150、王都に満ちた闇と小さな灯火
王都の避難状況は遅々として進んでいなかった。
それもそうだ。
王都周辺には魔獣の大軍勢が迫っていて、逃げようにも王都外には出られない。そこにきて、王都内に凶悪な魔獣が現れるから、すぐに王城へ避難せよ。と王直々の発言によって王都は更なるパニックに陥ったのだから。
現在、王都の住人の反応は2つに分かれていた。
すなわち、すぐに王城へ避難するべきだという派閥と、ここを動くべきではないという派閥だ。
だが、どちらにも決定的に欠けている情報がある。
それは。
「全ての住民は王城へ向かえ! 王は全ての民を救うと宣言なされた! 王城には強力な魔法の護りがある! 急いで王城へ向かうのだ! 時間はあまり残されていない! 今すぐに王城へと逃げろ!」
タイムリミットについての情報だ。
カティナの父にして侯爵のエーデルハイドは馬に乗りながら、王都中を駆け回っている。
護衛や側仕えなども付けずに、単身で馬を駆り、人目も憚らず、貴族としてのプライドも投げ捨てて、ただひたすらに王が守ると決めた民たちのために叫び続ける。
残された時間は正確には分からないが、今この瞬間にも地下からワイズマン・エイプキングが現れて、王都を蹂躙する可能性があるのだ。
それを聞いた住民たちは、どちらの派閥だとかそんな些細なことは全て忘れ、我先にと王城へと逃げだす。
しかし、統制を失った住民たちは恐怖と混乱、そして飛び交うデマによってさらにパニックに陥り、避難がさらに難しくなっていった。
また、本来は避難誘導を行うべき王都警備隊や冒険者たち、そして騎士たちが王都周囲の防衛に割かれているため、避難誘導が上手くされていないのも理由の1つである。
とは言え、エーデルハイドを含む貴族たちの私兵が温存されていたのが不幸中の幸いであった。
だから、大混乱に陥った王都内で正確な情報を叫びながら避難を呼びかける私兵たちは口々にデマを否定し、落ち着いて王城へ向かうように呼び掛ける。
焦ることはない。
王都にいる住民全てを王城に収容できるように準備をしている。
確かに、時間に余裕はないが、王は誰一人見捨てるなと厳命された。
悪人であろうと老人であろうと、失っていい命は1つもないと仰った。
故に、自分だけではなく、隣の人に目を向けるように。
転んでしまった人がいれば手を差し伸べ、疲れた人がいれば背負い、自分の良心に従って避難せよ!
私兵たちの口から語られた言葉は、混乱と恐怖に曇っていた住民たちの心に、1つの小さな火を灯した。
蝋燭に灯されたような小さな小さな光だ。
だが、その光こそ、闇を食い止める暖かな光。
恐怖に泣いていた子供も。
恐怖に怯えていた大人も。
恐怖に震えていた老人も。
恐怖を受けいれた悪人も。
恐怖を抱きしめた病人も。
全ての者の心に灯ったその光は、迫りくる闇を退けるにはまだまだ弱い。
ふっ、と一息で消えてしまうほどに儚い。
だが、それらが寄り合えば?
手を差し伸べ、大丈夫だよと励まし合えば?
恐怖に引きつる顔に、頑張って笑顔を浮かべれば?
