54、銀の瞳の猫亭
お風呂回!
「ひょえぇぇ」
思わずそんな声が漏れる。
「物価がグリザークの2倍くらいじゃん………」
宿の情報を得るために露店や雑貨屋の覗いてみると、その物価の高さに驚きを禁じ得ない。
いやでも、背に腹は変えられないし? この金額で納得しないといけないわけで。幸い、手持ちは余裕があるし、必要になればあたしのアイテムボックスにはいくらか魔獣の素材が眠っているから、それをギルドに卸せばいい。
「宿に泊まるとなればかなりの出費になりそうだね……」
そうぼやいて、本来の目的を思い出す。
「そうだ、宿の情報を教えてもらわないと!」
同時にお腹も自分がぺこぺこだと思い出したのか、きゅるると可愛らしい音で控え目な主張をしてきた。
うん、こいつ分かってるな? この後宿に行ってご飯食べるから、ここでは少しだけで良いよ、って言ってるに違いない。
まぁ、でも、こんな美味しそうな匂いが広がってたらそうなるよね。
「何だったかな? ……何かで見たんだよね。焼肉は偉い。美味いから偉い、だったっけ?」
鼻から直接脳に届いているんじゃないかってくらい、食欲を刺激する香りは肉が焼ける匂いと炭の香り。そして耳を幸せにしてくれる、テラテラ光って、ポタリと炭に落ちては火柱を立てる油の音。さらに、一夏の思い出が詰め込まれた日焼けあとのようなこんがりと綺麗な焼き色。
五感の内、視覚、聴覚、嗅覚は、目の前の屋台で売っている肉串を食べる事に賛成のようで、また決めかねているのは味覚と触覚だけだ。
でも残念、あたしの食欲は多数決なのよ。
「おばちゃん、その串、1つちょーだい!」
誘惑に負けたとか、そういう訳じゃないよ? これは……これは、そう! このおばちゃんから宿の情報を聞き出すための情報料なの!
あたしはおばちゃんにお金を渡して、串を貰う。
「いただきます」
ガブリと一口。
う、美味い……完璧な焼き加減だ。
硬くなく、柔らか過ぎず、一口で噛み切れる肉は、とめどなく肉汁が溢れてきて、外側の油と少しあっさりとしたソースと相まって、口の中で完璧なソースになる。
何これ、美味すぎる! うーまーいーぞーっ! 口の中に宇宙が出来てるかも!? 流石にビームは出さないよ? でもそれくらい美味しい! やばい! これは当たりも当たり、大当たり!
「あぁ、宿探し中じゃなかったらもっと食べたいのになぁ……」
心の底から漏れ出た本音に、肉串の露店のおばちゃんは人の良い笑顔をにっこりと浮かべて、照れたようにお釣りを渡してくれる。
「なんだい、嬉しい事いってくれるじゃないか! もう1本ねだろうとしても無駄だよ!」
「えー、じゃあ、代わりにどこかオススメの宿を教えて? あたし、グリザークから旅してて、ついさっき王都に着いたばっかりで、何も知らないの」
「あれま! グリザークっていうと、北の都市だろ? あんな所から良くここまで、お嬢ちゃん1人でかい? ……偉いねぇ! それじゃあ、ちょっと高いけど安心して休める所が良いだろうねぇ」
おばちゃんはそう言うと腕を組んでうんうんと唸り始める。
「そうだな……オススメは『銀の瞳の猫亭』か『7つの林檎亭』かな。食事が美味しいのは林檎亭の方だけど、安全なのは猫亭さね」
「さっき知り合った冒険者の人が猫亭に泊まってるって言ってた……」
「そうなのかい? あそこなら女の子1人で泊まっても問題ないと思うよ! それにあそこはいつでもお風呂に入り放題だからね!」
うーん、美味しいご飯か、安全とお風呂入り放題か? むむ、悩む。悩ましい。悩ましいけど……やっぱりここは安全とお風呂が勝つかな。ご飯に関しては選択肢があるけど、安全とお風呂には無さそうだしね。
「じゃあ『銀の瞳の猫亭』にします!」
「そうかい? 猫亭はこの通りを真っ直ぐ行って、3つ目の角を左だ。そうすると看板が出てるからすぐ分かるよ!」
「はい、ありがとうございます!」
あたしはおばちゃんにお礼を言って、もう一口しか残っていないお肉を食べ終えて、歩き出す。
教えられた通りに歩いていると、三日月を背にしたお澄まし顔の黒猫が描かれた看板が見えた。銀色の双眸のおかげか、済ました顔でもお利口さんに見える。
「ここだ……看板可愛い」
宿に入り、王都価格の宿泊費に心の中だけで悲鳴をあげて、何食わぬ顔で支払いを済ませる。うーん、まぁ、安全とお風呂のことを考えれば適正の価格なのかもね。
宿自体は3階建てで、あたしが案内されたのは3階の1番奥の部屋。ちなみに、この宿の3階は女性専用となっているらしく、3階へ行くには店の従業員が持つ鍵が必要らしい。
部屋に戻るのにはいちいち従業員さんにお願いしないといけないのが少し面倒だけど、安全に夜を過ごせるって言うのは安心感が違うからね。
案内された部屋はビジネスホテルの1室くらいの大きさで、地方の宿のような広さはなかった。まぁ、土地が限定されているってのもあるし、ここら辺は仕方ないのかもしれない。
でもその代わり、ホスピタリティは高い。
ベッドメイク1つにしても皺なく綺麗に整えられているし、洋服棚には穏やかな花の香りのポプリが入っているし、洗面用具や入浴用具もきっちりとしている。
何より嬉しかったのは、ボディークリームや香油のような美容用品があったことだ。
この世界にもあったんだ! いや、世界が違っても、女の子が美容に掛ける情熱は変わらないんだろうね。
「これ、どこで買えるのか後で聞いておこーっと」
手荷物や装備品は予めアイテムボックスに入れてあるから、このままお風呂用具を持ってお風呂に直行しよう。
お風呂は1階の奥、もちろん男女で別れている。番頭さんというか、見張りのお兄さんがいて、その人に声を掛けて中に入った。
「おぉ、まぁ、普通の銭湯みたいな感じか」
流石に高級スパのような内装では無かったが、こういうので良いんだよ、を地で行く落ち着ける雰囲気だ。
脱衣所には幾つも棚があって、脱いだ服を入れておく籠があって、鏡があって、といわゆる普通の銭湯の脱衣所なのだが、やはり異世界。
脱衣所の隅には巨大な水槽があって、『スライムあります』と書かれた紙が貼ってあった。
もちろん中にはサッカーボール大のカラフルな粘体がぎっちりと詰まっている。
「……え?」
スライムあります、って何? お風呂上がりのコーヒー牛乳みたいなこと!? た、食べる? いや、飲むの? え? 何なの、これ?
