第十六話 運んできた者
第十六話 運んできた者
三台の荷車は、日が沈みきる前に村の前を通り過ぎた。
御者が三人。
その脇を歩く男が六人。
槍を持つ者もいたが、鎧は着ていない。
荷車には布が掛けられ、中身までは見えなかった。
街道脇に伏せた官兵たちも動かない。
鄒靖は荷車が通り過ぎるまで黙って見送った。
「気づいてねぇな」
張飛が声を落とす。
「そのまま行かせる」
鄒靖が立ち上がった。
「距離を取れ。近づきすぎるな」
車輪の音を追って、街道を進む。
やがて前方に、いくつもの火が見えてきた。
昼間に見た群衆のいる場所だった。
◇
荷車が近づくと、先に気づいた者たちが立ち上がった。
「来たぞ!」
声が飛ぶ。
その一言で、あちこちから人が集まり始める。
鍋のそばにいた者。
横になっていた者。
黄色い布を巻いた男たちまで、荷車へ向かっていく。
「飯だ!」
「押すな!」
「まだ降ろしてない!」
昼間とは違うざわめきが広がった。
待っていた者たちの声だった。
荷車の男たちは慌てる様子もない。
一台目が止まり、布が外される。
中には袋が積まれていた。
二台目も、三台目も同じだった。
男たちが荷台へ上がり、次々と袋を降ろしていく。
群衆の中から何人かが出てきて、それを受け取った。
昼間の陳景もいる。
荷車の先頭にいた男と言葉を交わしながら、受け取った袋を別の者へ回していた。
飯を求めて人が寄ってきても、荷車側の男たちは手を出さない。
陳景たちの方を示すだけだった。
袋を降ろす。
数を確かめる。
終われば次へ。
それだけを繰り返している。
鄒靖は黙ったまま様子を見ていた。
劉備も荷車の先頭にいた男へ目を向ける。
他の者へ手を振り、降ろした袋を一つずつ確かめていた。
最後の袋が地面へ置かれる。
陳景が男へ近づいた。
二人が短く言葉を交わす。
その途中、男の手が陳景の方へ伸びた。
何か小さなものが渡る。
陳景は一度だけ手元を見ると、そのまま懐へ入れた。
劉備がわずかに身を乗り出す。
鄒靖も見ていた。
陳景が何かを返した様子はない。
しばらく話したあと、荷車側の男が頷いた。
それを合図に、他の者たちが荷車へ戻り始める。
群衆の中へ残る者はいない。
誰かを連れていく様子もなかった。
食料を置き、来た道へ戻る。
今朝も同じだったのだろう。
鄒靖が手を上げた。
伏せていた兵たちが身を起こす。
「まだ止めるな」
声は低い。
「戻る先を見る」
一台ずつ荷車が向きを変える。
その時、先頭の男が顔を上げた。
街道の脇へ視線を向ける。
誰も動かなかった。
男はしばらく暗がりを見ている。
やがて何事もなかったように御者へ声をかけた。
三台の荷車が動き始める。
劉備はその背中を見送った。
「……見られたかのう」
鄒靖は荷車から目を離さない。
「行くぞ」
荷車は、来た時と同じ東の道へ戻っていく。
官兵たちも距離を取り、その後を追い始めた。
◇
荷車との距離を保ちながら、街道を東へ進む。
日はほとんど沈み、道の両側は暗くなっていた。
前を行く三台の車輪だけが、時折石を踏んで音を響かせる。
官兵たちは離れて歩いた。
足音を揃えない。
話もしない。
劉備たちもその中に混じっている。
しばらくは何も起きなかった。
三台とも同じ速度で進み、途中の道にも寄らない。
やがて前方に分かれ道が見えた。
一本はそのまま東へ。
もう一本は南へ細く伸びている。
先頭の荷車が止まった。
後ろの二台も続く。
劉備たちも足を止めた。
男たちが何か話している。
声までは届かない。
先頭の男が南の道を指した。
一人が頷く。
すると、三台目の荷車だけがゆっくり向きを変えた。
南へ入っていく。
残る二台は東へ進み始めた。
張飛が目を細める。
「分かれたぞ」
鄒靖はすぐに後ろの兵へ振り返った。
「五人、南を追え」
指された兵たちが頷く。
「距離を取れ。見失っても無理に近づくな」
五人が街道を外れた。
残りは二台を追う。
劉備は南へ消えていく荷車を一度見た。
「別れるんか」
それだけ呟き、東へ向き直った。
◇
二台の荷車はさらに東へ進んだ。
少しすると、道沿いに小さな祠が見えた。
その前でまた止まる。
今度は先頭の男だけが荷車から離れた。
祠の脇へ歩いていく。
暗がりへ入る。
しばらく姿が見えなくなった。
劉備たちは動かず待った。
やがて男が戻ってくる。
一人だった。
懐へ手を入れたあと、すぐ荷車へ戻る。
何をしていたのかは、ここからでは分からない。
