜面が伸びている。
黄巾兵は斜面を上がりながら後退する。
すぐに盾兵が前へ並び、その後ろへ槍兵がついた。
「追え!」
官軍が前へ出る。
部将が董卓の隣へ寄った。
「思ったより崩れません」
「崩れるまで押す」
董卓は立ち止まらない。
黄巾兵が斜面の途中で足を止めた。
盾を前へ出し、その後ろから槍が並ぶ。
董卓が刀を上げる。
「中央はそのまま押さえろ! 左右の槍兵は側面へ回れ!」
官軍が左右へ広がった。
正面で盾がぶつかる。
その間に左右の槍兵が斜面を上がる。
回り込もうとする槍兵の前へ、黄巾兵が入った。
「早いな」
部将が漏らす。
董卓が目を細めた。
「中央はそのまま! 右の兵は無理に回るな!」
兵が止まり、向きを変える。
「左側の槍兵を斜面へ上げろ!」
左側の槍兵が斜面を上がる。
その進路を塞ぐように、黄巾兵が左側へ入った。
中央に並ぶ盾の間隔が僅かに開く。
「今だ。中央を押せ!」
官軍の盾が前へ出た。
槍がその間から突き出される。
黄巾兵が二歩、三歩と下がった。
董卓はさらに奥を見る。
斜面の上では、増えた黄色い旗が風に揺れていた。
「将軍」
「見えている」
董卓は刀を下ろさなかった。
斜面の上から、新たな兵が降りてくる。
横に広がった列が、その後ろにも続いている。
列を崩さずに下りてくる。
「中央を止めろ!」
黄巾側から声が飛んだ。
前にいた兵がその場で踏みとどまる。
下りてきた兵が、その後ろへ入った。
乱れかけていた列が、すぐに形を戻す。
董卓が舌打ちした。
「……まだ出してくるか」
前線で再び盾がぶつかった。
今度は黄巾兵が下がらず、押し込む官軍を押し返す。
董卓が前へ出ようとしたところで、部将が腕を伸ばした。
「将軍、ここは兵に任せてください」
「前の動きを見て指示を出す」
董卓はその腕を退けた。
黄巾側の槍が一斉に伸びる。
官軍の盾に当たり、何人かが足を止めた。
「盾を崩すな!」
董卓の声が飛ぶ。
前列が踏みとどまる。
その隙に後ろから兵が入り、押し返す。
黄巾兵も後ろから兵を送り出した。
傷ついた者が下がり、新しい兵が前へ出る。
董卓の視線が、さらに奥へ向いた。
また旗が動く。
別の一隊が下りてくる。
弓を持った兵が後ろへ並び始めた。
「弓兵!」
部将が声を上げる。
「盾を前へ出せ!」
董卓が命じる。
官軍の前列が盾を上げた。
矢が降る。
木へ刺さる音が重なった。
矢が止む。
「進め!」
盾を下ろし、官軍が前へ出る。
黄巾側も槍を構え直した。
*
劉備たちの正面でも、動きが変わっていた。
黄巾兵が一度下がる。
義勇兵が息を整える間もなく、次の一隊が前へ出た。
張飛が槍を持ち直す。
「また来やがった」
関羽が前を見る。
黄巾兵は盾を並べたまま、ゆっくり距離を詰めてくる。
後ろには槍兵が続いている。
さらにその奥で、兵が左右へ分かれた。
「……回る気か」
関羽が言う。
「右を見ろ!」
劉備が声を上げる。
義勇兵の右側へ、黄巾兵が動いていた。
「三人、右へ寄れ! 残りは正面から目を離すな!」
後列から三人が動く。
黄巾兵も、それを見たように足を止めた。
張飛が眉を寄せる。
「こっちが動くのを見てやがる」
正面の黄巾兵が前へ出る。
「来るぞ!」
盾がぶつかった。
張飛が槍を突き出す。
一人が身体を引いた。
すぐ後ろから別の兵が前へ出る。
「また入れ替わった!」
義勇兵の一人が叫ぶ。
関羽が刀を振り、伸びてきた槍を落とした。
「前より崩れぬ」
劉備も相手を見る。
一人が下がれば、すぐ次が前へ入る。
張飛が槍を引いた。
「こいつら、さっきまでの連中と違うぞ」
劉備は斜面の上を見る。
黄色い旗の下で、さらに兵が動いていた。
「まだ来る」
関羽が言う。
劉備は剣を握り直した。
黄巾兵がまた前へ出る。
義勇兵も盾を寄せた。
その向こうで、さらに新しい旗が斜面を下り始めていた。
*
西側では、矢が途切れた。
「前へ!」
董卓の号令で、盾兵が斜面を上がった。
後ろから槍兵が続く。
黄巾兵も槍を突き出し、官軍の前列を止める。
盾に穂先が当たった。
董卓が前を見る。
黄巾側の弓兵は、すでに次の矢をつがえていた。
「右側へ盾兵を増やせ! 左の槍兵は中央へ寄せろ!」
伝令が走る。
右側へ盾兵が集まり、左から槍兵が中央へ動く。
黄巾側も弓の向きを変えた。
次の矢が右側へ集中する。
盾に立て続けに矢が刺さった。
「読まれています!」
「なら、左から崩す」
董卓は中央を指した。
「左の盾兵を前へ! 槍兵は後ろから続け!」
左の盾兵が前へ出る。
黄巾側の弓兵がそちらへ向き直る前に、盾兵が距離を詰めた。
「今だ!」