不思議に思っていると、浴場に続く扉が開いて、1人の全裸の女性が脱衣所に入ってきた。その女性はスライム水槽を一直線に目指し、水槽の中から1匹のスライムをむんず! っと掴んでまた浴場に戻って行った。
「……あれかな? ドクターフィッシュみたいな感じかな?」
気になるけど、それよりも暖かいお湯に早く浸かりたい。
あたしは服を脱いでお風呂道具を抱えて、浴場へと向かう。
「………栄養バランスの問題かな?」
チラッと目に入った鏡に映る自分の姿に首を傾げる。
この世界に来る前の15歳のあたしは、今よりもうちょっとグラマラスだったような気がするんだよな。
この世界だと食事のバランスにはかなり気を使わないといけないのだ。どちらかと言えば、この世界は肉を美味しく食べるために野菜も食べてる、って節があるからね。
バランス良く食べないと育つものも育たなくなっちゃうよ。
「でも、良く見ればスタイルは良いと思うんだよね」
スレンダーとまではいかないけど、均整の取れた体付きだと自分で思う。とくにこのくびれは自慢したいくらいだ。ぽっこりもしてないしね。
まぁ、もうちょっと野菜と果物を摂るようにしますか。
あたしは小さな決意を胸に、浴場へと向かった。
「おぉ、すごい!」
浴場は最近改築したのか、綺麗な状態だ。
洗い場があって、大浴場がある。流石に露天風呂はないようだけど、問題ない。
この世界に来て初めての立派な浴場だ。グリザークの街はお風呂じゃなくてサウナが主流だったからなぁ。
「アレはアレで悪くなかったけど、やっぱりゆっくりとお湯に浸かりたいよね」
温泉とか銭湯のマナーってあまり良く知らないけど、掛け湯で体を流してからお湯に浸かる人と、先に髪と体を洗ってから入る人がいるみたいだけど、あたしは後者で、先にやることやって綺麗にしてからお風呂に浸かりたいからね。
洗い場に行くと、さっきスライムを持って行った女の人がいた。
「………うぉ」
女の人は両足をスライムに突っ込んでいた。
スライムが半透明だから、その中身がうっすらと見えるんだけど、しゅわわー、と音をさせながら、泡を出して足を溶かしているようにしか見えない。
でも女の人の表情は気持ちよさそうで、食べるは食べるでもドクターフィッシュ的な感じだったか、と納得した。
あたしもあとで試してみようかな。
そう思いながら、髪を洗って体を洗って、さっぱりした所で、待ちに待ったお風呂に向かう。
お湯に関する説明や効能なんかは特に無かったけど、この際それはどうでもいい。今大事なのは、足を伸ばしてリラックスして肩までお湯に浸かれる、ってことだけ。
まずは足先を軽くお湯に浸ける。
熱すぎるって事もなくて、丁度良い温度だ。
足先からじんわりと伝わる熱が心地良い。
そのまま足を入れて、ザブザブと歩いて、ゆっくりと体をお湯の中に沈めていく。
「ふにゃぁああ〜」
溶ける。
身も心も、この暖かいお湯に溶けていく。
凝り固まった筋肉が優しく揉みほぐされていくのを実感しながら、長旅で疲弊していた心もぽっかりと温めてくれる。
「あぁ〜、気持ちいいぃぃ〜」
顔がだらしくなっている自覚はあるけど、この気持ちよさには勝てそうもないよ。
ぬくぬくと温まって、のぼせる前に一度お湯から上がる。
よし、ちょっとスライムを試してみるか……と脱衣所まで行って、恐る恐る1匹のスライムを手に取り、浴場に戻って来た。
「そう言えば、この世界では初めましてだね……」
あたしが選んだのは緑色のスライムだ。
確かお姉さんは足を入れてたよね……どれどれ。
桶にスライムを入れて、そこに足を突っ込んでみる。するとしゅわわーと音と共に足がくすぐったくなってきた。
「お、おぉ、これは……案外悪くない……いや、思っていたより気持ちいいかも?」
ちょっと軽めのフットマッサージを受けているような気持ちよさがある。
なるほど、これはアリだね。
しばらくスライムを堪能してから足を引き抜くと、心なしか足がツルツルになっているような気がする。
その後はまたお湯に浸かって冷えた体を温めつつ、心が満足するまでお風呂を満喫した。
例のグルメマンガはちゃんと読んだ事はないですが、カツ丼を食べて口の中に宇宙が出来たり、口からビーム出したり、桜を咲かせたり、巨大化したり、と忙しいらしいですね。
……グルメ漫画ですよね?
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