145、王の矜持
ワイズマン・エイプキングの討伐に向かったモカを見送ってから、俺は部下が用意した馬に乗り、王城を目指した。
その途中で見た王都は、未曽有の恐怖と混乱が渦巻き、住民たちの多くは既に逃げ支度を整えていたが、魔獣により包囲されている王都から出られるわけもなく、住民たちは寄り合って頑丈な建物に籠ったり、解放された各種ギルドの避難所などに駆け込んだりしているのが見える。
そんな慌ただしい王都の喧騒とは別の喧騒が王城にはあった。
王城の門番は緊急事態であるというのに身分証の提示を求めてきたし、案内役の兵士に王への取次ぎを頼んだのに「王は今、緊急の会議中なので会えません」とか抜かしやがった。
俺はその門番と、案内役の兵士を怒鳴りつける。
「お前たちの大事な人が死んでもいいのか!?」
普段、ほとんど怒らない俺の怒号を聞いて、彼らはようやく事の重大さを理解し、全ての手続きをすっ飛ばして、俺を王城内へと通してくれた。
そのまま俺は会議室へと殴り込み、他の馬鹿貴族たちの静止も振り切って現在の王都の状態を偽りなく話し、住民を救うには王城に受け入れるしかもう手はない、と王へ直談判をしたのだが……話を聞いた王が口を開く前に俺の耳には怒号が届く。
「馬鹿を言うな、エーデルハイド卿! この王城を平民のために開放せよと言うのか!」
王城の第1大会議室には、コルベス王国の重鎮たる貴族たちが集まり、突発的に起きた今回の事件について、あーでもないこーでもない、と話し合い、罵倒しあい、責任の所在を擦り付け合い、どうすれば憎きあいつを追い落とせるのか、足を引っ張れるのか、この際に王への印象を良くしておこう、復興の名目で増税が出来るぞ、とヘラヘラと笑いながら、グラスに満たされたワインを呷り、軽食のクラッカーやパンに手を付けている。
住民が見たらクーデターが起きそうなほどの雰囲気の中、声を荒げて俺に喰ってかかる貴族が1人。
深い青の貴族服を身に纏い、獣油で撫でつけた白髪をオールバックにしている初老の男――レティオール・メドン・ロ・ディティウス侯爵だ。
悪辣な手腕で悪い噂も絶えない男だが、その成果は凄まじいもので、彼がいなければ外交は成立しないとまで王に言わしめる人物である。
「そうです、レティオール卿。先ほど申し上げた通り、魔獣による脅威だけでなく、王都地下にある地底湖で秘密裏に飼育されていたワイズマン・エイプキングが地上へと出ようとしているのです! 今すぐに王城を開放し、住民を保護しなくては!」
俺がそう言えば、保身と金儲けしか考えていない馬鹿どもは口々に反対と叫び、下賤な奴らを城に入れるなど不敬である! とか、俺たちだけが助かればいい! とか、同じ貴族として恥ずかしいことこの上ない発言をしまくっている。
「馬鹿を言うな、エーデルハイド卿。王都の住民が何人いるのか知っているのか? 12万人だぞ! それほどの人数を王城へ収容できるわけがなかろう! それに、優先するのは平民ではない! 国を導く我ら貴族である! 我らがいなければ国が成り立たんであろう!」
机を壊す勢いで叩き、レティオール卿は怒鳴りつける。
彼に呼応するように取り巻きたちが野次を飛ばす。
「国は人だ! レティオール卿! 民がいなければ国ではない! それとも卿は廃墟と化した国で、治めるべき民もいない国を率いるというのか!?」
「勘違いをするな、エーデルハイド卿。民などすぐに湧いて出てくる。虫のようにな。そして、蒙昧な民は我らでなければ導けん。あいつらはすぐに怠け、サボり、手を抜く。おぉ、そうだ。良い機会だ。これを機にそういった無能な虫どもを選別すればいい」
その発言に、俺は目の前の貴族たちが同じ人間には思えなくなっていた。
これは人ではなく、人の皮を被った悪意だ。そう思った方が全てしっくりくる。でなければ、人の口からそのような言葉など出てくるはずがない。
「……レティオール卿、あなたは……本当に人間ですか?」
「それは侮辱だぞ、エーデルハイド卿。私には卿を捕縛し、尋問する権利があるのだぞ?」
「このような非常事態に、国士の1人を失ってもいいと?」
「自らを国士とは……貴様のうぬぼれは死ななければ治らないか?」
「では、このまま共に死にますか? このまま馬鹿みたいな歓談を続けるのであれば、魔獣の大群によって王都は蹂躙され、ワイズマン・エイプキングによって王城は瓦礫の山となるのですよ?」
俺の言葉に、貴族たちは鼻を鳴らしてせせら笑う。
こいつらは状況を理解出来ていないのか? それとも他に何か……あぁ、そうか。アレがあったか。
「陛下にのみ扱うことが許された『王の護り』ですか……」
コルベス王国の王には、王権神授と共にもう1つの奇跡が与えられたと歴史は語っている。
それが『王の護り』と呼ばれる守護魔法だ。
王と、その住処たる王城に、堅固なる障壁を展開する防御魔法の極致。
その強度は、世界最強と謳われるユリシュ=ダヴラですら突破するには全力を出さなくてならないと発言するほどだ。
「そうだ。陛下の御力がある限り、この城が陥落することはあり得ないのだ!」
「であれば尚更に民たちを受け入れ、守らなくては!」
「何度も言わせるな、エーデルハイド卿! 12万の民をどうやって王城へ受け入れるというのだ!」
「そ、それは……」
そうなのだ。
広大な敷地面積を持つ王城と言えど、王都の全住民を収容できるはずもない。ただでさえ王城で働く者もいるのだから……いや、考えるのを止めるな。
モカが諦めていないのに、どうして俺が諦められる!
