134、デルガミド
地底湖の石階段を下っていくと、当然ながら水面へと近づいていく。
人工的に造られたとは言え、地底湖である以上、水位はそれなりにある。
そもそもこの地底湖は巨大な丸フラスコのような形状をしていて、水位は半分より少し多いくらいだ。
きっとあの真ん中にある島が水位を上げているのだろう。
「あの島には船か何かで渡っているのでしょうか?」
ミーナさんはそう言うけど、島の周囲に船などは見当たらない。
ということは、魔法で渡っているのかも。飛行魔法とか水面の上を歩く魔法とか?
どちらにせよ、あたしには使えないから泳いで行くしかなくない?
「それなら問題ありません。船を作ります」
そう言ってミーナさんは手のひらを水面に向ける。
「『睡蓮の渡し船』」
水面に2つの淡い緑色の光の種が落ちると、そこから広がるように大きな睡蓮の葉が出来上がった。
「フロキシア王女殿下がまだ小さい頃、避暑地の池で遊びたいと仰るので、頑張って覚えましたが……このような所で役に立つとは思いませんでした」
大人がギリギリ乗れるくらいの大きさの葉っぱに、ミーナさんは躊躇なく乗ったけど、本当に大丈夫かな? 破れてはいないけど、どうにも不安の方が勝ってしまう。
「大丈夫ですよ、モカ様」
その表情には優しげな懐古の笑みが見て取れる。
「勇気を出して、1歩を踏み出してください」
あたしはドキドキしながら、蓮の葉に足を伸ばして触れる。
ふわふわとした感触の葉は金魚すくいのポイみたいで不安になってくるけど、意を決して乗ってみれば、少し沈み込むくらいで、破れたりはしなかった。
「良く出来ましたね、モカ様」
「う、うん。ありがとね、ミーナさん」
「それでは行きましょう」
ミーナさんが手を振ると、蓮の葉はゆっくりと動き出す。風魔法か何かで動かしているのかな?
「ねぇ、ミーナさん。向こうにはもうバレてるかな?」
「恐らくは」
「でも何にもしてこないね」
「あれがいるので、する必要を感じていないのかもしれませんね」
ミーナさんの視線が前を向く。
島に近付くにつれ、魔法陣に囲まれた巨大な黒い塊の姿が明らかになってくる。
黒い塊は当然ながら魔獣だ。
濡れたような黒い体毛に覆われたその巨体は、目測で約30メートル。
強靭な体躯のその巨大な魔獣は、巨大な魔法陣で四肢を縛られ、宙に浮いている。
まるで映画の中から飛び出してきたのか、と疑いたくもなったその魔獣は、巨大なゴリラだった。
分厚い胸板、鋭い犬歯、鎧のような体毛。
その全てがまさに類人猿の王だと言わんばかりの存在感を放っている。
しかし、知性を讃える凛々しい瞳も今はどす黒い赤に染まり、だらしなく半開きの口からはダラダラと涎が滴り落ち、手足は細かく痙攣を繰り返していた。
「あれが支配されている状態、ですか?」
「うん、あたしが会ったワイズマン・エイプもあんな感じだった」
しかし、良く考えると西の山で出会ったワイバーンや双頭蛇の瞳はあんな怖い感じにはなっていなかったと思うけど……何か理由があるんだろうな。
「恐ろしいと同時に可哀想に見えますね」
「うん。だから早く楽にしてあげよう」
あたしたちが小さな島に辿り着くと、睡蓮の葉から島へと飛び移る。
島はこれまた人工的に造られたようで、砂が固められたような場所だった。
大きさ的にはサッカー場が2つ分くらいだろうか。
島の端には掘立小屋が見えるが、それ以外の建物は見当たらない。
所々に椅子とテーブルが置かれてはいるが、それ以外に遮るものもないから、あたしたちは真っ直ぐに島の中央へ歩く。
そこで待っていたのは1人の男だった。
煌びやかな金髪で長身痩躯。
この場にはそぐわないような装飾華美で整った服装。
こちらに背を向けて魔獣を見上げているから顔は見えない。
「……どこで計画が狂ったのか」
落ち着いた声は低く、不思議と心地よく思える。
「ゲートルが失敗した時? それとも君たちの目の前で侯爵令嬢を誘拐した時?」
男はただ立ち、ゴリラの魔獣を見上げているだけだ。
「いや、違う。そもそも狂ってはいない。どれほど道を間違え、迂回しても、最終的に辿り着くゴールが同じであれば、それは僅かな差異に過ぎない」
慌てる様子も無く、男はゆっくりと振り返る。
金髪に良く映える薄い青色の瞳と目が合う。
