4、初戦闘
翌朝。
気持ちいい目覚め、とはいかないよね、流石に。
硬いベッドのせいで体が痛いんだよ。でも気分は上々。
隣でまだ寝ているレモーネを起こさないようにベッドから抜け出そうとしたけど、レモーネが起きてしまった。
「あ、ごめん、起こしちゃった?」
ついつい話しかけてしまうけど、言葉はまだ通じない。
早く言語スキルを獲得したいね。
しかし、レモーネは首を横に振って、大丈夫だよ、みたいな言葉を言ってくれた。寝ぼけ眼を擦りながら、レモーネも起き上がると、あたしの手を引いて部屋を出る。
引っ張られながらもステータス画面で時間を確認すると、朝の6時を少し過ぎたところだ。
ここの人の朝は早いんだね……こんな時間に起きたのなんて久しぶりだよ。
配信者として活動を始めてから、生活リズムは不規則になっていたもんなぁ。夜に配信を始めて、明け方までゲームをして、配信を終わらせて寝る。
たまに案件や打ち合わせで寝ずに外に出る事もあるけど、帰ってきて仮眠を取ってまた配信をする。そうすると変な時間に寝て、変な時間に起きる。
そんな生活に慣れきっていた身からすると、朝6時は就寝する時間帯なんだよね。
レモーネに手を引かれて、両親がいるダイニングへと案内される。2人は既に起きていて、母親は朝食の準備、父親は仕事道具の斧の手入れをしていた。
「あ、おはようございます……」
かなり気まずいのだが、挨拶だけは欠かせない。挨拶は社会人にとって必須のマナーだもんね。
とはいえ、なんて言っているのかまでは伝わらず、レモーネが急かすようにテーブルの一角に用意された真新しい椅子にあたしを座らせた。
昨夜の内に、何かお手伝いをさせてくれとは言っているが、果たしてちゃんと伝わっているのだろうか? 若干の不安もあるけど、台所から香ってくる良い匂いに気持ちが持っていかれる。
どうやら前に食べさせてくれたミルク粥のようだ。
レモーネが配膳を手伝い、全員の食事がテーブルに置かれると、まずは父親が一口。それから母親とレモーネが食べ始める。
「あ、じゃあ、いただきます……」
遠慮しながら、モカは木のスプーンを手に取り、ミルク粥を食べた。
食事中、レモーネは両親たちと何かを話している。恐らく、この後の予定についてだろう。何でもいいから手伝いをしたい、という話をしたのだから、どんな事をやらせるか、って内容だと思う。そんな事を考えていると、レモーネが「モカ?」と尋ねてきた。
「ん? 何?」
聞き返すと、レモーネは玄関の脇に置かれている大きな背負い籠を指差して、腕を振る。歩き時の動きだ。そして右手を伸ばして何かを掴み、背中に持っていく。
そんなジェスチャーをされれば、どんな事をするのかは簡単に想像できる。恐らく、あの籠を背負って、森に入って、食べられる植物や木の実、果物とかを採ってくるんだろう。もしかしたら、レモーネの仕事なのかもしれない。
そっか。だから、あたしを見つけたのか。山に山菜とか木の実を採りにきた時に倒れているあたしを見つけてくれたわけだ!
なるほどなぁ、と納得していると、こてんと小首を傾げたレモーネと目が合う。
「良いよ、あたしも手伝う」
と頷いてオーケーサインをするが、伝わるはずも無い。
そんな訳で、食事を終えたレモーネと一緒に背負い籠を手に、山へ向かった。
言葉は伝わらないが、ジェスチャーと表情でそれなりに意思疎通が出来るのはありがたいと何度も思う。
道中、レモーネは何度もあたしの顔色を窺ってきたけど、どうやらあたしは身体の弱い子だと思われているらしい。
そりゃそうだ。
レベルは1、ステータスも初期値。スキルも無し。こんなの普通に動くだけにすぐに疲れるし、体は重いし、大変だぁ……。
きちんと食事と睡眠を取った事で、体力は上限の10まで回復しているが、それでも初期ステータス値では出来る事が少なすぎる。そのため、レモーネの歩く速度に着いていくのも一苦労で、すぐに歩幅が小さくなっていく。その度にレモーネが不安そうな顔で覗き込んでくるのだ。
「ごめんね、レモーネ。早くレベル上げてステ上げるから……」
そして移動と休憩を繰り返して、ようやく目的地に着いたらしい。
「うわぁ……すっごい……」
森の中ではあるが、少し開けた中腹地帯。
そして、鼻をくすぐる甘い香り。
辺りを見渡せば、深緑が燃えるような風で揺れているのが見える。そして、その風が運んでくる香りの正体は、大量に実った果実だった。
「りんご……いや、赤いけど香りはみかんっぽいね」
レモーネは背負っていた籠を地面に置くと、手近な木に向かって蹴りを入れた。すると、振動で幾つかの果実がボトボトと落ちてくる。それを拾って籠へ入れていくレモーネ。
「あ、かなり原始的な取り方なのね……」
ははは、と微苦笑していると、レモーネはちょいちょいと手招きして、木を指差した。どうやらやれ、という事らしい。