考えろ。どうやって12万の民を王城へ収容する? 誰一人零すことなく、欠けることなく、全てを助けるにはどうすれば……
「もう良い」
俺が沈黙したのを良いことに、下らない下品な野次を投げかけていた貴族どもが、一瞬で静まり返る。
それほどまでに重い声は、大会議場に響き、異様なまでの緊張感を齎した。
声の主はもちろん我が王だ。
「エーデルハイド。ワイズマン・エイプキングが地上へ上がるまで、あとどれくらいの猶予がある?」
「申し訳ありません、正確な時間は分かりかねます。ですが、モカの見立てでは30分……いえ、もう20分もありません」
「そうか……王都の住民を救うには、短すぎるな」
それは残酷な言葉だった。
王が自らの言葉で、民を切り捨てると判断したのだ。
俺は目の前が真っ暗になったように思えた。
焦点が定まらず、全身から力が抜けて、その場に崩れ落ちそうになった。
だが。
「しかしながら、それは俺の民を見捨てることにはならない」
王の言葉はまだ続いていた。
「たった20分しかないのであれば、15分で全てを救えば良いのだ。エーデルハイドよ。王城を開放せよ。全ての民を王城へ受け入れる。この際だ。離宮でも宝物庫でも、我が寝室でも、詰め込めるだけ詰め込めろ。庭園や図書館、トイレや廊下、それから非常用の隠し通路も開放しろ」
誰もが息を飲んだ。
開いた口が塞がらず、呆然としている。
「我が臣下たち。心して聞け。俺は王だ。お前たちの王だ。だが同時に、民たちの王だ。その王が、安全な場所で惰眠を貪る無能で良いはずがない」
王が静かに立ち上がった。
しかしその様子は威厳に満ちており、強さと偉大さを兼ね備えた、支配者としての立ち居振る舞いをしている。
「指揮は俺が取る」
そう言って王が足早に大会議場を後にしようとすれば、ようやく貴族たちが弾かれたように立ち上がって、王に縋りつくようにその歩みを止めようとする。
「な、成りませぬ、陛下!」
やはり声を荒げたのはレティオール卿だ。
「陛下は安全なこの場所にいるべきです! 民を救う指揮であれば、私が――」
慌てて陛下を引き留めようとしているレティオール卿に、陛下は一瞬だけ真顔になり、すぐにそれを笑みでかき消した。
「いや、それには及ばぬ、レティオール」
「何故です!?」
王は笑みを強めて、こう言い放った。
「王が動かなくては、部下が動かぬからな」
お忘れかもしれませんが、カティナちゃんのお父さんであるエーデルハイドさん。
モカが侯爵さんとしか言っていないので、私も名前を忘れていました。
そして、同じ侯爵位を持つレティオールさん。
レティオールさんは、やっていることは悪辣だったりしますが、その行動原理は国のため、です。決して王のため、ではありません。
コルベス王国が繁栄していくにはどうするべきか、を最優先事項としています。
ただ、王に忠誠を誓っていないのか、といえばそうではありません。
そして、王を裏切る気もありません。
ただ、王ありきの国、ではなく、国ありきの王、という考え方なだけです。
悪い人だけど、悪い人じゃない……って感じですかね?




