85、タイムリミットは10分
何かが足りないのは分かる。
でも、それが何かが分からない。
相棒が何を伝えたいのか、死に逝くワイバーンの瞳が何を訴えているのか、分からない。
因果断ちによる斬撃は確かに黒い鎖のモヤを正確に断ち切っている。
なのに、全てを斬った瞬間にワイバーンは絶命した。
この黒い鎖のモヤがそういう性質のものなのだろうか?
いや、それは違う……と思う。
もしそうなら【理切】の熱は引くはずだ。
だけど、まだ何かが足りていないから【理切】は熱を発し、あたしに何かを伝えようとしてくれているんだよね。
一度、体勢を整えるためにグレイグさんの側に着地する。
「モカちゃん! あんまり無茶をしないでくれ! どれだけヒヤヒヤしたと思ってるんだ!」
ちゃんと心配して叱ってくれるグレイグさんの優しさは分かるが、今はただの耳障りな雑音にしか聞こえない。
「ちょっと黙っててください」
納刀しながらピシャリと告げれば、グレイグさんは驚いたように口を噤む。
何が足りないのか、1個ずつ考えてみよう。
あたしの問題?
技術、スキル、回路に流す魔力の量、魔力制御の仕方。
あたし側の問題はそんな所かな?
技術が足りないとは思わない。
何か必要なスキルを持っていない? もしそうなら、回路の発動に必要な条件を満たしていない事になるから、そもそも【理切】が熱を持つはずがない。
魔力の量や制御の問題? でも因果断ち以外の回路には魔力が流れないし、流れる魔力も一定だ。
となれば【理切】の方の問題なのかな? それとももっと別の……
思考の海に沈むあたしを引き上げたのは、デコピンだった。
「こら、バカ小娘」
「痛っ! うぅ〜」
デコピンにしてはあまりにも強すぎる威力で、思わず呻き声が漏れてしまう。
視界がチカチカする中でトンガリ帽子が揺れるのが見えた。
「メ、メルツェナさん?」
「救援の魔法が打ち上がったから来てみれば、なんでこんな事になってんのよ」
地面に横たわる骸となったワイバーン2体と、未だ空を旋回する3体のワイバーンをそれぞれ指差して、メルツェナさんが怒っているような、呆れているような、どちらとも取れるような表情であたしを睨みつけてくる。
「偵察するだけなのに、どうしてワイバーンと戦ってるわけ?」
「まぁ……成り行きで?」
「あ、そう。不意に遭遇戦に発展する事なんて往々にしてあるけど……ワイバーンが5体なんて、運が無いわね、あんた」
メルツェナさんが杖を取り出し、マントを広げる。
「でも、あと3体なら何とかなるわね。あたしが空から落とすから、あんたたちは落ちてきたのをやりなさい」
「ちょ、ちょっと、ちょっと待ってください!」
「何よ、小娘。全部自分で片付けたいとか言うつもり?」
「そうだけど、そうじゃないです! いや、その前に! メルツェナさん、あのワイバーンに黒いモヤみたいなの見えますか?」
あたしは旋回するワイバーンを指差すと、メルツェナさんは額に手を翳して上を見上げる。
「黒いモヤ? そんなの見えないけど……何? あんたには見えてるの?」
「見えてます。説明は難しいんですけど、その黒いモヤがワイバーンを操っているのか、支配しているのか……とにかく、その黒いモヤをどうにか出来れば助けられるんです!」
「ふーん、で?」
メルツェナさんが真っ直ぐにあたしを見つめてくる。
「助けてどうすんの? あれは魔獣よ? 人に牙を向け、仇なす存在なの。殺す以外に選択肢は無いわ。それを助ける? 馬鹿を言うのも大概にしなさい。あれは人の敵よ。ここで逃せば、他の誰かが悲劇に見舞われるの。あんたはその誰かが死んでも良いって言うの?」
正しく正論だ。
ぐうの音も出ない。
だと言うのに、どうしてかあたしの心はその言葉に抗おうと震えていた。
メルツェナさんの鋭い視線を真っ向から受け止めて、あたしは睨み合う。
「だとしても! あたしには、あの子たちを見過ごせないです!」
「ちっ………はぁ………」
舌打ちをして、深い溜息を吐いたメルツェナさんは腕を組み、苛立ちを隠そうともせずに指をトントンと叩く。
「………10分よ」
静かにメルツェナさんの口から溢れた言葉を、危うく聞き逃すところだった。
「はぇ?」
「あたしがあのワイバーンどもを倒すための大魔法を詠唱するのに掛かる時間よ。その間に終わらせなさい」
「良いんですか?」
「本当は5分も掛からないけど……久しぶりの詠唱だから、うろ覚えなの」
たまには詠唱しないと呪文を忘れちゃうのよね、とメルツェナさんはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
ツンデレなのは何となく分かってたけど、ここでデレてくれるなんて! あぁ、メルツェナさんってば可愛いなぁ、もう!
