第二十話 集めた理由
第二十話 集めた理由
村へ戻る頃には、騒ぎはだいぶ収まっていた。
街道にはまだ人が残っている。
棒を杖代わりに歩く者。
抱えていた荷を背負い直す者。
黄色い布を外し、懐へ押し込む者もいた。
道端には鎌が一本置かれている。
その少し先では、若い男が古びた剣を地面へ置いた。
「もう持っていかんのか」
劉備が聞く。
男は振り返った。
「……いらねぇよ」
「そうか」
それだけ言って通り過ぎる。
後ろでは、鄒靖が兵へ指示を出していた。
「帰る者は止めるな。武器を置くなら拾ってまとめておけ」
「黄色い布は?」
「それだけで捕らえるな」
「はい」
兵が走っていく。
杜遠は少し離れたところに座らされていた。
両手を縛られ、兵が二人ついている。
顔を上げない。
張飛がそちらを見る。
「何か吐いたか?」
「まだ何も聞いとらん」
「聞いてねぇのかよ」
「急ぐことでもなかろう」
張飛が首を傾げる。
劉備は街道を振り返った。
まだ大勢いる。
だが、さっきまでとは違う。
叫ぶ者はいない。
武器を持って東へ戻ろうとする者も、ほとんどいなくなっていた。
関羽が隣へ並ぶ。
「何か気になるのか」
「うむ」
劉備は道端に置かれた鎌を見る。
「本当に戦わせるつもりだったのかと思ってな」
関羽が目を細める。
「どういう意味だ」
劉備は少し考えた。
「うまく言えんが、何か違う」
そう言って歩き出した。
◇
村の井戸の近くでは、何人かが水を飲んでいた。
見覚えのある顔もいる。
以前、黄色い布を巻いてここへ来た男も混じっていた。
兵が水桶を置くと、皆が順番に柄杓を取る。
官兵を避ける者はまだいる。
だが、さっきまでのように逃げ出す者はいない。
劉備は少し離れたところから眺めた。
「飯を出せば、人は集まる」
関羽が見る。
「何だ、急に」
「腹が減っとる時なら、なおさらじゃ。ワシでも行く」
「アニキは腹減ってなくても行くだろ」
劉備が張飛を見る。
「……それは否定せん」
関羽が視線を逸らした。
劉備は咳払いする。
「飯で集めた。官軍が来ると騒がせた。逃げる奴を戻して、武器まで持たせた」
張飛が眉を寄せる。
「やっぱり戦わせるためじゃねぇのか?」
劉備は井戸端を見る。
さっきまで棒を持っていた男が水を飲んでいる。
隣では老人が腰を下ろしていた。
女が子供の口元を布で拭いている。
「こいつらを見て、官軍とまともに戦えると思うか?」
張飛が黙った。
関羽も井戸端を見る。
「難しいだろうな」
「じゃろ」
劉備の声が少し低くなる。
「なら、最初から兵にしたかったわけではないのかもしれん」
鄒靖が後ろから歩いてきた。
「何の話だ」
「集めた理由じゃ」
「分かったのか」
「まだじゃ」
劉備は首を振る。
「ただ、戦わせるためだけではなさそうじゃ」
鄒靖が街道へ目をやる。
「では、何のために」
劉備はすぐには答えなかった。
風が吹いた。
道端に落ちていた黄色い布が、土の上を少しだけ転がる。
「別の使い道があったんじゃろ」
しばらく、誰も口を開かなかった。
井戸の周りでは、人が少しずつ減っていく。
家へ戻る者。
街道を西へ歩いていく者。
まだ残る者もいたが、誰も同じ方を見てはいなかった。
劉備はその様子を眺めていた。
「兵にせんでも、使い道はある」
張飛が眉を上げた。
「何に使うんだよ」
劉備は答えず、道の向こうへ目を向ける。
さっきまで、あそこには大勢いた。
叫び声が上がり、棒や鎌を持った者が集まり、官兵もそちらへ向かった。
逃げようとする者まで、杜遠たちは群れへ戻していた。
「……ワシなら」
劉備が口を開いた。
「戦わせるためには使わん」
関羽が目を向ける。
「では?」
「足止めじゃ」
張飛が首を傾げた。
「足止め?」
「そうじゃ」
劉備は鄒靖を見る。
「あれだけ人がおって、武器まで持っとる。お主なら放っておけるか?」
鄒靖は街道を見る。
武器を置いた者。
黄色い布を外した者。
子供を連れた女。
疲れて座り込む老人。
「……無理だな」
「じゃろ」
劉備が頷く。
「敵なら斬れば済む。じゃが、こいつらはそうはいかん」
鄒靖の顔が険しくなる。
「兵を割くしかない」
「そういうことじゃ」
張飛が街道の先を見る。
「その間、他が薄くなる」
劉備は頷いた。
「戦わせなくても、兵は使わせられる」
誰もすぐには返さなかった。
風が井戸の水面を揺らす。
関羽が静かに口を開く。