鄒靖が少し待ってから手を上げた。
「二人」
官兵が前へ出る。
「祠を見ろ。誰かいたなら追え」
小さく頷き、二人が道を外れる。
残った者たちは再び荷車を追った。
◇
夜が深くなる。
街道沿いの家もほとんどなくなった。
やがて荷車は道から外れた。
畑の間を通る細い道へ入る。
車輪が泥を踏み、速度が落ちる。
先頭の男が一度だけ後ろを見た。
劉備たちは木陰へ身を寄せる。
荷車は止まらない。
そのまま進んでいった。
少し先に、灯りが見える。
一つではない。
低い建物がいくつか並んでいた。
倉のようにも見える。
周囲には柵があった。
門の前に二人立っている。
荷車が近づくと、何か言葉を交わした。
止められる様子はない。
門が開く。
二台とも中へ入っていった。
鄒靖が手を上げた。
全員が止まる。
門が閉じるまで待った。
「倉か?」
張飛が声を落とす。
関羽が建物の並びを見る。
「それにしては、人がいる」
柵の内側では、まだ灯りが動いていた。
荷車から何かを降ろしているらしい。
劉備は少し身を乗り出す。
鄒靖が腕を伸ばして止めた。
「ここまでだ」
「入らんのか?」
「今入って何があるかも分からん」
鄒靖は周囲を見る。
「場所は分かった」
劉備も柵の中へ目を戻す。
昼間、群衆へ食料を運んでいた荷車。
そのうち二台が、ここへ戻ってきた。
もう一台は南へ消えたままだ。
柵の向こうで、人影が横切った。
鄒靖が小さく手を振る。
「戻るぞ」
誰も声を上げなかった。
来た道を引き返し始める。
劉備は最後に一度だけ建物を振り返った。
門の内側では、まだ荷を動かす音が続いていた。
◇
村へ戻った頃には、火の数も少なくなっていた。
見張りを除けば、兵たちの多くはすでに休んでいる。
鄒靖はそのまま寝床へは向かわなかった。
村外れの火のそばに腰を下ろす。
「南へ行った連中が戻るまで待つ」
官兵の一人が火へ薪を足した。
劉備も近くへ座る。
張飛は槍を地面へ置き、関羽は街道へ目を向けた。
しばらくして、足音が聞こえた。
二人。
祠へ向かった兵だった。
「戻りました」
鄒靖が顔を上げる。
「祠の裏に男が一人いました。荷車が来る前から待っていたようです」
兵は息を整える。
「南へ追いましたが、林の先で見失いました」
「無理はしなかったか」
「はい」
「それでいい。休め」
二人が離れる。
劉備は火の中で崩れる薪を見る。
祠には、やはり誰かがいた。
何を話したのかまでは分からない。
◇
南へ向かった五人が戻ったのは、それから少し後だった。
こちらは全員、靴に土をつけていた。
「荷車は南へ二刻ほど進みました」
先頭の兵が報告する。
「途中の村は通り過ぎ、その先の小さな集落で道を外れました。納屋が二つと、大きな家が一軒あります」
火の向こうで鄒靖が腕を組む。
「荷台には、まだ袋が残っていました。そこでいくつか降ろしています」
劉備が顔を上げた。
群衆へ食料を置いたあとも、荷は残っていた。
「見張りらしい者が出てきたので、それ以上は近づいていません」
「十分だ」
鄒靖が頷く。
兵たちは下がっていった。
火の周りに静けさが戻る。
◇
劉備は小枝で地面をなぞった。
東へ戻った二台。
南へ分かれた一台。
その途中にあった祠。
線は一本ではなかった。
「全部、同じ奴らなんかのう」
鄒靖が地面を見る。
「まだ分からん」
関羽も線を追う。
「だが、どちらも群衆へ食料を運んでいる」
「ああ」
劉備は枝先で地面を軽く叩いた。
「なら、飯を見ればええ」
張飛が顔を上げる。
「飯?」
「これだけ配るなら、どこかで集めとる」
それだけ言って、枝を火へ放った。
鄒靖はしばらく黙っていた。
「明日は二手に分ける」
火の向こうで顔を上げる。
「東の場所と、南の場所。どちらも昼間にもう一度見る」
「祠は?」
関羽が聞く。
「人を一人置く。誰かがまた使うなら分かる」
張飛が槍を手元へ引き寄せた。
「分かった」
それ以上は続かなかった。
◇
火が小さくなっていく。
劉備は立ち上がり、腰を伸ばした。
村の向こう。
さらに東。
昼間見た群衆の火は、ここからでは見えない。
食べ物が届く限り、あの場所に人は残る。
届かなくなれば――。
「……面倒なのは、飯の方かもしれんのう」
誰に聞かせるでもなく呟く。
返事はなかった。
少し離れたところでは、昨日の黄巾の男が木の下で眠っている。
街道の先では、見張りの兵が一人立っていた。




