第十八話 荷車の先
第十八話 荷車の先
東へ向かう荷車が、街道の先を走っている。
劉備たちは道を外れ、木々の間を進んでいた。
朝から倉を見張り、昨日と同じ荷車が再び東へ向かったところから追跡を始めている。
鄒靖が片手を上げた。
全員が止まる。
荷車が街道の曲がり角を抜ける。
姿が消えてから、また進む。
今日は行き先を見るために来た。
距離を詰める必要はない。
見失わなければいい。
荷車の車輪が、乾いた道に二本の跡を残している。
人通りの少ない場所では、それを追うだけでも十分だった。
「遅いのう」
劉備が呟いた。
張飛が前を見る。
「荷車だからな」
「逃げん奴を追うのは楽じゃ」
少し間を置く。
「昔は追うより追われる方が多かったからのう」
一瞬だけ視線が集まった。
「……今もじゃが」
鄒靖の足が止まった。
劉備は何でもないことのように歩き続ける。
◇
しばらく進むと、荷車が街道を外れた。
細い道へ入っていく。
両側には畑が広がっていた。
収穫を終えた場所。
まだ作物の残る場所。
遠くに数軒の家が見える。
畑では何人かが手を動かしていた。
籠を背負った者が道を横切る。
荷車が近づいても、誰も警戒する様子はない。
家の前を通り過ぎる時、畑にいた男が手を上げた。
御者も片手を上げる。
劉備はその様子を見ながら進んだ。
この辺りを初めて通る者ではない。
荷車はさらに東へ向かう。
やがて一軒の大きな家の前で止まった。
倉が一つ。
小屋が二つ。
囲いも門番もない。
家から男が出てきた。
御者と言葉を交わし、荷台を見る。
昨日、倉で降ろされなかった袋が運び出された。
一つ。
二つ。
残っていた分が次々と家の中へ入っていく。
袋を受け取る男たちも、中を確かめようとはしない。
御者も数を読み上げない。
決まっていた荷を渡しているだけにも見えた。
最後の袋も家の中へ運ばれる。
荷台が空になった。
張飛が小さく息を吐く。
「ここまでか」
鄒靖は答えない。
御者も帰ろうとはしなかった。
家の男と話している。
しばらくすると、奥から別の袋が運ばれてきた。
一つ。
二つ。
三つ。
今度は荷車へ積まれる。
劉備が目を細めた。
さっきまで載っていた袋とは違う。
大きさも縛り方も揃っていない。
家の中からだけではなかった。
小屋の横からも男が一人、袋を抱えてくる。
さらに別の者が籠を持ってきた。
御者は一つずつ中を確かめる。
受け取るもの。
首を振って返すもの。
袋の口を開き、手ですくって確かめるものもあった。
家の男が何か言う。
御者が首を振る。
別の袋を開ける。
今度は頷いた。
十ほどが荷台へ積まれたところで、御者が懐へ手を入れる。
何かを家の男へ渡した。
男は受け取ると、中を確かめた。
劉備の口元が少し上がる。
「今度は払っとるな」
鄒靖も黙って見ていた。
御者が荷台へ戻る。
積んだ袋の間を確かめ、縄を掛け直す。
家の男が最後に何か声をかけた。
御者が手を上げる。
手綱を取った。
また東へ向かう。
「追うぞ」
鄒靖が立ち上がった。
◇
二つ目の場所までは、それほど遠くなかった。
今度は家ではない。
街道沿いに、小さな市ができていた。
布を広げて野菜を並べる者。
籠を置いて豆を売る者。
乾かした菜を束ねて積む者。
穀物袋を荷車から降ろしている者もいる。
道端では、銭を数える音が時折聞こえた。
買った品を背負って去る者。
値段を聞くだけで離れる者。
売り手同士で話している者。
人の数は多くない。
だが、これまで見てきた倉や集落とは明らかに違った。
ここでは誰も隠れていない。
物を並べ、値を決め、銭を受け取っている。
追ってきた荷車も、その中へ入っていった。
鄒靖が足を止める。
「ここから先は近づけないな」
官兵がまとまって入れば目立つ。
関羽が市を見る。
「荷車だけなら、珍しくない」
「ワシらも珍しくないじゃろ」
劉備が言った。
鄒靖がこちらを見る。
「何をする気だ」
「買い物じゃ」
劉備は懐へ手を入れた。
何も出てこない。
もう一度探る。
反対側も探す。
少し黙った。
「雲長」
「ないぞ」
返事が早かった。
劉備が関羽を見る。
「まだ何も言っとらん」
「銭なら渡さん」
「なぜ分かった」
「分かる」
劉備はしばらく関羽を見た。
諦めたように手を下ろす。
その間にも、追ってきた御者は市の奥へ進んでいた。
一軒目では止まらない。
二軒目も通り過ぎる。
やがて穀物袋を積んだ男の前で足を止めた。
御者が袋を指す。
売り手が口を開く。
指を立てる。