整った顔立ちではあるが、どこか冷たくて無機質さを感じるその顔は、恐ろしいほどに無感情だった。
「そして、私の計画を狂わせようとする異分子がいるのも知っていた。まさか君のような少女だとは思っていなかったが……」
男は無表情をやめて、笑みを浮かべる。
いわゆるアルカイックスマイルだ。
そこに感情は見えないし、逆に不気味に思えてしまう。
まるで人形が人の皮を被っているような気さえしてくる。
「あんたがデルガミド?」
あたしの言葉に、男は小さく頷いた。
「いかにも。私はデルガミド。デルガミド・ロッドベルフ=フィルガーク・コルベスだ」
男――デルガミドは両手を広げる。
「ようこそ、我が地下王国へ。歓迎するよ」
「あ、ありえません!」
あたしが腰の【理切】に手を掛けた瞬間、ミーナさんの叫びにも似た声が地底湖に響く。
「現在、コルベスの名を持つ者はこの国に5名しかおりません! 陛下にはご兄弟もいらっしゃいません! 故に、6人目の王族など、存在しないのです!」
「君のようなメイドが知るはずもないだろう。我が弟ですら私の存在を知らないのだからな」
弟? と言うことは、今の王様のお兄さんってこと? でも今、ミーナさんは今の王様に兄弟はいないって……ふーん、そういうこと?
「私の父は間違いなくコルベス前王である。父が異国の地で戯れに平民を孕ませ、私が生まれたのだ」
やっぱりそう言う話だよね。
「当時、コルベスが講和条約締結のために訪れた地で、母は酒場の看板娘として働いていた。そこでお忍びでやってきた王が母を弄び、孕ませ、そして捨てた。母はいつも言っていた。父が迎えにきて、私たちは王族に迎え入れられて、優雅に暮らせるのだと。だが、そんなものが来るはずもない。母は妄想の世界に囚われ、心を病み、来るはずもない父を待ち続け、そして死んだ」
デルガミドの表情は変わらない。
「母は死ぬ間際でもずっと父を待ち続けた。恨みもせず、呪いもせず、ただひたすらに待ち続けていた。まだ向こうの準備が整っていないだけ、そう言いながら、静かに息を引き取った」
そこでデルガミドは大きく溜息を吐いた。
「別に私は王族になろうがなるまいが、どっちでも良かったのだ。だが、私は望まれてしまった。貴方にはコルベス王家の血が流れているのだから、こんな下賤な街ではなく、コルベス王国を導きなさい、と。だから私はコルベスへと渡り、父に会いに行った」
デルガミドの顔に、初めて表情らしきものが浮かぶ。
それは、悲しみなのか、落胆なのか、呆れなのか、あたしには分からない。
「しかし、父には正妻がいて、1人の子供がいた。私の腹違いの弟だ。当然ながら私は父に会うことすら出来なかった。どこの誰とも知らぬ浮浪者が王城に入れば、どうなるかくらい、想像に難くないだろう? そして、投獄された私はそこでゲートルと出会ったのだ」
確か、ゲートルさんは今の王様になってから解雇されたんだよね? いつの頃の話なのかな? 聞いてる感じだとまだ若い頃だと思うんだけど。
「それから私はゲートルと共に弟に反感を抱く貴族や商人たちに手を回し、いずれ来たる私の王政のために裏で暗躍を始めてくれた。初めに集ったのは9人だけだったが、徐々に組織として成長し、15年という時間を掛けてコルベス王国の裏に巨大な巣を作っていった。そしてその9人は誓いを立てた。その身が朽ち果て、骸と成り下がる日まで、私に忠誠を誓う、とな」
それが『9つの骸』の始まりなのだと、デルガミドは言った。
「だから私は王にならなければならないのだ。私の臣下のために……何より、母がそうあれと望んだのだから。故に、我が覇道を阻むというのなら――」
デルガミドの瞳に、確固たる意志が宿る。
「――ここで阻んでみせよ」
この一言が、戦いの始まりとなった。
デルガミドさんの過去は、この世界ではそれなりにありふれた過去ではあります。
王の庶子というのはこの世界において珍しくもありませんが、そのほとんどが王の醜聞を隠すために秘密裏に処分されてしまいます。
彼が生き残れた理由は、母親が精神を病んで妄想に囚われてしまったことです。
周囲からは疎まれ、煙たがられ、誰も近づこうとしなかったため、放っておいても問題ないと、当時の王の側近たちは考えたようですね。
そのせいで今こうなっています。




