55、再会は意外と早かった
お風呂は命の洗濯、とはよく言ったものだ。
暖かいお湯に浸かるだけでここまで気持ち良くなるんだから、言い得て妙だと思う。
あたしはお風呂から上がって、完全に緩み切ってふにゃふにゃの体を引き摺るようにして部屋に戻って髪を風魔法で乾かして、用意されていた部屋着に着替える。
この世界に来た時に来ていた平民の服に似ていて、懐かしさが込み上げてきた。
「こっちに来た時は本当に大変だったな……レベルもステータスも、スキルも魔法も経験値もお金も、すっからかんの状態だったからねぇ」
思えば、レベル1の状態で良くあの猪と戦えたよね。1歩間違っていたらあそこでゲームオーバーになってかも知れないのに。
「……レモーネ、元気かなぁ」
あの子、魔法の勉強? 修行? 頑張ってるみたいだけど、次に会う時には1人前になっているといいな。
ふと思い出したレモーネに思いを馳せながら、あたしは楽しみにしていた食事に向かう。
おばちゃんの肉串は、言わば胃のアイドリング。
あたしの胃を動かすために必要な燃料だったってわけ。
そしてここからは動き出した胃に王都の美味しいご飯という薪を焚べていくのだ。
部屋を出て階段を降りていくと、美味しそうな香りが強くなっていって、期待は否が応でも増してくる。
食堂に入れば、酒場のような乱雑な活気ではなく、和気藹々とした楽しそうな雰囲気でお客さんたちが食事をしていた。
対して厨房の方からは慌ただしさが伝わってくるような熱気を感じ取れる。
手近なテーブル席に座ってオススメを注文してから十数分。
「お待たせしました、お客様。当宿オススメのアイアンボーン・ブルの特製王都風煮込みでございます。猫の目サラダとスープ、パンはおかわり自由ですので、お気軽にお申し付け下さい」
しっかりと教育されたウェイターさんだ。
一流ホテルのレストランとか格式高い食事処にいてもおかしくないくらいで、ここの宿のレベルの高さが窺える。
目の前に置かれたのは白い深皿という床に広がる深い茶色の高級な絨毯のようなビーフシチューだ。
スパイス、ハーブ、ワイン、それから肉や野菜の本来の香り。それらが料理人という指揮者の元で完璧なカルテットを奏でているのが分かる。
テーブルに置かれたカトラリーを手に取り、肉を突く。
ゴロゴロと入った肉は触れただけですぐに解けてしまうほどにホロホロで、野菜も形を保っているけどトロトロだ。
美味しそう、なんて言葉はいらない。これは食べる前から美味しいって分かる。
もう待てない。
あたしはスプーンでお肉を掬うと、ふーふーと冷ましてから口に運ぶ。
「ッ!?」
口に入れた途端、お肉が解けて消えた。
でも肉を食べたという満足感だけはしっかりと感じる。濃厚なデミグラスソースは重たそうな印象を与えがちだが、その見た目に反してあっさりと……いや違う。シンプルなんだ。あくまで主役は肉! それを引き立てるために脇役に徹しているというのが一口で分かる。
しかし、主役を邪魔しないけど、私もいるのよ! と存在感は出してくるのだから、あまりにもハマっている。
これは肉の1人主演じゃない。
肉にスポットが当たれば肉が主役に。
ソースにスポットが当たればソースが主役に。
そして、引き立て役だと思われていた野菜たちも、例に漏れず、スポットが当たれば一気に主役に躍り出てくる。
野菜たちはしっかりと焼き目が付けられていて、口に入れた瞬間は香ばしさを感じるが、一度歯を入れれば、トロトロと蕩けて中に閉じ込められていたスープが湧き出てくる。
まるで野菜の形をしたスープを飲んでいるみたいだ。
この、あまりにも完成された料理のためなら、喜んで宿泊費を払いますとも。
しかしそうなると気になるのはおばちゃんがオススメしてくれたもう1つの宿の方だ。そっちの方がご飯が美味しいって言っていたけど、これより美味しいってこと? そんなの食べた日には王都から出られなくなっちゃうんじゃないかな?