御者が首を振る。
今度は御者が指を二本立てた。
男が顔をしかめる。
しばらく話したあと、袋の口が開かれた。
御者が中を確かめる。
別の袋も見る。
さらに、その隣に積まれていた袋へ手を伸ばした。
劉備の目が細くなる。
ただ荷を運んでいるだけではない。
自分で選んでいる。
値も見ている。
その横には、まだいくつもの穀物袋が積まれていた。
◇
御者は、三つ目の袋を開かせた。
中へ手を入れる。
指先で粒を確かめ、隣の袋と見比べる。
売り手が何か言った。
御者が首を振る。
もう一度、指を二本立てる。
今度は売り手が腕を組んだ。
しばらく睨み合ったあと、御者が立ち上がる。
そのまま離れようとした。
「待て」
売り手が呼び止める。
御者が振り返る。
男は指を一本立て、それから半分だけ折った。
御者が笑った。
話が決まったらしい。
袋が二つ、荷車へ運ばれる。
劉備は少し離れたところから見ていた。
「値切っとるな」
「見れば分かる」
鄒靖が低く返す。
御者は次の店へ向かう。
豆。
粟。
乾かした菜。
全部を買うわけではない。
値を聞く。
中を見る。
気に入らなければ離れる。
買う時は、その場で銭を渡す。
荷台の袋は少しずつ増えていった。
鄒靖は市の端から、その様子を見ている。
「普通に買っているな」
劉備は市場を見回した。
黄巾の印もない。
武器を持った者もほとんどいない。
追ってきた御者だけが特別に見えるわけでもなかった。
似たような荷車が何台も止まり、それぞれ品を見ている。
誰が誰のために買っているのか。
外から見ただけでは分からない。
◇
「ここに突っ立っとる方が怪しくないか?」
劉備が言った。
鄒靖が周囲を見る。
林の端から市を覗く男が八人。
確かに目立つ。
「二人ずつに分かれる」
鄒靖が決めた。
「買う必要はない。様子を見るだけだ」
劉備と関羽。
鄒靖と官兵二人。
張飛は残った官兵と、少し離れて入ることになった。
時間をずらして市へ向かう。
◇
中へ入ると、外から見ていた時より狭かった。
道の両側へ品が並んでいる。
野菜や豆。
穀物の袋。
布や縄。
農具の柄を並べている店もある。
冬を前にした市らしく、保存の利くものが多い。
買った品を背負って去る者。
値を聞くだけで離れる者。
売り手同士で話している者。
追ってきた荷車は少し先にあった。
御者はまた別の売り手と話している。
今度は小麦らしい。
関羽が声を落とす。
「近づきすぎるな」
「分かっとる」
言いながら、劉備は隣の店へ寄った。
干した豆が並んでいる。
店主の老人が顔を上げた。
「買うか?」
「見るだけじゃ」
「なら邪魔するな」
劉備は豆を見る。
「今日は売れとるか?」
老人が鼻を鳴らした。
「悪くはない」
「冬前だからか?」
「それもある」
豆を袋へ戻しながら、市の奥を見る。
「最近は、まとめて持ってく奴も増えた」
劉備は視線を動かさない。
「前からか?」
「いや」
老人は袋の口を縛る。
「ここ最近だな。前よりよく見る」
「同じ奴が来るんか?」
「さあな」
老人は肩を竦めた。
「荷車なんぞ一々覚えとらん」
劉備は頷いた。
それ以上は聞かなかった。
関羽と並んで店を離れる。
「最近、か」
関羽が呟く。
「偶然かもしれん」
「かもしれんのう」
劉備は市場の奥を見る。
追ってきた御者が、また一袋を荷台へ積ませていた。
◇
反対側から張飛が歩いてきた。
手には葱が一本ある。
劉備は一度それを見る。
「……何じゃそれ」
「買った」
「……」
「そうか……」
もう一度、葱を見る。
「いや……それより」
張飛が声を落とした。
「向こうでも聞いた」
劉備の表情が変わる。
「何を?」
「まとめて穀物を買う奴が、前より増えたってよ」
張飛は市の奥を見る。
劉備もそちらへ目を向けた。
追ってきた荷車から少し離れた場所に、別の荷車が止まっている。
御者は違う。
その男も袋を開かせ、中を確かめていた。
やがていくつかを選び、荷台へ積ませる。
豆。
粟。
穀物。
保存の利くものが多い。
劉備の目が細くなる。
追ってきた御者だけではない。
同じ時期に、似た買い方をする者が増えている。
まだ、それ以上は分からなかった。
その時、追ってきた御者が手綱を取った。
荷台はかなり埋まっている。
市場を出る。
だが、来た道へは戻らない。
さらに東へ向かった。
鄒靖が離れた場所から合図する。
劉備は関羽を見る。
「まだ先があるらしい」
関羽が頷いた。
二人は人混みを抜け、再び荷車の後を追った。
◇