「はいはい、頑張りますよ、っと」
木を蹴り付ける。イメージはキックボクシングやムエタイの選手。しかし実際は てしっというしょぼい音がしただけ。もちろん果実が落ちてくることなどない。
「………はは」
乾いた笑いしか出ない。
「あぁ、レモーネ! そんな可哀想な子を見るような目で見ないで!」
非力なあたしの実力を目の当たりしたからなのか、レモーネは自分が木を蹴るから果実の回収はあたしに任せるようにするらしい。レモーネが順番に木を蹴っていき、落ちてくる果実の回収はあたしがやる。
流石に木に登って根こそぎもぎ取る事はしないらしい。それもそうか、他の動物のご飯かも知れないし、取り過ぎても実るまでには時間がかかるはずだしね。
2人で作業をして、おおよそ3時間ほどが経って、ようやく籠が満杯になる。時間もお昼を回って、良い時間帯だ。
程よくお腹も空いてきた所で、レモーネは籠に入れていた包みを取り出す。中身は堅焼きの黒いパンだ。1つは自分に、もう1つをあたしに渡し、今採ったばかりの果実の一つを手に取って、食べ始める。
「それ、美味しいんだよね?」
真似をして果実を手に取り、齧り付いた。
見た目はりんごで、食感は洋梨、味はみかんという摩訶不思議な果実は自分で収穫したからなのか、悔しいほどに美味しかった。堅焼きのパンで口の中の水分が持っていかれたら果物を食べる。
2人して黙々と食事をしていると、不自然な音が聞こえた。
「ん? レモーネ! あたしの後ろに!」
ガサガサ、と草や枝を掻き分ける音。風にそよぐ枝葉の音ではないそれは、何かがこちらへ近づいているという証左だ。
それにいち早く気付いたあたしは腰にある使い慣れた装備を手にしようとして、空振り、一瞬びっくりする。
そうだ、もう【天羽々斬】は無いんだった……あーくそ! あの子を手にするのにどれだけ苦労したと思ってんのよ!
舌打ちをして、腰紐に括った短剣を取り出し構えながら素早くレモーネを守るようにポジショニングする。
左手でレモーネを庇うように立ち、音がした方とは逆の方へジリジリと下がっていく。すぐに巨木を背にする事が出来ると同時に、音の主が姿を現した。
「猪……だよね?」
音の正体は赤黒い体色の猪のようなもの。
ようなもの、というのは普通の猪には似つかわしくない巨大な2本の牙があって、その大きさも2トントラック並だったからだ。
「ルフィデリア!?」
と言ったレモーネの言葉から、恐らくそういう名前の魔獣なのだろうけど、どうしてそこまで恐怖に体を震わせて泣きそうになっているのかが分からない。
「レモーネ? なんでそんなに怯えてるの?」
構えは解かず、猪魔獣を見つめたまま不思議そうに首を傾げる。
「だってあれ、ただの猪でしょ? あんなの、BLOの初心者だって簡単に倒せる感じのエネミーだよ?」
事実、BLO内で一番初めに対峙するボスエネミーは、第1の街の近郊に出現する巨大猪のレゾナンス・ファングというモンスターだ。
自身の咆哮を音叉代わりの巨大な牙で拡散してデバフを撒き散らすというモンスターなんだけど、チュートリアルをきちんとこなして、レベルを上げていれば苦戦するモンスターじゃない。
攻撃方法も単調で突進と突き上げしかしてこないからね。
だけど、レモーネにはそんな事は関係ないようで、ガタガタ震えながら、あたしの肩を執拗に揺らして、早く逃げようと言っている。多分……いや、きっとそう言っているはずだ。
だけど、レモーネが感じているよりもあのモンスターは怖くない。どちらかと言えばこれまでに戦ってきたモンスターの中では楽勝な部類に入ると思う。
だから、脳内ではどうやって倒すべきか、倒したらどれくらい経験値がもらえるのか、必要ならここで稼ぐのも良いかも知れない、と考えていた。
猪魔獣は、既にあたしたちの事を認識しているようだが、まだ動こうとはしない。フガフガと鼻を鳴らしては果実が良くなっている木を選んでいる。
「これは先制攻撃のチャンスかな?」
装備は短剣だけだが、戦い方はいくらでもある。
それに相手はプログラムではなく生物だ。
ゲーム内では効率良くダメージを与えるために、生物の急所を狙う都合上、人間を始めとする生物の体の作りは一通り頭に入っている。
基本的には太い血管を切るか、機動力の要である足を狙えばいいんだけど……この短剣で足を狙っても、大したダメージにはならないよね? あの毛皮なら、斬るより刺すのが良いかな?
戦いの方向性は決まった。
となれば後はそれを実行に移すだけなんだけど……今まで戦ってきた感じで戦うのは危険だと言うのは分かる。
年齢が25才から15才に若返り、体もそれに準じて小さくなっているのだから、リーチだって変わっているはず。でもまぁ、それは持ち前の技量で何とかカバーが出来ると思うんだよね。問題なのはそれよりもステが低すぎるって事だよ。こんなステータスでアレを倒せるかなぁ?