槍兵が盾の脇から飛び出す。
黄巾兵が二人下がった。
官軍が前列の空いた位置へ踏み込む。
奥から別の盾兵が前へ出て、その位置を埋めた。
「また埋めたか」
董卓が刀を握り直した。
黄巾兵の後ろでは、弓兵が数歩下がっていた。
前へ出た盾兵の背後から、次の矢を放つ。
「盾!」
官軍の前列が頭上を覆う。
矢が降り、盾を叩いた。
その間に黄巾側の槍兵が前へ出る。
「下から来るぞ!」
盾の下を狙って槍が伸びた。
一人が脚を取られ、斜面へ膝をつく。
隣の兵が腕を掴んで引いた。
「盾の列を詰めろ!」
膝をついた兵が抜けた位置へ、後ろの盾兵が入った。
官軍は崩れない。
黄巾側も崩れない。
斜面の途中で、盾と槍が押し合ったまま止まった。
部将が董卓の横へ来る。
「右から回しますか」
董卓は斜面の端を見る。
先ほどより黄巾兵が増えている。
「もう入っている」
右側には、槍を持った黄巾兵が列を作っていた。
「左は」
部将が反対側を見る。
そちらにも兵が寄っている。
「こちらが回る前に、進路を塞いでいます」
董卓は答えず、中央へ目を戻した。
黄巾側の前列が下がる。
「来るぞ!」
入れ替わった兵が一斉に盾を押し出した。
官軍も踏ん張る。
斜面を下る力が加わり、前列が僅かに下がった。
「止めろ!」
後ろから兵が支える。
一歩下がったところで止まった。
董卓が刀を前へ向ける。
「押し返せ!」
官軍の槍が伸びた。
黄巾側も盾を寄せる。
押し合いが続く。
どちらも崩れない。
*
正面では、劉備たちも黄巾兵を受け続けていた。
「右、来るぞ!」
張飛が槍を横へ振る。
義勇兵の側面へ回ろうとした黄巾兵が足を止めた。
関羽が一歩前へ出る。
刀が槍の柄を叩き、先端を地面へ落とした。
「前も来る」
正面から盾兵が迫る。
「寄せろ!」
劉備の声で、義勇兵が盾を並べ直した。
ぶつかった衝撃で足が滑る。
後ろの兵が背を支えた。
張飛が槍を突き返す。
「しつけぇな!」
黄巾兵が下がる。
追う間もなく次が前へ出た。
関羽が刀を構え直す。
「疲れた者から替えている」
劉備も気づいていた。
前列の兵が次々に入れ替わる。
その後ろにも、まだ兵の列が続いている。
劉備は斜面を見る。
黄巾兵は、前が崩れそうになればすぐ兵を入れ、こちらが横へ動けば同じ側へ寄せてくる。
距離が開けば弓、詰めれば槍が待っていた。
遠くから、再び大きな鬨の声が聞こえた。
西側だ。
張飛が一瞬だけそちらを見る。
「董卓のところか」
「まだ戦っておる」
関羽が正面から目を離さない。
「思ったより長い」
劉備は答えなかった。
先生が広宗を囲み、時間をかけて攻めていたことを思い出す。
あの時は、慎重すぎるようにも見えたが、これだけ攻めても攻めきれん。
「……なるほどのう」
張飛が槍を突き返す。
「何がだ!」
「先生が攻め急がなかった理由じゃ」
黄巾兵がまた入れ替わる。
今度は盾兵の後ろに弓兵が見えた。
「伏せろ!」
劉備が叫ぶ。
矢が飛ぶ。
義勇兵が盾を上げた。
木を叩く音が続く。
矢が止んだ。
すぐに槍兵が前へ出る。
「次から次へと!」
張飛が槍を構える。
関羽の刀が上がった。
劉備も剣を構える。
正面から黄巾兵が迫る。
その向こうでは、まだ黄色い旗が揺れていた。
*
西側の斜面。
董卓は黄巾側の列を見上げていた。
攻め口を開き、柵を越え、官軍は斜面の半ばまで上がっていた。
それでも前方だけでなく左右にも黄巾兵が並び、さらに奥から新しい列が下りてくる。
部将が息を整えながら隣へ来た。
「将軍、前列の交代を」
「入れ替えろ。疲れた兵から後ろへ回せ」
「はっ!」
官軍の前列が少しずつ下がる。
後ろにいた兵が入れ替わる。
黄巾側はその動きを見ても、すぐには踏み込んでこなかった。
盾を並べたまま距離を保っている。
董卓が目を細める。
「こちらが崩れるのを待っているか」
黄巾側の旗が動いた。
右側の兵が前へ出る。
「右側へ兵を寄せろ!」
官軍も兵を寄せる。
すると黄巾側の中央が動いた。
「中央も来ます!」
「分かっている! 前を空けるな!」
盾がぶつかる。
槍が伸びる。
官軍も押し返す。
斜面の中央で、再び両軍が止まった。
董卓は刀を構えたまま、黄巾の列を見る。
攻めれば下がるが、すぐに新しい兵が入る。
横へ回れば進路を塞がれ、距離を取れば矢が飛んでくる。
「……張角め」
董卓が刀を握り直す。
前方で盾が激しくぶつかった。
官軍の列が揺れる。
「踏ん張れ!」
董卓の声が斜面に響いた。
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