「しばらくは王都に滞在する予定だし、1回くらいは食べに行ってみるか」
シチューの箸休めとしてサラダを食べる。
サラダは新鮮な葉野菜の上に砕かれた木の実が乗っていて、中でも目を引くのはビー玉くらいの大きさの半透明な球体。フォークで突いてみると、プチっと潰れて中からトロリと赤いソースが出て来る。
フォークについたソースを味見してみると、さっぱりとした酸味の強いラズベリーソースのようで、濃厚なシチューでもったりとした舌をリフレッシュしてくれる。
「おい」
なるほど、このソースの入ったビー玉大の球体を猫の目に見立てているから猫の目サラダってわけね。
サラダでリセットされた口にまたシチューを運び、パンを齧る。
ふかふかのパンはこれまで見た黒パンではなく、しっかりとした白いパンで、香り高い小麦と、ほんのり香るバターが嬉しい。
「おい!」
行儀が悪いのは分かっているけど、パンにシチューをつけて頬張ると、やっぱりあたしは間違ってなかった! と思えるほどに最高の組み合わせだ。
どうしよう、もう無くなりそうだよ。シチューをもう1回頼むか、他の料理にチャレンジするべきか……悩むなぁ。
「おいっ! 聞こえてんだろ!?」
なんて考えていると、ふとあたしのテーブルに影が落ちた。
ガタッと乱暴に椅子を引く音がして、見上げれば、酒の匂いをぷんぷんと撒き散らしたいかにもな風貌の冒険者っぽい男たちが3人、ニヤニヤと人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべていた。
「おい、お前が城門で衛兵が騒いでた女の冒険者かぁ?」
男たちは勝手にあたしのテーブルについて、バスケットに残っていたパンに手を伸ばしてくる。
あたしはバスケットをスッと引いて、パンを守ると、男たちは鼻を鳴らして笑う。
「はん、これだから田舎のバカな冒険者はいけねぇな。先輩が取ろうとした飯を横取りするのはマナー違反だぜぇ?」
「しかも、ギルドカードの偽造までしちゃうなんて、悪い子だねぇ。えぇ? 偽造カードのハッタリ剣士ちゃんよぉ」
「その歳でCランク? おまけに剣士でオーガ・エンペラーをソロで倒したってねぇ? どこのお貴族様と寝たんだ? それともギルマスにでも身体を売ったんか?」
この時の周囲の様子は、明らかにお通夜状態だった。
あーあ、可哀想に……なんていう同情と、巻き込まれたくないという思いから、誰もが口を噤んで視線を逸らしていた。
まぁ、それが普通の反応だよね。
これがグリザークなら誰かしらが割って入ってきてくれたけど、まだここでの信用や信頼を勝ち取っていないから仕方ない。
「はぁ……あ、ウエイターのお兄さん、シチューのおかわりって大丈夫ですか?」
あたしは完全にバカな男たちを無視して、お兄さんに声をかける。
だけど、お兄さんは何が起こったのかを理解出来ずに固まっていて、あたしの声が耳に届いていないみたいだ。
「おい、無視してんじゃねぇぞ、クソガキが!」
あたしの対応に怒った男が汚い手を、あたしの胸ぐらを掴もうと伸ばしてくる。
だけど、あまりにも遅い。
酔っているってのもあるのかも知れないけど、それにしても遅い。
いつだったか、冒険者が剣士が近づいてくる間に3回は殺せるとか言ってたけど、まさに今がそうかも。
こいつがあたしに触れるまでにあたしはこいつらを切り伏せられる。
まぁ、しないけど。
あたしは座ったまま、伸ばされた男の手を最小限の動きで弾いて、そのまま男の顎に掌底を放つ。
「っぶ、げ!?」
男の体が椅子から浮いて、そのまま後ろに倒れる。頭から床に落ちて、鈍い音と共に男の口から空気が吐き出される。
「がはっ……」
受け身すら取れず、一瞬で白目を剥いてピクピクと痙攣して静かになった。
「て、てめぇ!?」
残った2人が激昂して立ち上がると、そのままズカズカとあたしに近寄り、同じように胸ぐらを掴もうとする。
あたしはその手首を掴んで捻り、足を払って投げ飛ばす。これで2人目。
残った1人は
「ヒッ……!?」
情けない音を出しながら、ゆっくりと後ずさりを始めた。
何が起きたのか理解したのかしないのか、顔を真っ青にしながら、あたしと倒れている2人を交互に見ている。
静まり返った食堂で、あたしはもう一度ウエイターのお兄さんに声をかける。
「あの、これ、おかわりしたいんですけど……」
しかし、また反応してくれない。
みんなが呆然としている中、男が悲鳴をあげて逃げるように食堂から出て行こうとした瞬間。
「ふぅ、何とか間に合ったな!」
「お前が窓口でごねるからだろ?」
「いやいや、あれは酷いって! ちゃんと依頼通りの仕留め方をしたのに、後からごちゃごちゃ言うから……」
「でも、まさか連泊割引が無くなっていたなんて、思わなかったね」
木製の重厚なドアが開き、聞き覚えのある声が聞こえて来た。
まぁ、ここに泊まっているって言ってたしね。
にしてもタイミングが悪い。
入ってきたのは、王都に入る時に出会った冒険者パーティー『黒金の雷雨』だった。
彼らは目の前で固まっている青い顔の冒険者を見て、静まり返る食堂を見て、素知らぬ顔で立つあたしを見て、あたしの足元に転がっている2人の男を見て、ここで何があったのかを察したようだった。
「……随分と早い再会だな、モカちゃん」
とグレイグさん。
あれ? なんか、口元がひくついているような……気のせいじゃないよね。
「俺、問題は起こさない方が良いって言ったよな?」
念の為にグレイグさんは仲間に確認するが、全員が1度だけ、しっかりと頷いた。
「はぁ……」
大きな溜息を吐いたグレイグさんに、あたしはこれ以上厄介事を広げたくないと思って、先手を打つ。
「あ、グレイグさん! どうも、めちゃくちゃ早い再会ですね! でも、あたしもう、すっっごく眠いので、寝ます! おやすみなさーい!」
早口で捲し立て、死守したパンの入ったバスケットを抱えて逃げるように食堂を出て、階段を駆け上った。
タイミング良く出くわした従業員さんに頼んで3階への扉を開けてもらって、すぐに部屋に駆け込み、ふかふかのベッドに飛び込みながら、あたしは心に誓った。
次こそは、何の問題も無く、静かにギルドに行こう。
お腹が空いている方が、ご飯の描写が上手くなる気がするんですが、唯一の難点は、自分のお腹が空きすぎて集中力が保てないところですかね。
あー、ビーフシチューが食べたい。
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