それは、大きな灯火となる。
闇を食い止め、押し返し、跳ね返すほど大きな光となる。
人々は、それを希望と呼ぶ。
王都に覆った闇は、その暖かな希望によって消え失せていく。
馬を駆り、貴族としての責務を果たすエーデルハイドは、その力の神髄を肌で感じ、思わず天を仰ぎ、人の持つ可能性に想いを馳せる。
「あぁ……これが人か。いや、これこそが人だ。思いやりと愛を持ち、助け合う。我らはそうやって幾度も困難に立ち向かってきたのだ」
この世界は美しい。
場違いながらもそんな感想を抱いたエーデルハイドは、胸いっぱいに空気を吸い込み、この光を絶やさず、さらに光を強めるために、再び走り出した。
だが、時間だけは待ってくれなかった。
無慈悲にも、タイムリミットが訪れてしまったのだ。
「なっ!? なんだ!?」
王都の東側。
地底湖から地上へと放たれた光線のせいで、被害が出てしまった場所に、再び同じような白い光が立ち昇ったのだ。
それが意味するのは1つ。
「まさか……登ってきたのか、ワイズマン・エイプキングが!」
モカが向かったはずだが、やはりあいつの言う通り、登ってきてしまったのか。
そして、その直後に耳をつんざくような咆哮と、腹に響くような重低音のドラミング音が圧倒的な威圧感として王都に降り注ぎ、その空気感を変えた。
それは、それまでに灯してきた光を吹き消す悪魔の息吹でもある。
たったその一息で、それまで王都に広がっていた希望の灯火はそのほとんどが消え失せ、再び闇に付け入る隙を与える結果となってしまった。
「くそ! もう猶予はない! 全員! 急いで王城へ迎え! 荷物など捨てろ! 命だけを最優先にしろ!」
叫びながら、住民たちの恐怖を真正面から受け止める。
「頼むぞ、モカ……何とか時間を稼いでくれ……」
あの剣士の少女に、この王都の命運を託すのは大人として癪だが、今はそう祈るしかない。
モカには返すべき恩だけが溜まっていく一方だな……返せるうちに返さないと、将来が大変なことになりそうだ。
そんなしょうもないことを考えるくらいには心に余裕が戻ってきた。
よし、あいつも頑張っているのだ。俺も死ぬ気で住民を救わねばな!
「慌てるな! 凄腕の冒険者が魔獣の相手をしている! とにかく慌てずに進め!」
もう王都を駆け回る意味もない。
となれば、王城へ雪崩れ込んでいく住民たちを誘導する方が得策か。
などと思っていると、俺の元に1羽の白い鳩が飛んできて肩に止まった。
『エーデルハイド。たった今、王都東側にワイズマン・エイプキングが出現したのを確認した。遠見の魔法によってモカが戦闘を開始したのも確認した。住民の避難に一刻の猶予もない。最悪の可能性も視野に入れて行動せよ。我が王城は既に住民たちの受け入れを始めているが、進捗は思うより良くない。こう命令するのは王失格だが、あえて命じる。エーデルハイド。死んでも住民たちの避難を完遂させよ!』
ピカピカ光りながらそういう鳩に、俺は泣きそうになる。
ここまで信頼されているのだと、しっかりと実感できるのだ。
このような素晴らしい王に仕えることが出来て、俺は幸せ者だ。
ならば、その偉大なる王の命に背くことは出来ない。
「畏まりました、陛下。我が命の全てを捧げ、その王命を果たしてみせましょう!」
『済まない、エーデルハイド。可能なら東側の避難を優先してくれ』
「では、私と私兵たちが向かいます」
『頼んだぞ。これが終われば少しは休める……はずがないな』
「そうですな。復興と補償が待っております」
『そういうのは未来の俺たちに任せよう、エーデルハイド。今は今に集中しよう。期待している。頼んだぞ』
「畏まりました!」
そして鳩は大人しくなり、光らなくなった。
俺はそのまま、その鳩に魔力を流して、俺の私兵たちへと通信を繋ぐ。
「聞こえているな、シュタンツ隊長! これより俺たちは東側の避難を最優先とする! 今の持ち場の避難誘導はすぐに終わらせ、東へと集まれ!」
『お、お待ちください、エーデルハイド様! 東はワイズマン・エイプキングが出現した場所ではありませんか! 自殺行為ですよ!?』
「そんなことは承知の上だ! その上で尋ねるぞ? 今、そのワイズマン・エイプキングと1人の少女が戦っている。だと言うのに俺たち大人が何もしないのか?」
『その少女というのは、カティナお嬢様が懐いている、あの?』
「そうだ」
『ならば、それは俺たちが怖気づく理由にはなりませんな! 分かりました、すぐに合流いたします!』
「道中でも確実に王城への避難を呼びかけろ。時間の猶予が無いこともな!」
俺はそれだけ言うと、鳩に送っていた魔力を切り、馬を走らせる。
この時の俺は想像もしていなかった。
モカとワイズマン・エイプキングの戦いが如何に壮絶なものだったのかを
モカとキングの戦いの執筆カロリーが結構高かったので、ちょっとだけ箸休めをさせてください。
次からはまたモカの視点に戻ります。