「人を集めたのは、官軍を動かすためか」
「そこまでは言い切れん」
劉備は一度だけ杜遠を見る。
相変わらず俯いたままだった。
「じゃが、結果としてはそうなった」
鄒靖が腕を組む。
「東へ兵を回した。村にも残した。街道にも置いた」
「うむ」
張飛が鼻を鳴らす。
「ずいぶん面倒くせぇ使い方だな」
「面倒じゃから使えるんじゃろ」
劉備は地面に落ちた棒を足先で転がした。
乾いた音がした。
「敵か民か、ひと目では分からん者を大勢集める」
井戸端に残る人々を見る。
「それだけで、官軍は無視できん」
鄒靖の目が細くなる。
劉備は街道の東へ目を向けた。
「問題は、その間に何をしたかったかじゃ」
張飛もそちらを見る。
「何か通したってことか?」
劉備は少し考えた。
「何かを通したかったか、別の場所から目を逸らしたかったか」
張飛が顔をしかめる。
「分からねぇことばっかだな」
「分からんのが普通じゃ」
劉備は笑わなかった。
「じゃが、集めた理由は少し見えた」
杜遠の方から、鎖が小さく鳴った。
劉備は振り返らない。
「こいつらを勝たせる必要なんぞ、最初からなかったんじゃ」
◇
日が傾き始めた頃、一人の兵が鄒靖のもとへ駆けてきた。
「北東の見張りから報せです」
差し出された紙片を、鄒靖が受け取る。
目を通し、眉を寄せた。
「どうした」
関羽が聞く。
「北東の街道で、黄巾の集団が確認された。昨日から数が増えているらしい」
張飛が顔を上げた。
「どれくらいだ?」
「そこまでは分からん。小さな一隊ではないそうだ」
「いつ通った」
「それもはっきりしない」
鄒靖は紙片を見直した。
「見張りが気づいた時には、すでに北へ向かっていた」
劉備は黙って聞いていた。
張飛が腕を組む。
「じゃあ、あの騒ぎの間に抜けたのか?」
劉備は北東へ続く道を見た。
「そう考えるのが自然じゃろうな。じゃが、決めつけるには早い」
少し離れたところでは、兵が置かれた武器を集めている。
「全部があれのためだったとは限らん。じゃが、動きやすくはなったじゃろうな」
鄒靖が紙片を折った。
「こちらは東へ兵を割いた。街道にも人を置いた」
「その間、他を見る目は減る」
関羽が言う。
劉備は頷いた。
「それだけでも、動くには十分じゃ」
張飛が顔をしかめた。
「気に入らねぇな」
「ワシもじゃ」
短く答える。
杜遠は兵に囲まれたまま座っていた。
北東の話が出ても、顔を上げない。
鄒靖がそちらを見る。
「こいつについては連れて戻る。何を知っているかは、その後だ」
「うむ」
劉備は杜遠を見なかった。
鄒靖が兵へ紙片を渡した。
「この報せは周囲にも回せ」
「はい」
兵が走り去る。
◇
夕暮れ前、今度は涿郡から使者が来た。
馬を降りると、そのまま鄒靖へ書状を差し出す。
「涿郡より軍令です」
封を切った鄒靖の目が、文字を追っていく。
劉備たちは黙って待った。
やがて鄒靖が顔を上げる。
「ここを離れる」
張飛がすぐに反応した。
「どこへ行く?」
「冀州方面だ」
劉備の眉が上がる。
鄒靖は書状を畳んだ。
「盧植将軍が張角の本隊と戦っている。各地から兵を集める命が出た」
劉備の動きが止まった。
「……盧植?」
関羽が横を見る。
「知っているのか」
「先生じゃ」
「先生?」
「昔、学んどった」
張飛が目を丸くする。
「アニキが?」
「何じゃ、その顔は」
「いや」
「何じゃ」
「ちゃんと勉強してた時期もあったんだなって」
「翼徳」
「何だよ」
「あとで覚えとれ」
鄒靖が書状を懐へ入れた。
「出立は明朝だ。今日は休め」
そう言って歩き出す。
劉備はしばらくその背を見ていた。
盧植。
その名を聞いたのは久しぶりだった。
今の自分が劉邦だなどと言えば、あの師はどんな顔をするだろう。
少し考える。
「……殴られるかのう」
関羽が聞いた。
「何か言ったか?」
「何でもない」
街道の先へ目を向ける。
ここで集まっていた者たちの姿は、もうほとんどない。
だが、黄巾の乱そのものが小さくなったわけではなかった。
むしろこれから、もっと大きな戦へ入っていく。
劉備は腰の剣へ手を置いた。
「先生も相変わらず苦労しとるのう」
張飛が首を傾げる。
「昔から大変だったのか?」
「まあの。ワシと伯珪で……あーいや、なんでもない」
劉備はそのまま宿へ向かって歩き出した。
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