「でもまぁ、まずは様子見かな!」
短剣を逆手に持ち替え、深く腰を落とすと足に力を溜め、力強く駆け出す。一直線ではなく緩やかに曲線を描くように猪魔獣を目指した。
猪魔獣はそれに気付き、ブモオオオオオオオ、と咆哮し、牙の狙いをあたし1人に定めると、足で地面を掻き、突進のモーションをとる。
そして一拍の間があり、猪魔獣が駆け出した。
魔獣の突進の範囲内にレモーネが入らないように位置どりし、対峙した猪魔獣の大きさに驚いたけど、それでも突進のモーションが想像通りの動きであった事に口元を綻ばせる。
「そんな分かりやすい予備動作じゃあ、回避してくれって言っているようなもんじゃん!」
すごい勢いで突進してくる猪魔獣を翻るように回避しながら、逆手で持った短剣を急所の1つである首筋に押し当てて切り裂こうとしたが、ボロボロか厚い毛皮のせいで傷が付けられない。
「っち。やっぱり斬るより突き刺す方が正しいか」
自然と口角が上がっていく。やはり戦うのは楽しい。最近は対人戦ばかりだったから、余計に新鮮に感じる。
「それなら、その速度を逆に利用させてもらうね!」
木を目元から薙ぎ倒したばかりの猪魔獣の足元に視線を移す。
今の突進で分かったけど、あたし1人くらいなら入れそうな隙間だったね。四足歩行の動物の弱点はお腹ってのはどの世界でも共通だといいな。
魔獣はふごぉ、と鼻息を荒くし、怒りに燃えた瞳であたしを睨みつけた。どうやらレモーネの事など頭から消えたみたいだ。
「こりゃあ、好都合だね。ダメだよ、猪魔獣くん。戦いはどんな時でも冷静でいなきゃあ……」
再び足で地面を掻いて、突進の予備動作を行う猪魔獣。
「君の敗因は、ここであたしに出会ったこと、だね」
今度は自分から動かない。猪魔獣が足を溜め、一気に突進してくる。その直後にあたしも一気に前へと飛び出す。
今度は回避行動は取らない。ギリギリまで敵を引きつけ、直前のタイミングでスライディングをする。そのまま逆手に持った短剣を猪魔獣の腹に突き立て、自身の速度と猪魔獣の速度を使って、切り裂いていく。
突き立てた短剣はそのまま腹を半分ほどまで裂いた。その辺りで速度は落ち、すぐに短剣を傾けて引き抜くと、そのまま転がるように猪魔獣のお尻側に抜ける。
そして、その巨体がブルブルと震え、ヨタヨタとあたしの方へ向き直ろうとして、それは叶わずにそのまま絶命した。
「あ、あれ……? もう終わり?」
ドシン、と巨躯が崩れ落ち、血と臓物が溢れ出ていく。辺りに血の匂いが充満し、思わず顔を顰めた。
「ゲームじゃ、血の匂いなんてしないからなぁ……うえっ……」
血の付いた短剣をつい癖で振り、血を払うと、アイテムボックスへとしまう。そして、一息を吐くと、レモーネに声を掛ける。
「おーい、レモーネぇ! 大丈夫?」
巨木の側で、へたり込み、青い顔をしていたレモーネの元へ駆け寄り、手を差し出す。レモーネはすぐにその手を取る事が出来ず、魔獣の死体とあたしを交互に見て、ついには泣き出してしまった。
「え? え!? な、泣くとこあった!? え? なんで泣いちゃうの!? ちょ、ちょっとレモーネ!? あ、怪我した!? 嘘でしょ!? ど、どこ!? どこが痛いの!?」
軽いパニックであたふたしながらもレモーネの体を弄るが、特に怪我は無く、ホッとする。
「そんなに怖かったのかな? この世界だと、魔獣って脅威なんだ……」
改めて猪魔獣の死体に目を向けた。
うーん、確かにこのサイズの魔獣に襲われたら、一般人は死を覚悟するか……いや、普通に現実世界で2トントラックが突っ込んできたらどうしようもないもんね……当たり前か。体が弱そうな女の子がいきなりこんな魔獣に突っ込んでいったら、そりゃ怖いよね。
泣きじゃくるレモーネの側にしゃがみ込み、震える体をそっと抱き締めた。
「ごめんね、レモーネ」
彼女が泣きやむまでの間、自分の温もりが彼女を癒してくれればいいな、と静かに想う。
ルフィデリアさん(種族名:タイラントファングボア)はネームドというわけではありません。
勝手にレモーネの村の人たちが呼んでいるだけで、ユニークモンスターやレイドボスといった魔獣じゃないです。
ルフィデリアさんはタイラントファングボアが幼年期、成長期、成体期を経て、その先の成熟期となった個体です。基本的には成体期まで生きる個体は少なく、成熟期までとなるとほんの一握りになります。
強いとかじゃなくて捕食されない運も必要になってくるのでね。
だから今回のルフィデリアさんは(ネームドとかに比べて)あんまり強いわけじゃなく、運だけで長く生き残った個体ってことですねぇ。