市場を出た荷車は、さらに東へ進んだ。
荷台は来た時より重い。
穀物。
豆。
乾物。
いくつもの袋が縄で固定されている。
劉備たちは再び道を外れ、少し離れて後を追った。
今度は畑が減っていく。
代わりに、街道沿いの家が増え始めた。
行商人。
薪を背負った男。
籠を持った女。
荷車が一台通っても、誰も振り返らない。
少し先には、小さな町が見えていた。
街道の両側に家や店が並び、その奥にも建物が続いている。
荷車はその中へ入っていった。
鄒靖が歩みを緩める。
「この人数で入れば目立つ」
「また分かれるか」
「ああ」
鄒靖は官兵へ指示を出した。
劉備と関羽。
鄒靖と官兵二人。
張飛は残った兵と時間を空けて入る。
◇
劉備と関羽は少し遅れて町へ入った。
追っていた荷車はすぐに見つかった。
道の端へ止まっている。
御者は荷台を離れ、一軒の建物へ入るところだった。
店には見えない。
入口の横に板が掛かっている。
人の出入りはあるが、道に品を並べている様子はなかった。
通りの反対側には、茶を出す小さな店がある。
劉備がそちらを見る。
関羽も同じ方を見た。
「入るか」
「うむ」
二人で腰を下ろす。
茶が置かれた。
劉備は一口飲み、向かいの建物を見る。
少しして御者が出てきた。
一人ではない。
中年の男が一緒だった。
服は派手ではない。
武器も持っていない。
男は荷車へ近づくと、袋を一つ触った。
別の袋も見る。
御者が何か説明している。
いくつか言葉を交わしたあと、男は建物の中へ戻った。
しばらくして、別の男が出てくる。
手には小さな箱を持っていた。
御者へ渡す。
蓋が開く。
すぐ閉じた。
劉備の手が止まった。
「今の」
関羽も見ていた。
「銭かもしれん」
箱は御者の懐へ消える。
その後、荷車から袋が降ろされ始めた。
全部ではない。
半分ほどが建物の裏へ運ばれていく。
御者は残った荷を確かめた。
店の主人が湯を足しながら、二人の視線を追う。
「あそこが気になるのか?」
劉備は茶碗へ目を戻した。
「荷がよう出入りしとるからのう」
「ああ」
主人は向かいの建物を見る。
「近くから荷を集めてるところだよ」
「商家か?」
「さあな」
肩を竦める。
「頼まれた分を集めて、また回してる。前からあるところだ」
「最近も?」
「最近は忙しそうだな。食い物がよく入ってる」
主人はそれだけ言うと、別の客の方へ向かった。
劉備は向かいの建物を見る。
市場で買った荷。
ここへ運ばれた袋。
御者へ渡された箱。
まだ誰が金を出しているかは見えない。
だが、食料が一か所から出てきたものではないことだけは分かった。
◇
店を出る。
少し離れたところで、鄒靖たちも町へ入っていた。
互いに目だけで位置を確認する。
追っていた荷車はまだ止まっている。
しばらくすると、新しい荷が建物から出てきた。
御者が一つずつ確かめる。
荷台へ積む。
市場で買ったもの。
ここで受け取ったもの。
ここへ残したもの。
一台の荷車が、それらを順番に運んでいる。
やがて縄が締め直された。
御者が手綱を取る。
荷車は来た道へ向かった。
◇
町を離れたところで全員が合流した。
「追うか?」
張飛が聞く。
劉備は遠ざかる荷車を見る。
「もうええじゃろ」
「いいのか?」
「市場で買った。家からも買った。ここでも荷を集めとる」
街道の向こうへ小さくなっていく。
「戻った先は、昨日見た倉じゃ」
鄒靖が頷いた。
「これ以上追っても、似た場所が増えるだけか」
「たぶんのう」
劉備は町の方を振り返る。
普通の畑。
普通の市場。
普通の商い。
そこから少しずつ食料を拾い集めている。
「倉一つ潰して終わる話でもなさそうじゃ」
鄒靖の表情が変わった。
関羽も町を見る。
「別の場所から集め直せばいい」
「うむ」
劉備は腕を組んだ。
「誰かが銭を出し続ける限りはな」
一つの倉を見つけた。
だが、その倉だけが食料を生み出しているわけではない。
黄巾へ流れる飯は、普通に暮らす者たちの間から少しずつ集められていた。
ならば、倉を押さえるだけでは止まらない。
問題は、その流れを作っている者だった。
その時。
町の方から馬の音が響いた。
一騎。
街道を西へ駆けてくる。
官兵の装いだった。
鄒靖たちの横を通り過ぎ、そのまま村の方角へ向かう。
鄒靖の表情が変わる。
「戻るぞ」
今度は誰も聞き返さなかった。
荷車とは逆の方角へ、全員が歩き出した。
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