あたしはニンマリと笑顔を浮かべて、メルツェナさんに抱きついた。
「メルツェナさん、大好き! ありがとっ!」
「うっさい! 離れなさい! 馴れ馴れしいのよ、小娘! あたし先輩よ?」
「えへへ」
にへら、っと笑いかけると、メルツェナさんはうぐっと言葉を詰まらせて、さらにそっぽを向く。
「早くいけ、小娘! 10分以上は待たないわよ!」
ぐぐぐ、とあたしを引き剥がしたメルツェナさんは、マントを翻して回れ右をすると、杖を構えて詠唱を始めた。
「……世界は我が心を行き、時は我が肉の内を巡り、意識は我が魂の内に生じ、宇宙は我が空洞に宿る。伽藍堂の容れ物には産まれたばかりの星を満たし、満ちた水盆には死に逝く星を落とし、我が宇宙と成せ。閉じた檻を照らす十重二十重の星々よ、廻れーー」
何やら大仰な言葉が聞こえてくるけど、あたしはあたしのやるべき事をやるだけだ!
メルツェナさんがくれたこの10分を無駄にしないためにも、早く【理切】が何を伝えたいのかを知る必要がある。
一度は中断した思考を再び手繰り寄せ、何が足りないのかを探ろうとする。
あたしの技術やスキルでは無さそうだし、魔力の量や制御でも無さそうだとすれば、問題は【理切】の側にあることになる。
思い出せ。
ベルムッドさんの所で鑑定してもらった結果を。
あれは【理切】の詳細な鑑定結果の中で、妙に意味深だったよね。
記憶にしっかりと焼き付いているのは、【理切】のフレーバーテキストだ。
神の座に至る者。
剣の頂に至る者。
それに憧れ、焦がれ、魅入られ、惹かれたのは剣の道に生きる者ではなく、それを支えんとする、1人の刀匠だった。
鍛冶の神を相槌に据え、自身の持つ魔力、生命力、運命力、全てを捧げて鍛え上げた神通無比なる一振り。
その執念は一刀として振るわれ、頂に至る道を切り開く。
只人には不可能であった、世界を縛る理すら断ち斬る極意すらも内包したこの一振りこそ、剣の頂に至る者が持つに相応しい。
しかし、その資格無き者が手にすれば、この一振りはただの鈍と成り果てる。
汝、剣の頂に至る者。
汝、我が一刀を振るう者。
その命が事切れるまで、ただ一度の敗北も許さず、ただ無心で斬り伏せよ。
「最後の一文、かな?」
ただ無心で斬り伏せよ。
この刀を振るうのに、心は必要ないってこと? 邪念を無くして、ただ単純に斬ればいいの?
「無茶な事を言ってくれるなぁ……」
でもやるしか無い。
今度こそ、絶対に成功させてやるんだから!
メルツェナさん、合流。
だけどモカはまだまだもどかしさを胸に、ちょっとだけイラついています。
次回、何とか解決します。




